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学院編 14
536 悪役令嬢は妖怪になる
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「仕方ないわねえ……」
ロン先生は包帯を切る鋏で自分の指先を僅かに傷つけた。
「ローブを着て、フードを被って」
「はい」
「で、あたしの指を舐めて」
「……ん?」
ジュリアは首を傾げて固まった。
「血を舐めれば五分以上はもつでしょ。あんたの足なら車寄せまで二分。十分よね?」
「あ、そうか!血ってタイエキなんだ」
ぱん、と手を打ったジュリアの背後で、ベッドに横たわったレナードが苦笑いをする。
「気をつけてね、ジュリアちゃん」
「うん。レナードもゆっくり休んで傷を治してね。なかなかお見舞いに来れないかも。ごめんね?」
「分かってるよ。……じゃあ、一つだけお願い、聞いてくれないかな?」
人好きのする笑顔で言われると、ジュリアは一も二もなく頷いた。
「いいよ」
「本当に?」
「うん。……ヘンなことじゃないよね?」
「全然!いろいろ問題が解決したらさ、二人で旅行に行こうよ」
「うーん。考えとくね」
どことなく危険な気配を感じて、約束せずに適当に流すと、レナードは口を尖らせた。
「ちぇ。一発オッケーだと思ったのに」
「ほらほら、さっさと準備して行きなさいよ。車寄せでレイモンドがブチキレてる頃よ」
ロン先生がジュリアにフードを被せ、半開きの口に自分の指を突っ込む。
「んぐ!」
「ほおら、完璧ね」
みるみるうちにジュリアの姿は風景に溶け込んで見えなくなった。
◆◆◆
言われた通り、車寄せまでは二分とかからない。ジュリアは王宮の中の配置を覚えていて、勝手にあちこちに入り込んで自分なりの近道を作っていた。
「ここは庭をつっきって、あのドアから向こうの建物に入って、通り抜けた方が速いんだよねぇ」
得意になってつい鼻歌を歌ってしまう。人影がないのに歌が聞こえ、見回りの兵士が青ざめて身震いをした。
――悪いことしちゃったかな。ま、いっか。
庭の向こうの建物に入ると、宮廷魔導士達が忙しく働いていた。魔力のある相手には見えてしまうのだろうか。ジュリアはドキドキして彼らの傍を通った。
「あの噂、本当かな?」
「噂って?」
「魔導師団長が謹慎処分を受けたって」
思わず聞き耳を立てて立ち止まる。
「嘘だろ?エンウィ伯爵様に限って、そんな」
「でもさ、呼ばれて出てってから、随分経つよな?従者の人は向こうの部屋で待ってるし、帰ったわけじゃなさそうだぜ?」
「緊急事態でも起きたんだろ」
「だったら、何で俺らが呼ばれないんだ?俺らだけじゃない。詰所にいる連中は皆、暇を持て余してるってのに」
「大変だ!」
廊下の角を曲がり、ローブを翻して一人の魔導士が走ってきた。
「三階の部屋で、騎士団長が乱心した!」
――何だって!?小父様が?
魔導士達は誰が彼を止めに行くか、互いに押し付け合っていた。ジュリアはヴィルソード騎士団長がどうなるのか考え、ぎゅっと瞳を閉じた。車寄せに向かっていた足を階段へ向かわせる。
――絶対おかしい!
ヴィルソード侯爵は、脳筋で筋肉を鍛えるのが趣味の平和を愛する男だ。例え侮辱されても、簡単には激昂しないだけの忍耐力はある。エンウィ伯爵がどこに行ったのか分からないが、騎士団長の力に勝てるのは魔導師団長の魔法くらいではないか。助けを求めるべきなのだろうか。
階段を二階まで駆け上がると、上から悲鳴と怒号と物が壊れる音が聞こえてきた。
「こっち!」
三階の廊下は酷い有様だった。ジュリアとすれ違うように女官と兵士が逃げていく。
――兵士が逃げてどうするのよ!
「小父様!」
王国一の騎士は、広い廊下の真ん中で丸太のような腕を振り回して、飾ってあった美術品を粉々にしていた。肩で息をしながら、凶悪な獣のような目つきで辺りを見回している。アレックスと同じ金の瞳が不気味に緑色に発光している気がする。
――変になってる!?魔法?全然分かんないよ。
姿が透明になっているジュリアを見つけることができず、ヴィルソード侯爵はぐるぐる徘徊した。彼を遠巻きにして見ている人々の中に、一際豪華な魔導士のローブを着た老人が立っている。
――キースのじいちゃんだ。あの人、こんな状況なのに笑ってる?
「貴殿らも騎士なら、あれを止めてみるがいい。ははははは」
「くっ……」
剣を向けることができず、かといって素手では勝てない彼らは、ヴィルソード侯爵の背後に回り込もうとするが、一向に成功しないでいた。
「後ろから押さえることができれば……」
「気絶させられるかどうか」
「無理無理、俺、死にたくないよ」
ジュリアは彼らの話を聞きながら、ヴィルソード侯爵にも弱点はあるはずだと考えた。幼いころから侯爵家に通っていて、実の息子のアレックス同様に可愛がってもらってきた。
――小父様の弱点……そうだ!
廊下の絨毯を蹴り、ジュリアは俊足を活かして侯爵の背後に回り込み、子泣き爺よろしくジャンプして彼の背中に飛びついた。
「!?」
遠くでエンウィ魔導師団長が、自信満々で話しているのが聞こえる。
「あれを止められるのは私くらいでしょうなあ。はっはっは」
――その前に止めてやるっての!
広い肩に顎を乗せると、耳元ではっきりと告げた。
「アンジェラ小母様に嫌われるよ!……ったあ」
鞭で打たれたかのようにビクンと身体をしならせたヴィルソード侯爵は、ジュリアを振り落としてがくりと膝をついた。不気味に光っていた瞳が、普段の色を取り戻す。
「やった!」
一人手を叩いて喜ぶジュリアは、自分の姿が次第にはっきりと現れていくのに気づかなかった。
ロン先生は包帯を切る鋏で自分の指先を僅かに傷つけた。
「ローブを着て、フードを被って」
「はい」
「で、あたしの指を舐めて」
「……ん?」
ジュリアは首を傾げて固まった。
「血を舐めれば五分以上はもつでしょ。あんたの足なら車寄せまで二分。十分よね?」
「あ、そうか!血ってタイエキなんだ」
ぱん、と手を打ったジュリアの背後で、ベッドに横たわったレナードが苦笑いをする。
「気をつけてね、ジュリアちゃん」
「うん。レナードもゆっくり休んで傷を治してね。なかなかお見舞いに来れないかも。ごめんね?」
「分かってるよ。……じゃあ、一つだけお願い、聞いてくれないかな?」
人好きのする笑顔で言われると、ジュリアは一も二もなく頷いた。
「いいよ」
「本当に?」
「うん。……ヘンなことじゃないよね?」
「全然!いろいろ問題が解決したらさ、二人で旅行に行こうよ」
「うーん。考えとくね」
どことなく危険な気配を感じて、約束せずに適当に流すと、レナードは口を尖らせた。
「ちぇ。一発オッケーだと思ったのに」
「ほらほら、さっさと準備して行きなさいよ。車寄せでレイモンドがブチキレてる頃よ」
ロン先生がジュリアにフードを被せ、半開きの口に自分の指を突っ込む。
「んぐ!」
「ほおら、完璧ね」
みるみるうちにジュリアの姿は風景に溶け込んで見えなくなった。
◆◆◆
言われた通り、車寄せまでは二分とかからない。ジュリアは王宮の中の配置を覚えていて、勝手にあちこちに入り込んで自分なりの近道を作っていた。
「ここは庭をつっきって、あのドアから向こうの建物に入って、通り抜けた方が速いんだよねぇ」
得意になってつい鼻歌を歌ってしまう。人影がないのに歌が聞こえ、見回りの兵士が青ざめて身震いをした。
――悪いことしちゃったかな。ま、いっか。
庭の向こうの建物に入ると、宮廷魔導士達が忙しく働いていた。魔力のある相手には見えてしまうのだろうか。ジュリアはドキドキして彼らの傍を通った。
「あの噂、本当かな?」
「噂って?」
「魔導師団長が謹慎処分を受けたって」
思わず聞き耳を立てて立ち止まる。
「嘘だろ?エンウィ伯爵様に限って、そんな」
「でもさ、呼ばれて出てってから、随分経つよな?従者の人は向こうの部屋で待ってるし、帰ったわけじゃなさそうだぜ?」
「緊急事態でも起きたんだろ」
「だったら、何で俺らが呼ばれないんだ?俺らだけじゃない。詰所にいる連中は皆、暇を持て余してるってのに」
「大変だ!」
廊下の角を曲がり、ローブを翻して一人の魔導士が走ってきた。
「三階の部屋で、騎士団長が乱心した!」
――何だって!?小父様が?
魔導士達は誰が彼を止めに行くか、互いに押し付け合っていた。ジュリアはヴィルソード騎士団長がどうなるのか考え、ぎゅっと瞳を閉じた。車寄せに向かっていた足を階段へ向かわせる。
――絶対おかしい!
ヴィルソード侯爵は、脳筋で筋肉を鍛えるのが趣味の平和を愛する男だ。例え侮辱されても、簡単には激昂しないだけの忍耐力はある。エンウィ伯爵がどこに行ったのか分からないが、騎士団長の力に勝てるのは魔導師団長の魔法くらいではないか。助けを求めるべきなのだろうか。
階段を二階まで駆け上がると、上から悲鳴と怒号と物が壊れる音が聞こえてきた。
「こっち!」
三階の廊下は酷い有様だった。ジュリアとすれ違うように女官と兵士が逃げていく。
――兵士が逃げてどうするのよ!
「小父様!」
王国一の騎士は、広い廊下の真ん中で丸太のような腕を振り回して、飾ってあった美術品を粉々にしていた。肩で息をしながら、凶悪な獣のような目つきで辺りを見回している。アレックスと同じ金の瞳が不気味に緑色に発光している気がする。
――変になってる!?魔法?全然分かんないよ。
姿が透明になっているジュリアを見つけることができず、ヴィルソード侯爵はぐるぐる徘徊した。彼を遠巻きにして見ている人々の中に、一際豪華な魔導士のローブを着た老人が立っている。
――キースのじいちゃんだ。あの人、こんな状況なのに笑ってる?
「貴殿らも騎士なら、あれを止めてみるがいい。ははははは」
「くっ……」
剣を向けることができず、かといって素手では勝てない彼らは、ヴィルソード侯爵の背後に回り込もうとするが、一向に成功しないでいた。
「後ろから押さえることができれば……」
「気絶させられるかどうか」
「無理無理、俺、死にたくないよ」
ジュリアは彼らの話を聞きながら、ヴィルソード侯爵にも弱点はあるはずだと考えた。幼いころから侯爵家に通っていて、実の息子のアレックス同様に可愛がってもらってきた。
――小父様の弱点……そうだ!
廊下の絨毯を蹴り、ジュリアは俊足を活かして侯爵の背後に回り込み、子泣き爺よろしくジャンプして彼の背中に飛びついた。
「!?」
遠くでエンウィ魔導師団長が、自信満々で話しているのが聞こえる。
「あれを止められるのは私くらいでしょうなあ。はっはっは」
――その前に止めてやるっての!
広い肩に顎を乗せると、耳元ではっきりと告げた。
「アンジェラ小母様に嫌われるよ!……ったあ」
鞭で打たれたかのようにビクンと身体をしならせたヴィルソード侯爵は、ジュリアを振り落としてがくりと膝をついた。不気味に光っていた瞳が、普段の色を取り戻す。
「やった!」
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