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学院編 14

509 悪役令嬢はいい匂いに誘われる

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「……行った」
人影が遠ざかり、ジュリアは大きく息を吐いた。
先程から陰に隠れながら廊下を進み、使用人が通るのを息を殺してやり過ごしている。
――大人しくしているのは苦手なんだよなあ。さっさと兄様見つけないと……。
気持ちは焦るが、ハロルドの居場所に繋がる手がかりは見つからない。使用人達は顔を合わせても無駄口を叩かず、暗い顔で一礼して過ぎるのだ。会話のない職場である。使用人の服を調達して話しかけて聞きだすのも難しそうだ。

「……!」
廊下の向こうからいい匂いが漂ってきた。
――これ、ポトフかな?なんだろ?コンソメっぽい匂いもする。うわー、昨日から食べてないから、猛烈にお腹がすいてきたっ。
誘われるように進めば、すぐに厨房らしき場所についた。柱の陰から様子を窺っていると、一人の少年が皿に盛られた食事を持って出てきた。
――さっきの『旦那様』に運ぶのかな?んー、でも、あの人ならもっと豪華な食事を食べそうな気がする……。
相変わらず廊下は薄暗いが、ジュリアは目を凝らして少年の手元を見た。使っている食器は値打ちがありそうに見えない。乗せているトレイも普段使いの品だ。木のスプーンはところどころ傷がある。
――あの子が食べる……?使用人が食事をする場所は決められているはずよね?うちはそうだもん。じゃあ、あれは……?
廊下の隅々に目をやって少年を尾行すると、ジュリアの予想が当たっていたと確信した。少年はどんどん邸の外れへと歩いていく。あまり人が来ない場所らしく、ひんやりとした空気を感じた。
「……はあ。何で俺が……」
突然少年が呟いた。食事を運ぶ仕事が面倒なのだろうか。ある部屋の前で立ち止まり、ドアの傍にあった小さなテーブルにトレイを置いた。不貞腐れた顔でドアを叩く。返事はない。ポケットから鍵の束を取り出して、その中の一つを使って鍵を開けた。
――中に誰かいるんだ!っでも、誰が?
「今日の食事。ここに置くから。食べても食べなくてもいいけど」
トレイを置く微かな音が廊下まで聞こえてくる。邸の人間相手に「食べなくてもいい」などと言うだろうか。食事を届けているのは、最低限生かしておきたいからで……。

そこまで考えた時、ジュリアの足はひとりでに廊下の絨毯を蹴っていた。素早く部屋に滑り込み、驚いている少年の喉元にレイピアを突き付ける。
――こんな盗賊みたいな真似、始めてだよ……!
「動かないで」
「……!!」
「この邸のあちこちに爆弾をしかけたわ。あなたが誰かに話せば、それを感知して爆発する。誰にも言わないなら、命だけは助ける。……さあ、どうする?」
わざと悪役風に顔を作って少年を見た。ジュリアより少し背が低い彼は、青ざめた顔で唇を動かし、「言わない」と声を出さずに呟いた。
「いい子ね。さあ、行きなさい」

廊下の角まで少年が進んだのを確認して、ジュリアは部屋の中を改めて見た。できたてのスープはテーブルの上にあり、奥にはベッドと窓がある。ずかずかと進んで窓のカーテンを一気に開けた。
「……んん」
太陽の白い光が室内を照らす。窓の外に積もった雪が、辺りをさらに明るく見せている。
「やっぱりここだったんだ。……兄様、大丈夫?……起きて!」
粗末なベッドの上には、ハロルドが着のみ着のままで横になっていた。顔色は相変わらずよくないが、身体を起こせるくらいには回復しているようだ。
「……ジュリア……?」
「まだぼんやりしてるみたいだけど、逃げるよ!ここ、一階だから窓から出られそう」
「一階……?ここは塔の上では……?」
「は?何言ってんの?」
ジュリアは窓を開けた。冬の風が頬を刺すようだ。
「私が出てみるから、よおく見といてよ?」
「ま、待っ……!」
片手で体重を支え、軽々と窓枠を超える。向こう側の雪の上に降り立つと、ハロルドに向かって笑顔で手を振った。
「ね?塔がどうとかって、兄様、魔法にやられてんじゃない?」
「あなたの言う通りかもしれません。この邸には個人の魔力量によって幻影を見せる罠があちこちにあるようです。ノアが言っていました」
「そっかー。でも、ここから逃げ出せるって分かったし、私と一緒に行こう?」
「私は足手まといになるかと。あなた一人だけでも……」
弱々しく笑うハロルドに苛立ち、ジュリアは窓枠を飛び越えて室内に入った。
「置いて行けるわけないでしょ!ほら、そこのスープ飲んで、さっさと出る!」
「ジュリア……」
ハロルドは感激して青緑色の瞳を潤ませた。微かに笑みを浮かべ、儚げ美人の破壊力が上がっているのだが、ジュリアは気にせずにトレイを義兄の前に差し出した。
「兄様、お腹すいてるよね?」
「ええ、まあ……」
「私もなんだけど……これ、半分こしない?」
言うが早いがパンを二つに割り、破顔したハロルドに差し出す。
「こんな時でも、あなたはあなたですね」
「それって褒め言葉だよね?……むぐ」
「勿論ですよ。私はパンがあれば十分ですから、スープはお一人でどうぞ」
「ありがと!」
仲良く食事を分け合い、二人は窓から逃げ出した。降り積もった雪の上に、点々と足跡が続いていた。
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