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閑話 聖杯の行方

聖杯の行方 8

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「あら、あなた、意外と遅いのねえ」
うふふうふふと笑いながら、アイリーンはジュリアの数歩先を走っていく。
――あいつ、絶対何かズルしてる!
剣技科一の俊足を自負しているジュリアは、練習でも男子より動きが速い。普段運動をしないアイリーンが、それに匹敵するばかりか追い越しているのだから、何かしていると思う方が自然だ。ジュリアに並走するアレックスも首を傾げた。
「なあ、あいつ……足が地面に着いてないよな?」
「え?」
動体視力が良いアレックスは、アイリーンの足元をじっと見ていた。湿り気のある砂の上を走っていても、彼女のブーツは足跡を残していない。
「本当だ!」
「飛んでるってことか?」
「光魔法以外は全然ダメだって、エミリーが言ってたよ?」
「眼鏡に何か秘密があるのかもな」
「道を走ってないのって、失格にならないの?頂上まで転移魔法を使うのとあんまり変わんないじゃん。……ん?待てよ?」
ジュリアはアイリーンの眼鏡を思い出した。
「一気当選、東奔西走、厚顔無恥……!そっか、いける!」
「全然意味が分かんねえ」
「私だってあんまり……でも、アイリーンを止めるなら」
山の麓を向き、ジュリアは大きく息を吸い込んだ。
「みーなーさーん!」
良く通る声が遠くまで響いていく。レースから脱落していった者達にも聞こえているに違いない。
「ジュリア、何を始める気だよ?」
「ここにいるー、アイリーンさんがー、ミス・キーンジェルンに立候補するそうですー!」
「ミス・キーンジェルン?そんなのあったか?」
「町のミスコンくらいあるでしょうよ。なくてもいいの、とにかく」
再度息を吸い込み、同じ台詞を叫んだ。
「ちょっと、何勝手なこと言ってるのよ!」
先を走っていたアイリーンが、美少女も台無しの憤怒の形相でジュリアの前に戻ってきた。
「私、こんな田舎町のミスコンなんか、出るつもりないんだけど?」
「そう?いいじゃない、余裕で優勝するんでしょ?」
「馬鹿にしてるの?」
「ぜーんぜん?……お、ほら、麓からお迎えが来たみたいだよ?」
「私は聖杯を取りに行くのよ。ミスコンなんか!え?何?眼鏡が……」
アイリーンの眼鏡が魔力を帯びて輝く。丸眼鏡の縁を8の字を描くように巡ると、全身が淡いピンク色の光に包まれた。
「こんなの、ちがーう!」
絶叫がこだまし、アイリーンはどこかへ転移して行った。

「……」
「……行ったな」
「魔法の眼鏡、すごいね」
「つーか、ミスコン、あったんだな。あれだろ、会場まで飛んで行ったとか」
魔法を知らないアレックスは適当に推理した。
「多分ね。きっと『当選』すると思うよ。さ、私達も先を急ごう!」
三歩駆け出したジュリアは、ふと、自分の眼鏡に何が書いてあっただろうかと不安になった。
「ねえ、アレックス。私の眼鏡に、何か役に立ちそうなこと書いてある?」
「一……千金、大……、出前……、食べ放題!」
最後のフレーズだけ読めたアレックスが金の瞳を期待に輝かせたのを見て、
「そっか、分かった。ありがとう」
ジュリアは歯を見せて笑った。

   ◆◆◆

「……何をしているのかしら?」
山道を信じられないスピードで戻ってきたマリナは、腰に手を当ててアルカイックスマイルを浮かべた。
「あ、マリナちゃん、おかえりー」
「おかえり、はいいとして。エミリーは何をしているの?隣の不審者は一体……」
従者が用意した簡易な休憩所には、暇つぶしに編み物を持ってきたアリッサと、魔力を迸らせて威嚇しあっている魔法使い二人がいた。
「そのカッコ、やめないなら近づかないで!」
「……断る!」
ビシ!
エミリーが作った結界が簡単に破られる。工事中カラーの眼鏡を外し、ローブの中に着ているベストの胸ポケットにしまうと、身長の半分ほどもある長すぎる帽子を揺らし、マシューはエミリーとの距離を詰めて抱きしめた。
「!」
「……その程度の結界で、俺を拒めると思ったのか?」
赤と黒の瞳が鬱陶しい黒髪の間から覗き、エミリーの表情を一瞬たりとも見逃すまいとしている。
「こ、拒むに決まってる。……その、帽子とか、眼鏡とか、恥ずかしすぎる……」
眼鏡は外しても、変な帽子と変な腕輪をした男に抱きしめられているのだ。簡易なテーブルと椅子の背後には従者が用意した日よけ用の白いパラソルがあり、マシューの帽子が引っかかって折れ曲がっている。
「聖杯を手に入れるための装備だったが……出場はできないと言われた」
「眼鏡を作ってるから?」
「それもある。……だが、聖杯争いはもう始まってしまったから、後から参加はできないと。始まる前に申し込まなければいけなかった」
至極当然な理由で、大会主催者は不審者マシューを追い出したのだ。連日、魔法の眼鏡を作る内職をしていたマシューは、体内の魔力が巡りすぎて、疲れから少しハイになっているようだ。
――変な帽子を被ってるのにカッコいいなんて、私もおかしくなってるかも。
エミリーは自分の美的感覚に自信が持てなくなっていた。ジャラジャラと音を立てる腕輪も、マシューにはよく似合っている。あの工事中カラーの眼鏡をしていても、きっと素敵に見えるだろう。眼鏡の奥に魔力を帯びた黒と赤の瞳が輝いていたら、正直、眼鏡の色なんてどうでもよくなってしまう。
「……聖杯なんか取らなくても、魔法でどうにでもできるくせに。何で……」
「理由を聞きたいか?」
「……別に」
顔を背けると、頭上からマシューの低い笑い声が聞こえた。
「聖杯に叶えてもらうつもりだった。……素直じゃない恋人が永遠に俺だけのものになるように」
――な!!!!
校外だから大胆になるのか。エミリーはマシューの真意が分からず混乱したまま、辺りに魔力を放出した。
「ああ、いいな。お前の魔力は……」
蕩けた表情を浮かべ、マシューは腕の中のエミリーの銀髪にキスを落とした。
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