653 / 794
学院編 14
481 悪役令嬢は下っ端の印に憧れる
しおりを挟む
「とんでもないわ……」
マリナは朝から悩んでいた。額に白い手を当てて領主館の書斎の机で項垂れている。同じ部屋の応接椅子には、神妙な面持ちのアレックスと、関係なくケーキを頬張るジュリアがいた。
「夜のうちに王都まで転移して、戻って来た?」
「そ。帰りにアレックスが巻き添えになっちゃったけどさ、こうして怪我もなく……ってか、どうしてうちに来てたの」
「実は、父上のところに見回りの騎士が来てさ。ハーリオン侯爵邸のあたりで怪しいヤツがうろうろしてるって聞いて、騎士達は人手が足りないから俺が、って」
「ふうーん。よく許してくれたね」
「多分、ジュリアんとこに遊びにいったついでに様子見てこいってことなんだろうな。父上はあっさり許可してくれたよ」
「ねえ、さっきから気になってんだけど、その徽章みたいなの、何?」
「これか?……ふふん。よく気づいたな。これは騎士見習い候補の印だぜ」
目を輝かせて見ているジュリアと得意げなアレックスの横で、マリナは白い目で眺めていた。要するに下っ端の下っ端ということである。
「侯爵様にお知らせしないといけないわね」
「俺は大丈夫だよ。ハーリオン家に行くって言って出てきたし」
「それは王都のお邸でしょう?ビルクールに来ているなんて、侯爵様もご存知ないことよ」
「そりゃ、こっちに来るなんて思わなかったよ」
「クリスが迷惑をかけてごめんなさい。あの子、年齢不相応な魔力を持っているから、やりたい放題なのよ。魔力切れで寝ているから、起きたらよぉおく言って聞かせるわ」
マリナのお説教が長くなりそうだとジュリアはうんざりした。
「ヴィルソード家に使いを。御子息がこちらにいらっしゃっていると」
「はい!」
領主館の中年の執事が慌てて廊下を走っていく。残された老執事は、やれやれというように伸びた白い眉を下げた。
「いろいろと行き届かず、大変申し訳ございません」
「いいのよ。こちらにお客様がいらっしゃることは滅多にないでしょうし、王都まで急使を走らせるなんて、それこそよほどの事態でしょうから」
「はい。領地のことは領地の中で解決するよう、旦那様もこちらの通商組合にある程度任せていらっしゃいましたから、あまり……」
「そこが問題なのよ」
目の前でむしゃむしゃとケーキを食べている能天気な妹より、窓の外を眺めて船に感動しているその親友兼恋人より、何よりマリナを悩ませているのは領地の問題だ。商人達の自主性に任せた結果、輸出が禁止された品物が外国へ流出しているのだ。
グランディアは三方を山脈に囲まれ、残りが海に面した地形である。周りが険しい崖が続く山越えの道で隣国へ運ぶより、海路で運ぶほうが効率的で、陸路で行くことができる国とも船を使って交易してきた歴史がある。ビルクールは建国の頃からハーリオン侯爵家の領地であったが、自然発生的に発展してきた貿易港として、建国以前からそれなりに栄えていたため、侯爵家では代々厳しい統制を敷くことはなかった。
「ベイルズ商会が怪しいとは思っていても、証拠がつかめなければ糾弾できない。国内第二の貿易会社として、通商組合の中でも大きな発言力を持っているし、准男爵を追い詰めて不正を正させるには圧倒的に駒が足りないのよ。でも、会社は潰したくないわ。ビルクールの多くの人々が職を失うことになりかねないもの」
「だから、アリッサを使ってあの先輩を誑し込むっての?」
「たら……コホン。言い方を考えなさいよ、ジュリア。友好的に話し合いをするの。マクシミリアン先輩がアリッサを思う気持ちを利用しないとは言わないけれど、法を犯してまで利益を上げたところで、将来的にベイルズ商会のためにはならないと理解してもらうわ。内部告発の形で准男爵に罪を被ってもらうしか、生き残る道はないでしょうね」
「だよねえ。あの人はアリッサを諦めるかなあ。魔法陣を弄ってまで攫おうとしたんだよ。無理じゃね?」
「それは……きっぱり振られてもらうしかないわ。諦めて、ベイルズ商会の建て直しに力を向けてもらえれば……」
「無理無理。いっそのこと、あの鬼瓦さんのほうがうまくやりそうな気がする。通商組合で力を合わせれば、どうにかできると……」
姉が寂しそうな顔をしていると気づき、ジュリアは口をつぐんだ。
「マリナ?」
「……敵とか味方とか、そんな線引きをしないでは、人は生きていけないものなのかしらね」
「もしかして、フローラのこと?」
「私達に直接の害がなくても、たくさんの人の思惑が複雑に重なり合って、今の状況が作られているのよ。破滅する未来を跳ねつけて、思い描いた幸せを掴み取るために、私達は何人の人を犠牲にしていくのかしら……」
「そっか。……またアリッサが辛い思いをするかもって?」
「ええ。マクシミリアン先輩はアリッサから遠ざけるべきではあっても、全てを奪うまでしなくていいと思っているのよ」
「ううーん。性格の歪みは治んないと思うけどね。で?話し合いってどうするつもりなの?」
顎の下に華奢な手を当て、マリナは一呼吸置いた。
「……いつもの、あれしかないわね」
「あれ?」
「ベイルズ商会の悪事は、全て確かな筋から証拠が挙がっている。その証拠に、現地で調査をするべく騎士団見習い候補が派遣された……と」
「見習い……って、俺!?」
自分を指さして絶叫したアレックスに、マリナは得意のアルカイックスマイルで応えた。
マリナは朝から悩んでいた。額に白い手を当てて領主館の書斎の机で項垂れている。同じ部屋の応接椅子には、神妙な面持ちのアレックスと、関係なくケーキを頬張るジュリアがいた。
「夜のうちに王都まで転移して、戻って来た?」
「そ。帰りにアレックスが巻き添えになっちゃったけどさ、こうして怪我もなく……ってか、どうしてうちに来てたの」
「実は、父上のところに見回りの騎士が来てさ。ハーリオン侯爵邸のあたりで怪しいヤツがうろうろしてるって聞いて、騎士達は人手が足りないから俺が、って」
「ふうーん。よく許してくれたね」
「多分、ジュリアんとこに遊びにいったついでに様子見てこいってことなんだろうな。父上はあっさり許可してくれたよ」
「ねえ、さっきから気になってんだけど、その徽章みたいなの、何?」
「これか?……ふふん。よく気づいたな。これは騎士見習い候補の印だぜ」
目を輝かせて見ているジュリアと得意げなアレックスの横で、マリナは白い目で眺めていた。要するに下っ端の下っ端ということである。
「侯爵様にお知らせしないといけないわね」
「俺は大丈夫だよ。ハーリオン家に行くって言って出てきたし」
「それは王都のお邸でしょう?ビルクールに来ているなんて、侯爵様もご存知ないことよ」
「そりゃ、こっちに来るなんて思わなかったよ」
「クリスが迷惑をかけてごめんなさい。あの子、年齢不相応な魔力を持っているから、やりたい放題なのよ。魔力切れで寝ているから、起きたらよぉおく言って聞かせるわ」
マリナのお説教が長くなりそうだとジュリアはうんざりした。
「ヴィルソード家に使いを。御子息がこちらにいらっしゃっていると」
「はい!」
領主館の中年の執事が慌てて廊下を走っていく。残された老執事は、やれやれというように伸びた白い眉を下げた。
「いろいろと行き届かず、大変申し訳ございません」
「いいのよ。こちらにお客様がいらっしゃることは滅多にないでしょうし、王都まで急使を走らせるなんて、それこそよほどの事態でしょうから」
「はい。領地のことは領地の中で解決するよう、旦那様もこちらの通商組合にある程度任せていらっしゃいましたから、あまり……」
「そこが問題なのよ」
目の前でむしゃむしゃとケーキを食べている能天気な妹より、窓の外を眺めて船に感動しているその親友兼恋人より、何よりマリナを悩ませているのは領地の問題だ。商人達の自主性に任せた結果、輸出が禁止された品物が外国へ流出しているのだ。
グランディアは三方を山脈に囲まれ、残りが海に面した地形である。周りが険しい崖が続く山越えの道で隣国へ運ぶより、海路で運ぶほうが効率的で、陸路で行くことができる国とも船を使って交易してきた歴史がある。ビルクールは建国の頃からハーリオン侯爵家の領地であったが、自然発生的に発展してきた貿易港として、建国以前からそれなりに栄えていたため、侯爵家では代々厳しい統制を敷くことはなかった。
「ベイルズ商会が怪しいとは思っていても、証拠がつかめなければ糾弾できない。国内第二の貿易会社として、通商組合の中でも大きな発言力を持っているし、准男爵を追い詰めて不正を正させるには圧倒的に駒が足りないのよ。でも、会社は潰したくないわ。ビルクールの多くの人々が職を失うことになりかねないもの」
「だから、アリッサを使ってあの先輩を誑し込むっての?」
「たら……コホン。言い方を考えなさいよ、ジュリア。友好的に話し合いをするの。マクシミリアン先輩がアリッサを思う気持ちを利用しないとは言わないけれど、法を犯してまで利益を上げたところで、将来的にベイルズ商会のためにはならないと理解してもらうわ。内部告発の形で准男爵に罪を被ってもらうしか、生き残る道はないでしょうね」
「だよねえ。あの人はアリッサを諦めるかなあ。魔法陣を弄ってまで攫おうとしたんだよ。無理じゃね?」
「それは……きっぱり振られてもらうしかないわ。諦めて、ベイルズ商会の建て直しに力を向けてもらえれば……」
「無理無理。いっそのこと、あの鬼瓦さんのほうがうまくやりそうな気がする。通商組合で力を合わせれば、どうにかできると……」
姉が寂しそうな顔をしていると気づき、ジュリアは口をつぐんだ。
「マリナ?」
「……敵とか味方とか、そんな線引きをしないでは、人は生きていけないものなのかしらね」
「もしかして、フローラのこと?」
「私達に直接の害がなくても、たくさんの人の思惑が複雑に重なり合って、今の状況が作られているのよ。破滅する未来を跳ねつけて、思い描いた幸せを掴み取るために、私達は何人の人を犠牲にしていくのかしら……」
「そっか。……またアリッサが辛い思いをするかもって?」
「ええ。マクシミリアン先輩はアリッサから遠ざけるべきではあっても、全てを奪うまでしなくていいと思っているのよ」
「ううーん。性格の歪みは治んないと思うけどね。で?話し合いってどうするつもりなの?」
顎の下に華奢な手を当て、マリナは一呼吸置いた。
「……いつもの、あれしかないわね」
「あれ?」
「ベイルズ商会の悪事は、全て確かな筋から証拠が挙がっている。その証拠に、現地で調査をするべく騎士団見習い候補が派遣された……と」
「見習い……って、俺!?」
自分を指さして絶叫したアレックスに、マリナは得意のアルカイックスマイルで応えた。
0
お気に入りに追加
750
あなたにおすすめの小説
魔性の悪役令嬢らしいですが、男性が苦手なのでご期待にそえません!
蒼乃ロゼ
恋愛
「リュミネーヴァ様は、いろんな殿方とご経験のある、魔性の女でいらっしゃいますから!」
「「……は?」」
どうやら原作では魔性の女だったらしい、リュミネーヴァ。
しかし彼女の中身は、前世でストーカーに命を絶たれ、乙女ゲーム『光が世界を満たすまで』通称ヒカミタの世界に転生してきた人物。
前世での最期の記憶から、男性が苦手。
初めは男性を目にするだけでも体が震えるありさま。
リュミネーヴァが具体的にどんな悪行をするのか分からず、ただ自分として、在るがままを生きてきた。
当然、物語が原作どおりにいくはずもなく。
おまけに実は、本編前にあたる時期からフラグを折っていて……?
攻略キャラを全力回避していたら、魔性違いで謎のキャラから溺愛モードが始まるお話。
ファンタジー要素も多めです。
※なろう様にも掲載中
※短編【転生先は『乙女ゲーでしょ』~】の元ネタです。どちらを先に読んでもお話は分かりますので、ご安心ください。
生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~
こひな
恋愛
市川みのり 31歳。
成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。
彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。
貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。
※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした
黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん!
しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。
ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない!
清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!!
*R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした
葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。
でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。
本編完結済みです。時々番外編を追加します。
そして乙女ゲームは始まらなかった
お好み焼き
恋愛
気付いたら9歳の悪役令嬢に転生してました。前世でプレイした乙女ゲームの悪役キャラです。悪役令嬢なのでなにか悪さをしないといけないのでしょうか?しかし私には誰かをいじめる趣味も性癖もありません。むしろ苦しんでいる人を見ると胸が重くなります。
一体私は何をしたらいいのでしょうか?
悪役令嬢なので舞台である学園に行きません!
神々廻
恋愛
ある日、前世でプレイしていた乙女ゲーに転生した事に気付いたアリサ・モニーク。この乙女ゲーは悪役令嬢にハッピーエンドはない。そして、ことあるイベント事に死んでしまう.......
だが、ここは乙女ゲーの世界だが自由に動ける!よし、学園に行かなければ婚約破棄はされても死にはしないのでは!?
全8話完結 完結保証!!
シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
盲目のラスボス令嬢に転生しましたが幼馴染のヤンデレに溺愛されてるので幸せです
斎藤樹
恋愛
事故で盲目となってしまったローナだったが、その時の衝撃によって自分の前世を思い出した。
思い出してみてわかったのは、自分が転生してしまったここが乙女ゲームの世界だということ。
さらに転生した人物は、"ラスボス令嬢"と呼ばれた性悪な登場人物、ローナ・リーヴェ。
彼女に待ち受けるのは、嫉妬に狂った末に起こる"断罪劇"。
そんなの絶対に嫌!
というかそもそも私は、ローナが性悪になる原因の王太子との婚約破棄なんかどうだっていい!
私が好きなのは、幼馴染の彼なのだから。
ということで、どうやら既にローナの事を悪く思ってない幼馴染と甘酸っぱい青春を始めようと思ったのだけどーー
あ、あれ?なんでまだ王子様との婚約が破棄されてないの?
ゲームじゃ兄との関係って最悪じゃなかったっけ?
この年下男子が出てくるのだいぶ先じゃなかった?
なんかやけにこの人、私に構ってくるような……というか。
なんか……幼馴染、ヤンデる…………?
「カクヨム」様にて同名義で投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる