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学院編 14
478 悪役令嬢は腕の重みに戸惑う
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ジュリアとアリッサがビルクールへ出発する前夜。
ヴィルソード侯爵邸に一人の若い騎士が訪ねてきた。
「その情報は確かか?」
「はい。以前より見回りの人員を減らしてはいますが、彼らは確実に仕事をしております。ハーリオン侯爵邸の周囲で、不審な人物を見かけたのは一度や二度ではありません」
「ううむ……」
騎士団長のヴィルソード侯爵オリバーは、部下の騎士の話に唸った。何も考えがなく、とりあえず唸った。夜遅くに侯爵邸に訪ねてきた彼を追い返すわけにいかず、書斎で話を聞いたのである。例によって、滅多に使わない机は新品同様に美しい。部屋の書棚には本ではなく、トレーニングにも使える金属製の像が並んでいた。
「我々、見回りの騎士に気づくと、こちらを窺うようにしてそっと路地へ消えるそうです。今のところ、お邸の中に入った形跡はありません」
「本当か?」
「はい。ハーリオン家の使用人と顔なじみの者が確かめました。使用人達の中には、不審人物を見かけた者が複数いるようですが、邸内には変化は見られないとか。聞くところによれば、四女が邸に結界を張っていると」
「ああ。あの子は魔法が得意だからな。強力な結界を突破してまで忍び込もうとは思わんだろう」
自分が褒められたわけではないのに、何故か誇らしい気持ちになって顎を撫でた。親友の娘で、息子の婚約者の妹というだけである。
「不審人物の身元は?」
「まだ特定に至っておりません。後をつけようにも、裏路地で見失ってしまいます」
「一体何をしたいのだろうな」
「さあ……。近頃、ハーリオン家の使用人が邸を離れていると聞きます。やはり、領地を王家直轄領に召し上げられ、収入が減って火の車なのでしょうか」
一介の騎士にも、ハーリオン家が困窮し始めているとの噂が広まっているのか。ヴィルソード侯爵は眉をしかめた。穏やかなアーネストはともかく、勝ち気なソフィアが聞いたら恐ろしい微笑を浮かべて騎士を叩きのめしそうだ。物理的にではなく、精神的に。あるいは得意の魔法を使って。
「うちでも何人か、ハーリオン家の使用人を雇ったな。アーネストが戻ったら、邸に戻してやろうと思っているが、他の者も大方そんなところだろう。……うむ。つまり、邸は人が少なくなっているのか。邸にある貴重な宝物を狙う窃盗団の類かもしれんな」
「いかがいたしましょうか。主だった者はフロードリンの事態収拾に向かわせておりますし、コレルダードもまだ治安が回復していません。小隊を呼び戻すのは時期尚早かと」
「……よし。分かった。この件は俺に預けてほしい。皆にも、これまでと同様に巡回を続けるように言ってくれ」
「承知しました」
騎士が一礼して部屋から去ると、オリバーはどっかりと椅子に腰かけた。太い腕を回し、頭の後ろで手を組むと、ロッキングチェアがギシと音を立てた。
「ううー……さて、どうしたもんか……動けるのは限られているが……」
コンコン。
「ん?まだ何かあったか?」
ドアの外に向かって声をかけると、帰って来たのは先ほどの騎士の声ではなかった。
「……父上」
「なんだ、アレックスか」
椅子から立ち上がりドアを開けてやる。以前より目の高さが近くなった息子に、オリバーは心の中で感激していた。
「まだ寝ていなかったのか」
「……今の人、確か……ハーリオン家の辺りを見回ってる騎士だよね。何かあったの?」
息子の金の瞳が不安げに揺れた。オリバーは話すのを躊躇ったが、自分は隠し事ができない性質だったと思い、アレックスに概要を話した。
「……怪しい奴が?」
「以前から噂には聞いていたんだが、こうして実際に報告が上がってくると……。何とかしたいとは思っても、現場で機転が利く者は遠方に行っていてなあ」
頭を抱えた父に、アレックスは頼もしい笑みを向けた。
◆◆◆
真夜中。
ジュリアは息苦しさを感じて目を開けた。
「……ん?」
胸の辺りに重みを感じる。カーテンを閉め忘れた窓から射す月光を頼りに、自分の置かれている状況を確認した。
「ちょ……クリス、いい加減にしてよ」
「んんー。姉様……」
大人の姿のまま寝付いてしまったクリスが、いつの間にかジュリアのベッドに転がり込んでいる。息苦しく重い理由は、クリスの長い腕が絡みついていたからだ。
「私じゃ魔法が解けない。ねえ、起きてよ」
「……」
美しい弟は、憎らしいくらい長い睫毛を震わせ、薄目を開けたかと思うとすぐに眠りに落ちた。
「おい!」
「……」
「ダメだ……朝までこのまま?」
はあ、と息を吐いて顔の上に手を乗せる。何があっても毎晩ぐっすり眠れるのが自慢のジュリアでも、慣れない腕の重さと温もりが気になって仕方がない。
「クリスぅ、マリナに会えたんだから、お家に帰ったら?ジョンやリリーも心配してるんじゃない?」
「んんー」
「ねえ、お家に……」
薄目を開けたクリスの瞳の色が、一瞬紫色から金に変わる。
「え?」
「……お、……うち……」
ベッドの上の二人を眩い光が包んだ。
◆◆◆
ハーリオン家筆頭執事のジョンは戸惑っていた。
客間に通した来客が、何を言っても帰ってくれそうにないのだ。
「しかし……お嬢様方はお出かけになっておりまして」
「だったら、帰ってくるまで待つよ。盗賊は俺がやっつける!」
「はあ……ですが……、ヴィルソード侯爵様が御心配なさるのではありませんか?」
「父上には言ってある」
「そうですか……」
親公認でこの有様である。ジョンは手札がなくなってしまった。
「もちろん、こちらのお邸には警備の者もいるだろう。それでも人数が減っているなら、俺が代わりに守る!」
金色の瞳をきらきらさせて語るアレックスに、ジョンはこれ以上何も言えなかった。
ヴィルソード侯爵邸に一人の若い騎士が訪ねてきた。
「その情報は確かか?」
「はい。以前より見回りの人員を減らしてはいますが、彼らは確実に仕事をしております。ハーリオン侯爵邸の周囲で、不審な人物を見かけたのは一度や二度ではありません」
「ううむ……」
騎士団長のヴィルソード侯爵オリバーは、部下の騎士の話に唸った。何も考えがなく、とりあえず唸った。夜遅くに侯爵邸に訪ねてきた彼を追い返すわけにいかず、書斎で話を聞いたのである。例によって、滅多に使わない机は新品同様に美しい。部屋の書棚には本ではなく、トレーニングにも使える金属製の像が並んでいた。
「我々、見回りの騎士に気づくと、こちらを窺うようにしてそっと路地へ消えるそうです。今のところ、お邸の中に入った形跡はありません」
「本当か?」
「はい。ハーリオン家の使用人と顔なじみの者が確かめました。使用人達の中には、不審人物を見かけた者が複数いるようですが、邸内には変化は見られないとか。聞くところによれば、四女が邸に結界を張っていると」
「ああ。あの子は魔法が得意だからな。強力な結界を突破してまで忍び込もうとは思わんだろう」
自分が褒められたわけではないのに、何故か誇らしい気持ちになって顎を撫でた。親友の娘で、息子の婚約者の妹というだけである。
「不審人物の身元は?」
「まだ特定に至っておりません。後をつけようにも、裏路地で見失ってしまいます」
「一体何をしたいのだろうな」
「さあ……。近頃、ハーリオン家の使用人が邸を離れていると聞きます。やはり、領地を王家直轄領に召し上げられ、収入が減って火の車なのでしょうか」
一介の騎士にも、ハーリオン家が困窮し始めているとの噂が広まっているのか。ヴィルソード侯爵は眉をしかめた。穏やかなアーネストはともかく、勝ち気なソフィアが聞いたら恐ろしい微笑を浮かべて騎士を叩きのめしそうだ。物理的にではなく、精神的に。あるいは得意の魔法を使って。
「うちでも何人か、ハーリオン家の使用人を雇ったな。アーネストが戻ったら、邸に戻してやろうと思っているが、他の者も大方そんなところだろう。……うむ。つまり、邸は人が少なくなっているのか。邸にある貴重な宝物を狙う窃盗団の類かもしれんな」
「いかがいたしましょうか。主だった者はフロードリンの事態収拾に向かわせておりますし、コレルダードもまだ治安が回復していません。小隊を呼び戻すのは時期尚早かと」
「……よし。分かった。この件は俺に預けてほしい。皆にも、これまでと同様に巡回を続けるように言ってくれ」
「承知しました」
騎士が一礼して部屋から去ると、オリバーはどっかりと椅子に腰かけた。太い腕を回し、頭の後ろで手を組むと、ロッキングチェアがギシと音を立てた。
「ううー……さて、どうしたもんか……動けるのは限られているが……」
コンコン。
「ん?まだ何かあったか?」
ドアの外に向かって声をかけると、帰って来たのは先ほどの騎士の声ではなかった。
「……父上」
「なんだ、アレックスか」
椅子から立ち上がりドアを開けてやる。以前より目の高さが近くなった息子に、オリバーは心の中で感激していた。
「まだ寝ていなかったのか」
「……今の人、確か……ハーリオン家の辺りを見回ってる騎士だよね。何かあったの?」
息子の金の瞳が不安げに揺れた。オリバーは話すのを躊躇ったが、自分は隠し事ができない性質だったと思い、アレックスに概要を話した。
「……怪しい奴が?」
「以前から噂には聞いていたんだが、こうして実際に報告が上がってくると……。何とかしたいとは思っても、現場で機転が利く者は遠方に行っていてなあ」
頭を抱えた父に、アレックスは頼もしい笑みを向けた。
◆◆◆
真夜中。
ジュリアは息苦しさを感じて目を開けた。
「……ん?」
胸の辺りに重みを感じる。カーテンを閉め忘れた窓から射す月光を頼りに、自分の置かれている状況を確認した。
「ちょ……クリス、いい加減にしてよ」
「んんー。姉様……」
大人の姿のまま寝付いてしまったクリスが、いつの間にかジュリアのベッドに転がり込んでいる。息苦しく重い理由は、クリスの長い腕が絡みついていたからだ。
「私じゃ魔法が解けない。ねえ、起きてよ」
「……」
美しい弟は、憎らしいくらい長い睫毛を震わせ、薄目を開けたかと思うとすぐに眠りに落ちた。
「おい!」
「……」
「ダメだ……朝までこのまま?」
はあ、と息を吐いて顔の上に手を乗せる。何があっても毎晩ぐっすり眠れるのが自慢のジュリアでも、慣れない腕の重さと温もりが気になって仕方がない。
「クリスぅ、マリナに会えたんだから、お家に帰ったら?ジョンやリリーも心配してるんじゃない?」
「んんー」
「ねえ、お家に……」
薄目を開けたクリスの瞳の色が、一瞬紫色から金に変わる。
「え?」
「……お、……うち……」
ベッドの上の二人を眩い光が包んだ。
◆◆◆
ハーリオン家筆頭執事のジョンは戸惑っていた。
客間に通した来客が、何を言っても帰ってくれそうにないのだ。
「しかし……お嬢様方はお出かけになっておりまして」
「だったら、帰ってくるまで待つよ。盗賊は俺がやっつける!」
「はあ……ですが……、ヴィルソード侯爵様が御心配なさるのではありませんか?」
「父上には言ってある」
「そうですか……」
親公認でこの有様である。ジョンは手札がなくなってしまった。
「もちろん、こちらのお邸には警備の者もいるだろう。それでも人数が減っているなら、俺が代わりに守る!」
金色の瞳をきらきらさせて語るアレックスに、ジョンはこれ以上何も言えなかった。
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