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学院編 14
474 悪役令嬢は意外な提案をする
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「失礼いたします。リオネル様、お支度はできていらっしゃいますか」
ノアが走ってきて膝をついた。緊急時に何をしているのかとエミリーは呆れた。
「うん。……もう来てるってこと?」
「はい。シャンタル様の私兵が取り囲んでおります。尤も、強固な外壁をよじ登るような真似はしておりませんが」
「シャンタルか……」
リオネルは大きな瞳を眇めて、ギリっと奥歯を噛んだ。
「……誰?」
ルーファスに小声で尋ねると、同じように押し殺した声で
「第二王子の母親。陛下の妾。俺らの敵」
と短く返答があった。王太子とリオネルは腹違いの兄妹だが、リオネルの母は亡き王妃の姪である。現在のアスタシフォン王宮は、リオネルの祖父である侯爵が王太子の外戚として権力を握っている。穏健派の彼だからこそ権力争いは表面化しないが、裏では第二王子一派と第三王子一派が王太子を蹴落とそうと画策している。二人の王子の母は身分が低く、王太子の生母である王妃亡き後も正式な妃になれなかった。王妃にと望まれているリオネルの母は、六人の妾達から妬まれているのだ。
「どんなに頑張っても、オーリー兄様に勝てるわけがないんだけどね。……仕方ないな。相手してあげようか」
「相手?」
「あ、戦ったりしないって。指揮官と話をして、穏便に帰ってもらう感じかな」
リオネルはふわりと笑ったが、明るい緑の瞳が笑っていない。
「ルー。僕が兵士を引きつけてる間に、エミリーと魔法で逃げてくれる?」
「転移魔法か?エミリーもそれくらい……」
「エミリーはアスタシフォンに詳しくないんだから、行き先が分かんないじゃん。……そうだね、兄様のところはやめておこうか。クレムが嫌な感じなんでしょ?」
「……うん」
「かと言って、グランディアには帰せないし、どっかいいところ……あ」
「何だよ」
痺れを切らしたルーファスがぶっきらぼうに言う。
「ルーと僕が初めて会った場所はどうかな?かなり山奥だから、追って来られないよ」
「……アホ抜かせ。距離がありすぎるだろ!……ん?」
ローブを引かれてルーファスが振り返る。エミリーが微かににやりと笑った。
「私の魔力を使って」
◆◆◆
暗い部屋の中に一つ、大きな光魔法球が浮かぶ。マリナは一瞬目が眩み、
「……グラン?」
と従者を呼んだ。少し落ち着きのない若い従者から返事はなかった。
目を擦ってよく見ると、グランは荷物を床に放り出して、石の床にうつ伏せに倒れていた。
「なっ……!」
「珍しいお客様がお越しですね」
マクシミリアンは感情を見せない微笑を湛え、転がる従者を足蹴にしてマリナに近づいてくる。
「グランに何を……!」
「なに、少しの間眠っていてもらうだけですよ。このナイフの刃に塗られた薬でね」
顔の傍に持ち上げたナイフには、赤いものがこびりついている。マリナは青ざめた。
「……刺したのね?何の罪もない彼を」
「罪?それなら十分でしょう?家主の許しもなく、私が作った神聖な隠れ家に忍び込んだのですから。……勿論、あなたも有罪ですよ。マリナさん」
「魔法陣が勝手にここに運んだだけです」
「……ああ。あの魔導士、使えないな。私が求める獲物を的確に運んでもらわなければ困るというのに。……余計な手間が増えるじゃないか!」
ダン!
傍にあった机にナイフを突き刺し、マクシミリアンは凶悪な表情に変わっていく。マリナは初めて見る彼の憎悪に満ちた顔に怯えた。
「お前をこのまま帰す?帰したらアリッサはもっと警戒するだろう?魔法陣を使って証拠を残さず連れ去ろうとしたのに」
「誘拐は犯罪ですわ」
「明るみになればな。傍から見れば、アリッサが失踪したようにしか思えない。完璧な計画だった。なのに、お前が……!」
一歩進んで、マリナの前に立つ。背が高く、いるだけで威圧感を感じる。生徒会室では彼を大きいと思ったことなどなかったが、今は恐ろしくて仕方がない。
「……何故、アリッサを……?ビルクール港の実権を握るためにハーリオン家との縁組を望んでいるなら、私でもジュリアでもエミリーでもいいでしょう?何が目的なのかしら?」
マリナの問いかけには答えず、マクシミリアンは部屋の奥にあるベッドに腰掛けた。
「どう思う?」
「え?」
「俺は何をしたいか、お前の推理は?」
身体の後ろに手をつき、一度天井を見上げてマリナに視線を戻す。
「分からないから聞いているんです」
「親父は『あの人』に言われたから、ハーリオン家に取って代わろうとしてる。俺は、港の……通商組合の中でどうなろうが知ったこっちゃないし、興味もない。でも、領主の親戚になるには、侯爵令嬢を一人見繕う必要があった。アリッサを選んだのは……手近にいたからだよ。ただそれだけだ」
大きく開いた脚の間に組んだ手を置き、マクシミリアンは床の一点を見つめた。
――この部屋の準備を見ても、『ただそれだけ』には思えないのよね。
調度品の何もかもが、アリッサの好みを観察していないと揃えられないものばかりだ。
「分かりましたわ。取引をいたしましょう、マクシミリアン先輩」
「……あ?」
呆気にとられたマクシミリアンは、間抜けな声を出して俯いていた顔を上げた。
「グランを治療しなければなりませんし、私も領主代理としての務めがあります。弟の様子を見に王都に戻るところでしたのよ」
「……だから?」
「あなたにはアリッサときっちり話し合ってもらいます」
「話し……合う……?」
「話し合いを持つことと引き換えに、グランと私を解放してください」
「……!お前、妹を売る気か?」
「人聞きの悪いことを仰いますのね。脅したりせず、先輩が素直にアリッサに向き合って……」
「フン、俺が素直じゃないとでも?」
「かなりのひねくれ者だと思いましたけれど、私の思い違いでしたかしら?」
にっこり。
マリナのアルカイックスマイルが炸裂した瞬間、目の前が白く光った。
ノアが走ってきて膝をついた。緊急時に何をしているのかとエミリーは呆れた。
「うん。……もう来てるってこと?」
「はい。シャンタル様の私兵が取り囲んでおります。尤も、強固な外壁をよじ登るような真似はしておりませんが」
「シャンタルか……」
リオネルは大きな瞳を眇めて、ギリっと奥歯を噛んだ。
「……誰?」
ルーファスに小声で尋ねると、同じように押し殺した声で
「第二王子の母親。陛下の妾。俺らの敵」
と短く返答があった。王太子とリオネルは腹違いの兄妹だが、リオネルの母は亡き王妃の姪である。現在のアスタシフォン王宮は、リオネルの祖父である侯爵が王太子の外戚として権力を握っている。穏健派の彼だからこそ権力争いは表面化しないが、裏では第二王子一派と第三王子一派が王太子を蹴落とそうと画策している。二人の王子の母は身分が低く、王太子の生母である王妃亡き後も正式な妃になれなかった。王妃にと望まれているリオネルの母は、六人の妾達から妬まれているのだ。
「どんなに頑張っても、オーリー兄様に勝てるわけがないんだけどね。……仕方ないな。相手してあげようか」
「相手?」
「あ、戦ったりしないって。指揮官と話をして、穏便に帰ってもらう感じかな」
リオネルはふわりと笑ったが、明るい緑の瞳が笑っていない。
「ルー。僕が兵士を引きつけてる間に、エミリーと魔法で逃げてくれる?」
「転移魔法か?エミリーもそれくらい……」
「エミリーはアスタシフォンに詳しくないんだから、行き先が分かんないじゃん。……そうだね、兄様のところはやめておこうか。クレムが嫌な感じなんでしょ?」
「……うん」
「かと言って、グランディアには帰せないし、どっかいいところ……あ」
「何だよ」
痺れを切らしたルーファスがぶっきらぼうに言う。
「ルーと僕が初めて会った場所はどうかな?かなり山奥だから、追って来られないよ」
「……アホ抜かせ。距離がありすぎるだろ!……ん?」
ローブを引かれてルーファスが振り返る。エミリーが微かににやりと笑った。
「私の魔力を使って」
◆◆◆
暗い部屋の中に一つ、大きな光魔法球が浮かぶ。マリナは一瞬目が眩み、
「……グラン?」
と従者を呼んだ。少し落ち着きのない若い従者から返事はなかった。
目を擦ってよく見ると、グランは荷物を床に放り出して、石の床にうつ伏せに倒れていた。
「なっ……!」
「珍しいお客様がお越しですね」
マクシミリアンは感情を見せない微笑を湛え、転がる従者を足蹴にしてマリナに近づいてくる。
「グランに何を……!」
「なに、少しの間眠っていてもらうだけですよ。このナイフの刃に塗られた薬でね」
顔の傍に持ち上げたナイフには、赤いものがこびりついている。マリナは青ざめた。
「……刺したのね?何の罪もない彼を」
「罪?それなら十分でしょう?家主の許しもなく、私が作った神聖な隠れ家に忍び込んだのですから。……勿論、あなたも有罪ですよ。マリナさん」
「魔法陣が勝手にここに運んだだけです」
「……ああ。あの魔導士、使えないな。私が求める獲物を的確に運んでもらわなければ困るというのに。……余計な手間が増えるじゃないか!」
ダン!
傍にあった机にナイフを突き刺し、マクシミリアンは凶悪な表情に変わっていく。マリナは初めて見る彼の憎悪に満ちた顔に怯えた。
「お前をこのまま帰す?帰したらアリッサはもっと警戒するだろう?魔法陣を使って証拠を残さず連れ去ろうとしたのに」
「誘拐は犯罪ですわ」
「明るみになればな。傍から見れば、アリッサが失踪したようにしか思えない。完璧な計画だった。なのに、お前が……!」
一歩進んで、マリナの前に立つ。背が高く、いるだけで威圧感を感じる。生徒会室では彼を大きいと思ったことなどなかったが、今は恐ろしくて仕方がない。
「……何故、アリッサを……?ビルクール港の実権を握るためにハーリオン家との縁組を望んでいるなら、私でもジュリアでもエミリーでもいいでしょう?何が目的なのかしら?」
マリナの問いかけには答えず、マクシミリアンは部屋の奥にあるベッドに腰掛けた。
「どう思う?」
「え?」
「俺は何をしたいか、お前の推理は?」
身体の後ろに手をつき、一度天井を見上げてマリナに視線を戻す。
「分からないから聞いているんです」
「親父は『あの人』に言われたから、ハーリオン家に取って代わろうとしてる。俺は、港の……通商組合の中でどうなろうが知ったこっちゃないし、興味もない。でも、領主の親戚になるには、侯爵令嬢を一人見繕う必要があった。アリッサを選んだのは……手近にいたからだよ。ただそれだけだ」
大きく開いた脚の間に組んだ手を置き、マクシミリアンは床の一点を見つめた。
――この部屋の準備を見ても、『ただそれだけ』には思えないのよね。
調度品の何もかもが、アリッサの好みを観察していないと揃えられないものばかりだ。
「分かりましたわ。取引をいたしましょう、マクシミリアン先輩」
「……あ?」
呆気にとられたマクシミリアンは、間抜けな声を出して俯いていた顔を上げた。
「グランを治療しなければなりませんし、私も領主代理としての務めがあります。弟の様子を見に王都に戻るところでしたのよ」
「……だから?」
「あなたにはアリッサときっちり話し合ってもらいます」
「話し……合う……?」
「話し合いを持つことと引き換えに、グランと私を解放してください」
「……!お前、妹を売る気か?」
「人聞きの悪いことを仰いますのね。脅したりせず、先輩が素直にアリッサに向き合って……」
「フン、俺が素直じゃないとでも?」
「かなりのひねくれ者だと思いましたけれど、私の思い違いでしたかしら?」
にっこり。
マリナのアルカイックスマイルが炸裂した瞬間、目の前が白く光った。
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