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学院編 14

473 悪役令嬢は薔薇風呂に入る

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ハーリオン侯爵夫人ソフィアは、暗闇の中で文机を探し当てた。小さな光魔法球一つで照らせる範囲は僅かだ。引き出しを開けて奥に隠しておいた紙を取り出す。
「……何か、書くものを……」
一度手紙を書いてから、室内にあった筆記用具は全て片づけられてしまった。どうにかして夫と子供達に自分の無事を知らせたい。何かないかと魔法球を向けると、バシバシと音がして点滅し始める。
「もたないわ」
室内には魔法を弱める結界が張ってあり、貴族の中では高い魔力を持っているソフィアでも、小さな光魔法球を出すだけで精一杯だ。無理に魔法を使えば倒れてしまう。
「……はあ」
溜息をつき、ベッドのある方向へと歩き出す。高い天井付近にある小さな明かり取りの窓から月光が射しこむが、何の助けにもならない。

不意に部屋のドアが開いた。
廊下の明かりが室内の調度品を照らし、ソフィアは眩さに目を閉じた。
「……こんばんは」
「!」
入口に立っていたのは金髪を後ろできっちりと結った女性だ。魔導士のローブを着て、手にはトレイを持っている。
「まだ眠っていなかったの?」
「……ええ」
「そう。……今日はあなたに、いい知らせをもってきたわ」
「私に?」
「手紙を書きたいのでしょう?いいわよ、ほら」
ずかずかと室内に入り、トン、と文机の上にトレイを置いた。
「大学図書館であなたの娘に会ったわ。結構な魔力の持ち主みたいね。ちょっと遊んであげたわ」
「う、嘘、そんな……」
「私が届けてあげるから、あの子に手紙を書きなさいな。親友のところで世話になっているからしばらく帰りたくないってね」
「し、親友!?」
ソフィアの声が上ずる。
「あら、大昔はそうだったでしょ?あなたが私に退屈な王太子を押しつけて、私のアーニーを掠め取るまでは」
「押しつけてなどいないわ!あれは、ステファン様があなたを……んっ」
首元にトレイを押しつけられ、ソフィアは身体を丸めて咳き込んだ。
「許さないわ。あなたも、アーネストも。……私の苦しみの上に築き上げた幸せなんて、全部壊してやるんだから!」
魔導士はトレイをソフィアに叩きつけると、瞳の奥に魔力を燃え立たせ、美しい顔を悪魔のように歪めて部屋を出て行った。
「ま、待って、クレム!」
バン!
魔法で閉じられたドアは、どんなに押しても内側から開くことはなかった。

   ◆◆◆

「んぶ、ぐ、は、放して!」
力ずくで青年をよける。身体が離れると、彼は途端に泣きそうな顔をした。憂い顔の美青年は見た目の破壊力が凄いとジュリアは思った。
「姉様……僕のこと、嫌いになった?」
吐息交じりの艶っぽい低い声が耳をくすぐる。声フェチのアリッサが聞いたら膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
「そんなわけないよ。ってか、ほら」
階段の手すりに身を隠すようにして、キースが二人の様子を窺っていた。顔を真っ赤にして何かぶつぶつ呟いている。
「キース、私の浮気現場を目撃したと思ってる?」
「ち、違うんですか?」
「これ、うちの弟だから」
「ええっ?確か、クリス君は五歳ですよね?」
やれやれと肩をすくめて、青年は軽くウインクをした。きらきらと光が舞い、みるみるうちに幼児の姿になる。
「お、おおお?」
「ね、分かった?」
何度も瞬きを繰り返し、キースは信じられないものを見たと呟いた。

「ジュリア姉様、マリナ姉様は?」
「こっちを出発してから結構経つよ。クリスが来たってことは、着いてないのか……」
「うん。帰ってくるって聞いたから、僕、ずっと待ってたのに。……我慢できなくて転移魔法で来ちゃった」
無邪気に笑う弟と対照的に、五歳児の魔法の能力に脱帽したキースが頽れている。
「来ちゃったって……王都からここまで、転移魔法で?」
「うん!」
「すっごい遠いよ?ジョンには言った?」
「言ってないよ。あ、皆心配するかなあ?」
ジュリアが指示をするまでもなく、使用人達が王都の邸へ伝令を出す。
「クリス、聞いて。マリナは魔法陣でどこかに飛ばされたみたいなんだ。アリッサは寝込んでるし、エミリーは海の向こう。助けに行けるのは私達だけだ」
「姉様……うん、僕、頑張る!」
両手を握り、クリスは大きな瞳を輝かせた。
「待ってください、ジュリアさん。クリス君を連れて敵陣に乗り込むつもりですか?いくらなんでも危なすぎます!アリッサさんを残して……」
ジュリアはにっこり笑ってキースの肩を叩いた。
「来てくれて助かった。アリッサをよろしくね」
「え、ジュリアさん!?」
血相を変えたキースを残し、ジュリアとクリスは魔法陣のある建物へと駆け出した。

   ◆◆◆

「リオネル、……私、グランディアに戻りたい」
「本気で言ってるの?」
リオネルが持つ別邸で、最上級の料理を堪能したエミリーは、薔薇の花びらを浮かべたバスタブに入りながら呟いた。別邸は完全にプライバシーが守られていて、普段は王子様らしくしていなければいけないリオネルも、ここでは女の子に戻って寛いでいた。
「……いけない?」
「戻ったら、シナリオの強制力で死ぬかもしれないのに?」
「強制力……そんなの、ないと思う」
ざばぁっ。
「どういうこと?説明してよ!」
裸のリオネルに抱きつかれ、エミリーは心底迷惑そうな顔をした。前世で温泉に行った時も、姉達とは時間をずらして大浴場に行ったものだった。
「シナリオなんて、どこにあるっていうの?……これから起こる事態だって、誰かが引き金を引かなきゃ起きないと思う」
「うーん。引き金を引く誰かがいるってこと?神様とか?」
「悪役令嬢が破滅するのは、ヒロインに細かい嫌がらせを積み重ねて、攻略対象に少しずつ嫌われていったからだと思う。……そう。全部、積み重ねなの」
リオネルは頭に折りたたんだタオルを乗せ、腕組みして首を傾げた。
「四姉妹は悪いことをしてきたの?」
「していないつもりだけど、分からない」
「些細な失敗を誰かが誇張して吹聴したり、良かれと思ってやったことが裏目に出たりして、悪い方に転んでいないとも限らないじゃない。知らないところで恨みを買っていたらお手上げだよね?」
「恨み……」
紫の瞳が眇められる。
「あの人……私達に敵意を持っていた」
「あの人って?」
「図書館で会ったの。リオネルのお兄さんっぽい人と一緒にいた。金髪の魔導士。……先生みたいだった」
「クレムか。……素性は知らないけど、グランディア出身だそうだから。ハーリオン家と何かあっても不思議はないよね。あんまり考えこむとのぼせそうだから、そろそろ出ようよ」
リオネルはお湯から出て手早く着替えを始めた。
「大変だ、リオネル!」
「ちょ!入って来ないでよ!」
ドアを開けてルーファスが飛び込んできた。すぐにリオネルが顔面めがけてタオルを放った。
「ぶ」
「着替え中だから出てって!」
「それどころじゃねえってば!ここにエミリーを匿ってることがバレた!踏み込まれる前に安全な場所に連れて行かないと」
濡れた髪を絞り、風魔法で一気に乾かすと、地味なドレスにローブを羽織る。
「……準備はできた。行こう」
魔力の気配がふわりと揺らめき、ルーファスがごくりと喉を鳴らした。
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