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学院編 14

471 悪役令嬢はヘアピンを落とす

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「お、おおおお、お嬢様、……俺、じゃなかった、私がっ、頑張ります」
魔法陣で王都に帰還するマリナについてきたのは、先ほどの新米従者だった。領主館には若い使用人が少なく、ある程度の荷物を背負って歩けるのは彼だけだったのだ。
「期待しているわ。ええと……名前は?」
「グラントリーって言います。あ、皆にはグランって呼ばれてます」
「よろしくね。グラン」
「はい!」
グランは少し癖のあるオレンジ色の髪を揺らし、大きな口の端を上げ、笑顔の見本のような顔でマリナに微笑んだ。日に焼けた肌とそばかすのある頬、曇りのない空色の瞳が印象的だ。年の頃はマリナとそう変わらないように見える。
「グランは、王都に行ったことはあるかしら?」
「え、と……実は、ないんです……す、すみませんっ!」
「謝ることはないわ。ビルクールと王都は遠いもの。特別な用事がなければ行くことはないでしょう?」
「そうなんですよ。俺、子供の頃からビルクールに住んでるんで、王都はよく分からないんです。お嬢様の足手まといになったら……」
明るい笑顔が少しだけ影を帯びた。
「気にすることはないわ。市場の魔法陣から先は、うちの馬車に乗って帰れるのだし、道を知らなくてもいいの」
「助かりました。お迎えが来るのなら、俺はお嬢様が馬車に乗ったのを見届けて、ビルクールに戻ればいいんですね」
「そうねえ。ジュリアとアリッサが残るから、領主館に人手があった方がいいわ」

話をしながら、ビルクールの魔法陣に着いた。王都へ商品を運んでいる魔法陣の隣に、人間を運ぶための魔法陣がある。建物の中に描かれた魔法陣は、石の床に文字を彫ったもので、何度使っても消えることはない。夜も遅く、室内が薄暗い。グランは足を止めた。
「……これっすか?」
「そうよ。怖がらないで。この円の中に入るだけでいいの。ついてきて」
「えっ……あのう……」
「どうしたの?」
「魔法、なんですよね?」
グランは尻込みしていた。半歩進んでは戻り、頭を振って目を閉じた。
「皆使っている魔法陣よ。何もおかしいところは……」
円の縁から緑色の光が天井に向かって伸びている。どこも欠けておらず、不審な点はないように見える。もじもじしているグランを説得しようと、マリナが息を吸い込んだ瞬間、髪を留めていたピンがカツンと床に落ち、魔法陣が強く光った。
「!」
「うわっ!」
魔法陣の光が赤に変わり、一層強く輝き始める。マリナは魔法に詳しくない自分の知識をフル稼働して考えた。誰かがここへ転移してくるのだ。顔を合わせたくない相手かもしれない。
「グラン、廊下へ出ましょう」
「ぉえ?は、はい!」

二人はしばらく廊下に留まっていたが、誰も部屋から出てくる気配はなかった。恐る恐る魔法陣の部屋を覗くと、元通りに緑色の光を発しながらそこにあった。
「……何だったのかしら」
「お嬢様、さっき、何か落としませんでした?」
マリナは自分の髪が乱れているのに気づき、はっと手で撫でた。
「ここにつけていたピンがないわ。端に青い薔薇をあしらったものよ」
「おかしいですね。落ちていませんよ?ピンだけ、王都にとんでっちゃったとか?」
「いいえ。貨物運搬用とは違って、これは……ほら、この注意書きにもあるでしょう?人がいないと発動しないって」
「うーん。……お嬢様、ちょっと待っててください」
背負ってきた荷物を魔法陣の外側の床に下ろし、グランは自分の上着のポケットから、くしゃくしゃになったハンカチを取り出した。
「……ハンカチくらい洗いなさいよ」
「すみません。ま、こういうのにはいいかなって」
言うが早いが、汚れたハンカチを魔法陣の中央目がけて放り投げた。音を立てずにハンカチは床に落ちる。
「……あれ?」
「何も起こらないのよ。人がいないと」
「そうなんですか?……お嬢様のハンカチ、一枚使ってみてもいいですか?」
「いいわよ」
マリナがハンカチを渡し、グランは先ほどと同じようにハンカチを投げた。折りたたまれた美しい刺繍入りのハンカチは、空中を優雅に舞って石の床に着地する。
「あ」
と声を上げるより早く、一瞬で光に包まれて消えた。
「ハンカチだけ?」
「お嬢様の物だけ、飛んでってる?」
「まさか。行きましょう、グラン。王都で弟が待っているの」
荷物を背負ったグランの腕をしっかり掴み、マリナは魔法陣へ一歩を踏み出した。

   ◆◆◆

「……」
身体が痛い。冷たい空間に投げ出された時に、強か打ち付けたのだろう。
「……グラン?」
荷物の下敷きになったグランは、顔を顰めてやっと起き上がった。彼の上から荷物を退かすと、眉を下げて情けなく笑った。
「王都、ですか?」
「いいえ。……こんな場所、初めて来たわ」
足元には先ほどと同じように魔法陣が描かれているが、王都の市場にあるような床に彫られたものではない。白い大きな布に最近描かれたと分かる簡易なもので、よれないように隅を釘で床に打ちつけてある。釘が打てるということは、床は木でできているのだ。室内なのに暗くて寒い。
「魔法陣が壊れていたのかもしれないわ」
「ここ、物置か何かですか?奥にも部屋が続いていますね」
「暗くて見えないわ。グラン、何か灯りになるものを持っているかしら?」
「はい。ロミーさんが持たせてくれました。ちょっと待ってください。すぐに用意します」
背負った荷物の中から、グランは革製の小さな巾着袋を取り出した。手を入れて球体を取り出す。一度強く握ると、倍の大きさになって光り始めた。
「光魔法球です。どうぞ」
掌に乗せても熱くない。指先でつまんで部屋の奥に向けて掲げた。
「……これは……」
天蓋にフリルがついた深緑色ベッド、猫脚の机に化粧台、天板の中央に花の彫り模様をあしらった小さなテーブル……どれをとっても可愛らしい意匠の物ばかりだ。
――アリッサが好きなものに似ているわ!
魔法陣に落としたピンはアリッサから借りたものだ。ハンカチはアリッサが刺繍をしてプレゼントしてくれた。二つとも、元の持ち主はアリッサだ。今着ているドレスは、自分には派手で似合わないからとアリッサがマリナに寄越したものだ。
――魔法陣はアリッサの何かに反応するように作られていた?
室内を歩き回り、この部屋が何なのか考える。どれもよくない想像しかできない。
「誰かが……アリッサを……ここに?」
さらに奥へ進もうとした時、背後からグランの悲鳴が聞こえた。
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