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学院編 14
447 悪役令嬢は人たらしの秘技に驚く
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ハーリオン侯爵家の廊下にけたたましく靴音が響く。時々侍女が軽く悲鳴を上げ、何事かとマリナが椅子から立ち上がった瞬間、ドアが大きく開いてジュリアが飛び込んできた。
「はあ、はあ、はあ……」
「ジュリアちゃん、大丈夫?」
「廊下を走るのはよくないわ。……事と次第によるけれど」
ゴクン。
唾を一度飲み込んで、ジュリアは間を置いた。
「大変なんだ。し、神殿で!」
リリーがマリナのために用意していた紅茶を一気飲みする。軽くむせて目を白黒させる。隣にある皿の上のケーキに目が行くが、キッと表情を引き締めて手を握った。
――ジュリアが、ケーキを食べなかった。よほどのことなんだわ!
「アリッサ、二股かけられてるかもよ!」
◆◆◆
神殿でレイモンドとフローラを見かけたジュリアは、行きがかり上レナードを連れて二人の後を追った。人ごみに紛れて建物から出ようとするものの、中に入る人々が押し寄せてきて思うように進めない。
「んーっ!……あ、ごめ、すいません!」
「無理に逆行しないほうがいいって」
「だって見失っちゃうよ!……うぉっ!」
押されて淑女らしからぬ声を上げる。レナードは隣でくすくすと笑っている。
「笑わなくてもいいでしょ!」
「うんうん。それがジュリアちゃんの素だもんね。愉快愉快」
「って、どんどんレイモンドから離れてるんだけど」
「……仕方ないなあ」
レナードは一つ溜息をつき、向かってくる人々に人たらしらしくそつのない笑みを向けて押しのけていった。神殿の入口付近を抜けると混雑が緩和され、あっと言う間に馬車が停まっている辺りまで歩いてきた。
「これでどう?」
「流石だね!」
「役に立てて光栄だよ。お返しはキス一つでいいから」
「えーっ!?」
「ほらほら、騒がない騒がない。副会長さん行っちゃうよ、いいの?」
ジュリアはオードファン家の紋章入りの馬車を追いかけたが、あと十メートルのところで逃してしまった。俊足も馬車には勝てなかった。
「はあ、はあ、はあ……」
「残念だったね。……それにしても、あの二人が一緒にいるなんてね」
「し、んじ、られな……」
息が切れて話すに話せない。
――ん?レナードにフローラの事件のことを話したっけ?
「そうだよね。フローラのことを赦したのかな?詳しくは知らないけど、あの子が副会長に何かしたんでしょ?」
「あ、っと、んー?」
「誤魔化してもダメだよ。フローラが彼をつけ回してたって、三年のお姉様達から聞いたんだから。俺の情報収集能力を甘く見ないでよ?」
「……フローラはレイモンドが好きだったんだよ。つけ回すのはどうかと思うけどさ」
「あんまりガツガツ行くと逆効果だよね」
「その言葉、そっくり返してもいい?」
「おっと、嫌だなあ、ジュリアちゃんも手厳しいね。ひょっとして、アレックスを連れだせなかったから怒ってるの?」
蕩けるような微笑を浮かべながら、顔を覗きこむように見つめてくる。ジュリアはレナードの視線に絡め取られないように顔を背けた。
「怒ってはいないよ。……がっかりしただけ」
「どういうわけか、俺が訪ねて行ったら騎士団長様が出てきてさ」
「え?また玄関で高速腹筋でもしてたの?」
「違うよ。アレックスは部屋に閉じ込めているらしくて、行かせられないって怖い顔で言われたんだ。俺、あの人に何かしたっけ?って思っちゃった」
「前に会ったことがあるの?」
レナードは驚いて顔を振った。
「ないよ、多分。初対面だと思う。……うわあ、思い出すだけで嫌な汗が出る。怖かったなあ。ハーリオン領……ジュリアちゃん家の領地の関係で、騎士団が忙しくてピリピリしてたんだね。コレルダードに治安維持の部隊を出したって聞いたし」
「コレルダードに?うちには何も連絡が来ていないよ?」
「勘違いじゃないよ。うちの兄達も駆り出されたからね。近々、コレルダードとフロードリンは王家の領地になるらしい。恥ずかしくない程度にマトモな街にしておこうってことかな」
「王家の……」
俯いて何か呟いていたジュリアは、レナードに向き直った。
「ごめん、レナード。私、すぐに家に帰らなきゃ!練習はまた後でね!」
「えっ?」
聞き返したレナードを一人置き去りにして、ジュリアは真っ直ぐ大通りを走って行った。
◆◆◆
「そう……とうとう……」
マリナは言葉を失った。父の不在中に領地を召し上げられてしまうとは思わないが、もはやその手前まできている。
「レイ様が……レイ様が……ぁあああ」
「……煩い」
長椅子に横になって話に加わらなかったエミリーが起き上がり、魔法でアリッサの声を消す。再び横になって大きな欠伸をした。
「……ねむ」
「ちょっと、エミリー!大変なんだから寝てないで起きて考えてよ」
「……ジュリアが考えれば?」
「思いつかないから言ってるの!」
「……考える気ないくせに」
二人の間に険悪な空気が流れ、マリナは慌てて割って入った。
「でも、考えようによってはいいことよ」
「どこが?」
「……は?」
「王家が手を入れてくださるのなら、ハーリオン家の持ち出しはなくなるわけでしょう」
「お金はかからなくなるけど、収入もなくなるんだよ?」
「まだ当家の領地は残っているわ。エスティアはあまり収益が見込めないけれど、ビルクールの港は豊かな街よ」
エミリーが壁に貼られた地図に目を向けた時、執事のジョンが部屋に入って来た。手には一通の封筒を持っていた。
「お嬢様方。ビルクール海運の現地事務所から、急ぎの連絡がございました」
涙にくれているアリッサを除き、三人ははっと顔を見合わせた。
「はあ、はあ、はあ……」
「ジュリアちゃん、大丈夫?」
「廊下を走るのはよくないわ。……事と次第によるけれど」
ゴクン。
唾を一度飲み込んで、ジュリアは間を置いた。
「大変なんだ。し、神殿で!」
リリーがマリナのために用意していた紅茶を一気飲みする。軽くむせて目を白黒させる。隣にある皿の上のケーキに目が行くが、キッと表情を引き締めて手を握った。
――ジュリアが、ケーキを食べなかった。よほどのことなんだわ!
「アリッサ、二股かけられてるかもよ!」
◆◆◆
神殿でレイモンドとフローラを見かけたジュリアは、行きがかり上レナードを連れて二人の後を追った。人ごみに紛れて建物から出ようとするものの、中に入る人々が押し寄せてきて思うように進めない。
「んーっ!……あ、ごめ、すいません!」
「無理に逆行しないほうがいいって」
「だって見失っちゃうよ!……うぉっ!」
押されて淑女らしからぬ声を上げる。レナードは隣でくすくすと笑っている。
「笑わなくてもいいでしょ!」
「うんうん。それがジュリアちゃんの素だもんね。愉快愉快」
「って、どんどんレイモンドから離れてるんだけど」
「……仕方ないなあ」
レナードは一つ溜息をつき、向かってくる人々に人たらしらしくそつのない笑みを向けて押しのけていった。神殿の入口付近を抜けると混雑が緩和され、あっと言う間に馬車が停まっている辺りまで歩いてきた。
「これでどう?」
「流石だね!」
「役に立てて光栄だよ。お返しはキス一つでいいから」
「えーっ!?」
「ほらほら、騒がない騒がない。副会長さん行っちゃうよ、いいの?」
ジュリアはオードファン家の紋章入りの馬車を追いかけたが、あと十メートルのところで逃してしまった。俊足も馬車には勝てなかった。
「はあ、はあ、はあ……」
「残念だったね。……それにしても、あの二人が一緒にいるなんてね」
「し、んじ、られな……」
息が切れて話すに話せない。
――ん?レナードにフローラの事件のことを話したっけ?
「そうだよね。フローラのことを赦したのかな?詳しくは知らないけど、あの子が副会長に何かしたんでしょ?」
「あ、っと、んー?」
「誤魔化してもダメだよ。フローラが彼をつけ回してたって、三年のお姉様達から聞いたんだから。俺の情報収集能力を甘く見ないでよ?」
「……フローラはレイモンドが好きだったんだよ。つけ回すのはどうかと思うけどさ」
「あんまりガツガツ行くと逆効果だよね」
「その言葉、そっくり返してもいい?」
「おっと、嫌だなあ、ジュリアちゃんも手厳しいね。ひょっとして、アレックスを連れだせなかったから怒ってるの?」
蕩けるような微笑を浮かべながら、顔を覗きこむように見つめてくる。ジュリアはレナードの視線に絡め取られないように顔を背けた。
「怒ってはいないよ。……がっかりしただけ」
「どういうわけか、俺が訪ねて行ったら騎士団長様が出てきてさ」
「え?また玄関で高速腹筋でもしてたの?」
「違うよ。アレックスは部屋に閉じ込めているらしくて、行かせられないって怖い顔で言われたんだ。俺、あの人に何かしたっけ?って思っちゃった」
「前に会ったことがあるの?」
レナードは驚いて顔を振った。
「ないよ、多分。初対面だと思う。……うわあ、思い出すだけで嫌な汗が出る。怖かったなあ。ハーリオン領……ジュリアちゃん家の領地の関係で、騎士団が忙しくてピリピリしてたんだね。コレルダードに治安維持の部隊を出したって聞いたし」
「コレルダードに?うちには何も連絡が来ていないよ?」
「勘違いじゃないよ。うちの兄達も駆り出されたからね。近々、コレルダードとフロードリンは王家の領地になるらしい。恥ずかしくない程度にマトモな街にしておこうってことかな」
「王家の……」
俯いて何か呟いていたジュリアは、レナードに向き直った。
「ごめん、レナード。私、すぐに家に帰らなきゃ!練習はまた後でね!」
「えっ?」
聞き返したレナードを一人置き去りにして、ジュリアは真っ直ぐ大通りを走って行った。
◆◆◆
「そう……とうとう……」
マリナは言葉を失った。父の不在中に領地を召し上げられてしまうとは思わないが、もはやその手前まできている。
「レイ様が……レイ様が……ぁあああ」
「……煩い」
長椅子に横になって話に加わらなかったエミリーが起き上がり、魔法でアリッサの声を消す。再び横になって大きな欠伸をした。
「……ねむ」
「ちょっと、エミリー!大変なんだから寝てないで起きて考えてよ」
「……ジュリアが考えれば?」
「思いつかないから言ってるの!」
「……考える気ないくせに」
二人の間に険悪な空気が流れ、マリナは慌てて割って入った。
「でも、考えようによってはいいことよ」
「どこが?」
「……は?」
「王家が手を入れてくださるのなら、ハーリオン家の持ち出しはなくなるわけでしょう」
「お金はかからなくなるけど、収入もなくなるんだよ?」
「まだ当家の領地は残っているわ。エスティアはあまり収益が見込めないけれど、ビルクールの港は豊かな街よ」
エミリーが壁に貼られた地図に目を向けた時、執事のジョンが部屋に入って来た。手には一通の封筒を持っていた。
「お嬢様方。ビルクール海運の現地事務所から、急ぎの連絡がございました」
涙にくれているアリッサを除き、三人ははっと顔を見合わせた。
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