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学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る
415 悪役令嬢は領地をかき回す フロードリン編3
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森の入口で出会った男は、名前をロブと言った。フロードリンの出身ではなく、職を求めてコレルダードから移り住んだのだという。
「コレルダード……どっかで聞いたな。何だったっけ」
アレックスは事前学習の乏しい知識を呼び起こして必死に考えた。出発前にレイモンドに詰め込まれた付け焼刃の知識は、九割以上がどこかへ消えていた。答えが出るより早く、ロブが話を続けた。
「ここと同じで、ハーリオン侯爵様の領地だよ。農産物を市場に出してる。ここ数年、税金がどんどん高くなってるんだ。洋服屋をやっているだけじゃ家族四人で食って行けない。俺が稼ぎに出たんだ」
「そうか……。大変なんだな。ところで、ロブが働いているのは塀の中なのか?自由に出入りできるようには見えなかったけど」
「塀の中から抜け出してきた。俺は領地管理人の下で働いているから、見張りをごまかして一時的に塀から出られたんだ。普段は塀の傍、内側に見張りがいる」
領地管理人の手紙を王都に届ける代わりに、アレックスはロブから塀の中の情報を詳しく聞きだした。そして、最も重要なことを彼に頼んだ。
「俺、無茶なことやっちゃって、一緒に来たやつとはぐれたんだ。侍女で、髪は……今は紺色だったかな。名前はマリアン。本当は綺麗な銀髪に紫の目をしてて、マリナって言うんだけど、事情があって変装してるんだ。彼女を守ってほしいんだ」
「マリナ……か」
ロブは顎に手を当て、少し黙り込んだ。
「なあ、それって、マリナお嬢様のことか?侯爵様の一番上の」
「そうだよ。何だ、知ってたのか」
「お会いしたことはないが、ユリシーズさんが執事と手紙をやりとりしていて、何度かお嬢様のドレスの布地を特別に作ったことがあるんだ。青に金糸を使ったものや、細かい織模様のものがお好みらしい。四人のお嬢様のドレスの布は、いつもうちの工場で作ってるんだ」
「ドレスのことはよく分かんねえな。でも、マリナはよく、青や金のドレスを着てる。殿下の色だからかな。そのマリナお嬢様がこの街を心配してこっそり見に来たんだ」
「何てこった……」
「知られるとまずいのか?」
「街の領地経営は、領地管理人のユリシーズさんに任されてるんだが、侯爵様のご指示を伝える方が別にいて、侯爵様は実質その方に運営を任せている」
「ん?誰だ、そいつ」
アレックスには領地経営の話は全く分からなかった。
「さあな。ユリシーズさんも名前を訊けないでいるらしい。こちらから話しかける間もなく魔法で送り返されるんだ。とにかく恐ろしい雰囲気なんだってさ。工場で働く皆を守ろうと進言することも許されない、話せる相手じゃない。だから、ユリシーズさんは俺に手紙を託して、侯爵様に直接窮状を訴えることにしたんだ」
「きゅうじょう……」
「困ってるってことさ。塀の中は食べ物が足りていない。コレルダードではフロードリンの労働者のために食料を増産するように言われていたのに、食料はこの街に届いていないんだよ。食事を満足に食べられず、栄養失調になる者も多い。それなのに工場の生産量を上げるように指示をされていて、このままだと……」
大きな手のひらで目元を覆い、ロブは唇を噛み締めた。
「分かった。……俺に任せろ。必ず手紙を届けるからな」
「ああ。頼んだよアレックス。……しかし、マリナお嬢様は幸せだな。こんな頼りになる友達がいて」
「そ、そうか?」
照れ隠しに首の後ろを掻く。赤くなった顔を見たロブは、歯を見せてにやりと笑った。
「友達じゃなくて恋人なのか?」
「ち、違うって。マリナは殿下の……」
「王太子殿下のことか?そう言えば、最近、殿下からのご注文で急いで作らせている布地があるんだが……あれはどう見ても結婚式の衣装だな」
「け、結婚!?」
顎が外れそうに驚いた。アレックスは日頃、自分はレイモンドの次に王太子に信頼されていると自負していた。だが、結婚式の話は寝耳に水だった。セドリックは相変わらずマリナ一筋だが、ハーリオン侯爵が帰国しない間に王太子妃候補から外されてしまった。王太子は誰と結婚するつもりで衣装を仕立てているのだろう。混乱がありありと顔に出たのを見て、ロブはくしゃりと笑顔を作った。
「まあいい。忘れてくれ。俺の勘違いだったかもしれない。……とにかく、手紙を頼む」
「任せとけ!」
固い握手を交わすと、二人はそれぞれ逆方向へと歩き出した。
◆◆◆
薄く目を開けたマリナの視界に、蝋燭の明かりだけが見える。数歩離れたところに、何か白いものが動いている。
――人、だわ。
それが近づいてくるに従い、はっきりと女性であることが分かる。彼女は水桶に布を浸して絞り、こちらへ持って来ようとしている。白いブラウスの袖口から、痩せ細った手首が見え、彼女の方が病人のようだ。
「……あの」
朦朧としていた意識が、次第にしっかりと周りの形を捉え始めた。マリナは女性に思い切って声をかけた。
「気がついたのね」
見た目からは想像もできないはきはきした声だった。痩せてはいるが、病気ではないのかもしれない。
「はい……」
「あなたがここに運び込まれてきた時は驚いたわ。……ここにはずっと一人でいたものだから」
「お一人で……?」
「あなたを運んできた人達……見たことがあるかしら?黒い服の男達よ。彼らは私をここに閉じ込めているの。……人質としてね」
――人質!?
マリナは自分が置かれた状況を理解した。牧師は自分を黒い一団に引き渡し、彼らは人質として利用しようとしている。目的は他でもない。アレックスと共に見せしめに殺されるのだろう。
「あなたをここに閉じ込めれば、誰かが言うことを聞かされる……違う?」
「ええ。……この街に一緒に来た友人がいるんです。少し前にはぐれてしまいました。私を使って彼をおびき出すと、牧師が言っていて……」
「牧師?それって……!」
痩せた女性の顔が瞬時に悲しみで歪んだ。マリナの二の腕を掴み、落ち窪んだ茶色の瞳からぽろぽろと涙を流した。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい!」
「ど、どうなさったのですか?」
「あなたをこんな目に遭わせたのは、私の夫なの……!」
声を詰まらせながら叫び、彼女はその場に頽れた。
「コレルダード……どっかで聞いたな。何だったっけ」
アレックスは事前学習の乏しい知識を呼び起こして必死に考えた。出発前にレイモンドに詰め込まれた付け焼刃の知識は、九割以上がどこかへ消えていた。答えが出るより早く、ロブが話を続けた。
「ここと同じで、ハーリオン侯爵様の領地だよ。農産物を市場に出してる。ここ数年、税金がどんどん高くなってるんだ。洋服屋をやっているだけじゃ家族四人で食って行けない。俺が稼ぎに出たんだ」
「そうか……。大変なんだな。ところで、ロブが働いているのは塀の中なのか?自由に出入りできるようには見えなかったけど」
「塀の中から抜け出してきた。俺は領地管理人の下で働いているから、見張りをごまかして一時的に塀から出られたんだ。普段は塀の傍、内側に見張りがいる」
領地管理人の手紙を王都に届ける代わりに、アレックスはロブから塀の中の情報を詳しく聞きだした。そして、最も重要なことを彼に頼んだ。
「俺、無茶なことやっちゃって、一緒に来たやつとはぐれたんだ。侍女で、髪は……今は紺色だったかな。名前はマリアン。本当は綺麗な銀髪に紫の目をしてて、マリナって言うんだけど、事情があって変装してるんだ。彼女を守ってほしいんだ」
「マリナ……か」
ロブは顎に手を当て、少し黙り込んだ。
「なあ、それって、マリナお嬢様のことか?侯爵様の一番上の」
「そうだよ。何だ、知ってたのか」
「お会いしたことはないが、ユリシーズさんが執事と手紙をやりとりしていて、何度かお嬢様のドレスの布地を特別に作ったことがあるんだ。青に金糸を使ったものや、細かい織模様のものがお好みらしい。四人のお嬢様のドレスの布は、いつもうちの工場で作ってるんだ」
「ドレスのことはよく分かんねえな。でも、マリナはよく、青や金のドレスを着てる。殿下の色だからかな。そのマリナお嬢様がこの街を心配してこっそり見に来たんだ」
「何てこった……」
「知られるとまずいのか?」
「街の領地経営は、領地管理人のユリシーズさんに任されてるんだが、侯爵様のご指示を伝える方が別にいて、侯爵様は実質その方に運営を任せている」
「ん?誰だ、そいつ」
アレックスには領地経営の話は全く分からなかった。
「さあな。ユリシーズさんも名前を訊けないでいるらしい。こちらから話しかける間もなく魔法で送り返されるんだ。とにかく恐ろしい雰囲気なんだってさ。工場で働く皆を守ろうと進言することも許されない、話せる相手じゃない。だから、ユリシーズさんは俺に手紙を託して、侯爵様に直接窮状を訴えることにしたんだ」
「きゅうじょう……」
「困ってるってことさ。塀の中は食べ物が足りていない。コレルダードではフロードリンの労働者のために食料を増産するように言われていたのに、食料はこの街に届いていないんだよ。食事を満足に食べられず、栄養失調になる者も多い。それなのに工場の生産量を上げるように指示をされていて、このままだと……」
大きな手のひらで目元を覆い、ロブは唇を噛み締めた。
「分かった。……俺に任せろ。必ず手紙を届けるからな」
「ああ。頼んだよアレックス。……しかし、マリナお嬢様は幸せだな。こんな頼りになる友達がいて」
「そ、そうか?」
照れ隠しに首の後ろを掻く。赤くなった顔を見たロブは、歯を見せてにやりと笑った。
「友達じゃなくて恋人なのか?」
「ち、違うって。マリナは殿下の……」
「王太子殿下のことか?そう言えば、最近、殿下からのご注文で急いで作らせている布地があるんだが……あれはどう見ても結婚式の衣装だな」
「け、結婚!?」
顎が外れそうに驚いた。アレックスは日頃、自分はレイモンドの次に王太子に信頼されていると自負していた。だが、結婚式の話は寝耳に水だった。セドリックは相変わらずマリナ一筋だが、ハーリオン侯爵が帰国しない間に王太子妃候補から外されてしまった。王太子は誰と結婚するつもりで衣装を仕立てているのだろう。混乱がありありと顔に出たのを見て、ロブはくしゃりと笑顔を作った。
「まあいい。忘れてくれ。俺の勘違いだったかもしれない。……とにかく、手紙を頼む」
「任せとけ!」
固い握手を交わすと、二人はそれぞれ逆方向へと歩き出した。
◆◆◆
薄く目を開けたマリナの視界に、蝋燭の明かりだけが見える。数歩離れたところに、何か白いものが動いている。
――人、だわ。
それが近づいてくるに従い、はっきりと女性であることが分かる。彼女は水桶に布を浸して絞り、こちらへ持って来ようとしている。白いブラウスの袖口から、痩せ細った手首が見え、彼女の方が病人のようだ。
「……あの」
朦朧としていた意識が、次第にしっかりと周りの形を捉え始めた。マリナは女性に思い切って声をかけた。
「気がついたのね」
見た目からは想像もできないはきはきした声だった。痩せてはいるが、病気ではないのかもしれない。
「はい……」
「あなたがここに運び込まれてきた時は驚いたわ。……ここにはずっと一人でいたものだから」
「お一人で……?」
「あなたを運んできた人達……見たことがあるかしら?黒い服の男達よ。彼らは私をここに閉じ込めているの。……人質としてね」
――人質!?
マリナは自分が置かれた状況を理解した。牧師は自分を黒い一団に引き渡し、彼らは人質として利用しようとしている。目的は他でもない。アレックスと共に見せしめに殺されるのだろう。
「あなたをここに閉じ込めれば、誰かが言うことを聞かされる……違う?」
「ええ。……この街に一緒に来た友人がいるんです。少し前にはぐれてしまいました。私を使って彼をおびき出すと、牧師が言っていて……」
「牧師?それって……!」
痩せた女性の顔が瞬時に悲しみで歪んだ。マリナの二の腕を掴み、落ち窪んだ茶色の瞳からぽろぽろと涙を流した。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい!」
「ど、どうなさったのですか?」
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声を詰まらせながら叫び、彼女はその場に頽れた。
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