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学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る

414 悪役令嬢は領地をかき回す フロードリン編2

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「こんばんは、牧師様……」
マリナは一礼した、足が震えているのが自分でもはっきりとわかる。
昼間は親切そうだと感じた笑顔が、今はとても恐ろしく感じられる。頭を上げても視線を合わせず、どうにかこの場を切り抜けたかった。
「若いお嬢さんが、こんな夜中に出歩くなど、感心しませんね」
「は、はい……その……旦那様のご用事で……」
自分は侍女に扮している。出歩く理由があるとすれば主人の使いくらいだ。
「そうですか。ご苦労様ですね。……しかし、あなたの雇用主も酷い方だ。人が少ない町とは言え、行き帰りにあなたが襲われでもしたらどうするつもりなのでしょう」
「新しい侍女を雇えば済む話です」
「随分と割り切っていらっしゃるのですね。そういう危険があると分かっていて雇われている……」
――何なのよ、早く帰りたいのに!
「申し訳ございません、牧師様。私、すぐに戻りませんと、旦那様に叱られてしまいます」
「そうでしたね。引き留めて申し訳ございませんでした」
「いえ……では、私はこれで……」
再び一礼して立ち去ろうとすると、後ろから声がかけられた。
「ところで、あなたの旦那様はどちらにいらっしゃるのでしょうね」
「……えっ?」
「ご無事だとよろしいんですがねえ」
振り返って見れば、牧師は片方の眉を上げ、瞬き一つせずにマリナを見つめた。笑顔の中に獰猛な獣のような何かが潜んでいる。
――こいつ、知ってるんだわ!
「きっとぐっすり休んでいると思いますわ。……失礼いたします」
踵を返し牧師から離れようと一歩踏み出したマリナの足は、地面に着くことはなかった。身体がふわりと浮きあがり、行き場を失った足が空を蹴る。
「きゃっ!」
「ですから、宿に帰る必要はないと言っているのに……強情なお嬢さんだ」
――魔法?浮いているの!?
驚くマリナの顔を横から覗き、牧師は目尻に皺を寄せて愉しそうに笑った。
「おや、意外だという顔ですね。これでも多少の魔法は使えるんですよ。普段は怪我の治療だけですが……いざとなれば」
ぐっ、とマリナの胸が急に苦しくなる。呼吸が止まり、数秒の後に解放された。
「は、はあっ、……ケホッ、ケホッ……」
「お分かりですか?あなたの生死は私の手中にあるのです。無駄な抵抗はおよしなさい。あなたの主が我々に手出しをし、奴隷を逃がして自分も逃げたと聞きました」
「奴隷……?」
労働者を奴隷と呼んだことこそ、彼らが不当に扱われていた証拠だ。
「この町の掟を知らないよそ者が、秩序を乱せばどうなるか。あなたを囮に彼を捕まえ、あなた達には相応の罰を与えなければなりません。……と、その前に」
牧師は手を挙げて空中に浮かぶマリナの顔の前に差し出した。手のひらに魔力が集まってくる。
「やめて、何を……」
「この場でいたぶったりはしません。本当の姿を見せてもらうだけです」
開いていた手のひらを握ると、割れた水風船の中の水のように、魔法がマリナの全身に飛び散った。軽い衝撃を感じ目を瞑る。
「……ほう。これはこれは……」
ゆっくりと目を開くと、解けた髪が顔の前に垂れた。
――銀色?エミリーの魔法が解けたんだわ!なんてこと……!
「これほど美しいお嬢さんを、見せしめとして殺してしまうのは勿体ない気もしますがね。これもフロードリンのためです。悪く思わないでくださいよ」
再び笑顔を浮かべた牧師は、マリナの腹に向けて魔法を放った。恐怖と衝撃に耐えきれずマリナは意識を手放した。

   ◆◆◆

黒い一団から俊足で逃げ切ったアレックスは、町はずれまで走ってきていた。近くには農村地帯があるとマリナが言っていたが、そこまで行くためには森を抜けなければならないようだ。森に入れば真っ暗で、月明かりも届かない。ましてや初めて来た場所だ。確実に迷ってしまうだろう。夜に徘徊する魔物が出る可能性もある。
「どうすっかな……。マリナはうまく逃げたかな」
マリナの行動パターンは、アレックスには想像ができなかった。正義感に溢れる彼女なら、労働者達を見捨てたりしないのだろうが、その後が思い浮かばない。ジュリアならアレックスがかかって行った時に同じように戦い、反対方向に逃げて敵を攪乱しただろうと容易に想像がつく。戦いで背中を預けられる相手なのだ。
「宿屋に戻っても、またあいつらに出くわしそうだもんな。俺は目をつけられたけど、マリナは顔を見られてないし……宿屋にはクリフトンもいるし。うーん。どうすっかな」
ぶつぶつ呟きながら、山手の方へと歩いていく。すると、遠くに人影が見えた。
「……誰かいる?」
月明かりに微かに白い何かが見える。来ている外套が淡い色なのか。黒い一団とは違うようだ。と、突然、前の人影ががくりと倒れた。
「なっ!?」
駆け寄ると、若い男が膝をついて苦しそうにしていた。比較的体格がよく、見たところ持病がありそうには思えない。
「どうかしたのか?」
「……っ、はあ、はあ……」
顔を歪め、横目でアレックスを見る。固く目を閉じ、大きく深呼吸をした。
「君は……」
「俺は単なる通りがかりだ。何か病気なのか?」
若い男は首を振った。
「病気ではないよ。……魔法がかけられていたとは知らなかった」
「魔法?」
「この辺りがフロードリンと隣村の境なんだ。街から離れれば離れるほど、こうして息が苦しくなる。どうやら、俺が街を離れないように誰かが魔法をかけたんだ」
「俺は魔法のことはさっぱり分かんねえけど、あんたは街を出たいんだろ?」
男は諦めたように頷いた。
「ああ。ある方……王都に手紙を届けたいんだ。人目につかないように夜に出てきたんだが、俺はこれ以上先に進めそうにない」
アレックスの金の瞳をじっと見つめ、男は目の前の少年が信用できるか考えていたようだった。やがて、懐から一通の封書を取り出した。
「君は街を出るんだね?よかったら、これを届けてくれないか。フロードリンの人々の命がかかっているんだ」
震える手をアレックスはガシッと握り、少し瞳を潤ませて彼の願いに応えた。

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