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学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る

394 悪役令嬢は領地を巡る エスティア編3

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エスティアの町は、よく言えば自然豊かで牧歌的、悪く言えば山しかないところだった。比較的標高が高いところにあるハーリオン家の分家と、その近くに数軒の家があり、邸の二階から見渡すとそこここにいくつかの家が固まった集落がある。どこに行けば話を聞けるのだろうかとセドリックは考えた。リュックサックに荷物を詰めたものの、行き先を決められないでいた。

「こういう世界があるなんて、僕は知らなかったよ」
「でしょうね。王都と周辺、大都市にしか行ったことがないでしょ」
「本格的に公務に取り組んだのは去年からだから、行った先が少ないのは認めるよ。……ただ、僕はもっと……」
「ここに来るには時間がかかっちゃうわ。王太子様はお忙しいから、馬車で何日もかけていられないもの、来たことがなくて当たり前ですよ?」
アリッサはがっかりしているセドリックを慰めた。
「祭りがある都市だけじゃない。何もないところの日常も知りたい。……そういうこと?」「うん。王立学院を卒業して、時間ができたら……僕はマリナと国内全ての町を回りたいと思ったよ」
「マリナちゃんと……」
眉を下げてアリッサが悲しげな顔をした。
「そのためには、ハーリオン侯爵に着せられた濡れ衣をどうにかしないとね」
「……酒場?」
「えっ?」
「小さな町でも、酒場くらいあるわよね。こういうところだもの、酒しか楽しみはないでしょう?夜になったら私も回復するから、聞き込みに行こう。……酔っ払いのほうが饒舌」
顔色が幾分戻ったエミリーは、遠くを見ながら提案した。

   ◆◆◆

エスティアの町の酒場は人影もまばらだった。
きょろきょろしながらテーブルについたセドリックは、
「ねえ、あれは何?」
としきりにアリッサに訊いている。まるで三歳児のようだとエミリーは思う。王宮から出た経験が少ない彼には何もかもが珍しいのだろう。
「ここのおすすめは何かな。美味しいものは……」
「スタンリー」
「?……あ、僕か」
「何しに来たのよ。遊びに来たんじゃないわ」
「ごめん……つい、嬉しくなっちゃって」
セドリックはエミリーに叱られ通しだった。三人ではあるが、知識の面以外では役に立たないアリッサと、生活力皆無の王太子である。自分がしっかりしなければとエミリーは思っていた。倒れてなどいられない。
「打ち合わせ通り、よろしくね?」
「うん、分かった!」
「頑張るね、エミリー……じゃなくて、エマちゃん」
セドリックは大きく息を吸い込み、エミリーとアリッサに向かって話し始める。わざと周囲に聞こえるような声量で。
「ああ、ここは空気がおいしくていいね」
「ええ、本当に」
アリッサが答える。
「王都のように馬車が土煙を上げることもなくて、エマにはいい場所ですね」

「コホン、コホン……」
わざとらしく咳払いをして、エミリーは周囲の反応を窺う。王都から来た謎の三人組に、周囲の者達は耳を澄ましていた。
――いける!
「嬉しいわ、スタンリー。これなら、私の病気も……コホン、コホコホ」
「まあ、無理をしてはいけないわ、エマ。治りかけの身体で無理をして、ジャックのようになってしまっては……」
「ジャック兄さんは……残念だったわね。素晴らしい人だったのに。私と同じで病気がちで、あんなに呆気なく逝ってしまうなんて」

エミリーが考えた設定はこうだ。
セドリックに背負われた自分は病弱設定だ。夫のスタンリー、兄の妻で未亡人のアリスと、病気の療養に適した土地へ旅をしている。これと言った観光地もなく、豊かな自然環境以外に特筆すべき点がないエスティアに、旅人が来ること自体珍しいと執事から聞いた。魔法陣の事故がなければ、絶対に来ることはなかったはずである。
「私、療養するなら、綺麗なお花が見られるところがいいわ。こちらの町はお花が見られるのかしら」
「花……そうね。春になったら探しましょう。自然が豊かだから、きっとたくさん見られるわ」
「ああ、春なんて……お義姉様、私は春までもつのでしょうか」
「悲しいことを言うんじゃない、エマ。君は必ず良くなる!病気など吹き飛ばしてみせるよ。僕の愛で!」
――ちっ、やりすぎだよ王太子!
セドリックの芝居がかったクサイ台詞に吐きそうになりながら、エマは耳を欹てた。
「なあ、お前さん達――」
――釣れた!
エミリーはアリッサと視線だけで会話をし、口の端だけで微かに笑った。

   ◆◆◆

「……で?どうして、聞き込みがこんなことになってるのよ!」
押し殺した声でエミリーが呟く。歯ぎしりをしてテーブルの下で握りこぶしを作っている。
「エミリーちゃん……」
「エ、マ」
「エマちゃん……あのね、郷に入りては郷に従え、ってことよ?」
「それにしたって……」
横目で見ると、上機嫌で顔を赤くしたセドリックが、町の若い男と腕を組み、もう一方の手を腰に当ててスキップしながら回っている。
「何なの、あいつ。酒乱なの?」
「酒乱はマリナちゃんだけでいいと思うの。……ああ、また飲んでる」
セドリックは勧められるままにジョッキに入った酒を飲んだ。前世のビールのような飲み物で、こちらの世界では成人と見做される彼は、このビールもどきを飲んだことがあるらしい。王都で飲むより美味しいと感想を述べた。
「馬鹿馬鹿しい……帰りたいわ」
椅子から立ち上がり、テーブルに手をついてよろよろと回り込む。
「おっと、姉ちゃん。まだ夜は長いんだぜ?」
「歓迎パーティーは終わっちゃいないぞ?」
二人の男がエミリーとアリッサの前に立ちはだかった。
――嫌な予感。酔っ払いって嫌い。
「体調がすぐれないので、先に失礼……」
「そんな野暮なこと言うなよ。ほら、景気づけに一杯やったどうだ?」
ぐい、とジョッキを突き出される。エミリーは半歩後ろに下がった。
「いいえ、結構で……」
「いいから、飲めよ。うまいんだぞ!」
――まずい!
男の手がエミリーの肩に伸びた。触れたら魔法が発動して、男は弾き飛ばされてしまう。魔法の効果を知られるわけにはいかない。
「じゃ、じゃあ、私がっ!」
アリッサが二人の間に立ちはだかり、男の手からジョッキを受け取った。
「あ……アリス?」
「大丈夫よ、……多分。飲んだこと、ないけど……」
ジョッキにそっと口をつけて、泡を舐めるとすぐに、アリッサの顔が歪んだ。
「苦ぁい……」
「初めは皆そういうもんだ。さあ、ぐっといけ、ぐいっと!……お?」
男の肩が後ろから引かれた。振り返るとにっこり笑顔のセドリックが立っている。
「ダメだよ、僕をないがしろにしちゃ。……このお酒は僕がもらうね?」
少し赤くなっている美青年の微笑に、性別を問わず場に居合わせた人全員がほうと溜息をついた。アリッサに一気飲みをさせようとした男達も、セドリックが一気にジョッキを飲み干し、手で口元を拭う仕草に見とれている。
「すごい色気……」
「アリス、何ぼーっとしてんの」
「え?」
「帰るよ。あいつ連れて」
エミリーはセドリックの腕に縋った。
「あなた、もう帰りましょう」
「あ、う、うん……」
『あなた』などと呼ばれ慣れないセドリックは、腕に感じるエミリーの体温に動悸がおさまらなかった。髪の色は変えていても、角度によってはマリナにそっくりの顔立ちである。マリナに言われているような錯覚を起こしていた。
「……酔いが回ったかな?」
「お邸までは歩いてくださいね?」
「頑張る……と、皆に挨拶をしてくるよ」
すっかり打ち解けた宿屋兼食堂の酔っ払い達とハイタッチをし、セドリックは二人を連れて店を出た。
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