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学院編 13 悪役令嬢は領地を巡る
393 悪役令嬢は領地を巡る エスティア編2
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「いやあ、災難でしたねえ……」
ハーリオン家分家の老執事は、三人に温かいココアを出した。
「美味しい!甘い飲み物はいいね」
セドリックはココアを一口飲み、キラキラした笑顔を向け、執事は何も言わずに頷いた。
「しかし、私達のような一介の商人が、ご領主様のお邸に入れていただけるなど……思いもいたしませんでした。ご領主様はお心の広い方なのですね」
にっこり。もてなされ具合も微妙だったが、セドリックはおだてて礼を述べた。
三人が領主の邸であるハーリオン家の分家――ハロルドの生家――に来ることになったのには理由がある。第一に、エスティアの町には宿泊できそうな宿屋がなかった。訪れる旅人も少ないこの地では、旅館業は経営が成り立たないのだろう。食堂を兼ねており、酔っ払いがうろついている場所に、王太子と貴族令嬢二人で入っていくのは躊躇われた。ハーリオン一家が立ち寄った際も、分家の邸に宿泊していたから、アリッサもエミリーも乗客が泊まれる宿屋がないことを知らなかった。
「あのような場所に魔法で飛ばされるなど、災難だとしか思えませんなあ」
執事は三人を裕福な平民だと思っている。うち二人が主家の令嬢で、もう一人がこの国の王太子だなどとは、露程も思っていないようだ。アリッサとエミリーは、一度だけ会ったことがあるらしい老執事の顔に覚えがなかった。ハロルドと面識があったことさえ忘れていたのだから当然である。
「魔法事故って怖いものですわね」
アリッサが眉を八の字にして同情を引こうとする。
「まったくです。この町には強い魔導士がおりませんのでね、皆魔法に慣れておらず……」
町の人には、魔法事故で転移魔法陣が作動して、爆風諸共飛ばされてきたと説明しているが、実際は全てエミリーの作戦である。領主の邸に案内されたことを除いては。
雪山の道で途方に暮れた三人は、エミリーの指示で狼煙を上げた。アリッサが土魔法で木の葉を茂らせ、セドリックが光魔法で照らし、エミリーが風魔法で上空に舞い上げ、火魔法で燃やした。山の中腹に光と火のようなものが見え、何事かと確認に来た人々に助けを求めたのだ。魔法の発動後、とうとうエミリーは力尽きて倒れた。倒れる瞬間に自分の意志でセドリックの背中に凭れ、そのまま背負われてきた。マシューのかけた魔法のことも、エミリー自身が魔法の上級者であることも、町の人には秘密だ。魔法が使えると知られては、今後の調査がやりにくいばかりか、仕事を頼まれて魔力を失い、いざという時にセドリックを守れなくなる。セドリックはエミリーを部屋まで運び、他の誰にも触れさせないように、自分の妻だと周囲に告げた。
「何分田舎ですもので、ご気分が優れないエマさんを治療する治癒魔導士もおりません。お力になれず申し訳ございません」
「いえ、お気遣いなく。泊めていただけるだけでありがたく思っております」
セドリックが礼を言うと、老執事は一言言って部屋から出て行った。
三人の関係は、新婚夫婦と妻の付き人だと言ってある。セドリックがエミリーを背負ったため、地味なドレスを着たエミリーを新妻と勘違いしたので、エミリーより華やかな服装のアリッサはエミリーの親戚筋の未亡人だという設定になった。町の人は若い美人の未亡人が来たと盛んと噂していた。他に珍しいことがないからに違いない。
「まともな宿屋がないなんて……宿泊先がうちの分家なんて……はあ」
青白い顔で長椅子に横になり、魔力を回復させようとしているエミリーは、そわそわしているアリッサに目くばせした。
「心配しないで、エミリーちゃん。変装がバレないわ。王太子様のお顔を見たことがない人ばかりだもん。私達も髪と目の色が違うから」
「正体に気づかれないうちに、さっさと調べてしまいたいわ。私がこんなことにならなかったら、皆に話を聞いて回れるのに……」
「ここに来るまで、特に不審な点はなかったよね。君達が知っているエスティアと比べて、何かおかしいところはない?」
セドリックは荷物の中からエスティアの報告書をまとめたノートを出し、アリッサに手渡した。
「多分……、ないと思います」
「父上の話だと、この町のどこかにピオリの群生地があるらしい。自然に生えているものなのか、人の手で増やされたものなのか。僕はそこが肝心だと思っているよ」
「報告書では、この町の農産物の産出量は横ばいですね。種類別の内訳でも、ピオリが含まれる『花』の項目で、取引量が増えてはいません」
「種でも、『花』に含まれるのかな」
「注釈を見ると、苗でも種でも『花』に入れるみたいです。ピオリは苗木で植えればその年からでも花をつけると言われていて、種でも苗木でも取引すれば必ずここに載ってくると思うんです」
「……載せてないだけでしょ」
「報告に書かないなんてことがあるかな?ハーリオン侯爵はしっかりした方だよ」
「うっかりだなんて言ってないわ。お父様が知らないところで、ピオリが増えて売られていたなら、報告には出てこないかも」
「エミリーちゃんは、お父様が知らないところでピオリが植えられたって思ってるの?」
「……あるいは、その場所がうちの領内じゃないとか?騎士団が見間違ったか」
「見渡す限り山だったからね。領地の境界が曖昧な可能性もあるな。エミリーが言うように、騎士団が事実誤認しているかもしれない。……よし、アリッサ」
「はいっ」
アリッサは緊張して返事をした。
「町の人に聞いて回ろう。ピオリの生えている場所について」
報告ノートをリュックサックに入れて、セドリックは椅子からすっくと立ち上がった。
ハーリオン家分家の老執事は、三人に温かいココアを出した。
「美味しい!甘い飲み物はいいね」
セドリックはココアを一口飲み、キラキラした笑顔を向け、執事は何も言わずに頷いた。
「しかし、私達のような一介の商人が、ご領主様のお邸に入れていただけるなど……思いもいたしませんでした。ご領主様はお心の広い方なのですね」
にっこり。もてなされ具合も微妙だったが、セドリックはおだてて礼を述べた。
三人が領主の邸であるハーリオン家の分家――ハロルドの生家――に来ることになったのには理由がある。第一に、エスティアの町には宿泊できそうな宿屋がなかった。訪れる旅人も少ないこの地では、旅館業は経営が成り立たないのだろう。食堂を兼ねており、酔っ払いがうろついている場所に、王太子と貴族令嬢二人で入っていくのは躊躇われた。ハーリオン一家が立ち寄った際も、分家の邸に宿泊していたから、アリッサもエミリーも乗客が泊まれる宿屋がないことを知らなかった。
「あのような場所に魔法で飛ばされるなど、災難だとしか思えませんなあ」
執事は三人を裕福な平民だと思っている。うち二人が主家の令嬢で、もう一人がこの国の王太子だなどとは、露程も思っていないようだ。アリッサとエミリーは、一度だけ会ったことがあるらしい老執事の顔に覚えがなかった。ハロルドと面識があったことさえ忘れていたのだから当然である。
「魔法事故って怖いものですわね」
アリッサが眉を八の字にして同情を引こうとする。
「まったくです。この町には強い魔導士がおりませんのでね、皆魔法に慣れておらず……」
町の人には、魔法事故で転移魔法陣が作動して、爆風諸共飛ばされてきたと説明しているが、実際は全てエミリーの作戦である。領主の邸に案内されたことを除いては。
雪山の道で途方に暮れた三人は、エミリーの指示で狼煙を上げた。アリッサが土魔法で木の葉を茂らせ、セドリックが光魔法で照らし、エミリーが風魔法で上空に舞い上げ、火魔法で燃やした。山の中腹に光と火のようなものが見え、何事かと確認に来た人々に助けを求めたのだ。魔法の発動後、とうとうエミリーは力尽きて倒れた。倒れる瞬間に自分の意志でセドリックの背中に凭れ、そのまま背負われてきた。マシューのかけた魔法のことも、エミリー自身が魔法の上級者であることも、町の人には秘密だ。魔法が使えると知られては、今後の調査がやりにくいばかりか、仕事を頼まれて魔力を失い、いざという時にセドリックを守れなくなる。セドリックはエミリーを部屋まで運び、他の誰にも触れさせないように、自分の妻だと周囲に告げた。
「何分田舎ですもので、ご気分が優れないエマさんを治療する治癒魔導士もおりません。お力になれず申し訳ございません」
「いえ、お気遣いなく。泊めていただけるだけでありがたく思っております」
セドリックが礼を言うと、老執事は一言言って部屋から出て行った。
三人の関係は、新婚夫婦と妻の付き人だと言ってある。セドリックがエミリーを背負ったため、地味なドレスを着たエミリーを新妻と勘違いしたので、エミリーより華やかな服装のアリッサはエミリーの親戚筋の未亡人だという設定になった。町の人は若い美人の未亡人が来たと盛んと噂していた。他に珍しいことがないからに違いない。
「まともな宿屋がないなんて……宿泊先がうちの分家なんて……はあ」
青白い顔で長椅子に横になり、魔力を回復させようとしているエミリーは、そわそわしているアリッサに目くばせした。
「心配しないで、エミリーちゃん。変装がバレないわ。王太子様のお顔を見たことがない人ばかりだもん。私達も髪と目の色が違うから」
「正体に気づかれないうちに、さっさと調べてしまいたいわ。私がこんなことにならなかったら、皆に話を聞いて回れるのに……」
「ここに来るまで、特に不審な点はなかったよね。君達が知っているエスティアと比べて、何かおかしいところはない?」
セドリックは荷物の中からエスティアの報告書をまとめたノートを出し、アリッサに手渡した。
「多分……、ないと思います」
「父上の話だと、この町のどこかにピオリの群生地があるらしい。自然に生えているものなのか、人の手で増やされたものなのか。僕はそこが肝心だと思っているよ」
「報告書では、この町の農産物の産出量は横ばいですね。種類別の内訳でも、ピオリが含まれる『花』の項目で、取引量が増えてはいません」
「種でも、『花』に含まれるのかな」
「注釈を見ると、苗でも種でも『花』に入れるみたいです。ピオリは苗木で植えればその年からでも花をつけると言われていて、種でも苗木でも取引すれば必ずここに載ってくると思うんです」
「……載せてないだけでしょ」
「報告に書かないなんてことがあるかな?ハーリオン侯爵はしっかりした方だよ」
「うっかりだなんて言ってないわ。お父様が知らないところで、ピオリが増えて売られていたなら、報告には出てこないかも」
「エミリーちゃんは、お父様が知らないところでピオリが植えられたって思ってるの?」
「……あるいは、その場所がうちの領内じゃないとか?騎士団が見間違ったか」
「見渡す限り山だったからね。領地の境界が曖昧な可能性もあるな。エミリーが言うように、騎士団が事実誤認しているかもしれない。……よし、アリッサ」
「はいっ」
アリッサは緊張して返事をした。
「町の人に聞いて回ろう。ピオリの生えている場所について」
報告ノートをリュックサックに入れて、セドリックは椅子からすっくと立ち上がった。
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