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学院編 12 悪役令嬢は時空を超える 

367 王太子の悪夢

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【セドリック視点】

僕の意識が「自分のもの」になったのは、突然だった。
目の前で醜く微笑むピンク色の髪の女が、僕の心が未だに自分のものだと勘違いし、思うままに僕を操ろうとしている。
「ねーえ?セドリック様ぁ、私、アスタシフォンの秘宝が欲しいの」
アスタシフォンの秘宝とは、王の冠にはめられている色を変える宝石のことだ。王冠を奪えと言うのか。大胆に出たものだ。

ああ、これは夢だ。
アイリーンは王宮に出入りできる貴族と通じていると分かって、僕は酷く不安になっていたから……。
いや、本当に夢なのだろうか。
夢にしては、様々な事柄がやけに現実味を帯びている。玉座の冷たさも、マントの重さも、僕の手に触れたアイリーンの指先も。

「そうか……」
「え?」
すっくと立ち上がり、膝にしなだれかかる女を引き剥がして転がす。
夢だとしても、こんなのは我慢がならない。
僕はアイリーンを妃にしたのか?絶対に嫌だ。
「ちょっと!何すんのよ!」
「衛兵!この女を捕らえよ!地下牢に籠めておけ!」
僕の指示に従う兵士は二名だけだ。残りの者はこの女――アイリーンの息がかかっており、突然の事態に動けないでいる。かと言って、僕やまともな衛兵を止める素振りもない。
「あんた達、何ボーッとしてんのよ!私を助けなさいよっ」
助けろと言われても彼らは動かない。――僕の勝ちだ。

悪魔の呪縛から逃れてすぐ、僕は王宮内を走った。
宮廷魔導士達にアイリーンを見張らせ、魔力は封じたが、事態は好転していない。信頼できる側近の姿はなく、両親である王と王妃は離宮に幽閉されていると聞いた。
――何てことだ!
王宮は完全にアイリーンに支配されていたのだ。
「殿下……正気に戻られたのですね!」
侍従長が滝のような涙を流して僕の脚に縋った。
「もう大丈夫だ。皆、心配をかけてすまなかったね」
「いえ、私共は……それより、一刻も早く妃殿下を」
――妃殿下?
「あの女の口車に乗せられ、殿下はマリナ様が不義密通をしたと仰せになり……」
「マリナ!彼女はどこに!?」
「遠方の城へ送られました。ノーグランテ城と聞いております。事実上の追放と言ってもいいなさりようで」
「ノーグランテ……あそこは確か……」
聞き覚えのある地名に背筋が凍る。
「はい。二百年前に反乱を起こした貴族の居城でした。領地も王家直轄領ではありますが、お城に幽霊が出ると噂になり、この二百年、一度も使われておりませんでした」
「供の者は?」
「殿下は誰も行かぬようにと……」
酷い!
操られていた間の僕は、何て人でなしなんだ。
「侯爵家の侍女と従僕がついていったようです。崩れかけた城に三人だけ、人手が足りないのは目に見えております」
「……っ、迎えに行く。すぐに支度を!」

侍従長が頭を下げた瞬間、ドアが音を立てて外れた。
「殿下!」
赤い髪に金の瞳の精悍な顔つきの男が飛び込んできた。少し大人びているが間違いなくアレックスだ。王宮内を走って来たのか、髪も服装も乱れている。
「アレックス、どうし……」
「マリナが危ない!」
――!!
「王家直轄領に駐在している騎士が、近くの町の魔法伝令所から、王宮内の騎士団の詰所に贈って寄越したんです。これを!」
ぐしゃぐしゃになった紙を持ち、拳を僕の胸に向けて突き出した。奪うようにして紙に目を走らせた。僕に不貞を疑われ、過酷な環境に置かれた身重のマリナが早産し、子供が亡くなったとの知らせだった。
「……ああっ……」
膝から崩れ落ちそうになった僕を支え、アレックスははっきりと言った。
「宮廷魔導士に魔法で送ってもらいましょう。治癒魔法が使える魔導士を連れて行って、マリナだけでも……」
「そうだね。頼む……」

突然風景が変わった。
僕は薄暗い古城の廊下を走っていた。
「こちらでございます!」
先導するのはおそらくマリナが連れて行った従僕だろう。侯爵家の使用人とは思えない粗末な身なりだ。ハーリオン侯爵家は没落してしまっているのだろうか。
「マリナ!」
従僕の案内で蝋燭が二本だけ灯された部屋に入る。中ではお付きの侍女と町から呼ばれた産婆が慌ただしく動き回っていた。室内には血の臭いがし、従僕は廊下からこちらを見ている。燭台を持ちベッドに近づくと、部屋に悲鳴がこだました。
「い、嫌ぁああ、来ないで……お願い、……来ないで!」
「お嬢様、お気を確かに!」
侍女が駆け寄り宥めるも、マリナは何度も銀の髪を揺らして頭を振っている。
「マリナ、僕は正気に戻ったんだ。君を連れ戻しに……」
「い……やぁあああ!」
「お嬢様!」
絶叫したマリナはガクンと後ろに倒れた。薄い枕が痩せた身体を受け止める。
「……気絶、したのか?」
「はい。殿下のことをお話しすると、いつもこのようになられます」
「僕の……」
「お子様は、別室で乳母が見ていることにしております。真実をお知りになったら、マリナ様は今度こそ壊れておしまいになります」
意識を失ったマリナの頬に涙が伝った。顔色は青白く、息をしているか確かめないと不安になるほどだ。
――こんなの、夢でも見たくないよ!
「ごめん……マリナ。謝っても許してくれとは言わないから……ああ、あああああああ!」
僕はその場に頽れて狂ったように泣いた。

   ◆◆◆

「……下、殿下!」
「ん……」
薄目を開けると、見慣れた天蓋が見える。
――僕の部屋だ。
「あれ……」
「うなされておいでのようでしたので……」
若い侍従が申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、いいよ。助かったよ、ありがとう」
「悪夢をご覧になられたのですね」
「うん。酷い……とんでもなく最悪の悪夢だったよ。よりにもよって僕がマリナを追い詰めるなんて」
「マリナ様を……道理で、何度もお名前を叫ばれていらっしゃいました」
所謂寝言を聞かれていたのだ。侍従相手だとはいえ、僕は恥ずかしくて毛布を被った。
「殿下はマリナ様にお会いになりたいのでは?王立学院に入学なさる前は、三日と空けずにお招きしていたそうですね」
「会いたいかって?会いたいに決まっているさ」
昼間に王都中央劇場の一室で遠くから姿を見た。もっと近くで、会って話したい。

侍従は少し黙って、ふと思い出したように口を開いた。
「私が人から聞いた話ですが、王宮の倉庫には、遠くにいる人の様子を見られる鏡があるそうです。本当にそんなものがあるのか分かりませんが」
「初めて聞いたよ」
「あまり広まっていない話ですから。普通は魔導士が魔法で捜索しますので、必要ないと思われて倉庫にしまわれてしまったのでしょうね」
「そうか……ありがとう。時間がある時に探してみるよ」

   ◆◆◆

時間がある時、なんて格好をつけてみたが、僕はその夜、早速王宮の倉庫に忍び込んだ。倉庫にある物は王家の物、今は父上の物でいずれ僕の物になるのだから、堂々と入っても良さそうなものだけれど。
王宮の倉庫と言っても、数が多くてどこに何があるのか分からない。どこかに目録があるはずだと思い、先に書庫へ行ってみた。途中、何やら慌ただしく兵士や文官が走り回っていたけれど、僕は彼らに尋ねることもなく廊下を進んだ。
王宮の書庫は魔法仕掛けになっている。王立学院の資料室と似ていて、調べたいことを念じながら輝石に手をかざすと、関係すると思われる書物が棚から下りてくる。高いところの本が簡単に取れるのはありがたい。
「鏡、探す、人」
大量の本が棚から抜き出て浮かんだ。
――多すぎる!一体何冊あるんだ!?
「い、今のなしっ!検索無効!」
輝石の光が消え、本が元の場所に戻っていく。探すのは骨が折れそうだ。
「……王宮、鏡、魔法」
十冊程度の本がゆっくりと傍らの机に下りて重なった。これくらいなら目を通しても時間はかからないだろう。一冊を手に取り、表紙にそっと触れる。
「……えっ……」
まるで僕に開かれるのを待っていたかのように、古ぼけた本がぱらぱらとページを開いた。
「文字が、光っている……?」
王立学院の資料室でレイモンドが言っていた。本に魔法がかかっていると、読む人によって違う内容を見せるのだと。文字にそっと指を這わせると、それらは黄緑色の光を帯びて空中に浮かび、瞬時に霧散した。指を乗せた場所には、先ほどと別の内容が書かれている。
「鏡の在処を教えないための魔法かな?何故、僕には……ああ、そうか」
王宮の宝物は王のものだ。僕は王位継承権第一位で、十年もしないうちに父上が引退すれば王になる。本は僕の血統に反応したのだ。

本には、探し人を映し出す鏡の存在が書かれていた。王宮の中でも、重要な魔導具が眠る倉庫にあるとある。僕は書庫から飛び出して倉庫へと急いだ。王宮内のあらゆる部屋の位置は頭に入っている。目指す倉庫へあと少しとなったところで、僕ははっと気づいた。
――この部屋は、確か……。
数年前に魔法事故があった部屋だ。あの時は、魔法科のコーノック先生とエミリーが、王を害しようとしたと疑われた。魔力が強い二人が巻き込まれるくらいなのだから、きっと強力な魔導具がある。間違いない。
倉庫の中を光魔法で照らした。鏡と言っても、手鏡なのか姿見なのか。本にははっきりと書かれていなかった。それだけ秘密にされているのだろう。グランディアでは魔導士が転移魔法や遠見魔法で探せるのに、代用品としての鏡は魔法を持たない人々には魅力的なのだ。とりあえず、平らな形の箱や壁に立てかけてある板状のものを確認していく。
「……首飾りか。違うな。……こっちは絵だ。……鏡、鏡……」
ぶつぶつと呟いていると、部屋の片隅で何かが光った。僕の粗末な光魔法では照らしていない場所が。
「そこか!」
駆け寄るとそこには、厚手の布で覆われた板状のものが壁に立てかけてあった。台座があったようだが既に朽ちて、重さを支えきれずに鏡の縁が床についてしまっている。それとも、先生とエミリーの魔法事故の際に衝撃で壊れたのだろうか。
「魔法事故か……」
ふと、二人のことに思いを巡らせた。二人はあの頃から信頼し合っていたのだろう。マシュー先生はエミリーを庇い、エミリーはマシュー先生を助けに行ったと聞いている。その頃の僕は、まだマリナに一方的に気持ちを押しつけるだけで、信頼し合っていたとは言えない。羨ましい気持ちになった。
「マリナ……会いたいな。……あんな魔法なんかなければ、思う存分マリナに触れられるのに……はあ……」
がっくりと肩を落としながら、鏡にかけられた布を外した。鏡にはさぞかししょぼくれた顔が映っているのだろうと思い視線を上げ、僕は驚きのあまり言葉を失った。
「……!」
鏡に映っていたのは、アメジストの瞳を零れ落ちそうなほど見開いて、同じように驚いているマリナだった。彼女は鏡の向こうで手のひらをこちらに当てた。何かの間違いだろうと、そこに映る彼女の手のひらに自分の手を重ねた時、鏡が眩く発光して、僕はぎゅっと目を瞑った。
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