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柑橘あめ
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故郷をたって幾日たっただろう。
内陸から南へ向かいずっと海を目指して飛び続けてきた。
山から吹き下ろす風にのると、景色はうっそうとした森から一面田園へとかわる。
トッと軽く降りた畑には実った冬野菜たちが畝に行儀よく並んでいる。ここら一帯には稲ワラがすきこんであるみたいで足元は空気を含んでふかふかだ。あまりにも気持ちよくて、その場で転がり回った。
言葉を喋る事ができたら「ひゃっほー」なんて声を上げていたに違いない。
実際に出てきたのは、きゅって高い音だけど。
僕の様子を降り立った時からチラチラと伺っている、雑草を引いていた女性が、表情もわからない遠くから声をかけてくる。
「夕になると獣がでるよ」
そろそろ家へ帰れと、そういう事らしい。白い息が立ち昇っている。
たっぷりとした布のワンピースに、頭から花柄の布を被って顎で結んでいるから大体の年齢しかわからない。半ば自分自身に語りかけるような声は低く柔らかかった。
きっとこの人は犬や猫に、もしかしたら虫になんかもこうやって愛想よく声をかけているんだろうな。
一人満足いくまで遊べていたから、時間は随分たっていたようだ。真っ白だったはずの体が土色に汚れたしチクチクする、広げた羽も何だか重い。
こんな時、僕は自分の事を子供だなって実感する。
前世の記憶は二十才まではあるんだけど、それは記憶というより、どこか他人の物語をのぞきみているようで、どうにも言葉では説明できない。自分であって自分ではない掴みどころのない感覚だ。
だから過去の僕が突然の病に臥せって吐き気と闘っている姿を思い出しても平静でいられる。
前世は人間。今世は違う世界の鳥。じゃあ来世は? なんて気楽に考えてる、それが僕だ。
女性の忠告に従い田園を飛び立ちまたのんびり流せば、建物がひしめく場所はすぐだった。
水だ水っ。
見つけた噴水に飛び込めば、先客である鳥たちは大げさなほど一斉に飛び立って、昼と夕の境界の空に鱗模様を作って逃げていき、僕はそれをただ見送った。
僕の体は大きくない。たぶんスズメと同じといったところだろう。確かに勢いこんで水を飛ばしたけれど、それに驚いたから出て行ってしまった訳ではない。
見た目は自分で言うのも何だけど、水鏡に映る自分は可愛らしい。
まん丸の白い体に、真っ直ぐ伸びる茶色の尾。瞳は真っ黒、口ばしも黒くてちょこんとしている。
でも鳥への受けは悪い。
僕と彼等とでは根本的に違う。
見た目は同じ鳥類でも、彼らは鳥。僕は魔を持つ獣。異端なものだと恐れを抱いて彼らは逃げ出したのだ。
小さな翼であり得ない高度を昇ってしまうのも、人の言葉がわかるのもそれだからだ。だから決して動物たちにとって僕は仲間ではないのだ。
いいんだよ。一人でいいんだ。だって水場が一人占めなんだから……
いつもの事だから仕方がないと一人ぶつくさ言いながら水浴びを続けた。本当は違う生き物もで隣り合う事くらいいいじゃないかとは思っているけれど。それはどうしようもない。
「見たことない子がいる」
すぐ近くから子供の声がしたけれど、僕は気にせず、すいーすいーと気が済むまで、噴水の真ん中にある像の周りを泳ぎ続けた。
僕的に水温は適温。快適、快適。
僕はじゃぶんと潜りさほど深さのない噴水の底に頭をトンと突いてから水面に顔を出す。うん、やっぱり他の生き物は水中にもいないみたいだ。魚や虫くらいなら僕を避ける事はないんだけどな……いないなんて残念だ。
「潜った」
「やっと顔を出した」
「丸い」
その子供の声は相変わらずうるさく、それは僕に訴えかけているように聞こえてくる。
うるさいなあ。都会の子はそんなに鳥が珍しいのか。
こっち見るなよ。
と少年の方に顔をひねると、その嬉しそうな顔とばっちり目が合った。
横に流した長すぎる前髪の隙間から見えるのは海の青。
それは濃く輝いているのに、金の髪は森の奥にある幹の樹皮のように乾燥して見える。僕のホワホワとは少し違って、スカスカで傷んでいる。
寒さで鼻の頭が赤くなっているのはともかくとして、美少年なのに勿体ない。それが第一印象。きちんと手入れをして顔を出せばと、誰もが思う所だろう。
こんなカサついた肌と髪となると貧しい家の子なのかと思いきや、お尻の隠れる丈のジャケットは濃く深い黒。ボタンを合わせていない隙間から見える上等そうな白シャツは艶があるものだった。ズボンの膝に当て布がついていないし、靴は見えないけどきっと革だろう。これは貴族の、本物の坊ちゃんで、そして思ったよりも大きい男の子だった。
バカみたいに騒ぐから変声期前の男の子だと思い込んでいたのに、もう中等学校を卒業したほどにみえる。
「小鳥さん、こっちにおいで」
『まあ、いいよ。イタズラしないなら』
水を蹴り近寄る僕に、立ったままだった彼も縁に座る。僕が逃げ出さないように用心してか、手が届きそうで届かないという絶妙な距離感を取っている。
そういえば、子供の話す言葉が今まで聞こえてきたものとは違う。という事はまた国境を越えて違う国に来たという事だ。
「言葉が通じるのかな? 君は賢いんだね」
『そうかな。それに気づいたきみの方が賢いよ』
「何か喋れる?」
『無理だよ。僕の言葉は誰にも通じないんだ』
「きゅきゅって、声もかわいいね」
そんな事、言われ慣れているけれど、正面から言い切られると照れる。
僕が人間だったらきっと耳までも染めているのがばれるだろう。鳥だからわからないだろうけど。
「私の名前はマイカ。君はどこから来たの?」
『北方。自分の事を私って言うなんて、やっぱり坊ちゃんなんだ』
「名前教えて」
『名前はない。前世の名前も思い出せないし』
「よかったら泊まっていくか?」
『この国の人間の家? それって楽しそう』
マイカの問いかけに僕が応える、そんな一方通行な会話はしばらく続いた。
子供は元気で我儘で気まぐれで、僕を掴もうとするし、酷い奴だと石なんかを投げつける。実際にそれが当たる事なんてあり得ないけど、とにかく煩わしい。
ヒヨコとか呼ばれる事もあるけれど、ヒヨコが空飛ぶかよって突っ込みを入れてる。
僕が人間の、しかも物知らずな子供とこうして交流する事は普段ならない。でもこのマイカとは目が合った時から、安心感があった。波長が合うきがした。
しかも途中でマイカがポケットから取り出し手にしていた袋に、目が釘付けになってしまったんだ。
鼻につく甘ったるい匂いが虹色をまとって僕の鼻を狙うように漂ってきたからだ。
「これ? これはね少しでも何か口に入れろって、無理矢理ヒューゴに持たされているんだ。これが君に合ったものかわからないから、一つだけ」
僕の狙いを正確にとらえた少年は、急に大人ぶった口調で袋から菓子を取り出す。
まん丸で筋が幾つも入っていて、半透明の中心だけが橙色に染まっている。食べたことがないがわかる、これは飴だ。
そこらを歩いている子供が頬をぱんぱんに膨らませ、口の中でもごもごしながらしゃぶっているのを見たのは何度もある。間近で見るそれは前世の記憶にある物よりかなり大きい。
水から出て、噴水の縁にぽつんと置かれた飴をくちばしで砕き口内に入れた。
甘い……
塊りはあっという間に食道を下り、残る柑橘の香りは鼻を抜けて、幸せな余韻を残す。中心にあったのは完熟ジャムに違いない。
砕けた残りを次々と口に入れる。
何だよこれ。
もっと、もっと欲しいよ。
前世では甘い物が苦手だった。お菓子だけじゃなくて、甘く炊いてある煮物とかも駄目だったはずだ。今こうして糖分の塊りに喜びを感じている自分が不思議。
それがどうして、ってやっぱり器が違うからか?
感動した僕は距離を縮めるべくマイカの横までテトテト歩き、飴の入った袋を翼で示す。これで僕の気持が伝わっているはずなのに、いけずなマイカは何か考えるような顔つきで僕を見下ろすだけだ。
ヒューゴとやらに飴を持たされているのなら、やはりこの子は少年なんだろう。
でも、と僕は首をひねる。
落ち着いた所作、大人のような服装、体に対してバランスの悪い手はやたら大きい。
何だか僕の知る子供とは違う気がして、チグハグな印象だ。
「ねえ、雪玉の妖精さん。またここに来てくれる? 来てくれるなら、次はもっと美味しい物を用意して待ってるよ」
本当に? だったらいいよ、もちろん来る。
僕が短い首を頑張って縦に振ると、マイカはぎょっとした後そっと微笑んだ。
本当に僕に言葉が通じる事に今さらながら驚いたようだ。
取りあえず持っている物はくれるのか? くれるの?
大胆にもその膝に乗り見上げ首をかしげる。
マイカが僕の体に触れようと思ったのか、そうっと、僕にも心の準備ができるだけの時間をかけながら、頭の方に手を下ろしてくる。
「殿下! マイカ様! 予定の時刻に間に合わなくなります。お戻りを」
どこからか、ぬおっと届いた硬い声に、マイカはただ困った顔を僕に向ける。
ごめんねと身体を下からすくい、名残惜しそうに元の場所へ戻す。場所は頭とは違ってお腹ではあったけれど、マイカからの僕への第一接触は一瞬で、躊躇いもなく果たされた。
彼がよいしょと腰を上げたせいで、僕たちの距離はまた遠くなった。
「この男がヒューゴだよ」
マイカは顎でその男性を示し、聞こえるか聞こえないかの囁き声。ああ、鳥と喋るなんて傍からみたら変だもんね。
ヒューゴさんは恐らく中肉中背の平均的な体つき。だけど顔つきも言葉も優しい感じ、いい人そうだ。二十代後半の働き盛りって感じ。
マイカが返事もしないし全然動く気配もなしで、一人ぷんすか怒っているけれど全然迫力がなくて、そこに人の良さが表れている。
ヒューゴさんのおかげで僕も飴にありつけました。ごちそうさまでした。
お礼を言いたいけれど、口をつくのはきゅきゅって音。頭を下げることも出来ないこの体……人間に対しても意思疎通するのは不自由だ。
「じゃあね、雪玉さん。また明日」
僕がうだうだしている間に、マイカは溜息をついたあと背を向け消えてしまった。
そんなに行くのが嫌なのか、それとも僕ともっと一緒にいたかった、とか……
結局、飴はもらえなかった。
よく見れば、目の前にある建物はとても立派だ。
広場ではなく、お城の敷地内なのかもしれない。
そうなると僕が飛んで来たここは、街中の広場じゃなくて、王城の庭園にある噴水となるし、殿下って呼ばれたマイカは、このお城の王子って事になる。なるほど上品なわけだ。
僕はそれを確かめるべく早速上へ上へと飛び立った。
凄いな……
平地にあるお城は堀がなく、城を囲む柵は幾つもの槍を立てたように鋭く空をつき、とびきり高さがある。
上空を飛べば、中心となる王城を囲むように庭があり、庭を囲むように建物があり、また庭がある。放射状で雪の結晶にも似ている事がわかった。お見事としか言いようがない。
それぞれの庭園には特色があり、生垣が軸となり迷路を作る緑豊かな物もあれば、色とりどりの花が花壇を隙間なく埋めている豪華な庭もある。僕の降り立った噴水庭園もその一つだ。
僕が生まれた森の近くには、傾斜の激しい山に建てられた小さな頂上城があった。
それは無骨なさびれた要塞といった感じだったけれど、この城は外敵など過去のどこにも存在しないといったような優雅さだ。
僕は貧しい国から、目指していた人の多い豊かな国へと渡って来たらしい。
内陸から南へ向かいずっと海を目指して飛び続けてきた。
山から吹き下ろす風にのると、景色はうっそうとした森から一面田園へとかわる。
トッと軽く降りた畑には実った冬野菜たちが畝に行儀よく並んでいる。ここら一帯には稲ワラがすきこんであるみたいで足元は空気を含んでふかふかだ。あまりにも気持ちよくて、その場で転がり回った。
言葉を喋る事ができたら「ひゃっほー」なんて声を上げていたに違いない。
実際に出てきたのは、きゅって高い音だけど。
僕の様子を降り立った時からチラチラと伺っている、雑草を引いていた女性が、表情もわからない遠くから声をかけてくる。
「夕になると獣がでるよ」
そろそろ家へ帰れと、そういう事らしい。白い息が立ち昇っている。
たっぷりとした布のワンピースに、頭から花柄の布を被って顎で結んでいるから大体の年齢しかわからない。半ば自分自身に語りかけるような声は低く柔らかかった。
きっとこの人は犬や猫に、もしかしたら虫になんかもこうやって愛想よく声をかけているんだろうな。
一人満足いくまで遊べていたから、時間は随分たっていたようだ。真っ白だったはずの体が土色に汚れたしチクチクする、広げた羽も何だか重い。
こんな時、僕は自分の事を子供だなって実感する。
前世の記憶は二十才まではあるんだけど、それは記憶というより、どこか他人の物語をのぞきみているようで、どうにも言葉では説明できない。自分であって自分ではない掴みどころのない感覚だ。
だから過去の僕が突然の病に臥せって吐き気と闘っている姿を思い出しても平静でいられる。
前世は人間。今世は違う世界の鳥。じゃあ来世は? なんて気楽に考えてる、それが僕だ。
女性の忠告に従い田園を飛び立ちまたのんびり流せば、建物がひしめく場所はすぐだった。
水だ水っ。
見つけた噴水に飛び込めば、先客である鳥たちは大げさなほど一斉に飛び立って、昼と夕の境界の空に鱗模様を作って逃げていき、僕はそれをただ見送った。
僕の体は大きくない。たぶんスズメと同じといったところだろう。確かに勢いこんで水を飛ばしたけれど、それに驚いたから出て行ってしまった訳ではない。
見た目は自分で言うのも何だけど、水鏡に映る自分は可愛らしい。
まん丸の白い体に、真っ直ぐ伸びる茶色の尾。瞳は真っ黒、口ばしも黒くてちょこんとしている。
でも鳥への受けは悪い。
僕と彼等とでは根本的に違う。
見た目は同じ鳥類でも、彼らは鳥。僕は魔を持つ獣。異端なものだと恐れを抱いて彼らは逃げ出したのだ。
小さな翼であり得ない高度を昇ってしまうのも、人の言葉がわかるのもそれだからだ。だから決して動物たちにとって僕は仲間ではないのだ。
いいんだよ。一人でいいんだ。だって水場が一人占めなんだから……
いつもの事だから仕方がないと一人ぶつくさ言いながら水浴びを続けた。本当は違う生き物もで隣り合う事くらいいいじゃないかとは思っているけれど。それはどうしようもない。
「見たことない子がいる」
すぐ近くから子供の声がしたけれど、僕は気にせず、すいーすいーと気が済むまで、噴水の真ん中にある像の周りを泳ぎ続けた。
僕的に水温は適温。快適、快適。
僕はじゃぶんと潜りさほど深さのない噴水の底に頭をトンと突いてから水面に顔を出す。うん、やっぱり他の生き物は水中にもいないみたいだ。魚や虫くらいなら僕を避ける事はないんだけどな……いないなんて残念だ。
「潜った」
「やっと顔を出した」
「丸い」
その子供の声は相変わらずうるさく、それは僕に訴えかけているように聞こえてくる。
うるさいなあ。都会の子はそんなに鳥が珍しいのか。
こっち見るなよ。
と少年の方に顔をひねると、その嬉しそうな顔とばっちり目が合った。
横に流した長すぎる前髪の隙間から見えるのは海の青。
それは濃く輝いているのに、金の髪は森の奥にある幹の樹皮のように乾燥して見える。僕のホワホワとは少し違って、スカスカで傷んでいる。
寒さで鼻の頭が赤くなっているのはともかくとして、美少年なのに勿体ない。それが第一印象。きちんと手入れをして顔を出せばと、誰もが思う所だろう。
こんなカサついた肌と髪となると貧しい家の子なのかと思いきや、お尻の隠れる丈のジャケットは濃く深い黒。ボタンを合わせていない隙間から見える上等そうな白シャツは艶があるものだった。ズボンの膝に当て布がついていないし、靴は見えないけどきっと革だろう。これは貴族の、本物の坊ちゃんで、そして思ったよりも大きい男の子だった。
バカみたいに騒ぐから変声期前の男の子だと思い込んでいたのに、もう中等学校を卒業したほどにみえる。
「小鳥さん、こっちにおいで」
『まあ、いいよ。イタズラしないなら』
水を蹴り近寄る僕に、立ったままだった彼も縁に座る。僕が逃げ出さないように用心してか、手が届きそうで届かないという絶妙な距離感を取っている。
そういえば、子供の話す言葉が今まで聞こえてきたものとは違う。という事はまた国境を越えて違う国に来たという事だ。
「言葉が通じるのかな? 君は賢いんだね」
『そうかな。それに気づいたきみの方が賢いよ』
「何か喋れる?」
『無理だよ。僕の言葉は誰にも通じないんだ』
「きゅきゅって、声もかわいいね」
そんな事、言われ慣れているけれど、正面から言い切られると照れる。
僕が人間だったらきっと耳までも染めているのがばれるだろう。鳥だからわからないだろうけど。
「私の名前はマイカ。君はどこから来たの?」
『北方。自分の事を私って言うなんて、やっぱり坊ちゃんなんだ』
「名前教えて」
『名前はない。前世の名前も思い出せないし』
「よかったら泊まっていくか?」
『この国の人間の家? それって楽しそう』
マイカの問いかけに僕が応える、そんな一方通行な会話はしばらく続いた。
子供は元気で我儘で気まぐれで、僕を掴もうとするし、酷い奴だと石なんかを投げつける。実際にそれが当たる事なんてあり得ないけど、とにかく煩わしい。
ヒヨコとか呼ばれる事もあるけれど、ヒヨコが空飛ぶかよって突っ込みを入れてる。
僕が人間の、しかも物知らずな子供とこうして交流する事は普段ならない。でもこのマイカとは目が合った時から、安心感があった。波長が合うきがした。
しかも途中でマイカがポケットから取り出し手にしていた袋に、目が釘付けになってしまったんだ。
鼻につく甘ったるい匂いが虹色をまとって僕の鼻を狙うように漂ってきたからだ。
「これ? これはね少しでも何か口に入れろって、無理矢理ヒューゴに持たされているんだ。これが君に合ったものかわからないから、一つだけ」
僕の狙いを正確にとらえた少年は、急に大人ぶった口調で袋から菓子を取り出す。
まん丸で筋が幾つも入っていて、半透明の中心だけが橙色に染まっている。食べたことがないがわかる、これは飴だ。
そこらを歩いている子供が頬をぱんぱんに膨らませ、口の中でもごもごしながらしゃぶっているのを見たのは何度もある。間近で見るそれは前世の記憶にある物よりかなり大きい。
水から出て、噴水の縁にぽつんと置かれた飴をくちばしで砕き口内に入れた。
甘い……
塊りはあっという間に食道を下り、残る柑橘の香りは鼻を抜けて、幸せな余韻を残す。中心にあったのは完熟ジャムに違いない。
砕けた残りを次々と口に入れる。
何だよこれ。
もっと、もっと欲しいよ。
前世では甘い物が苦手だった。お菓子だけじゃなくて、甘く炊いてある煮物とかも駄目だったはずだ。今こうして糖分の塊りに喜びを感じている自分が不思議。
それがどうして、ってやっぱり器が違うからか?
感動した僕は距離を縮めるべくマイカの横までテトテト歩き、飴の入った袋を翼で示す。これで僕の気持が伝わっているはずなのに、いけずなマイカは何か考えるような顔つきで僕を見下ろすだけだ。
ヒューゴとやらに飴を持たされているのなら、やはりこの子は少年なんだろう。
でも、と僕は首をひねる。
落ち着いた所作、大人のような服装、体に対してバランスの悪い手はやたら大きい。
何だか僕の知る子供とは違う気がして、チグハグな印象だ。
「ねえ、雪玉の妖精さん。またここに来てくれる? 来てくれるなら、次はもっと美味しい物を用意して待ってるよ」
本当に? だったらいいよ、もちろん来る。
僕が短い首を頑張って縦に振ると、マイカはぎょっとした後そっと微笑んだ。
本当に僕に言葉が通じる事に今さらながら驚いたようだ。
取りあえず持っている物はくれるのか? くれるの?
大胆にもその膝に乗り見上げ首をかしげる。
マイカが僕の体に触れようと思ったのか、そうっと、僕にも心の準備ができるだけの時間をかけながら、頭の方に手を下ろしてくる。
「殿下! マイカ様! 予定の時刻に間に合わなくなります。お戻りを」
どこからか、ぬおっと届いた硬い声に、マイカはただ困った顔を僕に向ける。
ごめんねと身体を下からすくい、名残惜しそうに元の場所へ戻す。場所は頭とは違ってお腹ではあったけれど、マイカからの僕への第一接触は一瞬で、躊躇いもなく果たされた。
彼がよいしょと腰を上げたせいで、僕たちの距離はまた遠くなった。
「この男がヒューゴだよ」
マイカは顎でその男性を示し、聞こえるか聞こえないかの囁き声。ああ、鳥と喋るなんて傍からみたら変だもんね。
ヒューゴさんは恐らく中肉中背の平均的な体つき。だけど顔つきも言葉も優しい感じ、いい人そうだ。二十代後半の働き盛りって感じ。
マイカが返事もしないし全然動く気配もなしで、一人ぷんすか怒っているけれど全然迫力がなくて、そこに人の良さが表れている。
ヒューゴさんのおかげで僕も飴にありつけました。ごちそうさまでした。
お礼を言いたいけれど、口をつくのはきゅきゅって音。頭を下げることも出来ないこの体……人間に対しても意思疎通するのは不自由だ。
「じゃあね、雪玉さん。また明日」
僕がうだうだしている間に、マイカは溜息をついたあと背を向け消えてしまった。
そんなに行くのが嫌なのか、それとも僕ともっと一緒にいたかった、とか……
結局、飴はもらえなかった。
よく見れば、目の前にある建物はとても立派だ。
広場ではなく、お城の敷地内なのかもしれない。
そうなると僕が飛んで来たここは、街中の広場じゃなくて、王城の庭園にある噴水となるし、殿下って呼ばれたマイカは、このお城の王子って事になる。なるほど上品なわけだ。
僕はそれを確かめるべく早速上へ上へと飛び立った。
凄いな……
平地にあるお城は堀がなく、城を囲む柵は幾つもの槍を立てたように鋭く空をつき、とびきり高さがある。
上空を飛べば、中心となる王城を囲むように庭があり、庭を囲むように建物があり、また庭がある。放射状で雪の結晶にも似ている事がわかった。お見事としか言いようがない。
それぞれの庭園には特色があり、生垣が軸となり迷路を作る緑豊かな物もあれば、色とりどりの花が花壇を隙間なく埋めている豪華な庭もある。僕の降り立った噴水庭園もその一つだ。
僕が生まれた森の近くには、傾斜の激しい山に建てられた小さな頂上城があった。
それは無骨なさびれた要塞といった感じだったけれど、この城は外敵など過去のどこにも存在しないといったような優雅さだ。
僕は貧しい国から、目指していた人の多い豊かな国へと渡って来たらしい。
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