こうもりのねがいごと

宇井

文字の大きさ
上 下
17 / 47

17

しおりを挟む
 盆にのせたカップを食卓に運び置くと、アスランが微笑む。少し距離と時間を置いたせいか瞳は穏やかだった。
 よかった。
 コウがほっとした瞬間、玄関扉を叩く音がした。

 コンコン

 それは誰かが目的を持ってノックした音で、決して何かが偶然に触れた音ではなかった。
 ここは風も吹かず、虫さえいない。そして入ることのできる人間を選ぶ地であり、今はアスランとコウの二人しかいないはず。だからコウはビクリと肩を揺らしてしまう。

 コンコン

 返事がないのかと、強めの二度目のノックがする。
 もしかして、またロミーがやってきたのだろうか。そうかもしれない。でもノックの主がロミーであれば、ノックとともに声を掛けてきそうなものだ。それに来るのは一か月先だと言っていたばかりだ。

 となると……誰。

 コウは恐ろしさにジリジリとアスランのそばへとにじり寄っていた。

「アスラン様。どなたかが、いらしたのでしょうか……もしかしてロミー様でしょうか」
「ロミ―ではない。恐らく……これは、精霊だ」
「精霊、様ですか」

 精霊というのは、自然界にやどっている神に近い存在だと漠然と思っている。それは物語にあるだけで実在しないと思っていたのだが……

「おい、いつまで客を無視するのじゃ、入るぞ」

 それは随分しわがれた低い声をしていた。
 許可の返事を必要としないのか、扉がギィと音を立てて勝手に内側へひらく。
 精霊とは何なのか、どんな姿をしているのか。人間に近い容姿なのか……凶暴なのか、それとも温厚なのか……
 アスランの様子からするに怯える必要はないのだろうが、コウはそこに何が現れるのかと、思わず両手を握り合わせていた。

 よくわからないけど、精霊様がやってきた……

 扉の向こうの景色が見える。外は小屋の中より明るく、眩しい光が一瞬でさす。しかしそれはまたバタリと閉じられ、室内はしんと静まった。
 誰かが入ってきた、それなのにコウの視界には誰もいない。

「あっと……精霊様は、お姿がないのでしょうか……透明なのでしょうか……」

 扉は開き、閉まった。しかし精霊とされる者の姿はそこにも、どこにもない。どこにも。どこにも。
 
「やれやれ、二人もいるのであれば返事くらいすればいいものを……無精しおってからに……」

 精霊は二人の態度を嘆くが、声音からして怒ってはいないようだ。

「返事をしなくても出迎えなくても、勝手に入ってくるだろう。ガマは」
「客人をいつまでも外で待たせておる方が悪いのじゃろう」

 アスランが椅子の背もたれに上半身を預け、横柄に言う。精霊はそれに怒らずこちらにやってくる。

 コツリ、コツリ。

 その足音が床を鳴らして近付いてくるのだ。
 見えない、けれど音は確実にこちらに来ている。
 コウは恐ろしくなって、それでも精霊様に失礼にならないよう、みっともない声を出さないようにぐっと唇を結んでいた。

「コウ、大丈夫だ。ガマは透明人間ではない。少々不気味なだけだ」

 怯えるコウにアスランが下を見ろと合図する。うんと頷きアスランの言う方をみる。

「……ひっ」

 そこには、両方の手の平ではおさまらない寸法の亀が、食卓の脚を扇のように平べったい手足を使い器用に昇っている最中だった。

 うんしょ、うんしょ。

 そんな風に言っているように一歩一歩進んでいる。
 この亀が精霊であり、アスランの言うガマなのだろうか。

 でもガマってなに?

 そんな疑問も目の前の光景に消える。
 コウは外の自然の中でいろいろな物を見ていた。しかし柱を昇る亀を見るのは初めてだ。
 コウは自分の目が信じられず、何度も瞬きをする。しかし何度見ても亀はいるし、それ以外の生物はいない。そして声と音の発信源はやっぱり亀からだった。
 亀は疲れたのだろうか、柱の途中で小休止する。

「龍よ、今日はガマではないのだ。今日のわしは愛らしい亀なのだ」
「どちらでもいいですが、あんたは小さく不便な者にばかりなりますね。それは趣味ですか?」
「わしは水辺で生きる者なのだ。それに近い方が何かと具合がいい。となるとやはり蛙か亀が愛いと思っての。地上では違うのか」
「まあ、ガマよりは亀の方がましでしょう」
「さよか」

 アスランと精霊である亀が会話をしている。
 会話からわかる通り、やはりこの亀が精霊なのだ。
 
「コウ、精霊は本来の姿をやすやすと他人に見せないものらしい。よって亀のこれは仮の姿。寂しさのあまり時間をかけてこの家までやってくるのだろう。来るのはこれで二度目だ。転移でもできれば便利なのだが、精霊とは言っても万能ではないと言うことだな」
「なるほど、仮の姿……そうなんですね」

 コウは目をパチパチさせるだけで、それ以上のことは言えなかった。それでもやっぱり、失礼だとわかりながらも、一生懸命に上を目指す亀に釘付けになってしまう。じいっと見つめてしまう。

 亀はようやっと天板に辿り着き、一息ついている。やはり疲れたらしい。
 途中で一度足を滑らせてコウを冷やひやさせたが、手を貸せとも言わずに見事昇り切った。到達した満足感もあるのだろう。
 誰も褒めてはくれないが、胸をはり少し誇らしげにしている。かなり人間くさくて今は汗の浮かぶ顔に手をヒラヒラとして風を送っている。

「改めて自己紹介だ。わしはこの地に生まれたもの。お前たちの世界では精霊と呼ぶらしい。よろしくな」
「はい。僕はコウ・エルです。蝙蝠です。縁があってアスラン様のおそばにいることになりました。どうぞよろしくお願いします」
「ふむふむ、そうかそうか。コウとやら、早速だが聞いてくれ。この龍はな、失礼なことにわしの誘いを断ったのだぞ。龍がこの地へやってくるのは久方ぶりのこと、それはそれは楽しみにガマの姿でぴょんと跳ねてやってきてやったと言うのに、こいつは話の途中でわしを窓から放り出したのだ」
「体に草をくっつけた喋るガマガエルがやってきたら、それは捨てるだろう。疫病でも持っていたらどうする」
「疫病だと、お前は本当に失礼だな! この男、無視の次にはわしの言うことに耳もかさず指でつまんで勢いよく放り投げたのだ。こうぶーんと、躊躇いなくぶーんとだぞ。この尊い命を何だと思っておる。まったく最近の龍はなっておらん」

 精霊の亀様の顔色は変わらないが、ぷりぷりと怒っているのは伝わる。興奮して甲羅の底を食卓にガンガン打ち付けるのだ。
 しかしアスランは興味がないと知らんぷりして、一度しか目を合わせていない。視線はまっすぐで亀を通り越した向こうを見ている。

「でっぷりして脂の粒の浮いたガマが気色の悪いことを言うからだ。あの時のことを思い出させるなっ」
「何が気色悪いだと、罰当たりな! 本来のわしはコウより清らかで色白な美少年であるぞ。それがお前に抱かれてやると言うておるのだ。何もガマの姿で交わろうとは言うておらん。相手は地上にはない美少年じゃ、そこは素直に感謝してありがたく抱けばいいのだ」
「感謝なんぞするか。二度と顔を出すなと言っただのに、それを性懲りもなく」

 アスランはおぞましいと言いたげに口を歪める。コウと言えば二人の応酬を眺めているだけだ。
 精霊の亀様はやはり男性であるらしいが、しゃがれ声の亀が美少年であるとは想像しにくい。

「お前はここにやってきた三代目とはそっくりな顔立ちだが、中身は大違いだ。あいつは、それはそれは優しく具合が良かったものだ。奥の奥にまで先が届いてな、それでいて疲れ知らずの絶倫。精霊であるこのわしが泣いて許しを請うても、突いてついて離してはもらえなんだ。あいつがいる間は、ここの泉でよく交わったものよ、懐かしいのお。腹の奥がずんずんする」

 さすがに性に疎いコウも亀様の言っていることがわかり頬を染める。自分とアスランも泉で同じように愛を確かめあったばかりだ。
 亀は遥か昔を追うように遠い目をしていて、口が薄く開いている
 
「あの……亀様……すみません、よだれが出ています……」
「ん……昔を思い出してつい飛んでしまったわ……コウは気が利くな。いい子じゃ」

 コウはさっと布巾を差し出すのだが亀は首をのばすだけなので、その口元を押さえるように拭っておいた。

 三代目の龍とズコバコ。
 アスランは知りたくもない先祖と亀との情交を聞かされ苦い顔をしている。
 亀は器用に口元を拭って、アスランではなくコウに話しかける。

「この龍はもうコウしか目にないようじゃのう。あわよくばと誘いに来たのだがやはり無理のようだ。してコウよ。もうこの龍とは既に交わったのか?」
「えっと……」

 交わったと言えば交わった気がする。しかし、アスランの言う先にはまだ進んでいない。

「わかったわかった。お前たちの声はうっすら聞こえてきたが、合体はまだったか。コウよ、龍との交尾は楽しいぞ。何しろ龍のあれは長く固い。根本の鱗も周りを刺激してくる。普通では届かない所にいい具合に届いてかき混ぜてくるから、天井知らずの昇天、まさにイキ地獄」
「生き地獄? 求め合って交わるのが地獄、なのですか?」

 地獄とは穏やかでないと思うのだが、亀様はまたもうっとりしているように見える。
 地獄? 昇天して地獄?
 やっぱりコウには亀様の言うことが理解できない。

「子どもにはわからぬだろう。それは天国と地獄が背中合わせにあっての、それを交互に味わうことになる。いや……やっぱりあれは天国じゃろうか……まあコウも近く行く道に違いなかろう……龍とわしは互いに水を源とするから、特別相性もよかったのかもしれん」
「ガマ、純粋なコウを毒すのは、そろそろ止めてもらいましょう。コウには私がすべて教えるつもりですので、余計な知恵は入れないでいただきたい」

 ひいっ。
 コウの方が声を上げそうになるほど、アスランの声は低く冷たく、まるでズリズリと地を這うようだ。しかし亀の方はどこ吹く風だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜

7ズ
BL
 異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。  攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。  そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。  しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。  彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。  どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。  ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。  異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。  果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──? ーーーーーーーーーーーー 狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛  

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

雪狐 氷の王子は番の黒豹騎士に溺愛される

Noah
BL
【祝・書籍化!!!】令和3年5月11日(木) 読者の皆様のおかげです。ありがとうございます!! 黒猫を庇って派手に死んだら、白いふわもこに転生していた。 死を望むほど過酷な奴隷からスタートの異世界生活。 闇オークションで競り落とされてから獣人の国の王族の養子に。 そこから都合良く幸せになれるはずも無く、様々な問題がショタ(のちに美青年)に降り注ぐ。 BLよりもファンタジー色の方が濃くなってしまいましたが、最後に何とかBLできました(?)… 連載は令和2年12月13日(日)に完結致しました。 拙い部分の目立つ作品ですが、楽しんで頂けたなら幸いです。 Noah

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

処理中です...