子豚の魔法が解けるまで

宇井

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34 愛しているから

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 早足で走ってくれたんだと思う。
  しゃべったら口を噛みそうなほど揺られながら、俺たちはいつの間にか田園豊かな隣りの町へ入っていた。
  しばらくポツポツと点在する家を通り過ぎていると、同じ進行方向を向き止まっている馬車を遠くに発見した。
  こっちより劣っているごく普通の馬車に見える。
  目がいい俺にはわかった。その脇にはジェイクとベニーの姿がはっきり見えた。ベニーは何かごねていて、困ったジェイクがその機嫌をとっているように見える。
  ふたりともいつもと変わらない格好で、そんな事が嬉しくなってしまう。
  本当はふたりとも、こんな所でこんな格好してちゃいけない人間なのに。
  馬車がスピードをゆるめ接近すると、二つの影がこちらを向く。そして大きな方は驚きに目を見開くのがわかった。
  トモエ。
  口はそう動いたはずだ。
  ベニー、ジェイク……!
  言葉にしたいのに、空まわるばかりで現実の発声にはならない。パクパク、そう口だけが動いているだけだ。
  少しずつ近付いているのに、もどかしくてしょうがない。乗り出して落ちそうになってしまう所をレーンが腰を掴んでギリギリセーフで助かった。
  それにひやっとするより、開けたままの目が痛んでヒリヒリしてきた。
  俺を掴むレーンは冷や汗をかいただろうけど、俺はそんなことに構っていられない。
  ベニーがジェイクの手をとり、こちらへ向かってくる。
  そんなに走ったら転ぶ。

 「ベニー、止まれ!」

  叫んだけどきっと聞こえなかっただろう。だけどジェイクがベニーを抱え、暴れる子からのパンチを受けて、また地面に降ろした。
  二人は歩みを止めてしまったけれど、こっちがどんどん近付く。
  そうしてようやく馬が停車した時には、ジェイクの差し伸べる腕に飛び込み、勢いのまま一緒に地面へと転がった。
  ぐるんと大きく回って、俺の世界が横に流れる。
  何も言わずにジェイクと抱き合って、片手にベニーの手を握った。

 「ベニー!」
 「ともともっ」

  ベニーはこれが別れだとわかっていたのだろうか。俺にも増して泣きが入っている気がした。

 「ジェイク」
 「トモエ……」

  二つの温もりに凍っていた涙がこぼれた。そこからは決壊して制御不能。脳もわけわかんなくなってる。

 「お、おれ……好きなんだ。一緒にいたいんだ……それだけなんだ……」
 「トモエ、ごめんな。卑怯な真似だとわかっていたが、お前の顔を見ては決心が鈍って、逃げた。そうする事で恨んでくれるなら、それが一番だと思った」
 「いいよ。わかるし、いいよ……いいんだ。俺……ジェイクの気持ちわかるもん。捨てられたって、俺がそう思いこむのがよかったんだろ……ジェイクは、自分を恨んで欲しかったんだろ」

  合間にえづきながら、本当に聞き取れているのか怪しい声で懸命に喋った。

 「いいんだ、逃げたの、俺のことを、それだけ好きでいてくれたからでしょ。でも、ずっと、一緒……だと……おれ、おれっ……使用人で、いい、から。だからレーンに頼んで、それで……レーンのせいじゃなくて、俺が、無理矢理たのんで、で……」
 「ごめん、ごめん、トモエ。ごめん」

  ジェイクはもう謝罪しか口にしない。

 「頑張って……はたらく……けじめの線を引かなきゃなら、会っても、声、かけない。敬語も使える。俺、使える。近くにいられればいい、だから……」
 「トモエを連れて行くことはできない」

  切り離すように、縋る隙もないようにジェイクは突き放す。

 「なんでっ……どうして……なんで、そんな……こと言うの、冷たいのっ」

  うわーっと俺は絶叫した。
  救いを求めるように天を向いて。
  自分の鼓膜がビリビリする位、このまま咽が潰れて声が出なくなってもいいって位に、泣いた。
  この温もりを失うのが、初めて怖いと思った。
  ジェイクの声が聞こえなくなるくらいに、耳が傷つけばいいと思った。
  これだけうるさい俺を、だけどジェイクは離さない。

 「トモエ、自分の場所を見つけて幸せになれ」
 「おれ、が、幸せになれるのは……ここ、でしょ」
 「ベニーは小さくとも生まれた時から責務がある。だけどトモエは違う。だから同じ場所にはいられないんだ。お前のためだ」
 「だけど……だけど……」
 「お前は、使用人になりたいのか? 違うだろう?」
 「でも、でもっ」
 「夢があるだろう?」
 「そんなの、夢なんてないっ。そうじゃなくても、近くにる方法は、ある、でしょ」
 「あったとしても、お前はいつか後悔する。子供の頃にした浅はかな決断を悔やむ。だから今は、ないんだ」
 「意味、わかんない」

  興奮で痙攣してしまった体がヒックヒックと震える。

 「トモエ……施設へ行くんだ!」

  どくんっと大きく跳ねた心臓が、俺の全てを停止させた。
  その言葉の破壊力に、俺はジェイクの顔を見つめたまま動けなくなってしまったのだ。涙もとまった。
  もう何も聞かない、言うなと封じられてしまったのだ。

 「トモエ、ずっと愛しているよ。君の幸せを願っている。あの森でトモエに出会えてよかった。トモエを捨てた罪を、ずっと背負って、死ぬまで抱えて生きていく。この気持ちはずっと無にはならない。ずっとだ」

  ジェイクの声が凄く遠くから聞こえて、ベニーが泣き散らす声が効果音みたいに、ぶわんぶわんと耳に伝わる。
  ひどい仕打ちだ。
  別れしかないのなら、こんな時に愛してるなんて絶対に言っちゃだめだ。じゃないと、またその愛に、縋りつきたくなるから。
  俺がぎゅっと握り締めていたジェイクのシャツ、それをゆっくりと解かれる。
  一本一本丁寧に大切に解かれて、俺はそれを見ていることしかできない。
  温かな中にいたはずなのに、俺は地面へと降ろされ、その場にへたりこみ、その冷たさを知った。
  見上げればジェイクとベニーの肩には赤の細い帯が下げられている。俺が初めて目にしたものだ。
  庶民の色はブルー。町の人は好んでそれを着ていた。ベニーもその色が好きだった。
  町の中央で働く人ほど色が青の濃くなり役人は黒に近くなる。商家や女性は割とこだわりなく色を纏っていた。
  ただ、ここへ来てから町で一度しか見たことがなく、服屋にも決して売っていない色があることを俺はずっと不思議に思ってきた。
  町にはない色、それが赤。
  ジェイクからもレーンからも説明を受けていないけれど、それはきっと禁忌の色なんだろうと思っていた。
  そして、最初にこの世界で俺が初めて目にした赤は、ベニーの母親が下げていた布ブローチのレースだった。
  小さな疑問がレーンやロイの登場で確信になるのは早かった。ジェイクとベニーは貴族、もしくはそれ以上の家柄だって。
  怪我をして入院したことから、それが真実だとわかった。
  二人は王族。
  予感はあった。というか、予感する事で未来の自分が傷つかないように、その時が来ても受け入れられるように、どこかで覚悟してきた。

  だからこれは、予定通りだ……

 去って行ってしまった人は、ファルとロイ。
  去って行く人は、ベニーとジェイク、そしてレーンも。
  全部だ。全員だ。
  ここで知り合った全員が俺から去って行く……
 予定通り、俺はまたひとりに戻る。

  ジェイク、俺のこめかみの傷は、キスする時の目印じゃないよ。痛む場所でもないよ、違うんだ……
 ここに残された悲しい思いが、またひとつ増えた。
  キスされた場所を押さえ、その人を見上げる。
  その人は、潔かった。
  自分も傷ついた、そんな顔をしていなかったからだ。
  ベニーはいつの間にかレーンに抱えられ、先に馬車に入れられていた。

 「トモエにと、ロイの家が慰謝料をよこしてきた」
 「そんなの、いらない!」

  耳を塞いで顔をふる。

 「最後まで聞け!」

  右の腕を強引に取られた。

 「贅沢できるほどはない。しかし、何かを専門的に学びたいと思った時には充分役に立つ額だ。大人になった時に受け取れるように手配してある。トモエは……もうこれ以上強くならなくていい。強い力で自分を守ってくれる人と、たったひとつの場所を見つけるんだ。もう、二度と、私のような狡い大人に、泣かされるな」

  腕が、ぶらんと垂れた。
  ジェイクの足音が遠ざかり、消えた。 
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