子豚の魔法が解けるまで

宇井

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29 ファルの正体

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 目覚めたのは病院と思われるベッドの上だった。周りにある何もかもが白い。ぱっと目を開けて状況を把握するのにしばらくかかった。
 ここに至るまで何があった……
 ファルがベニーを連れだそうとしていて、俺はとめる為に噛み付いた。ファルにもやられたけど、それ以上に暴行してきたのは、仲良くやっていると思っていたロイ。レーンがやってきて、俺はあの後すぐに意識を手放してしまったのだ。
 柔らかな女性、その気遣い。この人が家族だったらと、そんな事まで考えた。
 はぁ……
 何でこんなことにと、腕で顔を隠す。
 隠したのは、俺に付き添うようにレーンがベッドの脇の椅子に座っていたからだ。
 情けない顔を見られたくなかった。あと何を喋っていいかわからなかった。あとジェイクが隣にいないのが寂しかった。
 頭ん中、ごちゃごちゃだ。

「俺がわかるか? 頭痛や吐き気は? 体の痛みはどうだ?」
「そんなに一度に聞かないで。あちこち痛い。あちこち痛くて、痛くて、痛くて……生きてるのが、嫌になる」
「そうか、大丈夫そうだな」

 いや、大丈夫じゃないって言ってんだけど。
 痛くていらいらするのに、大声出して当たることもできない。喋るだけの事が全身に痛みを引き起こす。涙が意思に反してダラダラ流れてくる。顔を手の平で覆うしかない。それしかできない。

「いってぇ……」

 会話をする気がないのか、レーンは黙ってしまった。

「ねえ、あれからどれくらい経った?」

 顔を隠したまま聞く。

「丸二日。今は昼だ」
「ジェイクは?」
「交代したばかりだから仮眠に入っている。そろそろ眠れと俺が追い払ったんだ」
「わかった。だったら俺の目が覚めたからって、呼びにいかないで。俺もまた眠るから」
「助かる。言葉に甘えて知らせずにおこう」

 レーンの言葉から、ジェイクがずっとそばにいてくれた事がわかった。

「ここは?」
「町唯一の病院、お前の家はこの台地を下った所だ」

 家と言われて、窓が気になり目を開いた。だけどこの位置からは枠の中にある空しか見えない。

「台地の天辺にあたる場所が街の中心。なだらかに下りながら、商業地があり人の暮らす場所へと続いている」

 何とか体を起こして景色を見ようとしたけれど、頭を起こすのにも難儀して、結局あきらめる。

「起きたいから、手、貸して」
「ダメだ。お前は安静を言い渡されている」
「だったら無駄な努力する前に、してる時にそう言ってよ。それすごい不親切。それに、俺には名前がある。お前じゃなくてトモエだ」

 レーンが小さく笑うのがわかった。前にもこんな会話をしたからだろう。

「体はともかく頭の機能はしっかりしているようだ。トモエがこれほど軽傷に済んだのが不思議でな。もしかしたら回復の速度も異常なのかもしれんと観察させてもらっていた」
「あっそ。申し訳ないけど、ごく普通だよ」

 体の一部に天使の加護があるのだと言ったら、この男はどんな顔をするだろうか。

「そうらしい。とりあえず、骨は折れていないし内臓も異常なし。肩も脱臼しただけでメスを入れる必要がなかったのは幸運だった。ここは田舎とはいえいい施設の病院だ。だから実験段階の薬が試せたし、もし急変を起こしたとしても医術師とジェイクで緊急対応できた。幸運だ」
「俺の体で、何か実験したの」

 咄嗟にでた言葉にレーンは明らかに顔をしかめる。

「トモエ、手術となれば麻酔なしが当たり前だ。猿ぐつわを噛み、男達に体を押さえられてメスを入れらる。嫌でも覚醒させられ耐える事ができるか?」
「そんな拷問、無理だよ」
「だからジェイクも苦渋の決断で持ち出した。大人には問題なく使えたが、子供には何が作用するかわからない。もしかしたら自分の薬がトモエを殺すかもしれないんだ。それは覚悟のいる事だっただろう。結局手術は必要なかったが、病態の把握と鎮痛の為にごく小量の麻酔薬を使った。副作用が見られないなら、回復も何もしないより早くなる」
「ジェイク……」

 会いたい人の名前が出て来て。その人にどれだけ辛い思いをさせたかが身に染みる。涙がまた出てきて、その後にベニーを思った。

「ベニーは?」
「擦り傷を作っただけだ」
「……よかった」

 あとはベニーの心が傷ついていない事を祈るだけだ。

「ファルは、捕まった?」
「ああ、だが今はこの町にいない。ファルは、ただの商売人ではなかった。ここに住んでいたのは二十年ほどで、あの土地と家は借り物だった。特に使命を受けず、有事の時のために潜り込まされていた他国の人間だろう」
「それ、今までわからなかったの」
「二十年も善良なふりをしていたからな。思うに、もう祖国からは用なしとして放置されていたのだろう。それだけの浪人なら害はなかったのに酒場で人を刺した。どうやらその人間に借金があったらしい。殺人を犯してしまったと、場所を移そうと思ったんだろう」
「ファルには、息子がいるはずだけど」
「俺もずっとそう思っていたがファルに息子はいない。ジェイクがあそこに住むにあたり、住人達にはあらかじめ調査を入れていた。当然その親子関係にも調べが入ったはずだが、見過ごしていたようだ。偽装の方については完璧だったと言えるのかもしれん」

 息子に借金の相談をすれば何とかなったのではないかと思ったのに、そこも嘘だったのか。店の金のお目付け役がいないなら、そりゃいい加減な帳簿になるはずだ。適当だったもんな。
 笑うファル、俺の相手に飽きて欠伸をするファル。柔和な天然ボケのおっさん。その全部が嘘だったのだろうか。
 すーはー、すーはー。
 腹が痛みだし細い息の呼吸で逃す。

「これまであった誘拐にも、ファルは関わってるの?」
「恐らく違う。プロは荒くとも確実に仕事を成功させるが、ファルの行動は行き当たりばったりだ」

 どうしてだろう、ちょっとだけほっとした。殴られたって言うのに、まだファルを信じたい気持ちがある。今頃は俺達を巻き込んだことを後悔してるんじゃないかって、そう思ってしまう。
 でもあの時のファルは、まさに逃亡しようとしてたんだ。

「国には情報工作を担う部隊があって、一都市の自治警察より立場は強い。疑いが出てからすぐに引き渡されて、その後のことは一切わからない。詳細は工作部でとまって降りてこないだろう」
「わかった」

 やけに大人しく引き下がった俺にレーンが意外そうな顔を見せた。
 俺がファルに怒り、悪たれでもつくと思っていたのだろう。そうしたい気持ちもないとは言わない、けど今はまだ気持ちが追いついてこないのだ。
 ファルが逃亡しようとした時、俺たちが平和な顔して遊びに来た。そこでジェイクから金を引っ張ろうと咄嗟に思ったのだろう。
 一度ジェイクの奥さんが馬車で乗り付けているのを目撃していたし、金がありそうだとはその時点でわかっている。
 いつも世話になっているファルが金を貸してくれと頼んできたら、ジェイクは迷いなく差し出しただろうし、そうなるとファルにとってジェイクは何かあった場合の保険でもあったに違いない。
 信頼を裏切るやりきれない話だ。

「もう一つ大事な話がある。ロイは、ジェイクの元を離れることになった。警察にも捕えられず、お前への暴行の罪は受けない」

 捕まりもしない。無罪。罪が無いと言う事だ。
 怒りは沸かない。そうか、としか思わなかった。
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