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14 ジェイクの昔ばなし
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にこにこの俺に対して、ジェイクはしばらく逡巡し口を開いた。
「ここにいては感じないだろうが、この国は陸続きの三国と隣接している。その中の国のひとつ、ピイナとの国境の一部はまだ緊張状態にある。他周辺二国とは和平を結んでいて、この都市も王都も平和だ。しかし、危機が去った訳じゃない」
「でも戦争って訳じゃないんだよね?」
「表立った争いはない。でも裏では小さな摩擦も犠牲もある」
「そっか。争いはあるんだね」
どんな世界にも争い事はあって、きっとそれは無くならない。そこは変わらないようだ。
俺も普段は危機なんて何もないように暮らしていたけれど、知らないうちに空をミサイルが飛んでいたり、それによる避難訓練なんてのもあったな。
「俺は、ジェイクが死ななければいい」
「そうだな。誰も死なない。それが一番だ」
ジェイクだけが死ななければいい。ジェイクだけ生きていてくれればいい。正直に言いかえればそうだけど、細かな所までは伝わっていない。
ジェイクは食べ終わり、パンを包んでいた紙を小さく丸め、手の中で遊ばせる。
「私はね、トモエ、昔は大きな屋敷に住んでいた。親が金持ちだったからね」
子供である俺の興味を引くように、ジェイクは言う。
「じゃあ、毎日ご馳走を食べてた?」
「ああ」
「で、周りにはドレスを来たお姫様がいたとか?」
「いたね」
「舞踏会で踊った?」
「ああ、ある時期は毎晩踊らされていた」
彼女達はかなり臭かったな、とジェイクは思い出したように言う。
臭いってのは、多分香水の事だろう。俺にも覚えがあるからよくわかる。学校の教室とか電車とか息を止めたいほど酷い時があったから。
「彼女たちは自分が直接体に塗り付けている物の原料など知らなかったんだろうな」
「原料って、たとえば?」
「動物の睾丸だ。植物よりも香りが残るから好んで使っていたよ。生殖腺と糞尿の臭いがすると本当の事を言っただけなのに嫌な顔をされた。でもそれからは女性達を遠ざける魔法の言葉と知ってよく使わせてもらった」
「ジェイク凄い。そうやって女の人達を追い払ってたんだ。本当に舞踏会にも出てたんだね。凄いよ」
ジェイクの口から初めて出た笑い話だった。最初は無自覚で、その次からはそうやって群がる女性達を煙に巻いていたんだ。面白すぎる。
舞踏会とかドレスとか、そんな世界があるのかと口がぽかっと空きそうな内容だけど、ジェイクが面白すぎて吹き飛んでしまった。
俺が笑過ぎるせいか、ジェイクは頬をつんつんついてくる。
嘘みたいな本当の話。俺はジェイクの言うことを信じている。ただそんな絵本の中の物語が現実にあることにはやっぱり驚いてしまう。
顔がいいせいもあるだろうけど、そんな煌びやかな中にいるジェイクがありありと想像できる。
今はごく普通の格好だけど、それなりに正装したら輝きが倍増しそう。いい男だもんな。そりゃ女もほっとかないよ。
「王子様のジェイクもかこいいだろうな」
「トモエ、大人の言う事だからとすべてを信じてはだめだよ」
「なに、嘘なの?」
「嘘ではないが、口にしていない事もあると言う事だ。それもまた機会があれば言おう」
きっとジェイクは本当にお金持ちの家に生まれた令息だ。
顔の良さだけでない品ていうのが多分ある。もしかしたらそれは生まれ持ってものじゃなく、小さな頃からの訓練によって身に着いた物かもしれない。
その上ジェイクは一切それを匂わせない事もできるから、こうしてこの町に溶け込んでいる。自分の持つオーラさえ思いのままに操る事ができるのだ。
雑な親から生まれて雑に育った俺には、どうあっても真似ができない。
「親から独立してからは自分で判断してきた。だから夜会には出席しなくなった。でも新たな面倒事が増えた。屋敷を維持するのは大変だし、人に譲って小さな方だけ残す事にした。金だけはあったし外聞が悪くとも働く必要はない。幼い頃からあった冒険心が枯れていなかったから、思い切って旅に出る事にしたんだ」
昔話のように語るけど、ジェイクってまだピチピチの二十代だ。って事はこの昔語りは十代の頃の話になる。
屋敷を売れるって事はその持ち主って訳だし、なんだかジェイクという人間の立ち位置がよくわからなくなる。
独立して家を売って、金もあるし旅に出た。まるで金持ちのぼんぼんの道楽みたい。他の人の口からこの話しが飛び出したら、貧乏人の俺は唾でも吐いてるかもしれない。
「国のあちこちを旅してきた。美しい景色も毎日では見飽きるし、面白いことなんてなくて、物語に出てくる主人公のような冒険はできなかった。喋るのも下手で旅の途中で仲間なんてできないし、田舎へ行けば不審者扱いで動物も子供も寄ってこない。おかげで図鑑に載っていた草花を見つけて、虫を捕まえては薬を作って、その間は野宿もした。本での独学だったが昔から薬を勉強してたんだ。家には標本も沢山あったから、それを実際にこの目で確認するのが旅の目的になった。そんな風に屋敷を出てからもずっとひとりだったよ。情けない話しだろう」
何かがあるはずだと飛び出た外には、ジェイクの夢みた大冒険なんてどこにもなかった。社交性もなくてずっとひとりぼっち。今のジェイクを見ていると少し信じられない。
だけど子供に避けられていたのは、旅に出ると手入れしない無精髭のせいだと思う。何しろジェイクの魅力ゼロに近くさせる力があるから。
「手持ちのお金も無くなった頃に、薬を売るようになって、日銭を稼ぎながら続けて移動した。そのうちに国境へ流れついて、師匠を見つけて、薬師としてのやりがいのある仕事を任されるまでになった。そこまできてようやく人生が楽しくなってきた」
「薬師っていうのは薬を作る人のことだよね?」
「作るのを生業にする人もいれば、それを調合して医業にも関わることがあるんだ。私の場合は国境で医術師とも組むことがある。採取も好きだからそれを卸すこともあるし、薬に関わる事なんら何でも手を出してしまっていた」
「だから熊の手も干しちゃう?」
忘れられない臭気に顔を歪ませるとジェイクが薄く笑う。
「薬の元になるのは植物だけじゃない。動物からいただくこともある。そうなると虫や蛇や、それ以上の危険な生物とも戦うこともある。普通の薬師は卸しに依頼して調達するから戦闘しないが、私はそっちも楽しんでできる人間なんだ。すべて放浪生活で身に着けた技だよ」
「だからジェイクは強かったんだね。薬師ってジェイクに限っては理系じゃなくて武闘系でもあるんだね」
なるほど。薬剤師じゃなくて薬師か。そして医師ともまた役割が違う。医療については思ったより進歩している印象だ。
「ここにいては感じないだろうが、この国は陸続きの三国と隣接している。その中の国のひとつ、ピイナとの国境の一部はまだ緊張状態にある。他周辺二国とは和平を結んでいて、この都市も王都も平和だ。しかし、危機が去った訳じゃない」
「でも戦争って訳じゃないんだよね?」
「表立った争いはない。でも裏では小さな摩擦も犠牲もある」
「そっか。争いはあるんだね」
どんな世界にも争い事はあって、きっとそれは無くならない。そこは変わらないようだ。
俺も普段は危機なんて何もないように暮らしていたけれど、知らないうちに空をミサイルが飛んでいたり、それによる避難訓練なんてのもあったな。
「俺は、ジェイクが死ななければいい」
「そうだな。誰も死なない。それが一番だ」
ジェイクだけが死ななければいい。ジェイクだけ生きていてくれればいい。正直に言いかえればそうだけど、細かな所までは伝わっていない。
ジェイクは食べ終わり、パンを包んでいた紙を小さく丸め、手の中で遊ばせる。
「私はね、トモエ、昔は大きな屋敷に住んでいた。親が金持ちだったからね」
子供である俺の興味を引くように、ジェイクは言う。
「じゃあ、毎日ご馳走を食べてた?」
「ああ」
「で、周りにはドレスを来たお姫様がいたとか?」
「いたね」
「舞踏会で踊った?」
「ああ、ある時期は毎晩踊らされていた」
彼女達はかなり臭かったな、とジェイクは思い出したように言う。
臭いってのは、多分香水の事だろう。俺にも覚えがあるからよくわかる。学校の教室とか電車とか息を止めたいほど酷い時があったから。
「彼女たちは自分が直接体に塗り付けている物の原料など知らなかったんだろうな」
「原料って、たとえば?」
「動物の睾丸だ。植物よりも香りが残るから好んで使っていたよ。生殖腺と糞尿の臭いがすると本当の事を言っただけなのに嫌な顔をされた。でもそれからは女性達を遠ざける魔法の言葉と知ってよく使わせてもらった」
「ジェイク凄い。そうやって女の人達を追い払ってたんだ。本当に舞踏会にも出てたんだね。凄いよ」
ジェイクの口から初めて出た笑い話だった。最初は無自覚で、その次からはそうやって群がる女性達を煙に巻いていたんだ。面白すぎる。
舞踏会とかドレスとか、そんな世界があるのかと口がぽかっと空きそうな内容だけど、ジェイクが面白すぎて吹き飛んでしまった。
俺が笑過ぎるせいか、ジェイクは頬をつんつんついてくる。
嘘みたいな本当の話。俺はジェイクの言うことを信じている。ただそんな絵本の中の物語が現実にあることにはやっぱり驚いてしまう。
顔がいいせいもあるだろうけど、そんな煌びやかな中にいるジェイクがありありと想像できる。
今はごく普通の格好だけど、それなりに正装したら輝きが倍増しそう。いい男だもんな。そりゃ女もほっとかないよ。
「王子様のジェイクもかこいいだろうな」
「トモエ、大人の言う事だからとすべてを信じてはだめだよ」
「なに、嘘なの?」
「嘘ではないが、口にしていない事もあると言う事だ。それもまた機会があれば言おう」
きっとジェイクは本当にお金持ちの家に生まれた令息だ。
顔の良さだけでない品ていうのが多分ある。もしかしたらそれは生まれ持ってものじゃなく、小さな頃からの訓練によって身に着いた物かもしれない。
その上ジェイクは一切それを匂わせない事もできるから、こうしてこの町に溶け込んでいる。自分の持つオーラさえ思いのままに操る事ができるのだ。
雑な親から生まれて雑に育った俺には、どうあっても真似ができない。
「親から独立してからは自分で判断してきた。だから夜会には出席しなくなった。でも新たな面倒事が増えた。屋敷を維持するのは大変だし、人に譲って小さな方だけ残す事にした。金だけはあったし外聞が悪くとも働く必要はない。幼い頃からあった冒険心が枯れていなかったから、思い切って旅に出る事にしたんだ」
昔話のように語るけど、ジェイクってまだピチピチの二十代だ。って事はこの昔語りは十代の頃の話になる。
屋敷を売れるって事はその持ち主って訳だし、なんだかジェイクという人間の立ち位置がよくわからなくなる。
独立して家を売って、金もあるし旅に出た。まるで金持ちのぼんぼんの道楽みたい。他の人の口からこの話しが飛び出したら、貧乏人の俺は唾でも吐いてるかもしれない。
「国のあちこちを旅してきた。美しい景色も毎日では見飽きるし、面白いことなんてなくて、物語に出てくる主人公のような冒険はできなかった。喋るのも下手で旅の途中で仲間なんてできないし、田舎へ行けば不審者扱いで動物も子供も寄ってこない。おかげで図鑑に載っていた草花を見つけて、虫を捕まえては薬を作って、その間は野宿もした。本での独学だったが昔から薬を勉強してたんだ。家には標本も沢山あったから、それを実際にこの目で確認するのが旅の目的になった。そんな風に屋敷を出てからもずっとひとりだったよ。情けない話しだろう」
何かがあるはずだと飛び出た外には、ジェイクの夢みた大冒険なんてどこにもなかった。社交性もなくてずっとひとりぼっち。今のジェイクを見ていると少し信じられない。
だけど子供に避けられていたのは、旅に出ると手入れしない無精髭のせいだと思う。何しろジェイクの魅力ゼロに近くさせる力があるから。
「手持ちのお金も無くなった頃に、薬を売るようになって、日銭を稼ぎながら続けて移動した。そのうちに国境へ流れついて、師匠を見つけて、薬師としてのやりがいのある仕事を任されるまでになった。そこまできてようやく人生が楽しくなってきた」
「薬師っていうのは薬を作る人のことだよね?」
「作るのを生業にする人もいれば、それを調合して医業にも関わることがあるんだ。私の場合は国境で医術師とも組むことがある。採取も好きだからそれを卸すこともあるし、薬に関わる事なんら何でも手を出してしまっていた」
「だから熊の手も干しちゃう?」
忘れられない臭気に顔を歪ませるとジェイクが薄く笑う。
「薬の元になるのは植物だけじゃない。動物からいただくこともある。そうなると虫や蛇や、それ以上の危険な生物とも戦うこともある。普通の薬師は卸しに依頼して調達するから戦闘しないが、私はそっちも楽しんでできる人間なんだ。すべて放浪生活で身に着けた技だよ」
「だからジェイクは強かったんだね。薬師ってジェイクに限っては理系じゃなくて武闘系でもあるんだね」
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