子豚の魔法が解けるまで

宇井

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1 帰りたくない理由

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 高校生と愛人業の兼業をし始めた俺は、あまり家に帰らなくなっていた。
  愛人なんてことを始めたきっかけは、やっぱり俺の家庭に問題があったのが大きな理由になる。

  息子が帰宅しなくても親は俺を探したりしない。
  母親はとっくにいなくて顔も覚えていないほどだし、父親は会社へは真面目に通い働いているくせに、夜は酒を飲んで家で暴れる時がある。
  住宅地の中の小さな戸建てに住んでるけど、家の中はあいつの空けた穴があちこちにある。壁だけじゃなく天井にまで。だから両隣の家にはきっと父親の乱暴さに気付いているはずだ。
  だけど誰も俺に声をかけないし、事情を聞いてもこない。朝会えばお互いにこやかに挨拶するのにな。でも他人の家の面倒には巻き込まれたくないんだろう。まあ、その気持ちもわかる。
  父親は毎晩暴れる訳じゃない。それに俺が大きな被害を受けるのも年に二度や三度だ。我慢できる。
  それでも、すさんだ家にいるのと本当に鬱になる。
  あいつの投げた雑誌や皿、倒れた椅子を片付けたって、壁に空いた大きな穴は、よっぽど大きなポスターでも貼らなきゃ隠せないいし、破れて中身の飛び出すソファーなんて捨て方がわからない。
  毎日毎日そんな暴力の残骸を見ているのに、いつまで経っても見慣れるなんてことはなくて、体の真ん中に粘り気のある煤が、日々上から降って来ては重なっていく気がしていた。

  家にいるのが苦しくなると、友達の家を渡り歩いて、できるだけ家にいる時間を短くした。
  一人の家に居座れるのは大体二日くらい。そのくらいで帰らないと、友達は良いって言ってくれても、その親がうるさくなる。

 『あの子の家はどうなってるの? 大丈夫なの?』

  俺の視界の端っこで、友達とその母親がこそこそ話てたりすると、さすがの俺も帰らなきゃって思う。それでもそこに居座るほど図々しくないんだ。周りの機嫌と顔色ばかりうかがって生きていた俺は、やっぱりこれからもそうやって小さく生きていくんだろう。

  だったらどこで寝泊まりするか。それは大きな問題だった。
  友人がだめなら、新たな繋がりを見つけるしかない。
  自分の性癖を早くから自覚していた俺は、ちょっとお洒落してその手の店が多くあつまる場所を目指した。
  それが高校一年生の夏の終わりの事。
  日が暮れる頃にわずかな小遣いをもって、電車に乗った。
  だけどネットで場所はしっかり確認したのに、駅からそこへ辿り着くことはできなかった。
  道行く人を捕まえて、ここどの辺ですか?
  なんてやましすぎて聞けない場所。ウロウロしすぎて疲れて、都会の真ん中にある遊具なんて一つもない小さな公園の入り口でしゃがんでうなだれてた。
  陽はとっくに落ちて、街灯がぼんやり滲む時間になってた。
  光に群がる虫を見上げながら、もう疲れたし日を変えて出直そうかなんて思ってた時、声をかけられた。

  あ、かっこいい。

  目だけ上を向けたけど、すぐに体ごとそっちに向いちゃったくらい、その顔はよかった。
  そこにいたのはスーツを着た三十代前半くらいの男の人。若いのに笑うと目元に何本も皺ができる。
  何だか楽しそうな顔して見下ろしてるから、つられて笑ってしまう。それくらい警戒心を持たなくていい人だった。
  その人はパーキングに車をとめてしばらく時間を潰していたらしくて、迷ってぐるぐるしている俺に気付いてたらしい。
  それからぐたっと力を抜いて座り込んだから、暑さにやられたかとようやく声をかける気になったのだという。
  その人曰く、俺が目指していた場所は町の本当に小さな一角らしく、最初は人に案内されて来ないと迷ってしまう人が多いらしい。
  ここは地方都市だから東京の何丁目みたいな大きな規模ではないのだ。何町何丁目何番の隅にあるような、うっかりすると通り過ぎてしまうほんの小さな区画。
  その情報を教えてくれるその人はやっぱり俺と同類だった。

  その人は自分のことを大井と名乗った。
  嘘をつく自信はないから、俺は隠さず自分のことを喋ったのは、連れて行かれた飲み屋で。
 「Dの小窓」
  そんな大人し気な店名のゲイバーは、高校生の俺でも親しみが持てる明るいムキムキの男ママさんがいた。
  Dっていうのはママの名前の頭文字。本名は教えてくれなかったけど、きっと大助とか大吾とかその辺かなって思ってる。Dママよりもそっちの方がよく似合ってると思ったけど口にはしなかった。
  そこはいわゆる一夜の相手を探す場所とは違っていて、ギラギラした人のいない店だった。飲む歌う騒ぐ……とにかく笑う。
  そんな賑やかな店内は隣の人との会話がギリギリ成立するくらい。自然と大井さんと顔を寄せ合うことになってドキドキした。
  この場にただ一人不釣り合いなほど端正な出で立ちの大井さん。彼はストレス解消の為にここにしょっちゅう出入りしているらしい。
  大井さんは素直な人で、俺の顔が好みだからここに連れて来たと涼しい顔をした。

 「もし近くで見た俺の顔がブサイクだったらどうしてたの?」
 「駅までの道を教えてさよならだよ」
 「それでも声を掛けてくれるだけ優しいよ」
 「トモエはきれいだ。体も華奢すぎなくていい。声を掛けてよかった」

  顔と体がいい。清々すぎる答えで好感がもてた。
  お金もちで、顔もよくて、優しい。
  その後店を出てすぐに、大井さんは駅近の投資用として購入していた、使っていないワンルームマンションを避難場所として俺に提供すると申し出てくれた。
  その場で鍵をもらって数日後にマンションを身に行くと、空っぽだった部屋には生活用具一式、ベッドもテーブルもテレビもパソコンも入っていた。
  それを見て思ったのは、避難場所ができてほっとした気持ちと、大井さんにお金を使わせてしまった申し訳なさだった。
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