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16 執拗な封鎖線
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今の状況で力を得るにはどうしたらいいか?
簡単だ、モンスターを倒せばいい。
性格特性は必ずしもモンスターと戦わなければ手に入らないというわけではなく、他の行動でも発現することはあるようだ。また、モンスターと戦う場合でも、大事なのはモンスターをたくさん倒すことではなく、むしろどういう戦い方をし、どういうふうに倒したかというプロセスの質のようだった。
実際、柊木瑠璃と遭遇する前のゴブリン戦では、母親が「勇猛」を手に入れたのに対し、俺は「冷血」を手に入れた。見知らぬ女子高生を見捨てた俺と、そんな俺を身を呈して守った母親とを比べれば、結果には納得するしかないだろう。
だが、それなら、俺が母親のように戦えば「勇猛」が手に入るのかもしれない。
また、この世界の「武器」――というか、その代用品である日用品は、モンスターの持つ武器と比べて見劣りする。ホームセンターで手に入れた鉄パイプなどはまだしも使えそうだが、母親の盾がフライパンのままなのは気がかりだ。俺は「投擲」の武器適性があるので、ゴブリンの持っているナイフでいいから、モンスター産(隕石産か?)の武器を大量にアイテムボックスに確保しておきたい。
現状俺が持ってる中でいちばん強い武器は、残弾が3発のニューナンブ拳銃とゴブリンナイフ二本である。
それよりは、魔法を主体に戦うほうが現状では正解なのかもしれない。
今の俺は、覚えきれないほどの状態異常魔法と、いくつかの低威力の攻撃魔法が使える。
ホームセンターで取り残された熱帯魚に偽善と知りつつも餌をやったときに「慈愛」の性格特性を発現したおかげで、念願の回復魔法「ヒール」も覚えた。同じく「慈愛」をもつ母親にも「ヒール」を習得させることに成功した。「インスペクト」で調べたところ、「ヒール」はごく軽度の傷(単純な切り傷や擦り傷など)を治療する魔法で、病気や大怪我には対応できない。それでも戦闘中に応急措置ができるのは大きい。ホームセンターでは丈夫なつなぎや膝当て、安全靴、ヘルメット、ゴーグルなども入手できた。雨対策のレインウェアや長靴もばっちり回収できている。
季節的にあまり厚着をすると今度は熱中症の心配をしなければならないが、俺はともかく母親のほうは不死者なので、厚着をしても汗ひとつかく様子がない。こうなるとますます「母親を盾にしてその影から攻撃するひきこもりの息子」という度しがたい図が確固たるものになってくるな。
ともあれ、ゴブリンと初めて戦ったときと比べれば、俺と母親の戦力はかなり整ってきた。
以前のゴブリンと同程度の相手なら問題なく戦えるだろう。俺と母親で遠くから「ファイヤーボール」を撃ち込むだけで倒せそうだ。場合によっては、さらなる性格特性の発現を狙って、あえて武器で戦う選択肢もあるだろう。母親は「勇猛」を発現することで斧の武器適性を手に入れた。それなら逆に、俺がホームセンターで入手した斧で戦えば、「勇猛」や斧の武器適性が手に入るのではないだろうか。ただ、武器に関しては、あれもこれもとよくばってはどれも中途半端になり、とっさの判断に迷う可能性がある。
モンスターは、やはり南浅生側にしか発生していないようだった。
高級マンションからオペラグラスで見た限りでは、天通川が氾濫したあとも、飛鳥宮市側にモンスターが湧いた様子はない。
だから、モンスターと戦いたいなら、川を渡って南浅生に足を踏み入れるしかない。
そうする上での懸念材料は二つある。
一つは、柊木瑠璃の存在だ。いや、セフィロト女子といったほうがいいのかもしれない。固有スキル「支配の教壇」をもつ覚醒者・柊木瑠璃は、おそらくセフィロト女子を支配下に置いている。ゴブリンに追われていた(そして俺が見殺しにした)女子生徒は、そこからの脱走者だったのだろう。
柊木瑠璃は抜刀術を中心に多様な武器適性をもち、氷と闇の魔法を使い、俺同様「インスペクト」で他者のステータスを見ることができる強敵だ。柊木瑠璃の恐ろしさは、単純な戦闘力ばかりでなく、嗜虐心に裏打ちされた歪んだ正義感と、他者を支配する手練手管に長けていることにもある。ひきこもりの俺としては、独善的で人の話を聞かず、教条的に他人の優劣を決めつける真性サディストの女教師は、本能的に逃げ出したくなる相手だ。いや、俺でなくても、こんな教師に当たった生徒は気の毒としか言いようがない。
柊木瑠璃は、こちらの動きを警戒している。おそらく、セフィロトの教師や生徒を見張りに立たせ、こちらが渡河する気配を見せないか監視していることだろう。
南浅生に渡る上での懸念材料のもう一つは、氾濫した天通川だ。
俺が柊木瑠璃と遭遇したあの鉄橋は氾濫地点の下流にあたり、ここからオペラグラスで見た限りでも、濁流の下に沈んでいる。橋そのものは壊れていないようだが、橋の上が川面の下に隠れているし、そもそも飛鳥宮市側から橋へと上っていく道路が完全に見えなくなっていた。濁流は、堤防の決壊地点から俺の家(母親の家)のあった地域へと流れ込み、地上の建築物をもぎ取ると、まるで最初からそこが川だったと主張するかのように、茶色に染まった流れを北から南へと広げている。
ともあれ、あの鉄橋はもう渡れない。
だが、天通川に架かる橋があれひとつなわけではない。
決壊地点の下流は絶望的だろうが、上流へと遡れば、まだ無事な橋もあるだろう。
ただし、飛鳥宮市から南浅生町へと渡る橋は、おそらく柊木瑠璃の監視下にあるはずだ。
また、天通ダムの放流はいったんは止まったようだったが、またいつ再開されないとも限らない。これがただの台風による増水なら放流は一度で済むだろう。あるいは、下流に被害がないよう少しずつ放流したはずである。だが、下流の被害をも顧みずいきなり放流したところをみると、天通ダムでなんらかの異変が起こっているのはまちがいない。つまり、いつ再び放流が始まるかわからないのだ。
俺は勝手に侵入した高級マンションで仮眠を取ったあと、母親の運転する車で天通川の上流へと向かった。
《亥ノ上直毅は、天通川に架かる最寄りの3つの橋を危険と判断し、さらに上流へと進んだ。》
「天の声」のおかげで、橋を逐一偵察する手間が省けてよかった。
雷雨のせいでわかりにくいが、時刻は夜九時を回っている。一日中これだけ動いたのだからくたくたになっていそうなものだが、夜が近づくにつれて俺は妙に元気になっていた。吸血鬼や「夜行性」の効果なのだろう。母親も不死者であり、昼夜は問題にはならないようだ。柊木瑠璃に「夜行性」はなかったから、夜の戦いは俺たちにアドバンテージがあることになる。
車はさらに上流へと遡り、飛鳥宮市から北のあすか市に差し掛かる。平成の市町村大合併でできたあすか市は、当初南浅生をも含む計画だったそうだが、セフィロト女子の猛反対によって南浅生はそのまま存知されたと聞いている。飛鳥宮も合併からは外れたため、あすか市は市とは名ばかりの集落の点在する山がちの地域になっていた。
自然、川沿いに進む道も上り坂になり、道の左右には山の木々が迫ってくる。
ぐねぐねとした道をドライブすること数十分、ようやく俺は対岸へと渡れそうな橋を発見した。
以前の鉄橋よりは古く、こじんまりした橋ではあるが、川面からの高さがあるためダムの放流でも水没を免れたようだ。
俺と母親は、いったん車を物陰に止め、車から降りて、橋の向こうに目を凝らす。
橋の向こうには、バリケードがあった。
車を何台か横向きに並べ、そのあいだに土嚢を詰め込み、上部には鉄条網まで巡らせてある。バリケードは橋の出口を塞ぐ位置に築かれていた。
「ここまでやるか⋯⋯」
柊木瑠璃の指示なのだろう。バリケードの突破自体は魔法を使えば可能だが、おそらくバリケードの奥には柊木瑠璃の手勢がいる。バリケードを越えた瞬間を見計らって攻撃してくるにちがいない。
さて、どうするか。
決まってる。突破するのだ。
これ以上上流に遡ると、川は南浅生から離れていく。もちろん大回りしてもいいのだが、こちらが有利な夜のあいだに決着はつけたい。
そう、決着。
俺は、柊木瑠璃を始末するつもりでいた。
生かしておいては何をしてくるかわからない。後手に回るのは危険すぎる。
こちらは柊木瑠璃にステータスを見られてからいくつもの技や魔法を追加で覚えることができた。現時点で俺は、柊木瑠璃に対して情報的に優位な立場にあるはずだ。一対一なら戦力的にも有利だと思う。
セフィロト女子は山の上の学校であり、戊辰戦争時代の要塞跡を利用して建てられたというから、モンスターが攻めてきても守りやすいだろう。全寮制の学校だから生活設備も整っている。乗っ取るには格好の候補である。
「理由はもうひとつあるけどな」
俺はちらりと母親を見た。
不死者となった母親に明確な自我はない。
だが、必死で守ってきた家が流されたのは母親には大きな衝撃だったらしく、あれ以来様子が少しおかしいのだ。
「セーフハウス」であの高級マンションを拠点に指定できないかと頼んでみたのだが、母親はただ首を振るだけだった。母親の母校であるセフィロト女子ならば、母親も「セーフハウス」を使う気になるかもしれない。
「俺は力を手に入れる。そのためにはこんなところで止まってるわけにはいかない」
だが、力任せに正面突破するだけが方法ではないだろう。
「母さんは車に乗って待ってて。必要になったらスマホで連絡するから」
今のところ、スマートフォンはまだ使えている。インターネットも健在だ。電気もまだ通ってる。もっとも、今後のことはわからない。ホームセンターでトランシーバーを入手してはいるのだが、今の母親にその使い方を教えることはできなかった。
母親がうなずき、車に戻っていく。
闇の中に取り残された俺だが、孤独はあまり感じなかった。
むしろ、自分のホームに帰ってきたような、肌が空気と馴染むような安心感を覚えていた。どうせ吸血鬼の効果なのだろう。
俺はその場で軽くジャンプしてみる。
「おわっ!?」
思った以上に高く跳ね、危うく頭から落ちそうになった。
「出る前より上がってるな。夜間は爆発的に身体能力が上がるんだったか」
俺は身体の出力を確かめるように、跳んだり反復横跳びをしたり頭上の木の枝にぶら下がってみたりする。小学生の時結局出来ずじまいだった逆上がりも、片手で木の枝にぶら下がった状態から軽々とできてしまった。
「これだけでも対岸に渡ることはできそうだが⋯⋯念のためだ。『サイレントクラウド』」
俺は進行方向に消音の範囲妨害魔法を使い、その範囲から出ないように進んでいく。
身を低くして橋を進み、どうしてもというところには「ダークフォグ」で暗がりを作った。「ダークフォグ」の生む黒い霧は自然の闇と比べると不自然なのだが、夜闇の中では目立たないだろう。
俺は十分以上かけて橋を渡り、問題のバリケードへと近づいていく。
《亥ノ上直毅は、ふと足元に目を凝らす。するとそこには細い釣り糸のようなものが張られていた。》
「おっと⋯⋯」
「天の声」の指示通り足元を見ると、たしかにそこには釣り糸があった。透明な釣り糸は注意していなければ気づけなかっただろう。橋の端から端までピンと張られた釣り糸は、橋げたを角に曲がって、バリケードの奥へと消えている。
「鳴子ってやつか?」
この糸を引っ掛けると向こうで警報が鳴るという初歩的な罠だろう。その初歩的な罠に引っかかりそうになった間抜けがここにいるけどな。
俺は慎重にその糸をまたぎ、他にも糸がないか注意しながらバリケードに近づく。
バリケードは、間近で見ると、見上げるくらいの高さがある。
何台かの車をベースに土嚢を詰め、その上に鉄条網を張ったなかなかの力作だ。
「跳び越えられなくはないが、鉄条網が厄介だな」
今の俺の身体能力ならやすやす越えられる高さだが、鉄条網には引っかかる。
鉄条網は、言ってしまえば単なる棘付きの鉄線なのだが、身体に棘が食い込むのを無視して進むのは人間には生理的に難しい。地味ながら近代の戦争を支える重要な発明品の一つだと聞いたことがある。低コストで生産でき、簡単に設置できるが、撤去は難しく、相手を足止めする効果は高い。ある土地から他人を締め出すのには最もコスパのいいものなのだと。
「『オーダサティ』で恐怖心をなくして無理やり超えて、そのあとで『ヒール』で治す? やりたくねえな」
《直毅は、バリケードを迂回できないかと考えた。正面から乗り越えることにこだわらず、バリケードの両脇に注視する。バリケードは橋の正面を塞いではいるが、橋げたから数メートル先までで途切れている。》
悩む俺にじれったくなったか、「天の声」が助言を始める。
「うん、その通りだな。バリケードは橋の正面と、その端数メートルまでを塞いでる。でも、橋の横からバリケードの端っこまでジャンプするのは無理だな。あ、いや、やりようはあるな」
俺は橋の右端に近づくと、橋と向こう岸が直角に交わる隅からバリケードの末端までのあいだの、橋の路面より低い空間に「ダークフォグ」と「サイレントクラウド」をかけた。
俺は橋の手すりを乗り越え、橋の外側に出ると、橋の縁に指先だけでぶら下がる。
「怖っ! ぶっつけでクリフハンガーなんてするもなじゃないな」
俺は橋の縁から向こう岸の縁へと指先でぶら下がったまま進んでいく。もちろん吸血鬼の身体能力があればこその力技だ。
「ふっ、はっ⋯⋯と」
バリケードの右端に到達した俺は、崖からぶら下がったままで「マジックサーチ」を使い、周辺の気配を探った。
だが、「マジックサーチ」 の調子が悪く、探知の結果が返ってこない。
《直毅は、「マジックサーチ」は閉鎖的な空間でなければ使えないのではないかと気づいた。》
「ああ、魔力でエコーみたいに探るから、こういうひらけた場所じゃ難しいってことか」
だが、同時に、俺はなにか別の感覚で、崖から百メートルほど離れた地点に、二十代の美女とみずみずしく美味しそうな十代の処女が十人いることに気がついた。
「って、美女と処女ってなんだよ。どんな探知やねん」
俺のセルフツッコミには「天の声」が答えてくれる。
《直毅は、吸血鬼としての嗅覚で、獲物の気配を察知できることに気がついた。》
「ああ、美味しそうってそっちの意味か」
吸血鬼⋯⋯吸血鬼ねえ。
そういえば、吸血鬼には面白い性質があったはずだ。
「『インスペクト』、吸血鬼」
―――――
吸血鬼:他人の血を啜って生きる者。身体能力が全体的に向上し、特に夜間は爆発的に上昇する。吸血された相手を眷属とすることができる。その際に相手の一部の性格特性を獲得できることがある。
―――――
簡単だ、モンスターを倒せばいい。
性格特性は必ずしもモンスターと戦わなければ手に入らないというわけではなく、他の行動でも発現することはあるようだ。また、モンスターと戦う場合でも、大事なのはモンスターをたくさん倒すことではなく、むしろどういう戦い方をし、どういうふうに倒したかというプロセスの質のようだった。
実際、柊木瑠璃と遭遇する前のゴブリン戦では、母親が「勇猛」を手に入れたのに対し、俺は「冷血」を手に入れた。見知らぬ女子高生を見捨てた俺と、そんな俺を身を呈して守った母親とを比べれば、結果には納得するしかないだろう。
だが、それなら、俺が母親のように戦えば「勇猛」が手に入るのかもしれない。
また、この世界の「武器」――というか、その代用品である日用品は、モンスターの持つ武器と比べて見劣りする。ホームセンターで手に入れた鉄パイプなどはまだしも使えそうだが、母親の盾がフライパンのままなのは気がかりだ。俺は「投擲」の武器適性があるので、ゴブリンの持っているナイフでいいから、モンスター産(隕石産か?)の武器を大量にアイテムボックスに確保しておきたい。
現状俺が持ってる中でいちばん強い武器は、残弾が3発のニューナンブ拳銃とゴブリンナイフ二本である。
それよりは、魔法を主体に戦うほうが現状では正解なのかもしれない。
今の俺は、覚えきれないほどの状態異常魔法と、いくつかの低威力の攻撃魔法が使える。
ホームセンターで取り残された熱帯魚に偽善と知りつつも餌をやったときに「慈愛」の性格特性を発現したおかげで、念願の回復魔法「ヒール」も覚えた。同じく「慈愛」をもつ母親にも「ヒール」を習得させることに成功した。「インスペクト」で調べたところ、「ヒール」はごく軽度の傷(単純な切り傷や擦り傷など)を治療する魔法で、病気や大怪我には対応できない。それでも戦闘中に応急措置ができるのは大きい。ホームセンターでは丈夫なつなぎや膝当て、安全靴、ヘルメット、ゴーグルなども入手できた。雨対策のレインウェアや長靴もばっちり回収できている。
季節的にあまり厚着をすると今度は熱中症の心配をしなければならないが、俺はともかく母親のほうは不死者なので、厚着をしても汗ひとつかく様子がない。こうなるとますます「母親を盾にしてその影から攻撃するひきこもりの息子」という度しがたい図が確固たるものになってくるな。
ともあれ、ゴブリンと初めて戦ったときと比べれば、俺と母親の戦力はかなり整ってきた。
以前のゴブリンと同程度の相手なら問題なく戦えるだろう。俺と母親で遠くから「ファイヤーボール」を撃ち込むだけで倒せそうだ。場合によっては、さらなる性格特性の発現を狙って、あえて武器で戦う選択肢もあるだろう。母親は「勇猛」を発現することで斧の武器適性を手に入れた。それなら逆に、俺がホームセンターで入手した斧で戦えば、「勇猛」や斧の武器適性が手に入るのではないだろうか。ただ、武器に関しては、あれもこれもとよくばってはどれも中途半端になり、とっさの判断に迷う可能性がある。
モンスターは、やはり南浅生側にしか発生していないようだった。
高級マンションからオペラグラスで見た限りでは、天通川が氾濫したあとも、飛鳥宮市側にモンスターが湧いた様子はない。
だから、モンスターと戦いたいなら、川を渡って南浅生に足を踏み入れるしかない。
そうする上での懸念材料は二つある。
一つは、柊木瑠璃の存在だ。いや、セフィロト女子といったほうがいいのかもしれない。固有スキル「支配の教壇」をもつ覚醒者・柊木瑠璃は、おそらくセフィロト女子を支配下に置いている。ゴブリンに追われていた(そして俺が見殺しにした)女子生徒は、そこからの脱走者だったのだろう。
柊木瑠璃は抜刀術を中心に多様な武器適性をもち、氷と闇の魔法を使い、俺同様「インスペクト」で他者のステータスを見ることができる強敵だ。柊木瑠璃の恐ろしさは、単純な戦闘力ばかりでなく、嗜虐心に裏打ちされた歪んだ正義感と、他者を支配する手練手管に長けていることにもある。ひきこもりの俺としては、独善的で人の話を聞かず、教条的に他人の優劣を決めつける真性サディストの女教師は、本能的に逃げ出したくなる相手だ。いや、俺でなくても、こんな教師に当たった生徒は気の毒としか言いようがない。
柊木瑠璃は、こちらの動きを警戒している。おそらく、セフィロトの教師や生徒を見張りに立たせ、こちらが渡河する気配を見せないか監視していることだろう。
南浅生に渡る上での懸念材料のもう一つは、氾濫した天通川だ。
俺が柊木瑠璃と遭遇したあの鉄橋は氾濫地点の下流にあたり、ここからオペラグラスで見た限りでも、濁流の下に沈んでいる。橋そのものは壊れていないようだが、橋の上が川面の下に隠れているし、そもそも飛鳥宮市側から橋へと上っていく道路が完全に見えなくなっていた。濁流は、堤防の決壊地点から俺の家(母親の家)のあった地域へと流れ込み、地上の建築物をもぎ取ると、まるで最初からそこが川だったと主張するかのように、茶色に染まった流れを北から南へと広げている。
ともあれ、あの鉄橋はもう渡れない。
だが、天通川に架かる橋があれひとつなわけではない。
決壊地点の下流は絶望的だろうが、上流へと遡れば、まだ無事な橋もあるだろう。
ただし、飛鳥宮市から南浅生町へと渡る橋は、おそらく柊木瑠璃の監視下にあるはずだ。
また、天通ダムの放流はいったんは止まったようだったが、またいつ再開されないとも限らない。これがただの台風による増水なら放流は一度で済むだろう。あるいは、下流に被害がないよう少しずつ放流したはずである。だが、下流の被害をも顧みずいきなり放流したところをみると、天通ダムでなんらかの異変が起こっているのはまちがいない。つまり、いつ再び放流が始まるかわからないのだ。
俺は勝手に侵入した高級マンションで仮眠を取ったあと、母親の運転する車で天通川の上流へと向かった。
《亥ノ上直毅は、天通川に架かる最寄りの3つの橋を危険と判断し、さらに上流へと進んだ。》
「天の声」のおかげで、橋を逐一偵察する手間が省けてよかった。
雷雨のせいでわかりにくいが、時刻は夜九時を回っている。一日中これだけ動いたのだからくたくたになっていそうなものだが、夜が近づくにつれて俺は妙に元気になっていた。吸血鬼や「夜行性」の効果なのだろう。母親も不死者であり、昼夜は問題にはならないようだ。柊木瑠璃に「夜行性」はなかったから、夜の戦いは俺たちにアドバンテージがあることになる。
車はさらに上流へと遡り、飛鳥宮市から北のあすか市に差し掛かる。平成の市町村大合併でできたあすか市は、当初南浅生をも含む計画だったそうだが、セフィロト女子の猛反対によって南浅生はそのまま存知されたと聞いている。飛鳥宮も合併からは外れたため、あすか市は市とは名ばかりの集落の点在する山がちの地域になっていた。
自然、川沿いに進む道も上り坂になり、道の左右には山の木々が迫ってくる。
ぐねぐねとした道をドライブすること数十分、ようやく俺は対岸へと渡れそうな橋を発見した。
以前の鉄橋よりは古く、こじんまりした橋ではあるが、川面からの高さがあるためダムの放流でも水没を免れたようだ。
俺と母親は、いったん車を物陰に止め、車から降りて、橋の向こうに目を凝らす。
橋の向こうには、バリケードがあった。
車を何台か横向きに並べ、そのあいだに土嚢を詰め込み、上部には鉄条網まで巡らせてある。バリケードは橋の出口を塞ぐ位置に築かれていた。
「ここまでやるか⋯⋯」
柊木瑠璃の指示なのだろう。バリケードの突破自体は魔法を使えば可能だが、おそらくバリケードの奥には柊木瑠璃の手勢がいる。バリケードを越えた瞬間を見計らって攻撃してくるにちがいない。
さて、どうするか。
決まってる。突破するのだ。
これ以上上流に遡ると、川は南浅生から離れていく。もちろん大回りしてもいいのだが、こちらが有利な夜のあいだに決着はつけたい。
そう、決着。
俺は、柊木瑠璃を始末するつもりでいた。
生かしておいては何をしてくるかわからない。後手に回るのは危険すぎる。
こちらは柊木瑠璃にステータスを見られてからいくつもの技や魔法を追加で覚えることができた。現時点で俺は、柊木瑠璃に対して情報的に優位な立場にあるはずだ。一対一なら戦力的にも有利だと思う。
セフィロト女子は山の上の学校であり、戊辰戦争時代の要塞跡を利用して建てられたというから、モンスターが攻めてきても守りやすいだろう。全寮制の学校だから生活設備も整っている。乗っ取るには格好の候補である。
「理由はもうひとつあるけどな」
俺はちらりと母親を見た。
不死者となった母親に明確な自我はない。
だが、必死で守ってきた家が流されたのは母親には大きな衝撃だったらしく、あれ以来様子が少しおかしいのだ。
「セーフハウス」であの高級マンションを拠点に指定できないかと頼んでみたのだが、母親はただ首を振るだけだった。母親の母校であるセフィロト女子ならば、母親も「セーフハウス」を使う気になるかもしれない。
「俺は力を手に入れる。そのためにはこんなところで止まってるわけにはいかない」
だが、力任せに正面突破するだけが方法ではないだろう。
「母さんは車に乗って待ってて。必要になったらスマホで連絡するから」
今のところ、スマートフォンはまだ使えている。インターネットも健在だ。電気もまだ通ってる。もっとも、今後のことはわからない。ホームセンターでトランシーバーを入手してはいるのだが、今の母親にその使い方を教えることはできなかった。
母親がうなずき、車に戻っていく。
闇の中に取り残された俺だが、孤独はあまり感じなかった。
むしろ、自分のホームに帰ってきたような、肌が空気と馴染むような安心感を覚えていた。どうせ吸血鬼の効果なのだろう。
俺はその場で軽くジャンプしてみる。
「おわっ!?」
思った以上に高く跳ね、危うく頭から落ちそうになった。
「出る前より上がってるな。夜間は爆発的に身体能力が上がるんだったか」
俺は身体の出力を確かめるように、跳んだり反復横跳びをしたり頭上の木の枝にぶら下がってみたりする。小学生の時結局出来ずじまいだった逆上がりも、片手で木の枝にぶら下がった状態から軽々とできてしまった。
「これだけでも対岸に渡ることはできそうだが⋯⋯念のためだ。『サイレントクラウド』」
俺は進行方向に消音の範囲妨害魔法を使い、その範囲から出ないように進んでいく。
身を低くして橋を進み、どうしてもというところには「ダークフォグ」で暗がりを作った。「ダークフォグ」の生む黒い霧は自然の闇と比べると不自然なのだが、夜闇の中では目立たないだろう。
俺は十分以上かけて橋を渡り、問題のバリケードへと近づいていく。
《亥ノ上直毅は、ふと足元に目を凝らす。するとそこには細い釣り糸のようなものが張られていた。》
「おっと⋯⋯」
「天の声」の指示通り足元を見ると、たしかにそこには釣り糸があった。透明な釣り糸は注意していなければ気づけなかっただろう。橋の端から端までピンと張られた釣り糸は、橋げたを角に曲がって、バリケードの奥へと消えている。
「鳴子ってやつか?」
この糸を引っ掛けると向こうで警報が鳴るという初歩的な罠だろう。その初歩的な罠に引っかかりそうになった間抜けがここにいるけどな。
俺は慎重にその糸をまたぎ、他にも糸がないか注意しながらバリケードに近づく。
バリケードは、間近で見ると、見上げるくらいの高さがある。
何台かの車をベースに土嚢を詰め、その上に鉄条網を張ったなかなかの力作だ。
「跳び越えられなくはないが、鉄条網が厄介だな」
今の俺の身体能力ならやすやす越えられる高さだが、鉄条網には引っかかる。
鉄条網は、言ってしまえば単なる棘付きの鉄線なのだが、身体に棘が食い込むのを無視して進むのは人間には生理的に難しい。地味ながら近代の戦争を支える重要な発明品の一つだと聞いたことがある。低コストで生産でき、簡単に設置できるが、撤去は難しく、相手を足止めする効果は高い。ある土地から他人を締め出すのには最もコスパのいいものなのだと。
「『オーダサティ』で恐怖心をなくして無理やり超えて、そのあとで『ヒール』で治す? やりたくねえな」
《直毅は、バリケードを迂回できないかと考えた。正面から乗り越えることにこだわらず、バリケードの両脇に注視する。バリケードは橋の正面を塞いではいるが、橋げたから数メートル先までで途切れている。》
悩む俺にじれったくなったか、「天の声」が助言を始める。
「うん、その通りだな。バリケードは橋の正面と、その端数メートルまでを塞いでる。でも、橋の横からバリケードの端っこまでジャンプするのは無理だな。あ、いや、やりようはあるな」
俺は橋の右端に近づくと、橋と向こう岸が直角に交わる隅からバリケードの末端までのあいだの、橋の路面より低い空間に「ダークフォグ」と「サイレントクラウド」をかけた。
俺は橋の手すりを乗り越え、橋の外側に出ると、橋の縁に指先だけでぶら下がる。
「怖っ! ぶっつけでクリフハンガーなんてするもなじゃないな」
俺は橋の縁から向こう岸の縁へと指先でぶら下がったまま進んでいく。もちろん吸血鬼の身体能力があればこその力技だ。
「ふっ、はっ⋯⋯と」
バリケードの右端に到達した俺は、崖からぶら下がったままで「マジックサーチ」を使い、周辺の気配を探った。
だが、「マジックサーチ」 の調子が悪く、探知の結果が返ってこない。
《直毅は、「マジックサーチ」は閉鎖的な空間でなければ使えないのではないかと気づいた。》
「ああ、魔力でエコーみたいに探るから、こういうひらけた場所じゃ難しいってことか」
だが、同時に、俺はなにか別の感覚で、崖から百メートルほど離れた地点に、二十代の美女とみずみずしく美味しそうな十代の処女が十人いることに気がついた。
「って、美女と処女ってなんだよ。どんな探知やねん」
俺のセルフツッコミには「天の声」が答えてくれる。
《直毅は、吸血鬼としての嗅覚で、獲物の気配を察知できることに気がついた。》
「ああ、美味しそうってそっちの意味か」
吸血鬼⋯⋯吸血鬼ねえ。
そういえば、吸血鬼には面白い性質があったはずだ。
「『インスペクト』、吸血鬼」
―――――
吸血鬼:他人の血を啜って生きる者。身体能力が全体的に向上し、特に夜間は爆発的に上昇する。吸血された相手を眷属とすることができる。その際に相手の一部の性格特性を獲得できることがある。
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高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。
俺は善人にはなれない
気衒い
ファンタジー
とある過去を持つ青年が異世界へ。しかし、神様が転生させてくれた訳でも誰かが王城に召喚した訳でもない。気が付いたら、森の中にいたという状況だった。その後、青年は優秀なステータスと珍しい固有スキルを武器に異世界を渡り歩いていく。そして、道中で沢山の者と出会い、様々な経験をした青年の周りにはいつしか多くの仲間達が集っていた。これはそんな青年が異世界で誰も成し得なかった偉業を達成する物語。
転生したらやられ役の悪役貴族だったので、死なないように頑張っていたらなぜかモテました
平山和人
ファンタジー
事故で死んだはずの俺は、生前やりこんでいたゲーム『エリシオンサーガ』の世界に転生していた。
しかし、転生先は不細工、クズ、無能、と負の三拍子が揃った悪役貴族、ゲルドフ・インペラートルであり、このままでは破滅は避けられない。
だが、前世の記憶とゲームの知識を活かせば、俺は『エリシオンサーガ』の世界で成り上がることができる! そう考えた俺は早速行動を開始する。
まずは強くなるために魔物を倒しまくってレベルを上げまくる。そうしていたら痩せたイケメンになり、なぜか美少女からモテまくることに。
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
現代にモンスターが湧きましたが、予めレベル上げしていたので無双しますね。
えぬおー
ファンタジー
なんの取り柄もないおっさんが偶然拾ったネックレスのおかげで無双しちゃう
平 信之は、会社内で「MOBゆき」と陰口を言われるくらい取り柄もない窓際社員。人生はなんて面白くないのだろうと嘆いて帰路に着いている中、信之は異常な輝きを放つネックレスを拾う。そのネックレスは、経験値の間に行くことが出来る特殊なネックレスだった。
経験値の間に行けるようになった信之はどんどんレベルを上げ、無双し、知名度を上げていく。
もう、MOBゆきとは呼ばせないっ!!
レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~
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異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。
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アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。
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異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。
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