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6 その一歩はただの一歩にすぎないが、やはり引きこもり以外にはただの一歩にすぎなかった
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◇亥ノ上直毅(主人公)視点
隕石の墜落地点付近にモンスターが出た。
信じがたい話だったが、どうやらこれは事実のようだ。
最初は短文型SNSで、やがてはテレビやラジオでも、隕石の周辺に未確認の凶暴な「猛獣」が出没することが報じられ始めた。
当然、世界は大混乱に陥った。
隕石の墜落地点付近の住民は、争って危険地域からの脱出を試みた。
一部の幹線道路は大渋滞を起こし、公共交通機関は臨時便を出しても駅舎に溢れる人を輸送しきれない。
場所によっては、大渋滞で動けない車列や人で埋め尽くされた駅舎にモンスターどもが襲いかかった。
政府も報道機関もあまりの情報量にパンクし、ウィスパーのサーバーも幾度となく落ちていた。
そうした「外」の事態も、もちろん異常事態には違いない。
むしろ、これを異常事態と呼ばずして何を異常事態と呼ぶというのか。
それくらい、異常に異常を重ねた現実離れした事態が、「外」の世界を襲っていた。
だが、俺がネットでニュースを漁り、テレビの報道特番を見ているのは、もっぱら現実逃避のためだった。
俺の部屋の扉が控えめにノックされる。
「直毅、朝ごはんですよ」
「ああ、わかったよ」
平然と答えてしまったが、これもまた異常事態なのである。
俺の母親は、たしかに死んだはずだ。
ひきこもりの息子を抱え、夫とも離婚し、頼れる親族も友人もいなかった。
途方もない孤独と心労に押しつぶされ、母は(おそらく)心臓発作を起こして死んだ。
その後、糞尿を垂れ流し死後硬直していく死体の前で、俺は一昼夜呆然としていた。
あの状態から、人が生き返ることがあるとは思えない。
医者でもない俺に検死などできるはずもないが、それにしたって、常識的に考えてありえない⋯⋯はずだ。
その常識も、突然降り注いだ隕石群とそこから現れたモンスターを前にしては、いまひとつ頼りにならないのだが。
もともと、ひきこもりを長きに渡って続けてきたせいで、俺は現実と妄想の区別が曖昧だ。
俺の現実吟味能力はぶっ壊れているので、何が現実で何が妄想かを区別するためには、常識や論理を現実に逐一当てはめて検討する必要がある。
ところが、その常識や論理の方がぶっ壊れてしまった。
今俺が体験しているあらゆることが幻覚だと言われても、素直に納得することができるだろう。
だが、
「ちゃんとメシはあるんだよな⋯⋯」
ドアを開け、廊下を見ると、床には朝ごはんのトレイが置かれていた。
一度死んだ(?)せいで衛生的とは言えない状態になっていた我が母に、俺は思わず「母ちゃん、頼むから風呂入って着替えてくれ!」と懇願してしまった。
母は俺の言葉に黙ってうなずくと、脱衣所に向かい、服を脱いで、浴室でシャワーを浴び出した。
そのあいだに俺は、母の脱ぎ捨てたヤバい色に染まった服をゴミ袋にまとめてぶちこみ、厳重に封をして玄関に置いた。本当は家の外に出したかったが、外に出る勇気がなかったからしかたがない。
その後、どういうわけか生き返った(?)母親から逃げるように俺は再び自室にこもり、情報収集という大義名分のもとに、徹夜でネットとテレビを見てたってわけだ。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかないのも事実だった。
一度は餓死を覚悟した俺だったが、いざ飢え死にしかけてみると、とてもじゃないが空腹を抱えたままでじっとはしていられないことがわかってしまった。
一度死にかけたのに死にきれず、母親の作ったメシまで食ってしまったせいで、俺の中の自殺モードが解除されてしまったようだ。
そうなると、なんとかして生きていく必要があるわけだ。
俺は朝飯を平らげると、階段を降りて一階のリビングに向かった。
「母さん」
トレイをキッチンに置きつつ、ぼんやりとした顔でソファに座っている母親に呼び掛ける。
昨日までは顔を合わせることすら恐怖だった相手だが、今の母親はとてもまともな状態とは思えない。
こちらの呼びかけには記憶に染み付いた言葉で返すだけなので、いきなり思いもしないことを言われるリスクがない分、俺にとっては気が楽だ。
一般的に考えれば、この状態の「母親」と話すことのほうがよほどホラーだとは思うのだが。
「ご飯は足りましたか?」
「ああ、ありがとう。ごちそうさま」
うつろな顔の母親に、俺の口から素直に感謝の言葉が漏れた。
ここ数年、そんな当たり前の感謝の言葉すら、母親にかけていなかった。俺は俺で恐怖や幻覚に悩まされていたとはいえ、母親の心情を慮るといたたまれない気持ちになる。
「母さんはお腹は空かないの?」
「母さんはいいのよ」
俺の疑問に返ってきたのは、答えにならない答えだった。
いつだってこの母親は、自分のことを後回しにする。死んでしまうくらいなら、ひきこもりの息子など投げ出して逃げてしまえばよかったものを。
俺は母親を改めて観察してみる。
風呂に入ったことで、一時はすさまじかった悪臭はなくなった。俺が自室にいる間にリビングの掃除と換気をしたらしく、漂っていた死臭もなくなっている。
このうつろな状態でも、部屋の状態を確認して、半ば本能的に掃除をしたのだろう。
考えてみるまでもなく不気味だが、リビングが綺麗になったのはありがたい。
「トイレは行った?」
聞いてから、あまりにもデリカシーのない質問だと気づく。
でも、当然湧いてくる疑問だろう。
「トイレは綺麗に掃除しました」
なんだかピントのボケた答えだが、おそらく、今の母親は用足しの必要がないのだろう。
食事も要らず、排泄の必要もない。
おまけに、死体だったはずなのに動いている。
胸を押さえたままの姿勢で死後硬直し、死斑が出ていたはずの身体は、生前よりすこし青白いかな?という程度にまで回復している。
ここまでこれば、母親が今どんな状態にあるのか、想像するのは難くない。
もっとも、その結論を素直に受け入れるのは難しい。
「⋯⋯アンデッドになったってことだよな。ゾンビって言ったほうがいいんだろうか」
隕石が地球に間断なく降り注ぎ、そこからゴブリンだのトロールだのオークだのが溢れてきているのだ。母親がゾンビになるくらい、十分ありうることなのかもしれなかった。
「でも、それならどうして俺を襲ってこないんだ?」
隕石から出現したモンスターたちは、見境なく人間に襲いかかってくるという。すくなくとも今のところ、人間に友好的な「モンスター」は確認されていない。
「やっぱり、母親は死んでいて、これは完全に正気を失った俺が見ている幻覚なのか?」
いい加減、何が現実で何が幻覚なのかはっきりしてほしい。
いや、はっきりはしているのだ。
これまで散々幻覚に悩まされてきた経験からして、「母親のアンデッド化」「隕石」「モンスター」は現実である。
一方、ふとした瞬間に聞こえてくる、俺を詰る母親や教師や上司の声は幻聴だ。
幻覚が見え、幻聴が聞こえはするものの、それらが現実でないことは俺にはわかる。
そうだ、現実を確認するために、もっと現実的な質問をしてみよう。
「母さん。今うちにある食料で何日くらいもちそう?」
「明日の分まではあります。冷凍食品ばかりになるけど」
思った以上に現実的な答えが返ってきて、俺は反射的に現実逃避したくなった。
隣町である南浅生には隕石が落ちた。
その後の混乱で街のあちこちで火災が発生してるのが俺の部屋の窓から見えた。
遠い悲鳴が風に乗って時たま響き、昨夜はけたたましいクラクションの音がせわしなく鳴っていた。
その騒動も、夜が明ける頃には一服したようだった。避難が終了したのか、それとも南浅生が全滅したのかは知らないが。
南浅生の隣町であるここ――飛鳥宮市の側でも、住民たちが一斉に避難しようと動いているようだ。
「遠からずここにもモンスターが来るかもしれない。食料も明日の分までしかない、か」
なかなかシビアな現実だ。
もっとも、ひきこもりとしてセルフ幽閉のような生活を十年以上続けるのと比べて、どちらがマシかはなんともいえない。
「まあ、ある意味わかりやすいよな。避難した家や店舗を漁って食い物を取ってこればいい。ハローワークに行って履歴書書いて何十社も面接落とされて、ようやく入った会社がブラックで、死ぬ寸前まで働かされてやっと給料がもらえて、その給料でようやく飯が食える⋯⋯って考えれば、超えるべきハードルは全然低い。こんな状況だ。食料を漁ったところで、警察に捕まるおそれも少ないだろう」
要するに火事場泥棒である。もともと現実と幻覚の境目が曖昧になってる俺にとって、日常的な倫理観を乗り越えるくらいはわけないことだ。
「でも、同じことを考える連中は必ずいる。それに、モンスターと遭遇したらどうしようもない。警察の機動隊も壊滅したとか言ってたし」
俺はヴィンテージもののひきこもりだ。体力なんて当然ない。
モンスターはもちろん、一般的な男ともみあいになっても確実に負ける。いや、女性が相手でも負けるだろう。
ただ、不思議と、他人と遭遇すること自体に対する恐怖は湧かなかった。
「最初から敵対する前提なら、不意に傷つけられるリスクがない、か⋯⋯」
俺にとっては、モンスターの闊歩する無人の街の方が、学校の教室や会社の職場よりも「安全」に思えるということか。命を賭けて戦ったことのないひきこもりの、甘い認識なのかもしれないが。
俺は、そこでふと閃いた。
「⋯⋯いっそ、母さんに行ってきてもらうか?」
今の母親は、命令をすればその通りに行動するようだった。
俺が食料を取って来いと言えば取りに行くだろう。
われながらクズだと思ったが、妙案かもしれない。
いや、
「ダメか。今の母さんにできるのは、身に染み付いた行動だけだ。スーパーやコンビニに買い物に行くくらいならできるかもしれないが、無人の街で食料を漁るようなことができるとは思えない」
ならば、やはり俺が自分で行くしかない。
それとも、街を離れ、避難先を探すべきなのか?
テレビではしきりに全国のシェルター一覧を流しているし、同じ内容がネットでも流れている。
だが、
「⋯⋯怖い。学校の体育館でダンボールの仕切りのすぐ向こうに他人がいるんだぞ⋯⋯」
そんな場所に身を置くくらいなら、無人の街にとどまった方がマシだ。
それに、避難所に行けば絶対安心とも限らない。
隕石の混乱で物流は寸断され、多くの避難所で必要な物資も食料も不足している。
局地的な災害とは違い、今回は地球規模の災害だから、被災地の「外」からの支援が期待できない。
もし本格的な食料危機が起きれば、最悪殺し合いになるだろう。殺し合いにはならなかったところで、見捨てる奴を投票で決めようなどという流れになった場合、俺は真っ先に選ばれる自信がある。
「ああ、くそ⋯⋯どうすればいい?」
俺がうじうじと悩んでいると、不意に母親がソファから立ち上がった。
母親はうつろな顔で宙を見る。
「ど、どうしたの?」
「買い物⋯⋯行かなくちゃ」
「今の状況考えてよ」
「でも、食べ物残ってない⋯⋯。直毅のご飯が作れない」
「それは俺がなんとかするから」
「直毅にご飯は作れない。買い物にも行けない」
「うぐ⋯⋯」
うつろなまま言われた言葉に軽く凹む。悪気がなく、淡々と事実を言っただけという口調なのがなおさら胸に刺さる。
「待って。母さんはじっとしてて」
俺は語気を強めてそう言った。
これまでなら、母親はこれで引き下がった。この状態の母親は、どういうわけか俺の「命令」をきくようなのだ。
だが、
「買い物に行かなくちゃ⋯⋯。家を守らなくちゃ⋯⋯」
母親はふらふらと廊下に向かう。
「ま、待った!」
俺はとっさに立ちふさがるが、
「どいて」
「うわっ!?」
母親にぐいと押され、俺はリビングの壁に頭をぶつけた。
俺が虚弱なんじゃない。
いや、虚弱だとは思うが、それ以上に母親の力が異常だった。
ほとんど抵抗すらできず、半ば身体が浮かんだほどだ。
「待って!」
俺は必死で母親の腰にすがりつく。
⋯⋯冷静に考えるとヤバい絵面だったが、この状況でこんな状態の母親を外に出すわけにはいかない。外で何かがあった時、俺では探しに行くことすらできないのだ。
「行かなくちゃ⋯⋯」
「ぐおおっ!?」
母親は、俺を腰にぶらさげたままで歩き出す。俺は足を廊下の角に引っかけ抵抗を試みるが、母親にあっさり振り切られた。
「行かなくちゃ⋯⋯」
「くそっ! どうすりゃいいんだ!?」
玄関のドアの鍵を外す母親を、俺は止める手段がない。
「どうする、どうする⋯⋯!?」
俺の目玉がぐるぐる回る。
そのままパニック発作を起こして倒れそうだ。
母親が玄関の鍵を外し、車のキーを取って、玄関のドアを開こうとする。
開きかけたドア。
その隙間から外の世界が侵入してくる。
俺の混乱は極致に達した。
「どうすりゃいいってんだよぉぉぉぉっ!」
幼子のように叫んだ俺に――
どこからともなく、なんの前触れもなく、
いきなり《声》が降ってきた。
《亥ノ上直毅は、母親の後を追って、勇気を持って一歩を踏み出した。》
隕石の墜落地点付近にモンスターが出た。
信じがたい話だったが、どうやらこれは事実のようだ。
最初は短文型SNSで、やがてはテレビやラジオでも、隕石の周辺に未確認の凶暴な「猛獣」が出没することが報じられ始めた。
当然、世界は大混乱に陥った。
隕石の墜落地点付近の住民は、争って危険地域からの脱出を試みた。
一部の幹線道路は大渋滞を起こし、公共交通機関は臨時便を出しても駅舎に溢れる人を輸送しきれない。
場所によっては、大渋滞で動けない車列や人で埋め尽くされた駅舎にモンスターどもが襲いかかった。
政府も報道機関もあまりの情報量にパンクし、ウィスパーのサーバーも幾度となく落ちていた。
そうした「外」の事態も、もちろん異常事態には違いない。
むしろ、これを異常事態と呼ばずして何を異常事態と呼ぶというのか。
それくらい、異常に異常を重ねた現実離れした事態が、「外」の世界を襲っていた。
だが、俺がネットでニュースを漁り、テレビの報道特番を見ているのは、もっぱら現実逃避のためだった。
俺の部屋の扉が控えめにノックされる。
「直毅、朝ごはんですよ」
「ああ、わかったよ」
平然と答えてしまったが、これもまた異常事態なのである。
俺の母親は、たしかに死んだはずだ。
ひきこもりの息子を抱え、夫とも離婚し、頼れる親族も友人もいなかった。
途方もない孤独と心労に押しつぶされ、母は(おそらく)心臓発作を起こして死んだ。
その後、糞尿を垂れ流し死後硬直していく死体の前で、俺は一昼夜呆然としていた。
あの状態から、人が生き返ることがあるとは思えない。
医者でもない俺に検死などできるはずもないが、それにしたって、常識的に考えてありえない⋯⋯はずだ。
その常識も、突然降り注いだ隕石群とそこから現れたモンスターを前にしては、いまひとつ頼りにならないのだが。
もともと、ひきこもりを長きに渡って続けてきたせいで、俺は現実と妄想の区別が曖昧だ。
俺の現実吟味能力はぶっ壊れているので、何が現実で何が妄想かを区別するためには、常識や論理を現実に逐一当てはめて検討する必要がある。
ところが、その常識や論理の方がぶっ壊れてしまった。
今俺が体験しているあらゆることが幻覚だと言われても、素直に納得することができるだろう。
だが、
「ちゃんとメシはあるんだよな⋯⋯」
ドアを開け、廊下を見ると、床には朝ごはんのトレイが置かれていた。
一度死んだ(?)せいで衛生的とは言えない状態になっていた我が母に、俺は思わず「母ちゃん、頼むから風呂入って着替えてくれ!」と懇願してしまった。
母は俺の言葉に黙ってうなずくと、脱衣所に向かい、服を脱いで、浴室でシャワーを浴び出した。
そのあいだに俺は、母の脱ぎ捨てたヤバい色に染まった服をゴミ袋にまとめてぶちこみ、厳重に封をして玄関に置いた。本当は家の外に出したかったが、外に出る勇気がなかったからしかたがない。
その後、どういうわけか生き返った(?)母親から逃げるように俺は再び自室にこもり、情報収集という大義名分のもとに、徹夜でネットとテレビを見てたってわけだ。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかないのも事実だった。
一度は餓死を覚悟した俺だったが、いざ飢え死にしかけてみると、とてもじゃないが空腹を抱えたままでじっとはしていられないことがわかってしまった。
一度死にかけたのに死にきれず、母親の作ったメシまで食ってしまったせいで、俺の中の自殺モードが解除されてしまったようだ。
そうなると、なんとかして生きていく必要があるわけだ。
俺は朝飯を平らげると、階段を降りて一階のリビングに向かった。
「母さん」
トレイをキッチンに置きつつ、ぼんやりとした顔でソファに座っている母親に呼び掛ける。
昨日までは顔を合わせることすら恐怖だった相手だが、今の母親はとてもまともな状態とは思えない。
こちらの呼びかけには記憶に染み付いた言葉で返すだけなので、いきなり思いもしないことを言われるリスクがない分、俺にとっては気が楽だ。
一般的に考えれば、この状態の「母親」と話すことのほうがよほどホラーだとは思うのだが。
「ご飯は足りましたか?」
「ああ、ありがとう。ごちそうさま」
うつろな顔の母親に、俺の口から素直に感謝の言葉が漏れた。
ここ数年、そんな当たり前の感謝の言葉すら、母親にかけていなかった。俺は俺で恐怖や幻覚に悩まされていたとはいえ、母親の心情を慮るといたたまれない気持ちになる。
「母さんはお腹は空かないの?」
「母さんはいいのよ」
俺の疑問に返ってきたのは、答えにならない答えだった。
いつだってこの母親は、自分のことを後回しにする。死んでしまうくらいなら、ひきこもりの息子など投げ出して逃げてしまえばよかったものを。
俺は母親を改めて観察してみる。
風呂に入ったことで、一時はすさまじかった悪臭はなくなった。俺が自室にいる間にリビングの掃除と換気をしたらしく、漂っていた死臭もなくなっている。
このうつろな状態でも、部屋の状態を確認して、半ば本能的に掃除をしたのだろう。
考えてみるまでもなく不気味だが、リビングが綺麗になったのはありがたい。
「トイレは行った?」
聞いてから、あまりにもデリカシーのない質問だと気づく。
でも、当然湧いてくる疑問だろう。
「トイレは綺麗に掃除しました」
なんだかピントのボケた答えだが、おそらく、今の母親は用足しの必要がないのだろう。
食事も要らず、排泄の必要もない。
おまけに、死体だったはずなのに動いている。
胸を押さえたままの姿勢で死後硬直し、死斑が出ていたはずの身体は、生前よりすこし青白いかな?という程度にまで回復している。
ここまでこれば、母親が今どんな状態にあるのか、想像するのは難くない。
もっとも、その結論を素直に受け入れるのは難しい。
「⋯⋯アンデッドになったってことだよな。ゾンビって言ったほうがいいんだろうか」
隕石が地球に間断なく降り注ぎ、そこからゴブリンだのトロールだのオークだのが溢れてきているのだ。母親がゾンビになるくらい、十分ありうることなのかもしれなかった。
「でも、それならどうして俺を襲ってこないんだ?」
隕石から出現したモンスターたちは、見境なく人間に襲いかかってくるという。すくなくとも今のところ、人間に友好的な「モンスター」は確認されていない。
「やっぱり、母親は死んでいて、これは完全に正気を失った俺が見ている幻覚なのか?」
いい加減、何が現実で何が幻覚なのかはっきりしてほしい。
いや、はっきりはしているのだ。
これまで散々幻覚に悩まされてきた経験からして、「母親のアンデッド化」「隕石」「モンスター」は現実である。
一方、ふとした瞬間に聞こえてくる、俺を詰る母親や教師や上司の声は幻聴だ。
幻覚が見え、幻聴が聞こえはするものの、それらが現実でないことは俺にはわかる。
そうだ、現実を確認するために、もっと現実的な質問をしてみよう。
「母さん。今うちにある食料で何日くらいもちそう?」
「明日の分まではあります。冷凍食品ばかりになるけど」
思った以上に現実的な答えが返ってきて、俺は反射的に現実逃避したくなった。
隣町である南浅生には隕石が落ちた。
その後の混乱で街のあちこちで火災が発生してるのが俺の部屋の窓から見えた。
遠い悲鳴が風に乗って時たま響き、昨夜はけたたましいクラクションの音がせわしなく鳴っていた。
その騒動も、夜が明ける頃には一服したようだった。避難が終了したのか、それとも南浅生が全滅したのかは知らないが。
南浅生の隣町であるここ――飛鳥宮市の側でも、住民たちが一斉に避難しようと動いているようだ。
「遠からずここにもモンスターが来るかもしれない。食料も明日の分までしかない、か」
なかなかシビアな現実だ。
もっとも、ひきこもりとしてセルフ幽閉のような生活を十年以上続けるのと比べて、どちらがマシかはなんともいえない。
「まあ、ある意味わかりやすいよな。避難した家や店舗を漁って食い物を取ってこればいい。ハローワークに行って履歴書書いて何十社も面接落とされて、ようやく入った会社がブラックで、死ぬ寸前まで働かされてやっと給料がもらえて、その給料でようやく飯が食える⋯⋯って考えれば、超えるべきハードルは全然低い。こんな状況だ。食料を漁ったところで、警察に捕まるおそれも少ないだろう」
要するに火事場泥棒である。もともと現実と幻覚の境目が曖昧になってる俺にとって、日常的な倫理観を乗り越えるくらいはわけないことだ。
「でも、同じことを考える連中は必ずいる。それに、モンスターと遭遇したらどうしようもない。警察の機動隊も壊滅したとか言ってたし」
俺はヴィンテージもののひきこもりだ。体力なんて当然ない。
モンスターはもちろん、一般的な男ともみあいになっても確実に負ける。いや、女性が相手でも負けるだろう。
ただ、不思議と、他人と遭遇すること自体に対する恐怖は湧かなかった。
「最初から敵対する前提なら、不意に傷つけられるリスクがない、か⋯⋯」
俺にとっては、モンスターの闊歩する無人の街の方が、学校の教室や会社の職場よりも「安全」に思えるということか。命を賭けて戦ったことのないひきこもりの、甘い認識なのかもしれないが。
俺は、そこでふと閃いた。
「⋯⋯いっそ、母さんに行ってきてもらうか?」
今の母親は、命令をすればその通りに行動するようだった。
俺が食料を取って来いと言えば取りに行くだろう。
われながらクズだと思ったが、妙案かもしれない。
いや、
「ダメか。今の母さんにできるのは、身に染み付いた行動だけだ。スーパーやコンビニに買い物に行くくらいならできるかもしれないが、無人の街で食料を漁るようなことができるとは思えない」
ならば、やはり俺が自分で行くしかない。
それとも、街を離れ、避難先を探すべきなのか?
テレビではしきりに全国のシェルター一覧を流しているし、同じ内容がネットでも流れている。
だが、
「⋯⋯怖い。学校の体育館でダンボールの仕切りのすぐ向こうに他人がいるんだぞ⋯⋯」
そんな場所に身を置くくらいなら、無人の街にとどまった方がマシだ。
それに、避難所に行けば絶対安心とも限らない。
隕石の混乱で物流は寸断され、多くの避難所で必要な物資も食料も不足している。
局地的な災害とは違い、今回は地球規模の災害だから、被災地の「外」からの支援が期待できない。
もし本格的な食料危機が起きれば、最悪殺し合いになるだろう。殺し合いにはならなかったところで、見捨てる奴を投票で決めようなどという流れになった場合、俺は真っ先に選ばれる自信がある。
「ああ、くそ⋯⋯どうすればいい?」
俺がうじうじと悩んでいると、不意に母親がソファから立ち上がった。
母親はうつろな顔で宙を見る。
「ど、どうしたの?」
「買い物⋯⋯行かなくちゃ」
「今の状況考えてよ」
「でも、食べ物残ってない⋯⋯。直毅のご飯が作れない」
「それは俺がなんとかするから」
「直毅にご飯は作れない。買い物にも行けない」
「うぐ⋯⋯」
うつろなまま言われた言葉に軽く凹む。悪気がなく、淡々と事実を言っただけという口調なのがなおさら胸に刺さる。
「待って。母さんはじっとしてて」
俺は語気を強めてそう言った。
これまでなら、母親はこれで引き下がった。この状態の母親は、どういうわけか俺の「命令」をきくようなのだ。
だが、
「買い物に行かなくちゃ⋯⋯。家を守らなくちゃ⋯⋯」
母親はふらふらと廊下に向かう。
「ま、待った!」
俺はとっさに立ちふさがるが、
「どいて」
「うわっ!?」
母親にぐいと押され、俺はリビングの壁に頭をぶつけた。
俺が虚弱なんじゃない。
いや、虚弱だとは思うが、それ以上に母親の力が異常だった。
ほとんど抵抗すらできず、半ば身体が浮かんだほどだ。
「待って!」
俺は必死で母親の腰にすがりつく。
⋯⋯冷静に考えるとヤバい絵面だったが、この状況でこんな状態の母親を外に出すわけにはいかない。外で何かがあった時、俺では探しに行くことすらできないのだ。
「行かなくちゃ⋯⋯」
「ぐおおっ!?」
母親は、俺を腰にぶらさげたままで歩き出す。俺は足を廊下の角に引っかけ抵抗を試みるが、母親にあっさり振り切られた。
「行かなくちゃ⋯⋯」
「くそっ! どうすりゃいいんだ!?」
玄関のドアの鍵を外す母親を、俺は止める手段がない。
「どうする、どうする⋯⋯!?」
俺の目玉がぐるぐる回る。
そのままパニック発作を起こして倒れそうだ。
母親が玄関の鍵を外し、車のキーを取って、玄関のドアを開こうとする。
開きかけたドア。
その隙間から外の世界が侵入してくる。
俺の混乱は極致に達した。
「どうすりゃいいってんだよぉぉぉぉっ!」
幼子のように叫んだ俺に――
どこからともなく、なんの前触れもなく、
いきなり《声》が降ってきた。
《亥ノ上直毅は、母親の後を追って、勇気を持って一歩を踏み出した。》
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仕方なく。本当に仕方なく、当てもなく歩を進めて辿り着いたのは冒険者の集う街<タイタン>
「冒険者って何の仕事だ?」とよくわからないまま、彼はバイトで冒険者を始めることに。
最初は田舎者だと他の冒険者にバカにされるが、気にせずテキトーに依頼を受けるタロー。
しかし、その依頼は難度Aの高ランククエストであることが判明。
ギルドマスターのドラムスは急いで救出チームを編成し、タローを助けに向かおうと――
――する前に、タローは何事もなく帰ってくるのであった。
しかもその姿は、
血まみれ。
右手には討伐したモンスターの首。
左手にはモンスターのドロップアイテム。
そしてスルメをかじりながら、背中にお爺さんを担いでいた。
「いや、情報量多すぎだろぉがあ゛ぁ!!」
ドラムスの叫びが響く中で、タローの意外な才能が発揮された瞬間だった。
タローの冒険者としての摩訶不思議な人生はこうして幕を開けたのである。
――これは、バイトで冒険者を始めたら最強だった。という話――
現代にモンスターが湧きましたが、予めレベル上げしていたので無双しますね。
えぬおー
ファンタジー
なんの取り柄もないおっさんが偶然拾ったネックレスのおかげで無双しちゃう
平 信之は、会社内で「MOBゆき」と陰口を言われるくらい取り柄もない窓際社員。人生はなんて面白くないのだろうと嘆いて帰路に着いている中、信之は異常な輝きを放つネックレスを拾う。そのネックレスは、経験値の間に行くことが出来る特殊なネックレスだった。
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もう、MOBゆきとは呼ばせないっ!!
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