わし七十歳定年退職者、十七歳冒険者と魂だけが入れ替わる ~17⇔70は地球でも異世界でも最強です~

天宮暁

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35,桜塚猛、現状を整理する

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「……大変なことになったわね」

 キャリィ嬢が、カーテンを薄く開け、窓の外をうかがいながらつぶやいた。

 ――わしらが今いるのは、サヴォンの領主の館である。

 館は北の高台にあり、簡単な防壁があるにはあるが、守るには難しい。
 それもそのはず、サヴォンの守りは街の周りをぐるりと囲む城壁を第一としている。もしこの城壁が突破されれば、その時点でサヴォンの陥落は決定的だ。領主の館に籠城したところで意味などない。その時には街を捨てて逃げ出すことが想定されている。

 しかし、この想定はあくまでもモンスターを相手にすることを前提としたものだ。
 対モンスター戦に限れば、城壁で食い止め、それでも無理なら街から逃げ出し再起を図る……というのは合理的だ。
 そのモンスターが組織的に行動し、逃げ場のないように街を包囲するなどということは、想定のはるか外にある。

黒旗こっき派がここまで勢力を持つとは、想定外だ」

 そう言ったのは、この街の領主であるクラーク・リヒトその人だ。
 わしらがいる食堂の上座に座り、食卓の上に広げられたサヴォンの地図を厳しい顔で見つめている。
 歳は、四十を超えたくらいだろうか。黒みがかったブロンドの壮年で、美男子ではないが、くっきりした眉と堀の深い目鼻立ちが印象的だ。

「ど、どうするのだ……このようなことになるなど、聞いてない!」

 見苦しくわめいたのは、小太りの男だった。
 年齢はクラークと同じくらいだろうが、受ける印象はまるで違う。
 サヴォンでは珍しい、日に焼けていない白い肌は、ところどころで重力に負けている。
 赤い目は、もっと若い頃には精悍な印象を与えていたのかもしれないが、今はただ神経質にまばたきを繰り返しているだけだ。
 ザハルド・ゴージー。サヴォン冒険者ギルドの元副ギルドマスターだ。

 怯えを滲ませるザハルドに、キャリィ嬢が虫を見るような目を向けた。

「落ち着きなさいよ。腹の出た中年男が怯えたってみっともないだけだわ」
「そ、そうは言うが、この状況だぞ!? 今にも黒旗派がこの館に押しかけてくるかもしれんのだ!」
「ふん、あそこまでされて魔王につこうなんていう腑抜けどもの集まりなのよ? そんな大それたこと、できるはずないでしょ」

 キャリィ嬢がばっさり斬って捨てる。
 ……やはり、この二人の主導権はキャリィ嬢の方にあったようだ。

 領主クラークが、二人を見て口を開く。

「私としては、汚職に関わった者を放免してやる気にはなれんのだが……」

 クラークは、忌々しげにため息をつく。

「今はしかたあるまい。冒険者ギルドまでもが黒旗派の手に渡ってしまったのだ。冒険者の手綱を握れる者は、たとえ犯罪者だろうと使うしかない」

 クラークの言う通り、サヴォンの冒険者ギルドは既に黒旗派の手に落ちている。
 魔王軍がSランクパーティ《爽原そうげんの風》を火あぶりにしはじめてから、黒旗になびく者が一気に増えた。それまでの黒旗派は、戦う力のない都市住人が中心だったが、火あぶり以降は有力な冒険者の中からも黒旗になびく者が増えている。
 中でも痛かったのは、

「まさか、Aランクの《ボルネスの翼》があっちについちまうとはねぇ」

 壁に身をもたせかけているミランダが言う。

「この街唯一のSランクだった《爽原そうげんの風》なき今、この街の最有力の冒険者は《ボルネスの翼》だ。彼らの去就は他へ与える影響が大きすぎた」

 ジュリアーノがため息をつく。
 アーサーが言う。

「じゃが、実力はともかく、あやつらの人望はさほどでもなかったからの。Bランク以下の冒険者の半数がこちら側なのじゃ。やや劣勢じゃが、なんとか均衡を保ててはおる」

 たしかに、こちら側――抗戦派についた冒険者たちも少なくない。
 アーサーの言うように、《ボルネスの翼》は素行のよくないパーティだったせいで人望はあまりない。だからこそ、Aランク止まりだったのだ。
 一方、壊滅した《爽原の風》は、素行もよく、格下の冒険者の面倒見もよかった。今回魔王軍に捕まってしまったのも、サヴォンの危機を知って急いで戻ってきたところで、運悪くナザレにでも出くわしてしまったのだろう。
 《爽原の風》を尊敬する冒険者は、とくにBランク以下には多い。彼らは《爽原の風》の仇を討つべく、魔王への徹底抗戦を呼びかけている。

 ギルドの職員の大半も、ギルドを捨てて抗戦派に身を投じてくれている。
 なお、ザハルドが街に蓄えていた資材の多くも、冒険者の手によってこの館に運び込まれていた。

「あたしのおかげね」

 キャリィ嬢が胸を張る。

 多少の抵抗はあったようだが、冒険者もギルド職員も、今ではザハルドとキャリィ嬢の指揮を受け入れていた。
 いや、正確にはほとんどキャリィ嬢の指揮である。
 手だれの受付嬢だったキャリィ嬢は、冒険者や職員の実力を知り尽くしていた。
 彼女による適材適所の配置がなければ、数で負け、Aランクパーティのいない抗戦派は、黒旗派に対抗できなかっただろう。

「何を言う。おぬしらの最大の被害者であるロイドが率先しておぬしらを許したからこそ、皆が従っておるのじゃ」

 アーサーがキャリィ嬢に言う。

「わかってるわよ。だから、表向きはあんたたちの手柄にしておいてあげてるんじゃない。でも、約束は忘れるんじゃないわよ?」
「おぬしがわしらを謀殺しようとしたことを不問にするのじゃろう? わかっておるわい」
「横領のこともなかったことにしてくれればいいんだけど」
「無茶を言うな。皆が知っておることを、なかったことになどできんわ」
「……そういう話を、領主である私の前でしないでもらえるかね?」

 アーサーとキャリィ嬢のやりとりに、クラークが苦虫を噛み潰したような顔をする。
 領主が続けて言う。

「しかし、解せんな」
「何がです?」

 ジュリアーノが聞く。

「現状、魔王軍は戦力的に優位に立っているはずだ。抗戦派と黒旗派が拮抗しているのは城壁の内側だけのこと。外側の勢力が黒旗派と結べば、あっという間にサヴォンは陥落する。いや、積極的に裏切らないまでも、サボタージュされるだけで防衛の手が足りなくなるのは明らかだ」

 クラークの言うことは、既に何度か議論されているが、明確な答えは出ていない。
 魔王ナザレは自軍の消耗を嫌い、サヴォンが内部崩壊するのを待っているのではないか、という意見が有力だ。

「ドロモットの軍も不自然だ。仮にナザレとドロモット王の間で何らかの交渉があったとしても、人間の軍隊がモンスターと肩を並べて陣を敷くというのは理解に苦しむ」

 クラークの言う通り、隣国ドロモットの軍は、魔王ナザレ率いるモンスター軍に合流している。
 というより、わしらの前にナザレが現れたのは、ナザレがちょうどドロモットの軍を引き連れてサヴォンに戻ってきたタイミングだったようだ。
 ドロモット兵は《爽原の風》の火あぶりも目撃しているはずだが、動揺らしい動揺を見せず、淡々とモンスター軍の背後に陣を敷いていた。

「おそらくは、ナザレが力を奪ったという神オストーの力なのでしょう。神が人の心を操るのはむしろ自然なことかもしれません」

 ジュリアーノが言う。
 なお、わしらはこれまでのいきさつを含め、クラークに事情を話している。
 さすがに、コンジャンクションでわしとロイド・クレメンスの意識が入れ替わっていることは伏せている。ただでさえ信憑性の薄い話だ。必要に迫られない限り話すことはないだろう。

「信じがたい話ではある。ナザレが神だなどと……。しかし、実際にモンスターと隣国の軍を操っていることは事実なのだ。魔王というたわけた呼称を、一概に笑い飛ばせんだけの力は持っている」

 クラークは、辺境の領主らしく現実主義者のようだった。
 人の話は聞くが、疑わしければ信じない。ただし、明確な証拠があれば疑わない。簡単なようでいて、案外難しいことだ。人は、自分にとって都合のいいことを信じたがる生き物なのだ。

 わしは、疑問に思っていたことを話すことにした。

「ひとつ、俺にも引っかかってることがあるんだ」

 ロイドの口調で言うと、皆がわしに注目する。

「包囲のことだ。サヴォンはモンスター軍とドロモット軍で二重に包囲されている。まぁ、ドロモット軍は今のところ南側だけのようだけどな」
「それがどうかしたのか、ロイド?」

 ジュリアーノが聞いてくる。

「普通、街を包囲して降伏を勧告する場合、どこか一方を開けておくもんじゃないのか? そうしないと包囲された側は死兵になって、攻撃側は思わぬ苦戦を強いられるはずだ」

 わしの言葉に、キャリィ嬢がぽかんとした顔をしている。
 たしかに、ロイド・クレメンスの言いそうなことではない。

 領主クラークが言う。

「……たしかにそれが兵法の常道だ。逃げ場を失った側は死に物狂いで戦うから、攻撃側はたとえ数の優位があったとしても防御側を過度に追い詰めるべきではない。逃げ場を作っておけば、怖気づいた防御側の一部が逃げ出して、防御側の人数を労なく減らせる。……しかし、よく知っていたな、ロイド君」
「あ、いやぁ、吟遊詩人かなんかから聞いたんだよ」

 わしはとっさにごまかす。

「ほう。兵法を踏まえた上でサーガを語れる吟遊詩人がいるのか」
「あ、ああ……だいぶ昔のことだから、名前とかは忘れちまった」

 追及されそうだったので、先手を打って話をそらす。
 クラークは、さいわい、それ以上吟遊詩人にこだわることなく、話を元に戻した。

「魔王ナザレが兵法を知らないという可能性は?」

 これにはジュリアーノが答える。

「可能性は低いかと。相手は自称何百歳かの魔導師だそうですから」
「ふむ。それでは、魔王は黒旗の策でこの街を落とせると思っているのかもしれん。内紛を煽るには、逃げ場など潰してしまった方がいいだろうからな」

 クラークの見解には、たしかに一定の説得力がある。

 ミランダが言う。

「本人が書いてよこしたように、冒険者を戦力として取り込みたいんじゃないのかい? そのために、サヴォンの住人を逃さず、無傷で手に入れたいんじゃ……」
「その説には難があるぞい。《爽原の風》を火あぶりにした件じゃ。あんなことをしておいて、冒険者が自発的に魔王に与するとは考えにくかろう」

 ミランダに、アーサーが反論する。

「……どうも、向こうの行動に一貫していない部分があるようだな」

 ジュリアーノが考え込む。

 今度は、キャリィ嬢が口を挟む。

「こういう時は、相手がこちらをどういう状態にしたいのかを考えればいいのよ」
「どういう状態にしたいか?」

 わしが聞き返すと、キャリィ嬢がうなずいた。

「ナザレがこれまでにやったことはこうよ。包囲して、恐怖を煽って、サヴォンに内部分裂を起こさせる。一見すると、ナザレはサヴォンを降伏させたいように見えるけれど、あたしの意見は違うわ。むしろ逆なのよ。ナザレは、サヴォンに降伏を迫ることで、サヴォンを混乱させようとしている」
「えっ……じゃあ、キャリィちゃんは、ナザレの目的はサヴォンの降伏ではなく、サヴォンを混乱させることだって言うのか? なんでだ? そんなことをして、ナザレにどんな得があるってんだ?」
「そんなの、あたしが知るわけないじゃない。ただ、ナザレの行動が、目的に向かって計画的になされたものだとしたら。結果としてサヴォンが混乱しているのだから、ナザレの目的はサヴォンの混乱だったと考えるのが素直なんじゃない?」

 わしらは沈黙する。
 キャリィ嬢の意外に(?)理路整然とした話に驚いたのもあるが、それ以上にその内容だ。
 わしは言う。

「ははっ……そんな馬鹿な。それじゃあまるで、ナザレがこの街を混乱させて邪神への生贄にでもしようとしてるみたいじゃないか」

 半分冗談で言って、すぐに気づく。
 わしの言葉が、まったく冗談になどなっていなかったことに。
 わし以外の面子もしんと黙り込んでいる。

 ようやく、ジュリアーノが口を開く。

「ま、まさか……」

 ジュリアーノの顔がひきつっていた。
 それは、わしも同じだったかもしれない。

 クラークが言う。

「馬鹿な……それでは、降伏などしたところで何の意味もないではないか?」
「でしょうね。魔王ナザレの目的が混乱なら、黒旗派もろとも街をモンスターに襲わせるか、黒旗派をけしかけて抗戦派を殺させるか……あるいは俺の想像もつかない、もっと邪悪なことを考えている可能性も……」

 凍りついた室内に、廊下をどたどたと駆ける音が聞こえてくる。
 一瞬後、ドアが開いた。

「た、大変です!」

 ドアから現れたのは、領主の兵だった。

「何事だ!」

 クラークが威厳を取り戻して問い返す。

「はっ! サヴォンの街の北側で、エルヴァの集団がモンスター軍に突撃をしかけています!」
「なっ……エルヴァだと?」

 予想もしていなかったことを聞かされ、クラークが困惑する。
 クラークはジュリアーノを見た。
 今さら言うまでもなく、ジュリアーノはエルヴァである。

「俺にもわかりません。エルヴァが……?」

 ジュリアーノが伝令の兵に視線を向ける。

「その通りであります! エルヴァは破竹の勢いでモンスターの群れを蹴散らし、サヴォンの北門に近づいてきています! おそらく、サヴォンに入ろうとしているのではないかと」

 兵の言葉に、クラークが額を押さえる。

「ますますわからんが……少なくとも、われらの敵でないことはたしかだな。さいわい、北門はまだ抗戦派が確保している。黒旗派が動く前に、彼らをなんとか収容したい」

 クラークがわしを見る。
 たしかに、エルヴァが相手なら、エルヴァであるジュリアーノがいるわしの(ロイドの)パーティが適任だろう。

「わかった! 北門に行って、エルヴァ軍の収容を支援する!」
「頼むぞ」

 わしが立ち上がると、ジュリアーノ、アーサーも立ち上がる。
 ミランダも背を壁から離す。

 キャリィ嬢が言う。

「間違っても、モンスターに門を破られるんじゃないわよ」
「ったりめーだ、キャリィちゃん」

 キャリィ嬢にサムズアップして、わしは食堂を後にした。
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