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22.桜塚猛、襲撃を受ける

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 夕食の前に、ギルドマスターからの返書が届いた。
 ことがことだけに、エルヴァの大老からは、わしらが事前に開封して内容を確認してよいと言われている。
 さっそく部屋で書簡を開けたが、内容はエルヴァの要請を受け入れるということと、代価の具体的な金額についてだけだった。

「これでようやく解決さね」

 ミランダが息をつく。

「正確には、この書簡を大老に無事に届けたら、だな。だが、もうこれ以上の障害が出てくることはないだろう」

 ジュリアーノが肩をすくめる。

「まったく、面倒なことに巻き込まれたものじゃわい。じゃが、タケルのおかげで助かった。正直なところ、異世界の年寄りが辺境で何の役に立つものかと思っておったが、なかなかどうしてやるではないか」

 アーサーがにやりと笑って言ってくる。

「たまたま、わし向きの事件だっただけだよ。わし自身はとるにたらぬ引退した年金生活者にすぎんのだ」

 と、表向きは謙遜する。
 が、わしとて、事件の推移に胸を撫で下ろしたことは言うまでもない。
 長い会社員生活でも、他人の業務上横領を暴きたてた経験などなかったのだから。

 ギルドマスターは、酒でも飲めと、宿の一食分の代金をギルドのつけにしてくれると言ってきた。酒好きのアーサーは飛び上がって喜び、わしらは盛大に酒盛りをして、その夜は遅くなってから眠りについた。
 わしらは4人でひとつの部屋を借りている。紅一点のミランダが反発しそうなものだが、ミランダはそういうのに頓着しない性格だ。わしらも(というよりロイドらも)ミランダにけしからぬことをしようものなら、どんな制裁を受けるかよくわかっている。もっとも、ジュリアーノは二百歳を超えるエルヴァで性欲は薄いという話だし、ドヴォであるアーサーは人間の女にはあまり魅力を感じないという。このパーティでけしからぬことをしでかしそうなのはほかならぬロイドであるが、ロイドの中身は今は70の年寄りに変わっている。わしと入れ替わる前のロイドも、キャリィ嬢のような可憐な(ように見える)タイプが好みで、ミランダのような無骨な女はタイプではなかったらしい。とはいえ、ミランダの名誉のために言っておけば、彼女が女性としての魅力に欠けているわけではない。むしろ、女盛りを迎えた豊満な身体の持ち主で、しかも冒険者であるから締まるところはしっかりと締まっている。現代日本ではお目にかかれないタイプの野性的な美人だ。さしずめ、異世界版アマゾネスといったところか。性格もさっぱりしていて付き合いやすい。ロイドも、どうせ入れあげるならミランダにしておけばよかったのだ。

 深夜の部屋は静まり返っていた。
 ……と、言えればよかったのだが、実際はそうではない。
 ぐがーぐごーと、割れんばかりのいびきを立てているのはアーサーだ。
 ミランダもジュリアーノも慣れたもので、このやかましさの中で顔を歪めるでもなく安らかに眠っている。
 おそらくはロイドも、アーサーのいびきには慣れていたはずだ。
 が、わしにとってはそうではない。
 まだ現役だった頃、隣で寝る葉子に、最近いびきをかくようになったと指摘されたことがあった。試しに、カセットテープに録音して自分でも聞いてみたが、いくらなんでも、ここまでうるさくはなかったはずだ。

「……眠れん」

 わしは部屋の窓を薄く開ける。
 空には、ちょうど満月がかかっていた。
 このグレートワーデンにも、月に相当する衛星が存在する。
 大きさは、地球の月よりもやや大きい。
 その隈の形は、うさぎではなく、いななく竜に似ているとされる。そのため、月には竜が住んでいるという話もあるらしい。
 歴史好きなわしにはなんとも興味をそそられる話だ。
 この街に図書館でもあればよかったのだが、そのような施設はかなり離れた都市まで出向かなければないらしい。

 と、その月が一瞬翳ったような気がした。

 わしは目を瞬かせる。
 気のせいか。
 そう思ったのだが、わしの背後で誰かがむくりと起きだした。

「……サクラヅカおう、皆を起こしてくれ」

 そう言ったのはジュリアーノだ。
 その声はいつになく緊迫している。

「早く!」

 戸口を見張り始めたジュリアーノに急かされ、わしは仲間たちを起こしにかかった。


 月夜の中、宿の建物の陰に隠れるようにして、ひとりの女が立っている。

「この中にいる人間を残らず殺せ!」

 女が、血走った目で囁いた。
 その相手は、あきらかに人間ではない。
 黒い、靄のようなものに覆われた、身の丈2メートルほどの痩躯の巨人だ。
 デーモン。そう呼ばれる存在らしい。
 デーモンは、亡霊のような足取りで、足音すら立てず、宿の中に入っていく。

「あいつらを殺さなきゃ……あたしに未来はないんだ! 一生こんな辺境の街に閉じ込められて、晒し者にされて生きてくなんて耐えられない……!」

 女は、闇の中で歯を食いしばり、宙を睨んでいる。

「せっかく男好みの顔と身体に生まれたんだ……男どもから最後の一滴まで絞りとって、一生遊んで暮らしてやる……! あたしは、男にいいように利用されて終わるような女じゃない……!」

 やがて、宿の中から叫び声が聞こえてくる。
 月の光が雲の合間から女の顔を照らす。
 唇を醜く吊り上げたその女は、わしの予想通りの人物だった。

「やれやれ……温情をかけてやったら逆恨みかよ」

 わしは物陰から姿を現しながらそう言った。

「っ! ロイド・クレメンス!? どうしてここに!?」

 愕然とそう叫んだのは、他でもない、キャリィ・ポメロット嬢だった。

「うちのパーティには年寄りのエルヴァがいてな。デーモンの気配なんざ、バレバレなんだよ。逆に待ち伏せをかけてやったぜ」

 三人で大丈夫だというので、わしだけは宿を抜け出して、首謀者と対決することになったのだ。
 キャリィ嬢が、じりじりと後じさる。

「だ、だからって……デーモンよ!? Aランク冒険者でも下手をすれば殺されかねない相手なのに……」
「ふん。うちのパーティは、この程度の危険には慣れっこなんだよ。誰かさんがたんまり危険なクエストを押し付けてくれたおかげでな」

 もともと、ロイドたちのパーティは、他のパーティに比べて遺跡に潜ることが多いらしい。
 学者崩れのジュリアーノが、そういう遺跡をどこからともなく見つけてくるのだ。
 ミランダもアーサーも前衛としては申し分のない実力の持ち主だし、ジュリアーノは呪いの解除の他に、悪鬼亡霊のたぐいへの対処もできる。リーダーであるロイドは剣と魔法が使えるので、状況に応じて前衛でも後衛でも戦える。バランスが良く、さまざまな状況に柔軟に対応できるパーティだといえた。
 また、そういうパーティだからこそ、キャリィの押し付ける危険なクエストを易々とこなすことができたのだ。

「残念だよ、キャリィちゃん。今回のことをきっかけに、まっとうに生きてくれないかと思ったんだけどな」
「よく言う……あたしを晒し者にしておいて……!」
「斬られるよりはなんぼかマシだろ?」
「斬られたほうがマシよ!」
「生きてれば辛いこともある。でも、若いうちに死んじまったら、永遠に見られない世界だってあるんだぜ?」
「あたしより年下のくせに、年寄りくさい説教してんじゃないわよ!」

 おっと、これは一本取られてしまった。

「それより……これは一体どういうことなんだ、キャリィちゃん。あんたは悪魔召喚師だったのか?」

 悪魔召喚師。ロイドの記憶では、ほとんど伝説の存在だ。かつて魔王と呼ばれた男がそう名乗っていたという話がある。
 キャリィ嬢がそんな力の持ち主だったら、なぜギルドの受付嬢などに収まっていたのか。

「ふん! そんなわけないでしょ! もういい、こうなったら全部ぶちまけてやるわ! あんたもあの男もめちゃくちゃになればいいのよ!」
「あの男……?」
「ナザレよ!」
「ナザレって……誰だっけ?」

 かすかに、聞き覚えがあるような気がする。
 わしではなく、ロイドの方の記憶だ。

「馬鹿だねぇ、ロイド。ナザレ・トロンゾ。あのギルドマスターのことじゃないか」

 わしの背後から、ミランダの声がした。
 振り返る。そこには、ミランダ、ジュリアーノ、アーサーが揃って立っていた。

「無事だったか」
「当たり前だ。遺跡では複数のデーモンに囲まれたこともある」
「あの時は絶対死んだと思ったわい」
「なにげに、このパーティでいちばん無謀なのはジュリアーノだからねぇ。ま、それに付き合うあたしらもあたしらなんだが」

 わしの言葉に、三者三様の反応が返ってくる。

「酒を飲んでいたからな。不覚を取るのではないかと心配した」
「ふん、あの程度、飲んだうちにも入らんわ!」
「夕食がギルドのつけになったのには、ちゃんと裏があったというわけか。ただ酒とはおそろしいものだ」
「ザル揃いのあたしらには意味がなかったけどねぇ」

 なお、わしはちびりと嗜んだ程度である。記憶によれば、ロイドも飲める口らしいが、未成年者の身体であまり飲酒をするのもどうかと思ったのだ。

 キャリィがギリギリと奥歯を噛みしめる。

「じゃあ、デーモンをけしかけて俺たちを消そうとしたのは……」
「そうよ! ナザレのやつに渡されたのよ! こいつを使ってあんたたちを消せ、それができたら街から逃がしてやるって!」
「副ギルドマスターはおいてけぼりかい?」
「あんな役に立たない男を、なんであたしが助けなくちゃならないのよ! あいつの脇が甘いからこんなことになったっていうのに!」

 心底から嘲りに満ちた声で、キャリィが言う。

「副ギルドマスターをそそのかしたのはあんただろうに……」
「権力をかさに言い寄ってくるような男を利用して何が悪いのよ!」

 なるほど、副ギルドマスターとキャリィ嬢の関係が今更ながらよくわかる。

 そこで、ジュリアーノが声を上げた。

「ちょっと待て! これはマズいぞ、サクラヅカ翁! ギルドマスターが、我々をデーモンを使って消そうとした張本人だとしたら、ナザレは伝説の悪魔召喚師だったことになる! しかも、自分の手で我々を消すのではなく、わざわざキャリィ嬢を利用した。では、ギルドマスター、ナザレは、今どこで何をしているのか!?」

 ジュリアーノの言葉にピンとくる。

「まさか……やつの狙いは聖櫃か!?」

 わしはキャリィ嬢を睨みつける。

「セイヒツ……? そんなことは知らないわ。でも、そもそも、あの遺跡を探させ、調査のクエストを発給したのは、ギルドマスターであるナザレよ。実務は副ギルドマスターのザハルドに任せていたけれど……ザハルドは、どうしてナザレはこんな見込みのなさそうな遺跡の調査に熱を上げているのかと首をひねっていたわ」
「ナザレは今どうしている!?」
「さぁ? 知らないわ。……ここから逃がしてくれたら、思い出せるかもしれないけど」

 キャリィ嬢がそう言ってにやりと笑う。
 死中に活を見つけたと、その顔が語っている。

 が、

「悪いけど、小娘の悪あがきに付き合ってる時間はないさね」

 ミランダが動く。
 一瞬でキャリィの懐に飛び込み、みぞおちに拳を叩き込む。

「かはっ……」

 キャリィ嬢が口から液を吐いて失神する。
 ジュリアーノが言う。

「ナザレがどこにいるかなど知れている!」
「遺跡じゃな」

 アーサーがうなずく。

 わしらは急ぎ部屋に戻って荷物を背負い込む。
 気絶したキャリィは、わしらの部屋にふん縛って閉じ込める。

 夜中は外壁の門が締まっている。が、見張りは外から中に入ってくる異常には敏感でも、中から出て行く者については、さほど注意をしていない。
 わしらは外壁の割れ目を通って街道に出る。

 遺跡までは、歩いて5、6時間の距離がある。
 わしらは足早に街道を進み、夜が明ける頃に遺跡へと辿り着く。
 わしらはろくに休みも取らずに遺跡に潜り――

「くそっ!」

 ジュリアーノが毒づく。

 遺跡の奥、方形のスペースの真ん中にあったはずの聖櫃は、既に持ち去られた後だった。
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