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第五章 15歳

77 鬼か蛇か

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 俺とロゼは、「影渡り」を使ってウルヴルスラの外を行く。
 山がちの森の中を潜り抜け、帝国兵の本陣へと近づいた。

 帝国兵は、ウルヴルスラから数キロ距離を取った地点に簡単な陣を敷いていた。
 吸魔煌殻兵――たぶん、黄装槍兵だろう――を中心に、一般兵も多くいる。
 数は、千くらいだろう。

 その中心には、黒地に赤い逆三角の旗が立った天幕がある。
 その周囲には、吸魔煌殻兵ではなく、赤い甲冑姿の騎士たちが立っていた。
 気配からして吸魔煌殻ではなく、そのレプリカを着けてるようだ。

「もしかして……」

 木立のあいまから「望遠」の魔法を使って陣地を観察しながら俺はつぶやく。
 隣で同じく「望遠」で陣地を見てたロゼが言う。

「ひょっとして、霊威兵装の時の皇女様?」

「だろうな。キロフだけじゃなく、ネルズィエンも出てきてたのか」

 キロフとしては、年若い学園の生徒騎士を虐殺する役目をネルズィエンに押し付け、その反応を愉しむつもりだったのだろう。
 ……あいつの趣味嗜好が読めるようになってきたのは不本意ではあるけどな。

 もともと帝国は現在帝国に西隣するヒュルベーンを攻めている最中だ。
 主要な戦力は西側に向けられ、反対にあるミルデニア側に差し向けられる戦力は限られてるはずだ。
 六年前の戦役以来疎んじられてるネルズィエンはヒュルベーン攻めには動員されておらず、ちょうど身体が空いている。
 お鉢が回ってきたのは、何もキロフの趣味のせいだけではないのだろう。

「キロフがやられたって情報は伝わってなさそうだな」

 もし伝わってたら、逃げ出す準備でもっと慌ただしくなってるはずだ。
 最初にハントの妹の人質を連れてきていた黒装猟兵は、ウルヴルスラに戻る前にロゼとユナが片付けてくれていたらしい。
 それでも、まともな軍隊なら黒装猟兵がやられたことに気づくはずだが、そうでないところを見ると、人質関連の動きはキロフの独断専行だったのかもしれない。
 キロフは丞相なのだから、自分の判断で動いても、独断専行とは言わないのかもしれないが。
 ともあれ、ネルズィエンがキロフの動きを知らないのは事実だろう。

「まさか、会いに行くつもり?」

「さっさと撤退してもらったほうがいいだろ?」

「そんなこと言って……美人に会いたいだけじゃないの?」

「俺にはロゼがいるじゃないか」

「それとこれとは別腹だ! とか言わない?」

「言わないって」

 美人、美少女と言っても、たしかにネルズィエンとロゼはタイプが真逆だ。
 ネルズィエンは霜降りステーキのような豪奢な美女で、ロゼは砂糖菓子みたいな儚げな雰囲気の美少女である。
 別腹というのは言いえて妙な気がしたが、もちろん、そんな地雷を踏むようなことは口にしない。

「気になることもあってな。ネルズィエンがいるならちょうどいい」

「そういうことならいいけど……」

 俺とロゼは影に飛び込み、帝国軍の陣地に侵入する。
 ネルズィエンが指揮してるせいか、さすがにこれまでの反省を踏まえ、要所に兵を置いて、陰を監視させてるようだった。陰ができないようにか、篝火も多めに置かれてる。
 とはいえ、俺とロゼならこんな程度はどうとでもなる。

 指揮官の天幕に潜り込む。
 天幕の中には、予想通りネルズィエンがいた。
 霊威兵装研究所の時と同じぴったりした黒いバトルスーツを着て、その上に将校の証らしい赤いマントを羽織ってる。マントは右肩の前で鷲の形をした金の留め具でまとめられていた。なかなか威厳のある姿である。
 ネルズィエンは床机に座り、地図の広げられた卓に肘をついて顎を支え、時折ため息をつきながら、地図や天井を睨んでいた。

 俺はとりあえず、ネルズィエンの背後の影から忍び寄り、

「――わっ!」

「うひゃあああああっ!?」

 どがしゃああ、と音を立てて、ネルズィエンが卓をひっくり返した。

「き、ききき、貴様、エリアック!」

「や、ひさしぶり」

 床に転げて俺を見上げるネルズィエンに、片手を上げて挨拶する。

「ちょっと、エリア……」

 俺の後ろに、呆れ顔のロゼが姿を表す。

「お悩みのようだな」

 俺がネルズィエンに言うと、

「くっ、貴様がここにいるということは……」

「ああ。キロフは倒した」

「ど、どうやって!?」

「秘密だ」

「そうか……鬼と蛇と、どちらが勝つかとは思ったが、勝ったのは貴様というわけか」

「驚かないんだな? っていうか、鬼と蛇ってどっちがどっちだよ」

「貴様が蛇に決まってる。
 いや、そのようなことはどうでもいい。
 たしかなのか?」

「たしか……と思うんだけどな」

「なぜ曖昧なのだ? 仕留め損ねたか?」

「いや、現れたキロフは倒したよ。
 ただ……なんつーか、手応えが足りないというか、『仕留めた』って感覚が薄くてな」

 キロフを倒した時の魔法に手応えはあったが、その手応えは、人を一人仕留めた割には軽かった。

 キロフはゼーハイドに存在を喰われていた。
 「存在を喰われる」というのは想像しにくいが、ウルヴルスラによれば、存在を喰われると「その人間が存在しているという感じ」が薄くなるのだという。

 そのせいかとも思うのだが、妖怪変化みたいな奴のことだ。
 そもそもここに現れた「奴」は本当に本物だったのか?
 そんな疑問すら浮かんでくる。
 実際、闘戯場での決戦では、奴は複数の分身を生み出していた。
 あれは相手の意識に浮かんだ自分を具現化させたものだったが、「分身」という発想が奴にあるのなら、別の方法で「予備」、あるいは影武者を用意してる可能性も捨てきれない。

「ひょっとしたら、奴には影武者がいるかもしれない。
 ネルズィエン、おまえは以前、自分が人質になって処刑されたとしても、古代宮殿ラ=ミゴレはおまえのクローンを作れると言ってたな?」

「キロフにクローンがいるというのか?
 だが、あれを使えるのは皇族だけのはず……」

「皇帝が許可を出せば使える、なんてことはないのか?」

「わからぬ。そこまでは聞かされていない」

「キロフのクローンを宮殿で見たことは?」

「ない。
 そもそも、クローンとはいうが、魂は一度にひとつの身体にしか入ることができぬ。
 キロフが今の身体で活動している以上、クローンを作ったところで、それはただの肉の器にすぎん。
 そんな肉の器でも、時間とともに自我が芽生えるというが、その自我は当然、オリジナルの自我とは別個のものだ。双子のきょうだいのようなものだな」

「じゃあ、ネルズィエンが人質として刑死したとして、新しい『ネルズィエン』を古代宮殿が生み出したとしても……」

「わたしとは別の人間だな。
 だが、それは私から見ればの話だ。他の者からすれば、私と同じ血統と能力、精神性を持つ新しい『ネルズィエン』を、今の私と区別する必要がない。まさしく私の代わりというわけだ。事情を知らぬ者なら、入れ替わったことにも気づかないだろう」

 ネルズィエンの話はわかりにくいが、こういうことだろう。
 もし自分を百パーセント完璧にコピーした分身を生み出したとする。
 そのコピーは何から何まで自分そっくりだが、別個の肉体を持ってる以上、そいつはいくら自分に似てても「他人」である。
 その状態で自分が死んだとしても、自分の意識がコピーの方に合流するということはない。
 自分が死んだ時点で自分の意識は消滅し、自分そっくりの他人が、自分とは別に生きてるだけだ。
 もっとも、コピー側から見ると、脳内まで完璧にコピーされているのなら、コピーされる以前からの意識が連続しているので、コピーの主観としては、最初から最後まで自分は生きているということになる。
 それを外面的に見れば、自分は死んだが、そのそっくりさんが生きている状態であり、自分が死んだことが知られていなければ、そっくりの人物がそこにいる以上、他人からは「自分」は生きていると思われる。

 キロフにそうしたコピーがいたとしたら、俺が倒したキロフはたしかに死んだものの、外面的にはキロフとまったく同じ個体がどこかにいる、ということになってくる。
 それをこちら側の視点から見れば、「キロフはまだ生きている」と言っても、「キロフは死んだがキロフ2号が生きている」と言っても、実質的にはほとんど同じことだ。

 とはいえ、

「キロフが自分のクローンを作っていたとしても、それは俺が倒したキロフと連続性を持たないってことだよな。
 あいつがそんな中途半端な形に満足するか? 自分が死んだら、コピーだけ生きててもしょうがないと思いそうな気もするけどな」

 俺が倒した方がコピーだったという可能性もなくはない。
 ただ、あれだけはっきりした自我を持ってた以上、たとえコピーであろうとも、自ら死地に赴くようなことをするものだろうか?
 あれだけの魔法が使える相手に、暗示をかけるのも難しいだろう。

「わからぬ。自分が死んだ後のことなどどうでもいいと思いそうでもあるし、逆に、自分のコピーを残すことに執着しそうでもある」

「クローンとして用意した肉の器に、現在のキロフを移すことはできないのか?」

「わからぬな。だが、霊威兵装のようなものがあったのだ。キロフが己の魂を別の肉体に移すすべを持っていたとしても驚かぬ」

「霊威兵装か。それもそうだな……」

 やっぱり、これはキナ臭い。
 闘戯場でキロフの見せた分身は、意識を一部共有しつつも、それぞれ独自の判断で動いているように見えた。
 つまりキロフは、魂は一度にひとつの身体にしか入れないという原則を超えている。

 ついでにいえば、そもそもキロフは異世界からの転生者だ。
 異世界から魂をこっちに運んできて、現在のキロフの身体に入れた者がいるわけだ。
 さっき俺に倒されたキロフから魂を抜き取り、別の肉体へと移し替える――そんなこともできるのかもしれない。
 手応えが薄かったのは、キロフの一部しか仕留められなかったからだとも考えられる。

(キロフが迂闊に突出して罠にかかったように見えたのもそのせいか?)

 キロフにとって現在の肉体が替えの利くものなのだとしたら、こっちの戦力をはかるために、あえて罠にかかったという可能性まで出てくるな。

「俺の気の回しすぎならいいんだけどな……」

「何かひっかかることでもあるのか?」

 ネルズィエンが聞いてくる。

 俺は、自分の推測をネルズィエンに語る。
 もちろん、転生の部分はぼかしてな。

 ネルズィエンの顔が青くなった。

「なんだと……。もしそのようなことができるのなら、奴はほとんど不死身ではないか!」

「そうだな」

 異世界への転生は、神レベルの存在でないとできないことらしい。
 ウルヴルスラにもそれはできず、俺をこの世界に転生させたのは、ウルヴルスラのネトゲ仲間だったという別の世界の女神様だ。
 だが、その女神様がキロフを転生させたってことはありえない。
 いまだ姿を見せていない別の何者かが、キロフを転生させたはずなのである。
 もしその存在が、いまだにキロフに便宜を図っているとしたら……

「だとしたら、わたしは急ぎ国表に帰らねば。キロフ復活まで時間の猶予があるかもしれん。そのあいだに権力を掌握し、お父様を説得できれば、キロフを宮殿から排除できる可能性もある」

「それなら、これを持って行ってくれ」

 俺は、制服のポケットから端末を取り出し、ネルズィエンに渡す。
 俺の端末ではなく、ウルヴルスラに用意してもらったゲスト用の端末だ。

「これは?」

「ラ=ミゴレにはないのか?」

「初めて見る。ということは、黄昏人の遺産か」

「ああ。魔力を通してみてくれ」

「うおっ!? これは……」

「それを使って離れた相手と連絡を取ることができるんだ。ただ、ウルヴルスラから離れると通じなくなるらしい。どのくらいの距離まで使えるかは……そういえば聞いてなかったな」

『周辺の魔力の布置にも影響されるが、ウルヴルスラから数十キロ程度』

「だそうだ」

 ネルズィエンに渡した端末から聞こえたウルヴルスラの声に肩をすくめる。

「ふむ……ミルデニアの国境付近まで近づけば使えるということか」

「緊急時の連絡に使ってくれ」

「いいのか、こんなものを。
 それに、わたしは帝国軍人なのだぞ。スパイのような真似はできん」

「キロフを排除したいのは同じだろ?
 俺の心配が杞憂ならそれでいい。
 だが、もし当たってたらどうする? ネルズィエンだけで対処できる問題じゃないはずだ」

「それは……」

 ネルズィエンが眉根を寄せた。

「帰りに、定期的に連絡を入れてみてくれ。そうすれば、どこまでなら通じるかが確かめられる」

「待て、協力するとは言ってない!」

「じゃあ、敵対するつもりか?
 言っとくが、今の俺は6年前の俺じゃない。ここにいる帝国兵を全滅させるのは、そんなに難しいことじゃない。ロゼもいるしな」

「くっ……」

 ネルズィエンが歯を噛んでうつむいた。

「べつに、スパイになれとは言ってない。ネルズィエンの判断で、渡せる情報と渡せない情報を区別すればいいだけだ」

 まあ、定義によっては、それもスパイの範疇に入りそうだけどな。
 最初は合法的なことから始めさせて、徐々に非合法な情報窃盗に手を染めさせ、逃げられなくなってから本格的な諜報活動を強制する――
 前世のノンフィクションでそんな話を読んだことがある。
 もっとも、俺にそこまでやるつもりはない。

 ネルズィエンが言った。

「なぜ、わたしに暗示をかけない? 貴様になら、わたしを言いなりにするのは簡単なはずだ」

「そういうのはやめたんだ。人間関係が壊れるからな」

 と言って俺は、隣にいるロゼの頭を軽く叩く。
 ネルズィエンが苦い顔をした。

「これまで散々わたしを利用しておいて……」

「最初に攻めてきたのはそっちだろ。あの時は他にやりようもなかったからな」

「どうだか。わたしの鎧を脱がせて、わたしの身体を嬉々として検分していたではないか」

「ちょっ、エリア!? それ、どういうこと!?」

 いらんことを言うネルズィエンに、ロゼが俺の手を払って言ってくる。

「い、いや、吸魔煌殻を脱がせる必要があったし」

 実際にはネルズィエンが当時着用してたのは吸魔煌殻のレプリカだったけどな。
 当時のネルズィエンの、豊満で引き締まった肢体を思い出してしまう。
 今も当時も、ネルズィエンのスタイルは見事である。
 ロゼにはない大人の女性の魅力が詰まってることは否定できない。

「うう~! エリアって、絶対おっぱい好きだよね!?」

「そ、そんなことはないぞ? ていうかロゼだってけっこうあるし」

「わたしのはこう、ふわっとした感じだけど、この人のはむっちり引き締まった感じなんだもん! わたしじゃ鍛えてもこんな風にはならないよ!」

「そりゃそうだろうけど、どっちがいい悪いじゃないだろ。ロゼにはロゼの魅力がある」

「それってネルズィエンさんも同じくらい魅力があるって言ってるよね!? どうして嘘でも『ロゼがいちばんかわいいよ』って言ってくれないの!? わたしたち付き合ってるのに!」

「落ち着けって。俺にとってはロゼがいちばん大切だからさ」

「本当にぃ? 霊威兵装の件の帰りにこの人がキロフに拐われた時、わたしを置いて追いかけたよね?」

「うっ、あれは判断ミスだったと思ってるって」

「それだけじゃないよ! 最近はユナちゃんにもなんか優しいし! ユナちゃんはただでさえエリアに助けられて好意を持ってるんだから、優しくされたらイチコロなんだよ!?」

「ユナは関係ないだろ?」

「メイベル先輩とも仲がいいよね!? 読んだ本の話で盛り上がったりしてるし……」

「バイトの先輩と後輩だって」

「……おまえら、敵陣で痴話喧嘩をしないでくれるか?」

 ネルズィエンが、さすがに呆れた顔で突っ込んでくる。
 ネルズィエンはため息をついた。

「はぁ……。わかった。キロフの消息については、なるべく連絡を入れるようにしよう。端末の通信範囲に、怪しまれずに入れる機会があれば、だがな」

「頼むぜ。
 だが、無理はするなよ? キロフが丞相であり続けるなら、遠からずこっちの耳には入るんだ。早く知りたいことは事実だが、危険を冒してまで急ぐ必要はない。
 それよりは、帝国内でネルズィエンの身が危なくなった時の保険とでも思ってくれ」

「そんなことを言うから、その娘が不安になるのだ」

「そうだよ!」

 ネルズィエンの言葉に、ロゼが頬を膨らませる。

「ふん。鬼と蛇なら、血が通ってる分だけ蛇の方がマシだろう」

 ネルズィエンはそう言うと、天幕を出て、撤退の準備を始めたのだった。
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