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第四章 12歳

22 王国の影

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「セルゲイ……さん?」

 俺は間の抜けた声を漏らしていた。

 銀髪で浅黒い肌の老執事が、いつも通りの職業的な笑みを浮かべながら、隠れ家の戸口に立っている。

「そうですとも。坊っちゃまには正式に名乗っておりませんでしたな。私は、セルゲイ=ヌル=トワと申します」

「ヌル……闇属性か」

 いまいきなり現れたように思えたのも、「陰隠れ」か何かで身を隠しながら近づいたからだろう。

「トワ家は特殊な家系でしてな。代々の王家に陰ながらお仕えする、『王国の影』と呼ばれる家なのでございます」

「王国の影、ね」

 王家の隠密、みたいな存在なのか。
 実際、近づかれるまで気づかなかったしな。

「他の影使いのことは知らないけど、セルゲイさんの闇魔法がすごいのはわかるよ」

「ふぉっふぉっふぉっ。お褒めいただき光栄ですな。
 外部には漏らさぬトワ家家伝の闇魔法は、ちょっとしたものだと自負しております。
 もっとも、坊っちゃまの魔法を見るにつけ、このセルゲイ、少々自信を失って参りましたが」

「……いつから見てたんだ?」

「黒装猟兵どもに気づいた坊っちゃまが、自ら囮を始めてからですな。
 坊っちゃまは、他の者には気づかれぬが、黒装猟兵ならば気づく程度の『お忍び』で、王女殿下に夜這いをかけるようになりました。
 われわれは迂闊にも、それまで坊っちゃまが王女殿下の私室に出入りしていることすら把握しておりませんでした」

「ああ、そのタイミングか」

 俺が本気になれば、黒装猟兵にも気付かれずにロゼの部屋に出入りすることはもちろんできた。
 だが、今回の作戦のために、あえてギリギリで気づかれそうな程度の偽装にとどめていたのだ。
 だから、同じく闇魔法の専門家であるセルゲイが気づいたとしてもおかしくない。

 ただ、セルゲイはこのことに気づけない・・・・・はずだった。

「いやはや。同じ屋敷に起居していた私ですら、坊っちゃまが夜間に外出されていることに気づいておらなかったという体たらく。
 正確には、坊っちゃまが外出されることに気づいていながら、そのことをおかしいと思うことができなかった、ということのようですな」

「セルゲイには認識阻害をかけてたからな」

 最初はロゼとの一幕を黙っていてもらうためにかけた認識阻害だが、最近はロゼへの「夜這い」を誤魔化すためにもかけていた。
 執事であるセルゲイは、夜遅くまで起きてることが多かったからな。
 セルゲイが寝付くのを待っていては、ロゼのほうもおねむになってしまう。

「ほっほっほ。最初は気づきませんでしたが、年の功で徐々に違和感を覚えましてな。
 屋敷の日誌を読み返し、使用人に裏を取っていくと、どうもこのセルゲイめが精神操作を受けているらしいことに気づきました。
 それもどうやら、12のわらしに。
 ひさかたぶりに戦慄というものを覚えましたぞ」

「なるほど……たいしたもんだ」

「それはこちらのセリフでございますよ。
 っと、お話の前に、そちらの客人を拘束しておきましょう。先ほどから逃げる隙をうかがっておるようですからな」

「くっ! やめろ!」

 セルゲイは、足をやられて動けないでいるシュローバーを、どこからともなく取り出したワイヤーのようなもので縛り上げる。
 抵抗するシュローバーの腕を後ろに回し、必要最低限の手順で拘束する。その手並みはどこまでも手馴れていた。

 なお、ロゼを誘拐する時に睡眠魔法を使ったまま眠りこけてた黒装猟兵も、セルゲイは忘れずに縛り上げている。
 これだけ騒いでも目を覚まさないあたり、よほど気合いを入れて睡眠魔法を使ったんだろうな。
 結果、俺と訓練を積んでたロゼには効かず、自分だけ寝込む羽目になったわけだが……
 こいつが目を覚ました時の反応は、ちょっと見てみたい気もするな。

「くそがっ……」

 地面に芋虫のように転がされたシュローバーが毒づいた。
 無様を晒した黒装猟兵の指揮官を、セルゲイが闇色の瞳で見下ろした。
 老執事の仮面が剥がれ、その下から冷酷な諜報員の素顔が覗いてる。
 俺の背後で、ロゼが身を硬ばらせるのがわかった。

「……なあ、セルゲイがうちの臨時執事になったのは偶然なのか?」

 俺が聞くと、セルゲイはにやりと笑った。
 老執事としての職業的な笑みを浮かべ直しながら、セルゲイが言う。

「ほっほっほ。さきほど、このご客人も言っておりましたが、たしかに坊っちゃまは、闇の生き方に向いておられるようだ。ぜひ、トワの家にお引き取り申し上げたくなるお方ですな」

「そんなおっかない家には行きたくないよ。俺はいまの家が気に入ってるんだ」

「それは残念ですな。ご両親ともできたお方ですから、それも当然のことではございましょう。陽のあたる明るいご家庭は、わたくしめにはまぶしすぎるほどですよ。お若い坊っちゃまには実感がないかもしれませぬが、貴族には滅多にないことでございます。大事になさることです」

「……それは、言われなくてもわかってる」

「ふぉっふぉっふぉっ。歳を取ると説教くさくなっていけませぬな。
 さきほど坊っちゃまがお尋ねになった、私がブランタージュ伯の臨時執事となった理由でございますが、半分は偶然でございます。
 王様が伯の世話人を探していたのは事実ですよ。そこに、ちょうどいい人材として私がいた。そろそろ引退して家督を譲ろうと思っていた折だったのですが、陛下からお声がかかっては致し方ありませぬ。もちろん、国王陛下はあくまでも、ブランタージュ伯の臨時執事をご所望だったのですがね」

「もう半分はなんなんだ?」

 俺が聞くと、セルゲイは目を細め、わずかに声を潜めてこう言った。

「実は、トワの家では、ブランタージュ伯に疑いを抱いておったのです」

「疑いだって?」

「ええ。ブランタージュ伯が帝国軍を撃退した手並みは、なるほど、たいしたものでございました。
 しかし、その細部については不明な上、あまりに鮮やかすぎる勝利にございましょう? 武辺者で鳴らすあのドブロ公爵の騎士団ですら、緑装騎兵めに散々な目に遭わされたのです。ブランタージュ伯の勝利は、いくらなんでも見事すぎる」

「……つまり、父さんが帝国と内通してるんじゃないか。トワの家とやらは、そう疑ってたってことか」

「気を悪くなさらないでください。トワとはそのような家なのです。トワの疑いが、すべて事実というわけでもありませぬ。すこしでも疑う余地があらば疑え。それが、王家を陰ながら守護するトワの家の家訓でございます」

 ひょっとしたら、父さんと母さんが社交界嫌いで王都に寄り付かないのも、疑惑に拍車をかけてたのかもしれないな。
 俺のことを秘密にするために、王様にはいろいろぼかして報告してるし。

 でも、

「国王陛下は、父さんのことを疑ったりはしてないんだろ? 陛下のご意図を越えて調査するのは、越権行為なんじゃないか?」

「さきほど、申しましたでしょう。トワの家は、『王家を』守護する家系なのです。個別の王に忠誠を誓っておるわけではありません。むろん、王が王家を守護する限りにおいては、利害は一致しております。基本的には、トワと王は良好な関係を築くことが多いといえましょう」

「国王陛下が王家にとって不都合な選択をすれば、トワは王家のほうをとるってことか」

「正確には、王家の万代ばんだいわたる存続を取る、ということでございます」

「じゃあ、とんでもない愚王がいたら、首をすげ替えたりもするのか?」

「ほっほっほ。それは、お聞きにならぬほうがよろしいかと」

 セルゲイが、笑みを深めてそう言った。

「……ま、それはいいや。疑いは解けたんだろ?」

「そうですな。ブランタージュ伯がどのように帝国軍を撃退したかは察しがつきました。
 もっとも、今度は坊っちゃまが問題となってくるのですがな」

 セルゲイは、そこでちらりとロゼを見る。
 ロゼは身震いして、俺の背中に身を隠す。
 セルゲイが苦笑した。

「王女殿下に相克の克服法を教えてくださったこと、舞踏会での見事な立ち居振る舞い、普段の屋敷でのお過ごし方などを考え合わせれば、ただちに危険な存在ではない……そのようにセルゲイは理解しております」

「ただちに危険ではない、ね。
 どうせ、俺が長じてブランタージュ伯になった時に、国に叛旗を翻すんじゃないか……とでも思ってるんだろ」

「ほっほっほ。年寄りの杞憂と笑ってくだされ」

 そう言いながら、セルゲイの目はちっとも笑っていなかった。

 俺は、ちょっと考えてから言う。

「俺の前に現れたってことは、セルゲイは、自分の口をここで塞いでおけと言ってるんだな」

 俺が認識阻害などの精神操作の闇魔法が使えることを、セルゲイは知っている。
 知った以上、潜在的な危険分子としてマークせざるを得ない。

 だが、俺とロゼの関係や、父さんと王様の関係から考えて、俺がいきなり国家転覆をはかるような可能性はないと思ってる。

 それでも、疑えるなら疑うのがトワなのだとも言った。

 このままでは俺はトワの疑惑を完全には払拭できない。
 トワは国家保全のために、俺を始末しようと考えるかもしれない。
 危険はないと思うが、念のために。
 そんなふざけた理由でな。

「セルゲイ個人としては、俺のことを信用できると踏んでいる。あるいは、単に対帝国の戦力として、俺や父さん、母さんをここで失うわけにはいかないと思ってる。
 でも、それだけじゃトワの家を説得できない。セルゲイは引退して家督を譲るところだと言ってたしな。トワの実権は次代の当主に移りつつあるんだろう。
 もしトワの次代が俺を危険視して排除しようとしたら、ブランタージュ伯爵家とトワの間で壮絶な暗闘が始まってしまう。
 トワがその暗闘に勝てたとしても、帝国との戦争がいつ始まるかわからないこの状況で、『王国の影』たるトワが疲弊するのは危険すぎる」

 もちろん、本気になった俺とトワがやりあった場合に、トワが必ず勝てる保証はないと、セルゲイは睨んでいるはずだ。
 実際、やりあうことになったら厄介だろうとは思うものの、勝てない相手とは思わない。
 究極的には、王様かロゼをさらって人質にすれば、交渉くらいはできるだろう。やらないけどな。

「よく頭の回りなさる坊っちゃまだ。どうなさいます?」

 セルゲイが、挑むように聞いてくる。

「そうだな……やめとくよ」

「ほう、なぜ?」

「だって、セルゲイはこう考えてるだろ。自分を洗脳するならそれでよし、しないならしないで、俺の人間的素質を確認できる。
 いや、違うな。ここでセルゲイをどうにかしても、他の仲間がセルゲイの状態をチェックできるような体勢を作り終えてるんだ。
 まったく、人が悪いよ。俺のことを試してるだけじゃねーか」

「ほっほっほ。まさか、王女殿下の前で、そのようなことはいたしませぬよ」

「それだって、ロゼを手打ちの証人にしようってことなんだろ? ロゼに含んでおいてもらえば、俺もトワも勝手なことはできなくなるってな」

 俺が言うと、ロゼが俺の背中から顔を出し、セルゲイに向かって言った。

「セルゲイ=ヌル=トワ。彼は王家にとって危険な人物ではありません。そのことはわたしが保証します。あなたもまた、彼に危険はないと認めましたね?」

「いかにも、王女殿下。トワは謀略の家ではありますが、王家に偽りを誓うことはございません」

 珍しく王女なところを発揮したロゼに、セルゲイが右腕を前に、左腕を後ろに振りながら一揖いちゆうする。

 ロゼは、俺の背中に身体を隠し、俺の服をぎゅっと握って震えてるんだけどな。
 セルゲイ相手に、勇気を奮って言ってくれたってことだ。

「俺も父さんも、王国への忠誠に偽りはないよ。
 俺たちは伯爵領の平和な暮らしに満足してる。好き好んで権謀術数や下克上の世界に飛び込みたいとは思わない。
 トワの家にも、こっちから関わるつもりは毛頭ない。そっちから手を出してきたら……まあ、手痛いしっぺ返しを食らうだろう、とは言っておくけどな」

「ほっほっほ。言ってくださいますな、坊っちゃま」

「……あ、あの、エリア? セルゲイさん?」

 はらはらしてるロゼを尻目に、俺とセルゲイが睨み合う。

 セルゲイの闇色の瞳が、つやのない光を湛えて、俺の心を覗きこもうとしてくる。

(王国の闇を見つめてきた目、か。おっかないな……)

 前世の圧迫面接なんて、目じゃないような状況だ。
 逃げ場のない場所で毒蛇と睨み合ってるような、本能的な恐怖を感じる。
 前世の俺だったら、絶対にうろたえていただろう。
 睨み合いに耐えられたのは、完全に【無荷無覚】のおかげだった。

「……本当に、将来の楽しみな坊っちゃまですな。風雲の時代に現れた鳳雛ほうすう。王女殿下のお味方であるのが、なんとも心強いことですな」

 セルゲイが視線を外し、そんなことをつぶやいた。

 俺はそっと息を吐きつつ、セルゲイに聞く。

「俺のことはそれでいいけどさ。王妃様はどうするんだ?」

 俺の言葉に、安堵しかけてたロゼが再びびくりとした。

「黒装猟兵を引き込んで、ロゼを誘拐させようとしたんだ。放置するわけにはいかないが、かといって表沙汰にもできないんじゃないか?」

 王家の醜聞になるようなことを、トワの家とやらが望むようには思えない。

「そこは、わたくしめに任せていただければ。いかようにもできましょう」

 平然と言ってのけたセルゲイに、ロゼが聞く。

「このことは、お父様には報告するのですか?」

「正直申し上げて、陛下にこれ以上のご心労をおかけしたくはないのですよ。
 王妃殿下が不慮の死を遂げられる。
 陛下は、今度こそよき伴侶に巡り合われる。
 それでよいではありませんか」

 そう言って暗く笑うセルゲイに、俺とロゼは言葉を失った。

「では、坊っちゃま。この場はじいに任せて、王女殿下をお城まで送ってあげてくださいませ。この先は、歳若い方々に見せるものではございませぬからな」

 ふと目をやると、地面に転がされたままのシュローバーが、血走った目で俺のことを睨んでる。

 ――その後、この黒装猟兵の隊長がどんな運命を辿ったのか。

 俺は知らないし、知りたいとも思わなかった。
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