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第三章 9歳

13 終結

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 その日の正午。
 ネルズィエンは、将官たちにランペジネからの撤退を命令した。

「とすると、峠にまで下がって陣を敷くのですかな?」

 と、将軍が聞く。

「いや。峠を越え、ザスターシャまで撤退する」

 将官たちがざわめいた。

「そ、そのようなことをすれば、いかな皇女殿下とはいえ、陛下のお怒りを買うことになりますぞ!」

「だろうな。
 だが、こちらがランペジネを……攻略できたようでできていない、中途半端な状態にある以上、北の街道から攻め入る緑装騎兵に呼応することもままならぬ。
 ならば、すみやかに撤退するべきだ。緑装騎兵のみ突出しても、王都までは攻めきれぬ」

「で、ですが、峠でいったん様子を見ることはできるのでは?」

 将官の一人が、青い顔で食い下がる。

「様子を見ていかにする? ブランタージュ伯が近隣からの増援を得て、大軍となるのを見守るつもりか? 峠は狭い。この兵数で越えるには時間がかかる。連中が攻めてきてからでは遅いのだ」

「そ、それは……」

 将官が悔しげに黙り込む。

 代わって、将軍が念を押す。

「……本当によろしいのですな?」

「私がすべての責を追う。うかつにランペジネを占拠したのが、そもそもの誤りであった」

「あの状況では、誰であっても同じ判断をいたしまする」

「そうだな。だが、指揮官は結果で判断されるのだ。私には天運がなかった。そうとしか言いようがない。これ以上ぐずぐずして、陛下から預かった貴重な兵を、睡眠不足などというたわけた理由で失うわけにはいかぬのだ」

 ネルズィエンの言葉に、もはや反論する者はいなかった。

 この場にいる誰もが、眠れない辛さをイヤというほど実感してる。

 かくして、ネルズィエン麾下の帝国赤装歩兵とザスターシャ兵の混成部隊は、ランペジネの街を、戦わずして放棄した。





 帝国軍は、ランペジネから数キロほど離れた地点で、一心不乱に眠っていた。

 ランペジネに張り巡らせた《不夜城ブラックカンパニー》の効果範囲外に出た途端、帝国軍の将兵たちはバタバタと倒れ出した。
 そのままぐっすり眠り込み、他の兵が揺すっても一向に起きる気配がない。
 そのうちに、起こしてる方も眠気に耐えられなくなり、電源が切れたようにばったりと地面に倒れ伏す。
 帝国兵たちは、蚊にたかられようとヒルに吸いつかれようと、意にも介さず眠り続ける。

 影に紛れてついてきた俺は、その様子を見守りながら時間と距離を計算する。

(さすがに、まだかな)

 時計もGPSもない世界で、軍事行動のタイミングを合わせるのは難しい。
 事態は想定通りに推移してる。手筈通りに進むものと信じよう。
 じりじりと尻が落ち着かないような感覚があるが、例によってストレスには感じない。

 それから数時間が経つと、根性のある一部の兵が起き出し、周囲の兵を起こしにかかった。

 一度起きると、さすがに二度寝を決め込む兵はいなかった。
 なにせ、いまこの時にも、悪辣な罠を張った張本人であるブランタージュ伯(濡れ衣)が、追撃の兵を出しているかもしれないのだ。
 いかに赤装歩兵が常人の三倍の戦闘力を持っていようと、寝込みを襲われてはどうしようもない。

 まだ解消されない睡眠不足でふらつきながらも、帝国軍は夜半すぎに峠についた。

 往路に築いた陣地に見張りを配し、帝国兵は二列縦隊で狭い峠道を退却していく。
 休む間も与えられず、夜間の強行軍で、数日前に通ったばかりの峠を引き返してるわけだが、峠を登る兵たちの目には希望の光があった。
 この峠さえ越えてしまえば、追撃に怯えることもなく、眠りたいだけ眠れるからな。

 ネルズィエンは、ふもとの陣地に最後まで残るようだ。
 その天幕の中に、俺もひっそりと隠れてる。

「急がねば」

 ネルズィエンがつぶやいた。

「あの子ども――エリアックは、撤退のことを知っている。
 ならば、その父であるブランタージュ伯が追撃をしかけてきてもおかしくない。狙うならまさに今――帝国兵の半数が峠を越えたこの時機だ……」

 さすが、いい読みをしてるな。
 すこしだけだが仮眠を取れたのがよかったのだろう。

 俺は、天幕を陰伝いに抜け、月の位置を確かめる。

(時間だな)

 俺は、東の空を見上げた。
 月の光に照らされて、ちかちかと瞬くものがあった。

 その直後、

 ざあああっ……!

 と、通り雨のような音がした。
 ガスガスガス!と陣地のあちこちに何かが突き立つ。
 兵たちから悲鳴が上がった。

「がは……っ!」
「ぐぎゃああっ!」
「い、いでえよぉっ!」
「な、なんだぁっ!?」

 喉を貫かれ、絶命して倒れる帝国兵。
 肩を押さえ、のたうちまわる帝国兵。
 傷口から溢れる血を必死で抑えようとしている帝国兵。
 運よく無事だった兵も、何が起こったかわからず混乱してる。

 俺は、近くの地面に突き刺さった「もの」を手に取った。

 それは、30センチほどの長さの透明な針のようなものだ。
 手に取ると、その冷たさが伝わってくる。

「ふぅん。この距離でも融けずにちゃんと刺さるんだな」

 氷でできた矢は、軸が中空になっている。
 急所を外しても身体のどこかに刺さりさえすれば、体内から血液を抜き出し続ける構造だ。

「敵襲! 敵襲だぁっ!」

 陣地の中が騒然とする。

 そこに、さらに降りかかる氷の矢。
 天高く射出され、急な放物線を描いて落ちてくるそれは、うろたえる帝国兵を斜め上から貫いた。
 その数、一射あたり百程度。
 狙いをつけてないので、見た目のインパクトほどには被害はない。
 だが、夜陰に紛れて降ってくる透明な矢は、兵たちに混乱を巻き起こすには十分だ。

 しばらくしてから、今度は陣地の反対側で、紅蓮の炎が吹き荒れた。
 突風に煽られた炎が、地面を舐めるように陣地を焼く。

「うぎゃああっ!」
「熱い! 助けてくれぇっ!」
「水をかけろ!」
「くそっ! 水じゃ消えねえぞ!?」

 水で消えるという性質を除去された魔法の炎が、火炎放射器のように陣地ごと兵を焼き尽くす。

「くそっ! やはり仕掛けてきたか、エリアック!」

 ネルズィエンが天幕から飛び出してきた。

 ある兵は、氷の矢に貫かれ、鮮血を噴き出しながら逃げ惑う。
 べつの兵は、消えない炎に巻かれ、地面をのたうちまわって絶命する。

 陣地は、地獄絵図と化していた。

「赤装歩兵を出せ! 敵の魔術師は森の中だ! 探し出して殺せ!」

 おっと、あいつらを父さんたちに向けられるのは避けたいな。

 父さんと母さんは、ランペジネの東、半日の地点に敷いた陣地から、少数の騎兵とともに騎馬で抜け出し、ランペジネを大きく迂回して、この陣地までやってきてる。
 夜の森の中だから気づかれてないが、父さんたちは寡兵なのだ。

 俺は、陰を伝って陣地の外の森に出る。
 森へと分け入る赤装歩兵を、陰の中から闇の刃を射出して始末する。
 同時に、闇魔法で周囲の兵に恐怖を刷り込み、森から逃げたいと思わせる。

「ぐわっ!」
「くそっ! 何かいやがるぞ!」
「ちくしょう! こんな得体の知れねえ森に入れるか!」

 逃げ出した赤装歩兵の影に潜み、俺は陣地内に舞い戻る。

「皇女殿下! 森に入った赤装歩兵が何者かにやられています!」

「ちっ! おそらくはあいつだな……はじめから逃す気などなかったということか?」

 ネルズィエンがほぞを噛む。

「……いや、ちがうな。
 私が戦わず逃げたとあれば、帝国内での影響力の低下は免れない。
 だからあえてひと当てし、私が逃げるに足るだけの口実を与えようというのだな……あのクソガキがぁっ!」

 ネルズィエンが地面を蹴りつけた。

 ご名答。
 さあ、早く逃げてくれ。
 皇女殿下がやられると、こっちの予定が狂うんだ。

「しかたあるまい。
 おい、赤装歩兵をまとめろ! 峠を登るぞ! ザスターシャ兵はしんがりとしてここに残す!」

 他国兵をしれっと囮にしましたよ、このアマ。

 だが、こっちにとってはそれでいい。
 筋力・体力に優れる赤装歩兵は、峠を登るのも速いだろう。
 相対的に足の遅いザスターシャ兵を置き去りにするのは、道理にはかなってる。

「殿下! こちらに!」

 赤装歩兵が籠のようなものを持ってきた。
 レプリカを付けてるネルズィエンには、吸魔煌殻の恩恵がない。
 籠のようなものに乗せ、赤装歩兵に運ばせるようだ。

 そんな準備をしてる間にも、二人の複合魔法使いによる魔法攻撃が、間断なく陣地に降り注ぐ。

 もともとの才能に加えて、俺との共同研究で、二人とも魔法の威力や効果を飛躍的に高めてるからな。
 赤装歩兵は魔力も強化されるとネルズィエンは言ってたが、強化された赤装歩兵の魔法より、俺の両親の魔法のほうが、射程も威力もあからさまに上だった。
 敵の射程外から、敵を一方的に蹂躙してる。

「くそっ! エリアックめ! いつか必ずその首を取ってやる!」

 皇女様らしからぬ悪態をついて、籠で担がれたネルズィエンが、峠へ向かって逃げていく。
 将軍もまた、赤装歩兵に担がれ、その後に続いていた。

 が、指揮官たちの逃亡に、ザスターシャ兵が気がついた。

「あっ! あの女、俺たちを囮にして逃げるつもりだぞ!」

「こんなところまで連れきて置き去りかよ!」

「許せねえ! ぶっ殺してやる!」

 よほどヘイトを買っていたのだろう。
 いきりたったザスターシャ兵たちが、自分たちの指揮官に向かって殺到する。

「き、貴様ら! われらに刃向かうつもりか!」

 籠から飛び降りた将軍が、剣をふるって迎え撃つ。
 他の赤装歩兵たちも応戦する。
 三倍強いは嘘ではなかった。数に勝るザスターシャ兵も、赤装歩兵の囲みを破れない。

 だが、ザスターシャ兵たちは諦めなかった。
 というより、諦められないのだ。
 後ろからは得体の知れない超強力な複合魔法がびゅんびゅん飛んでくる。
 このままでいれば、自分たちは、氷の矢か消えない炎に殺される。
 それくらいなら、指揮官を自分たちの手で討って、その首を手土産に降伏したほうがまだマシだ。
 もともと無理やり動員されてきたんだから、降伏するにも大義がある。

「こ、皇女殿下! とてももちませぬ! お一人でお逃げくだされ!」

 ザスターシャ兵と鍔迫り合いをしながら将軍が叫ぶ。

「くぅぅっ! このような屈辱を……!」

 ネルズィエンは一瞬ためらったが、どうしようもないと悟ったか、赤装歩兵たちを後に残し、峠をひとりで駆け上っていく。

「くそっ! 逃すかよ、帝国のアバズレ女がぁっ!」

 通すまいとする赤装歩兵の壁を、ザスターシャ兵の一人が潜り抜けた。
 その兵を追おうとした赤装歩兵を、べつのザスターシャ兵が足止めする。
 結果、フリーとなったザスターシャ兵が、逃げる皇女を血走った目で追いかける。

「待ちやがれぇぇっ!」

「ちぃっ!?」

 追っ手に気づき、ネルズィエンが足を速めた。

 だが、多少の仮眠をとったとはいえ、三徹明けの身体だ。
 険しい山道に、すぐに息が上がってしまう。

 追いかける方も同じコンディションのはずだったが、

「ふへへへっ! 前からいい女だと思ってたんだ! ぶっ殺した後においしくいただいてやるよ!」

 ……というようなモチベのおかげで、一時的に体力が増してるらしい。

「くそっ! 来るな!」

 ネルズィエンが炎の剣を生み出し抵抗する。

「おあいにくさま、俺はアマなんだよ!」

 ザスターシャ兵が魔法で水球を生む。
 炎の剣は、水球とぶつかって相殺された。

「へへへっ! 捕まえた!」

 ザスターシャ兵がネルズィエンの手首をつかむ。

「ぐっ!」

 乱暴に地面に押し倒され、ネルズィエンが呻きを上げる。

「さあ……ヤッてから殺すのと、殺してからヤるの、どっちがいい?」

 醜悪な笑みを浮かべるザスターシャ兵に、

「ふん、無理やり連れてこられた恨みがどうのと言っていたくせに、結局私の魅力に抗えぬのではないか。くだらんな」

 ネルズィエンはキツく睨み返してそう言った。

「けっ、本当にかわいげのねえ女だぜ。それならいいさ、すぐには死なねえように、身体の端っこからゆっくり削りながらヤッてやる……」

 兵は、狂気じみた笑みを浮かべ、逆手に握った剣をネルズィエンの耳に押し当てる。

 ゆっくり剣を引こうとしたところで、兵は異変に気がついた。

 持っていたはずの剣が、ゆっくりと地面に倒れたのだ。

「んあ?」

 兵は、剣を握っていたはずの自分の手に目を落とす。

 親指以外の、四本の指が飛んでいた。

「う、うぎゃあああっ!?」

 絶叫するザスターシャ兵。

 その影の中から、俺はゆっくり立ち上がる。

「き、貴様は……!」

 倒れたままのネルズィエンが、俺の顔を見て声を上げる。

「悪いが、この女は俺のお気に入りでね」

 俺は、闇の刃でザスターシャ兵の首を刎ね飛ばす。

「おい、皇女さんよ。ぼさっとしてないで早く行け」

「くっ……借りだなどとは思わんぞ、エリアック!」

「どうせ国を出たら忘れるさ」

「つくづく気に入らないガキだ……!」

 ネルズィエンが峠を逃げていく。
 その足はふらついていた。
 三徹の疲労もあるだろうが、いまの一幕、皇女様には刺激が強すぎたようだ。

「さて、と。あんまりやりすぎても帝国のメンツを潰しちまう」

 もともとは、父さんが言い出したことだ。
 敵を全滅させるのは簡単だが、やりすぎてはそれ以上の軍を送ってこられるおそれがあると。

「いや、父さんも相当やってるけどな……」

 氷の矢だけでも、既に相当な数を斃してるはずだ。

「ま、自分の領地に攻め入ってきたんだ。怒るのも当然か」

 俺は、光魔法で頭上に「閃光弾」を打ち上げた。

 これで、父さんと母さん率いる別働隊は、撤退を始めるはずだ。

 俺? 陰を伝って問題なく逃げれるぜ。






 ――こうして、ネオデシバル帝国軍によるミルデニア王国侵攻は、ブランタージュ伯によるネルズィエン皇女軍撃退という形で幕を下ろした。

 ブランタージュ伯側の犠牲者はわずか十数人。
 対して、ネルズィエン皇女軍は、精鋭である赤装歩兵を含む、千人近い犠牲者を出している。

 皇女軍の撤退により、北の街道で快進撃を続けていた緑装騎兵も、ミルデニアからの撤退を余儀なくされた。

 このいくさは、ブランタージュ伯エリオスの活躍から、いつしかブランタージュ戦役と呼ばれることになった。

 これまでその正体を秘匿していたネオデシバル帝国は、旧ザスターシャ王国を当面の版図とし、デシバル帝国の「再興」を宣言する。

 むろん、この再興宣言は周辺国に衝撃を与えた。

 ミルデニア王の提唱により、再興宣言から数ヶ月も経たないうちに、周辺国のあいだで反帝国同盟が結成される。

 強力な吸魔煌殻を多数所持する帝国ではあったが、周辺国をまとめて敵に回すには数が足りない。

 ネオデシバル帝国は、建国早々、軍事的・経済的な封鎖を受け、難しい舵取りを迫られることになった。

 周辺国はかろうじて、千年の昔から蘇った、伝説の帝国を封じ込めることに成功したのである。




 ――そして、その三年後。
 俺は、運命の相手と出会うことになる。
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