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【02】

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 カサンドラが石畳に叩きつけられないよう、身を挺し捻挫と打ち身を負ったメイドのクララには、体の痛みが引くまで安静にするよう休みが与えられた。
 貧乏貴族や、名ばかりの貴族とは違い、ゼータ家は裕福でメイドの数も揃っているので、一人二人静養しても仕事が滞ることもなく、他のメイドたちが不服に感じることもない。

「会いたい?」
「会ってお礼を言いたいそうだ」

 墓地に倒れていた老人、ホルスト卿を助けた二日後、朝食の席でカサンドラは兄のバルナバスから、会いたいという手紙が届いたと知らされた。

「ふーん。そう」

 カサンドラの七つ年上の兄バルナバスは、もとは跡取りだったのだが、二十年前の王家の後始末――王子の婚約者にカサンドラが選ばれたことで、バルナバスは後継の地位をカサンドラに譲った。
 ただ譲りはしたが、実権はバルナバスが握ることになっている。

「本来ならば出向く立場だが、怪我でまだ外出できないので、ご足労願えないかとの申し出だ」

 七歳違いの兄妹の仲は良好――バルナバスは食卓に乗せていた、ホルスト家の紋章入りの手紙を手に取り、ひらひらと動かす。

「お兄さまは、どのようにお考えで?」
「本心だと思うが、それだけではないだろうな」

 ホルスト公爵家は外交を得意とする家柄で、カサンドラが助けた先代のホルスト卿は、現国王トーマスと食糧支援をしてくれたオルフロンデッタ王国の王女アグネスの婚姻を成立させた、救国の英雄と称される人物。
 カサンドラも名前は知っていたが、容姿については知らなかった。

「そうね」

 会いたいと言われれば、会わないという選択肢はない――

「ホルスト卿の他に、帝国のハンス・シュミット氏からも、会いたいとお誘いの手紙が届いている」
「あの男、本気でハンス・シュミットで押し通すつもりなのかしら?」
「お忍びでやってきた、帝国の前皇帝の護衛責任者なので、名乗れないと書いていた」

 先ほどのホルスト家の紋章入りの手紙とは違い、一切の紋章が入っていない、罫線すら引かれていない純白の用箋。同じく眩しいほど白いに封筒に、一般常識から外れた赤いインクで書かれた文章、その最後の署名は間違いなくハンス・シュミット。

「もう名乗っているようなものよね」
「そうだな。どうする? カサンドラ」
「会ってやっても構わないわ」
「そうか。会う場所は月窓の特等席を希望とのことだ」

 月窓とはカサンドラたちの母方の叔父が経営している、百貨店内の喫茶店のこと。中二階に作られた、重厚でありながら開放的な作りと、飲食メニューの充実ぶり、そして定期的に行われるイベントで、人気を博している。

「席を用意しておいてくださいな、お兄さま」
「分かった。ところでカサンドラ、本当にハンス・シュミットは帝国の将だったのか?」
「血が共鳴しました。あの共鳴は初めてで……信じられない血の濃さを感じたわ。お兄さまも、会えば分かるでしょう」
「どうだろう。わたしは見た目だけだからな」

 カサンドラはホルスト卿を見舞った翌日、ハンス・シュミットと名乗る男と会うことにし――チーズを乗せて焼いたパンと、ゆで卵、三種類のフルーツとヨーグルトという健康的な朝食を終えた。

**********

 カサンドラはホルスト卿の見舞いに向かう際、護衛のフォルランと、兄の乳兄弟の姉を付添人として伴った。その車中で――

「あの背骨のような武器よね」
「はい。見た目どおり、帝国では背骨ザハルと呼ばれております」

 帝国――カサンドラの実家の領地トラブゾンは地中海に面している。その地中海を挟んだ対岸に存在している。

 トラプゾン領から望むことができる帝国は、四十年ほど前に誕生した新興国家で、現在もっとも勢いがある。
 
「たしか、あれで階級が分かるのよね? あのハンス・シュミットと名乗った男は、どの辺り?」
「あの武器の形状や素材、長さから推察すると、大隊よりは確実に上です」
「大隊より上ということは、次の皇帝の候補に入っているということね」

 帝国は皇帝の実子が皇帝を継ぐという仕組みではなく、神代の血を引く強い者が選ばれる仕組みになっている――と、カサンドラは聞いている。
 他にもさまざまな条件があるのだが、複雑で外部の人間には分からないことが多い。
 王の子が跡を継ぐという国が大多数を占める中、帝国は異彩を放っていた。
 またそのような仕組みのため、諸外国が王族を送り婚姻により同盟を……という、政策をとることも難しい。
 とにかく近隣諸国にとって、扱いの難しい国、それが帝国だった。

「そうだと思います」

 大隊指揮官から、次期皇帝候補になることは、カサンドラも聞いている――二年ほど前に三代目皇帝が即位したとき話題となり、新聞で特集が組まれたとき、カサンドラも目を通していた。

「……ハンス・シュミット帝と名乗るのかしら?」
「それはないかと」
「そうよね」
「ただあの時、あの男は青系統の小物を身につけていたので、名前もそれに類したものかと思われます」
「そういうものなの」
「はい……調査してみたところ、該当者は一名でしたが、そんなに分かり易いものかどうか。いや隠したりしない国ですので、おそらく間違いはないのでしょうが」

 護衛のフォルランは墓地から帰ってから、兄のバルナバスに報告し情報を集め――おおよその当たりをつけていた。

「言いたいこと、分かるわ」

 ハンス・シュミットを直接見ていない付添人だが、二人の会話から何となく厄介な人間なのだろうと――
 そしていつになくカサンドラが興味を持っていることを、バルナバスに報告しなくてはとも。

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