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五章 動乱
二十五話 大切な名前です!
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『いい加減目を覚ましてください、プー子上姉さまッッ!!』
アスモデウスに身体を乗っ取られ、精神世界の暗闇の奥底に閉じ込められていた冥土――プー子は一番下の妹の叫びを聞いた。
同時に僅かな光しか届かなかったその暗闇に、猛烈に輝く光が降り注いだ。
それは祝福の光のように煌々としていて。
「あ、ああぁ」
されど試練と言わんばかりに燦然と冥土の黒の瞳を焼き尽くす。無機質な両目を焼き尽くされた冥土は視界を失った。何も見えない世界が広がる。
「……私は」
代わりに、鮮烈に強く、けれど驚くほどに優しい光が心の裡に灯される。
それは『生』。
己が何者であるか。己が存在する確固たる真実。生きているという事実。
そんな情報が一気に冥土の作り物の心を書き換えていく。
イムニティが注入したプログラムだ。『生』を認識させ、自己改変を促すプログラム。矛盾を問題として認識させないプログラム。
人は、生き物は、矛盾を抱えたままそれを正常と定めて生きているからだ。
「私は冥土……創造主様たちに創られ、副創造主様に名づけられた人形」
だから、冥土は確信する。このごちゃごちゃな整理も付かないこの情報の嵐が、全ての証拠だと。
「そして、命ありて往きる人形ッ!!」
だから、冥土は生を我が物とした。
いつしか、焼き尽くされた瞳は強い光を宿していて、降り注ぐ猛烈な光にも抗う力を持っていた。
冥土は見る。見上げる。
「返して貰いますッ」
紫の蠍がいた。
それが冥土の身体を巣食い、支配していた。冥土を精神世界の奥底へ閉じ込めていた。
冥土はニィッと笑い、立ち上がる。
アスモデウスによって、魔力供給は絶たれているが、しかし、命が叫ぶ。怒る。
もう好き勝手にさせてなるものか。
「その体は私だけのものッ。創造主様たちに与えられた、大切な体ですッ!!」
『いいえ、もう私のものです。アナタはいつまでも堕ちていればいいのです』
対して紫の蠍は、アスモデウスは艶めかしい声を響かせる。
「ッ」
冥土は歯噛みする。
生を得たからこそ、アスモデウスは冥土の天敵。生を、女性を乗っ取り堕落させることに力の全てを持つ色欲。
冥土の心が疼く。渇く。辛い。苦しむ。しかも、その疼きを抑えようとすればするほど、より一層強く心が疼いてしまう。
そこに、甘い甘い囁きが響き渡る。
『嫌でしょう? 辛いでしょう? 疼きに耐えるなんて、愚かな事でしょう? だから、満たしてあげます。私が、全ての快楽に――』
「グッッ――」
ぞわりと冥土の心に寒気が走った。同時に、酷く心地の良い何かが、己を快くさせ、楽へ落とす甘美なまでの感覚が冥土を駆け巡る。快楽。
冥土は膝を突き、苦しそうに息を吐く。ここで屈しては全てが終わる。自分が快楽に支配され、何者にも成れなくなる。
自分が失う。
必死に耐えているが、それでもまだ冥土は自身の命を獲得したばかり。その意志を強靭に保つ経験を積んでいない。
だから、限界がある。
冥土の意識が朦朧とし、支配されようとしたその時。
『父と子と聖霊の名の許に――魚の肝臓の一部と心臓とを取って香の灰の上に置きなさい――悪嫌祓』
『グッ、何だ、これはッ!?』
どこからともなく清廉な声が響き渡ると同時に、冥土の精神世界に魚の生臭さを漂わせる煙が立ち込める。蠍のアスモデウスは驚き、慌ててその煙から逃げる仕草をとる。
だが、煙は冥土の精神世界を一気に駆け巡り、満たす。
『クソッ。何故ですッ!? どこにこんな術式がッ!?』
アスモデウスの焦りが響く。
だが、間断なく清廉な声がもう一度響く。
『父と子と聖霊の名の許に――神の癒しをここに――ラファエル』
顕現。偽顕天使、ラファエル。
本物の天使ではなく、伝承の天使を創り出し呼び出す霊術。それが偽顕天使。
『グッ! ガッッ!?』
現れたラファエルは神々しい光を脈動させると、蠍のアスモデウスに向かって光の極光を放った。蠍のアスモデウスはその光に貫かれ、変身を解く。
男とも女とも付かない容貌を持ち、美しく、それでいて卑しい体を惜しげもなくさらす存在が現れる。
アスモデウスの本体だ。
偽顕天使ラファエルは、そんなアスモデウスに睨むを利かせながら、膝を突き快楽に抗う冥土を優しく光の翼で包み込む。
冥土を襲っていた疼きが癒されていく。
『……冥土。聞こえているか?』
「烏丸先生ですか?」
ラファエルから郭の声が響いた。これは郭が冥土に施したお守りだ。
郭はアスモデウスが冥土の体に宿っていることを知っていた。
しかし、アスモデウスは天獄界の七王の一人であり、郭ではかなわない。
それにアスモデウスの性質上、女性である郭では対処どころか逆に手先として乗っ取られる場合もあったし、下手に手出しをすると冥土の精神が崩壊してしまう可能性もあった。
だから、冥土が自分の意思を獲得し、アスモデウスに抗ったその瞬間。アスモデウスに最も隙が生じるこの瞬間を狙って偽顕天使ラファエルを創り出す術式を仕込んでおいたのだ。
郭は偽顕天使ラファエルを通して冥土に伝える。
『ああ。それより時間がないから手短に言うぞ。アスモデウスは無理やり地球に出てきた。そしてここは精神世界。ここでなら、アイツを斃せる』
「はい」
『偽顕天使ラファエルがお前から離れた瞬間。その瞬間に走り出せ。そしてお前の全力をある一点に放て。場所は指し示す。大丈夫。お前は私の生徒。私の守りと祝福が届く。自信を持て。お前自身の命に、その全力に』
そして、偽顕天使ラファエルが冥土から離れる。冥土がアスモデウスに向かって走り出す。
同時にアスモデウスが吠える。
『無駄ですッ! いくらラファエルといえど所詮は偽物ッ! そいつでは私は殺せないッ! そして、そこの出来損ないは私に逆らえない。プー子などというクソみたいに酷い名を知っているからですッ!』
「グッ」
冥土の両足が止まった。どんなに冥土が命令しても動かない。
名とは相手を支配する上で最も重要だ。アスモデウスは、冥土の身体を支配できたがそれでも名を知りえることはできなかった。
けれど、イムニティがうっかり名前を叫んでしまった。
冥土の体が支配される――
「侮辱しないでくださいッ。その名前を、副創造主様から頂いたその名を侮辱しないでくださいッ! 大切な名前です! その名にとやかく言っていいのは私だけなんですッ!」
『ッ!?』
アスモデウスは驚愕する。
支配したはずの冥土が、自分に逆らったから。再び走り出したから。
その瞬間、
『穿て』
『何故、そいつからアザゼルのッ!?』
五条の極光が奔る。
詠唱なしの霊法が、郭の力そのものが偽顕天使ラファエルから放たれた。
それは神への叛逆。アザゼルの伝承。
そこに霊力による拡大解釈を施せば、天獄界に住まう存在全てに対して致命的な一撃を与える攻撃として、再構築することができる。
つまり、
『ガッ、アアァァァァァッッッ!!??』
アスモデウスの四肢が吹き飛ばされる。心臓が穿たれ、どろどろとした紫の結晶が宙を舞う。
『冥土ッ、そこだッ!』
「分かりましたッ!!」
冥土は飛び立つ。
背中に生やした二対四翼の黒翼を羽ばたかせ、右腕を黒腕へと変形させる。
そして、
「ハァァッッ!!!!」
『な、何故……』
どろどろとした紫の結晶を打ち砕いた。
Φ
時は少し前に戻る。
水が流れる音と共に、個室の扉が開いた。
「はぁ、激戦だった」
その個室から、げっそりとした様子でお腹をさする翔が現れた。
エクスィナが銚子を襲う化生たちの幻力を喰いまくった結果、多種多様な幻力に酔ってしまった。その影響で、翔はお腹を壊しトイレで格闘していたのである。
「銚子の方は〝竜星群〟でどうにかなったけど、絶対あとで直樹たちにおちょくられるよな、これ」
創り出した魔法の竜たちから銚子の状況を受け取りつつ、翔ははぁ、と溜息を吐く。それから暗がりの廊下を歩き、リビングダイニングに出た。
「あ、翔くん。もう大丈夫なの?」
「あ、はい。大丈夫です。お貸しくださりありがとうございます」
「いいのよ」
リビングダイニングと隣り合うキッチンでは、直樹の母親である彩音や大輔の母親である瞳子、それから雪の母親の司に杏の母親の芽衣が料理しており、リビングの方では、父親たちが優斗と一緒にゲームをしていた。
元々は、父親たちが料理をしていたのだが、優斗の相手をするために母親たちと交代したのだ。
日本が狙われている。
それが分かってから、まず直樹たちは両親たちを安全な場所へと避難させるために、直樹の家に集めた。
直樹の家は万が一のシェルターとして大輔が改造しており、地球上のどんな兵器でも汚れ一つ付かないほどの防衛力を誇っている。
神と名乗る存在が現れても、そう簡単にその防御力を突破することはできないので、安全すぎる場所なのだ。
だからと言って不安がないわけではなく、丁度イカでスプラッシュする対戦が終了した時、直樹の父親の勝彦が神妙な表情を翔に向けた。
「翔くん。直樹は、直樹たちは大丈夫なのか?」
「え、ああ、はい。大丈夫ですよ。なんなら、ここから中継でもしましょうか?」
「……いや、大丈夫だよ。ありがとう」
勝彦は一瞬翔の提案を受け入れようとしたが、隣に優斗がいることに気が付き、首を振る。大輔の父親である和也や杏の父親のリュッケンも同意するように頷いた。
戦い。
だから、直樹たちがどういう場所にいて、どういう光景が広がっているかはそれなりに想像が付く。
だからこそ、幼い子供である優斗にはそれは見せられない。
と、
「翔兄ちゃん」
「どうかしたか? 優斗君」
優斗がコントローラを投げだして、翔の服の裾を掴んだ。勝彦がコントローラのマイナスボタンを押して、マッチングから離脱させておく。
翔は優斗と目線を合わせるようにしゃがみ、不安そうな優斗の手を握る。
すると、優斗は申し訳ないように眉を八の字にしながら言う。
「あのね。帰りたいの」
「帰りたいって、お家に?」
「うん」
翔は少し思案しながらも、優斗に尋ねる。
「どうしてお家に帰りたいの?」
「……忘れた。ブルーレイを、家に忘れたの。みんなで見たいと思ったの」
「ブルーレイ?」
「僕魔女のブルーレイ」
「僕魔女って……」
翔は首を傾げた。
と、勝彦がポンッと手を叩く。
「ああ、『僕は今日、魔女と出会った』でしょ。優斗君。それなら、家にあるよ。ちょっと取りに行ってくるよ」
勝彦が自室に仕舞ってあるブルーレイを取りに行こうと立ち上がったら、
「違うの。家にあるやつで見たいの」
優斗が首を振った。
「う~ん」
勝彦が困ったように唸る。優斗の家にあるブルーレイもこの家にあるのも同じのだ。
だけど、優斗のこの固くなな様子を見ると、納得してくれなさそうだ。
すると、話を聞いていたのか、キッチンから司が現れる。しゃがみ、優斗の肩に手を置く。
「優斗。本当はなんでお家に帰りたいの?」
「う……」
どうやら、ブルーレイは口実のようで、理由は別にあるらしい。
優斗は言い淀む。
ただ、この言い淀み方も見覚えがあり、絶対に理由を言わないパターンなのだ。優斗の母親だからこそ、司はそれがすぐにわかり、どうするべきかと逡巡する。
と、
「よし。行くか」
「いいんですか?」
「はい。僕が一緒なら、ここから離れてもそう危険はないですし、こういう時、子供の顔が曇っているのが一番駄目だと思うんで。優斗君、失礼するよ」
「うん」
司にそう言いながら、翔は優斗の両脇に手を入れ、優斗を肩車した。
「それに、まぁ行って帰ってくるだけなら一瞬なので」
翔がそういえば、目の前に転移門ができあがる。
「何かあったら直ぐに連絡してください。一瞬で戻って来ますので」
そういって、翔は転移門の奥へ消えた。
「それで優斗君、何が――」
雪の家の玄関に一瞬で転移した翔は、肩車している優斗に尋ねようとして、
「こっち。こっちに来て!」
「ちょ、待って」
するりと優斗が翔の肩から降りて、鍵が空いている玄関の扉を開く。外へ出る。マンションの階段を転がるように、降りていき、マンションから飛び出る。
翔は慌てて追いかける。そして同時に感じ取った。
(え、ちょっと待って。いやいや、待て待て。微弱だけど魔力が、え、なんで?)
優斗が進む先にどうにも見覚えがある魔力の痕跡が感じられ、翔は首を傾げる。
それから背中に冷や汗を掻く。
(待て待て。これが、本当なら、ヤバい。何がヤバいって、うん、色々とヤバい。特に直樹がブチ切れ――)
優斗の足は子供とは思えないほど早く、夜の町を駆ける。もちろん、翔は見失わないが、しびれを切らした優斗が叫ぶ。
「早く。こっちッ!!」
「分かったから、そんなに早く走ると転ぶぞッ!」
「だったら早く来てッ!」
翔の制止も聞かず、優斗は走り出す。
そして翔は、ようやく感じ取れた気配に顔色を変え、慌てて優斗を抱きかかえ、豪速で走り出した。
======================================
公開可能情報
魚の肝臓の一部と心臓とを取って香の灰の上に置きなさい――トビト記6章17
偽顕天使:霊術、もしくは霊法によって創り出された伝承上の天使。
アスモデウスに身体を乗っ取られ、精神世界の暗闇の奥底に閉じ込められていた冥土――プー子は一番下の妹の叫びを聞いた。
同時に僅かな光しか届かなかったその暗闇に、猛烈に輝く光が降り注いだ。
それは祝福の光のように煌々としていて。
「あ、ああぁ」
されど試練と言わんばかりに燦然と冥土の黒の瞳を焼き尽くす。無機質な両目を焼き尽くされた冥土は視界を失った。何も見えない世界が広がる。
「……私は」
代わりに、鮮烈に強く、けれど驚くほどに優しい光が心の裡に灯される。
それは『生』。
己が何者であるか。己が存在する確固たる真実。生きているという事実。
そんな情報が一気に冥土の作り物の心を書き換えていく。
イムニティが注入したプログラムだ。『生』を認識させ、自己改変を促すプログラム。矛盾を問題として認識させないプログラム。
人は、生き物は、矛盾を抱えたままそれを正常と定めて生きているからだ。
「私は冥土……創造主様たちに創られ、副創造主様に名づけられた人形」
だから、冥土は確信する。このごちゃごちゃな整理も付かないこの情報の嵐が、全ての証拠だと。
「そして、命ありて往きる人形ッ!!」
だから、冥土は生を我が物とした。
いつしか、焼き尽くされた瞳は強い光を宿していて、降り注ぐ猛烈な光にも抗う力を持っていた。
冥土は見る。見上げる。
「返して貰いますッ」
紫の蠍がいた。
それが冥土の身体を巣食い、支配していた。冥土を精神世界の奥底へ閉じ込めていた。
冥土はニィッと笑い、立ち上がる。
アスモデウスによって、魔力供給は絶たれているが、しかし、命が叫ぶ。怒る。
もう好き勝手にさせてなるものか。
「その体は私だけのものッ。創造主様たちに与えられた、大切な体ですッ!!」
『いいえ、もう私のものです。アナタはいつまでも堕ちていればいいのです』
対して紫の蠍は、アスモデウスは艶めかしい声を響かせる。
「ッ」
冥土は歯噛みする。
生を得たからこそ、アスモデウスは冥土の天敵。生を、女性を乗っ取り堕落させることに力の全てを持つ色欲。
冥土の心が疼く。渇く。辛い。苦しむ。しかも、その疼きを抑えようとすればするほど、より一層強く心が疼いてしまう。
そこに、甘い甘い囁きが響き渡る。
『嫌でしょう? 辛いでしょう? 疼きに耐えるなんて、愚かな事でしょう? だから、満たしてあげます。私が、全ての快楽に――』
「グッッ――」
ぞわりと冥土の心に寒気が走った。同時に、酷く心地の良い何かが、己を快くさせ、楽へ落とす甘美なまでの感覚が冥土を駆け巡る。快楽。
冥土は膝を突き、苦しそうに息を吐く。ここで屈しては全てが終わる。自分が快楽に支配され、何者にも成れなくなる。
自分が失う。
必死に耐えているが、それでもまだ冥土は自身の命を獲得したばかり。その意志を強靭に保つ経験を積んでいない。
だから、限界がある。
冥土の意識が朦朧とし、支配されようとしたその時。
『父と子と聖霊の名の許に――魚の肝臓の一部と心臓とを取って香の灰の上に置きなさい――悪嫌祓』
『グッ、何だ、これはッ!?』
どこからともなく清廉な声が響き渡ると同時に、冥土の精神世界に魚の生臭さを漂わせる煙が立ち込める。蠍のアスモデウスは驚き、慌ててその煙から逃げる仕草をとる。
だが、煙は冥土の精神世界を一気に駆け巡り、満たす。
『クソッ。何故ですッ!? どこにこんな術式がッ!?』
アスモデウスの焦りが響く。
だが、間断なく清廉な声がもう一度響く。
『父と子と聖霊の名の許に――神の癒しをここに――ラファエル』
顕現。偽顕天使、ラファエル。
本物の天使ではなく、伝承の天使を創り出し呼び出す霊術。それが偽顕天使。
『グッ! ガッッ!?』
現れたラファエルは神々しい光を脈動させると、蠍のアスモデウスに向かって光の極光を放った。蠍のアスモデウスはその光に貫かれ、変身を解く。
男とも女とも付かない容貌を持ち、美しく、それでいて卑しい体を惜しげもなくさらす存在が現れる。
アスモデウスの本体だ。
偽顕天使ラファエルは、そんなアスモデウスに睨むを利かせながら、膝を突き快楽に抗う冥土を優しく光の翼で包み込む。
冥土を襲っていた疼きが癒されていく。
『……冥土。聞こえているか?』
「烏丸先生ですか?」
ラファエルから郭の声が響いた。これは郭が冥土に施したお守りだ。
郭はアスモデウスが冥土の体に宿っていることを知っていた。
しかし、アスモデウスは天獄界の七王の一人であり、郭ではかなわない。
それにアスモデウスの性質上、女性である郭では対処どころか逆に手先として乗っ取られる場合もあったし、下手に手出しをすると冥土の精神が崩壊してしまう可能性もあった。
だから、冥土が自分の意思を獲得し、アスモデウスに抗ったその瞬間。アスモデウスに最も隙が生じるこの瞬間を狙って偽顕天使ラファエルを創り出す術式を仕込んでおいたのだ。
郭は偽顕天使ラファエルを通して冥土に伝える。
『ああ。それより時間がないから手短に言うぞ。アスモデウスは無理やり地球に出てきた。そしてここは精神世界。ここでなら、アイツを斃せる』
「はい」
『偽顕天使ラファエルがお前から離れた瞬間。その瞬間に走り出せ。そしてお前の全力をある一点に放て。場所は指し示す。大丈夫。お前は私の生徒。私の守りと祝福が届く。自信を持て。お前自身の命に、その全力に』
そして、偽顕天使ラファエルが冥土から離れる。冥土がアスモデウスに向かって走り出す。
同時にアスモデウスが吠える。
『無駄ですッ! いくらラファエルといえど所詮は偽物ッ! そいつでは私は殺せないッ! そして、そこの出来損ないは私に逆らえない。プー子などというクソみたいに酷い名を知っているからですッ!』
「グッ」
冥土の両足が止まった。どんなに冥土が命令しても動かない。
名とは相手を支配する上で最も重要だ。アスモデウスは、冥土の身体を支配できたがそれでも名を知りえることはできなかった。
けれど、イムニティがうっかり名前を叫んでしまった。
冥土の体が支配される――
「侮辱しないでくださいッ。その名前を、副創造主様から頂いたその名を侮辱しないでくださいッ! 大切な名前です! その名にとやかく言っていいのは私だけなんですッ!」
『ッ!?』
アスモデウスは驚愕する。
支配したはずの冥土が、自分に逆らったから。再び走り出したから。
その瞬間、
『穿て』
『何故、そいつからアザゼルのッ!?』
五条の極光が奔る。
詠唱なしの霊法が、郭の力そのものが偽顕天使ラファエルから放たれた。
それは神への叛逆。アザゼルの伝承。
そこに霊力による拡大解釈を施せば、天獄界に住まう存在全てに対して致命的な一撃を与える攻撃として、再構築することができる。
つまり、
『ガッ、アアァァァァァッッッ!!??』
アスモデウスの四肢が吹き飛ばされる。心臓が穿たれ、どろどろとした紫の結晶が宙を舞う。
『冥土ッ、そこだッ!』
「分かりましたッ!!」
冥土は飛び立つ。
背中に生やした二対四翼の黒翼を羽ばたかせ、右腕を黒腕へと変形させる。
そして、
「ハァァッッ!!!!」
『な、何故……』
どろどろとした紫の結晶を打ち砕いた。
Φ
時は少し前に戻る。
水が流れる音と共に、個室の扉が開いた。
「はぁ、激戦だった」
その個室から、げっそりとした様子でお腹をさする翔が現れた。
エクスィナが銚子を襲う化生たちの幻力を喰いまくった結果、多種多様な幻力に酔ってしまった。その影響で、翔はお腹を壊しトイレで格闘していたのである。
「銚子の方は〝竜星群〟でどうにかなったけど、絶対あとで直樹たちにおちょくられるよな、これ」
創り出した魔法の竜たちから銚子の状況を受け取りつつ、翔ははぁ、と溜息を吐く。それから暗がりの廊下を歩き、リビングダイニングに出た。
「あ、翔くん。もう大丈夫なの?」
「あ、はい。大丈夫です。お貸しくださりありがとうございます」
「いいのよ」
リビングダイニングと隣り合うキッチンでは、直樹の母親である彩音や大輔の母親である瞳子、それから雪の母親の司に杏の母親の芽衣が料理しており、リビングの方では、父親たちが優斗と一緒にゲームをしていた。
元々は、父親たちが料理をしていたのだが、優斗の相手をするために母親たちと交代したのだ。
日本が狙われている。
それが分かってから、まず直樹たちは両親たちを安全な場所へと避難させるために、直樹の家に集めた。
直樹の家は万が一のシェルターとして大輔が改造しており、地球上のどんな兵器でも汚れ一つ付かないほどの防衛力を誇っている。
神と名乗る存在が現れても、そう簡単にその防御力を突破することはできないので、安全すぎる場所なのだ。
だからと言って不安がないわけではなく、丁度イカでスプラッシュする対戦が終了した時、直樹の父親の勝彦が神妙な表情を翔に向けた。
「翔くん。直樹は、直樹たちは大丈夫なのか?」
「え、ああ、はい。大丈夫ですよ。なんなら、ここから中継でもしましょうか?」
「……いや、大丈夫だよ。ありがとう」
勝彦は一瞬翔の提案を受け入れようとしたが、隣に優斗がいることに気が付き、首を振る。大輔の父親である和也や杏の父親のリュッケンも同意するように頷いた。
戦い。
だから、直樹たちがどういう場所にいて、どういう光景が広がっているかはそれなりに想像が付く。
だからこそ、幼い子供である優斗にはそれは見せられない。
と、
「翔兄ちゃん」
「どうかしたか? 優斗君」
優斗がコントローラを投げだして、翔の服の裾を掴んだ。勝彦がコントローラのマイナスボタンを押して、マッチングから離脱させておく。
翔は優斗と目線を合わせるようにしゃがみ、不安そうな優斗の手を握る。
すると、優斗は申し訳ないように眉を八の字にしながら言う。
「あのね。帰りたいの」
「帰りたいって、お家に?」
「うん」
翔は少し思案しながらも、優斗に尋ねる。
「どうしてお家に帰りたいの?」
「……忘れた。ブルーレイを、家に忘れたの。みんなで見たいと思ったの」
「ブルーレイ?」
「僕魔女のブルーレイ」
「僕魔女って……」
翔は首を傾げた。
と、勝彦がポンッと手を叩く。
「ああ、『僕は今日、魔女と出会った』でしょ。優斗君。それなら、家にあるよ。ちょっと取りに行ってくるよ」
勝彦が自室に仕舞ってあるブルーレイを取りに行こうと立ち上がったら、
「違うの。家にあるやつで見たいの」
優斗が首を振った。
「う~ん」
勝彦が困ったように唸る。優斗の家にあるブルーレイもこの家にあるのも同じのだ。
だけど、優斗のこの固くなな様子を見ると、納得してくれなさそうだ。
すると、話を聞いていたのか、キッチンから司が現れる。しゃがみ、優斗の肩に手を置く。
「優斗。本当はなんでお家に帰りたいの?」
「う……」
どうやら、ブルーレイは口実のようで、理由は別にあるらしい。
優斗は言い淀む。
ただ、この言い淀み方も見覚えがあり、絶対に理由を言わないパターンなのだ。優斗の母親だからこそ、司はそれがすぐにわかり、どうするべきかと逡巡する。
と、
「よし。行くか」
「いいんですか?」
「はい。僕が一緒なら、ここから離れてもそう危険はないですし、こういう時、子供の顔が曇っているのが一番駄目だと思うんで。優斗君、失礼するよ」
「うん」
司にそう言いながら、翔は優斗の両脇に手を入れ、優斗を肩車した。
「それに、まぁ行って帰ってくるだけなら一瞬なので」
翔がそういえば、目の前に転移門ができあがる。
「何かあったら直ぐに連絡してください。一瞬で戻って来ますので」
そういって、翔は転移門の奥へ消えた。
「それで優斗君、何が――」
雪の家の玄関に一瞬で転移した翔は、肩車している優斗に尋ねようとして、
「こっち。こっちに来て!」
「ちょ、待って」
するりと優斗が翔の肩から降りて、鍵が空いている玄関の扉を開く。外へ出る。マンションの階段を転がるように、降りていき、マンションから飛び出る。
翔は慌てて追いかける。そして同時に感じ取った。
(え、ちょっと待って。いやいや、待て待て。微弱だけど魔力が、え、なんで?)
優斗が進む先にどうにも見覚えがある魔力の痕跡が感じられ、翔は首を傾げる。
それから背中に冷や汗を掻く。
(待て待て。これが、本当なら、ヤバい。何がヤバいって、うん、色々とヤバい。特に直樹がブチ切れ――)
優斗の足は子供とは思えないほど早く、夜の町を駆ける。もちろん、翔は見失わないが、しびれを切らした優斗が叫ぶ。
「早く。こっちッ!!」
「分かったから、そんなに早く走ると転ぶぞッ!」
「だったら早く来てッ!」
翔の制止も聞かず、優斗は走り出す。
そして翔は、ようやく感じ取れた気配に顔色を変え、慌てて優斗を抱きかかえ、豪速で走り出した。
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魚の肝臓の一部と心臓とを取って香の灰の上に置きなさい――トビト記6章17
偽顕天使:霊術、もしくは霊法によって創り出された伝承上の天使。
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婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
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