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四章 妖魔

閑話1 ……一目惚れだったんです

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「どうぞ、入ってください!」
「お邪魔するのじゃ」

 雪はティーガンを家に招き入れた。ティーガンは上品な日傘を玄関の隅に掛け、ロリータ靴を脱ぐ。

 そして廊下の奥でそっと顔を覗かせている人影に気が付く。

「おお、優斗か。一週間ぶりじゃのぅ」
「……うん」

 優斗は人見知りはしないものの、直樹と大輔以外で、というよりも姉である雪が女性の友達を家に連れてきたことがないため戸惑っている。

 優斗はちょこんと頭を下げると、サササっと奥の部屋に消えてしまった。

 ティーガンは「愛いのぅ」と呟く。雪は少しあきれ顔だ。

「ところで、司さんはおらんのかの?」
「あ、お母さんは仕事です」
「ふむ。挨拶は後か。では先にこれは雪に渡しておくべきかの。手土産じゃ。冷蔵庫に仕舞っておいてくれんかの」

 そう言ってティーガンは片手に持っていた紙袋を雪に差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 雪は紙袋を受け取り、ティーガンに頭を下げ、リビングダイニングに案内する。

 ティーガンにソファーに腰に掛けてもらい、その間にリビングダイニングに接しているキッチンへ。

 ティーガンから貰った紙袋から四角い箱を取り出し、冷蔵庫に入れる。何やらお店名が書いてあったが、雪には分からなかった。

 それから冷蔵庫からお茶を取り出し、コップとお菓子と共にソファーの前へと移動する。

「すまないの」
「い、いえ」

 雪はもじもじしながら頷く。

 静寂が訪れる。

(ええっと、これからどうすれば……ええっと)

 雪が誰かを家に招くのは久しぶりである。しかも経験のある小学生時代は酷く調子に乗っていた時期のため、大して当てにならない。

 そもそもティーガンの気品は凄いのだ。着ている服もだが、そこら辺のスーパーの麦茶を百円で売っているコップで飲んでいても、高級感がある感じに見えてしまうのだ。

 あれ、私、間違えてない? もっとキチンとしたのを出した方が良かったのではないのですかっ!?

 と、雪が混乱に陥りそうになった時、

「あのね。ねぇねぇは凄いの」
「うむ」

 いつの間にか両手に色々な玩具おもちゃや本を抱えた優斗がぐちゃぁ~とティーガンの前にそれを散らかしながら、フスンと鼻を鳴らした。

 ティーガンは落ち着いた様子で柔らかく頷く。雪はビクッとする。

「いつも遊んでくれるし、宿題見てくれるし、守ってくれるし。優しいし。たまにちょっぴり怒られるけど……あっ! これ全部ねぇねぇが買ってくれたの」
「玩具や本をかの?」
「うん!」

 優斗は宝物を自慢するように頷き、何を思ったのかティーガンの膝に座る。

「ふむ、そうなのか」
「あ、いえ。お誕生日とかで買ってただけで、そんな大層な」

 ゴスロリ服の上でもわかるたわわな双丘に体を預けている優斗の頭を、ティーガンは撫でる。そんなティーガンに優しい瞳を向けられ、雪はブンブンと顔を横に振る。

 魔法少女なった日から、毎年買っていただけだ。それは一つの贖罪しょくざいでもあったので、本当に大層な理由ではない。

「あと、本いっぱい買ってくれるの。絵本とか、漫画とか、これとか! 『僕は今日、魔女きみと出会った』って言って、にぃにぃのお父さんが絵、描いてるんだって! ブルーレイも買ってもらった!」
「好きなのかえ?」
「かえ……? うん、好きだよ!」
「そうか、良かったのぅ」

 ティーガンが益々ますます柔らかな瞳を雪に向ける。

「て、ティーガンさん。本当に違うんです!」
「何が違うかは妾には想像もつかんが、しかし理由はどうであれ優斗を想っているのじゃろう? それに単に甘やかしているわけでもなさそうじゃしな」
「そ、それは! 私のようになって欲しくないですし……」

 雪がポソポソと呟く。ティーガンはそれに目聡めざとく気が付く。

 が、その時。

ぐ~~~~~

 優斗のお腹が盛大に鳴った。

「お腹空いた……ティーねぇ、菓子いい?」

 優斗がティーガンの前に置いてあったお菓子に釘付けだ。ティーガンに出されたお菓子だと理解しているのか、ティーガンに許可を貰おうと上目遣いしている。

 ティーねぇとよばれて目をまん丸に見開いたティーガンは、しかし優斗の上目遣いにやられうぐぅと喉の奥を鳴らす。

 が、グッと我慢して雪を見やる。

夕餉ゆうげはいつ頃なのじゃ?」
「あ、七半時くらいです。お母さんが帰ってきて風呂入った後なので」
「じゃあ、優斗。お菓子は我慢じゃな」
「……むぅ」

 優斗が少し頬を膨らませる。ティーガンは頬を緩ませ、秘密を明かすような表情になる。

「そう頬を膨らますでない。今、お菓子を食べたら、夕食の特別なデザートが食べられなくなるぞ?」
「特別なデザート?」
「うむ。宝石箱みたいなデザートじゃ」
「宝石箱……」

 優斗は何を想像したのか、目をキラキラさせる。

 雪はどういう事かティーガンに尋ねようとして、

「あ、お風呂を沸かしてない!」

 お風呂を沸かしていないことに気が付き、慌てて浴場へと消えた。

 ティーガンは慌てん坊じゃのう、と呟いた。



 Φ



「ティーガンさん、あのケーキ。本当にありがとうございます。とても美味しかったです」
「いや、雪にはお世話になっておるしの。それよりチョコレートのが司さんのお口に合って何よりじゃ。以前に好みはある程度把握したが、それでも自信はなかったからの」
「え、そうなのですか! てっきり雪から聞いたものだと……先週の時、ケーキは食べてませんでしたよね? どうやって……」
「お酒じゃな。他にも、どの調味料を好むとか、後は疲労度とかじゃな」
「疲労……ですか?」
「癖とも言っていいんじゃが、人はストレス具合でも味覚の好みが変わったりするんじゃ」
「それは、何とも凄いですね。あれ、もしかして私たち全員のを把握して……」

 そういえば、と思い出した司は目をまん丸に見開く。ティーガンが手土産で持ってきたのはケーキだったのだが、三つそれぞれ種類が異なっていた。

 普通ならば子供の優斗がいると思うようにいかないものだが、ティーガンが何も言わずとも優斗は真っ先にティーガンが優斗のために選んだケーキを決めた。雪も司も同様だ。

 それを全て意図してやっていたとなると、凄いとしか言わざるを得ない。

「伊達に歳を食っておらんからの。それに昔、目利きな得意な奴に教えてもらっただけじゃ」

 少しセクスィーなネグリジェにカーディガンを羽織ったティーガンは少し照れる。

 と、

「眠い……」

 先ほどまで遊んでいた玩具を片づけた眠たそうな優斗がリビングに現れた。

「あ、すみません。ティーガンさん。優斗を寝かしつけてきますので。失礼します」
「うむ。優斗や、お休みじゃ」
「……おやすみ、ティーねぇ」

 司は優斗と一緒に和室の方へと入っていった。いつもそこで寝ているのだ。

 優斗に手を振ったティーガンはチラリと横を見る。

「手伝いたいのじゃが……」
「座っていてください。ティーガンさんはお客様なんですから」

 キッチンでは雪が洗い物をしていた。先ほどまで優斗に付き合って遊んでいたため、洗い物が終わっていなかったのだ。

「いつも雪がやっておるのか?」
「夜は私、朝はお母さんなんです。食事とか家事とか全般」
「そうなのか。いつ頃からなのじゃ?」
「中一の夏ぐらいからですね。ちょうど私が愚かだったと気が付いた時です」

 ちょうど洗い物が終わったのか、雪は自嘲もなく淡々と微笑みながらキッチンから出てきた。

「……お主は――」

 ティーガンが何か尋ねようとする前に、

「ティーガンさん。ゲーム、やりませんか?」
「……ゲームじゃと?」
「はい。古いのしかないですが、付き合ってください」
「うむ、よいぞ」

 ゲームと聞いて真剣だったティーガンの表情が、ウッキウッキとした表情に変わる。ゲーム好きだから仕方ない。

 そんなティーガンに雪は微笑みながら、リビングのテレビの後ろをガサゴソと漁る。すればひと昔前のテレビゲーム機が出てきた。

 雪は配線を繋ぎ、電源を入れる。ティーガンに無線のスティック状のリモコンを渡しながら、幾つかのカセットを見せる。

「何をしますか?」
「……ふむ。じゃあそのリゾートスポーツのやつでもするかの。チャンバラがしたい」
「あ、はい。じゃあ、専用のカバー……ええっと、ありました。はい」
「うむ。ありがとうじゃ」

 専用のカバーを無線のスティックリモコンに嵌める。二人はソファーに座ってテレビに向かう。

 それからチャンバラを始めた。

「む、やるのっ。これでもマットに十連勝したんじゃが、なっ!」
「マットっ、ですかっ!?」

 中々に白熱する。互いに一本も取れず、極小の円状の最終ステージでの勝負となる。一度でも攻撃を喰らえば即落下だ。

 それでも二人は譲らない。目が追えない程の速度でリモコンが的確に振られ、的確にガードされる。

 というか、ゲーム自体が二人の反射神経に追いついてない。ラグがひどく、二人ともそれに苦戦している。

「チャンピオンじゃっ!」
「紫の剣のっ!」
「そうじゃっ!」

 頷きながら、先にラグに慣れてきたティーガンがラグを利用して雪を意表を突く。

「あっ!」
「よし、勝ったのじゃっ!」

 雪が操作していたキャラが落ちた。ティーガンが勝ったのだ。

 ティーガンはグッとガッツポーズする。

 それからも色々なスポーツをして飛行機で互いの風船の割り合いをしていた時、雪がポツリと呟いた。

「ティーガンさん、私、直樹さんが好きなんです」
「……じゃろうな」

 ティーガンは一瞬目を見開く。けれど、落ち着いた表情になり、静かに尋ねる。

「いつ惚れたのじゃ?」

 そう問うと、雪はとても恥ずかしそうに顔を赤く染めた後、ポショリと言った。

「……ぼれです」
「すまん、もう一度言ってくれんか。聞き取れんかった」
「……一目惚れだったんです」

 はしたない、と言わんばかりに雪はティーガンの飛行機を撃ち落とす。それから口早に話す。

「ち、違うんですよ! 顔が好みとかじゃ……いえ、好みですけど、性格も好きですし、一緒にいて落ち着くのもあるんです! こう一目惚れって言っても、キチンと自覚したのはつい最近なんですよっ! それまではぼんやりとした感じで!」
「う、うむ。分かったから。そうブンブンとリモコンを振り回さんでおくれ」

 どうやら一目惚れであったことが恥ずかしいらしい。

 が、一転。雪はとても静かな表情になる。無表情というよりは、諦観にも近いか。

「けど、私は酷い人間なんです」
「……」

 ティーガンは否定も肯定もしない。ただただ続きを促す。

「性悪なんです。何もかもが。人をけなす事すら厭わず、保身と自尊心のために身を落として。人に優しくすることもできない。いつもいつも自分を諫めて諫めてどうにか取り繕っていますけど、本当に醜いんです」
「……お主が言うのなら、それ事実なのじゃろうな」
「それ事実なんですよ」

 それから雪は少しだけ昔の事を話した。ありふれた、けれどあってはならない行為をしたことを。人を貶め傷つけたことを。

「直樹さんは本当に優しいです。直樹さんがどう取り繕っても優しい。私とは正反対なんです」
「……優しいのは認めるぞ」
「正反対のところも認めてください」

 そう力なく微笑んだ雪は、ギュッと胸元で拳を握りしめた。

「直樹さんは、ミラちゃんとノアくんの父親なんです。いつも私に二人の事を話してくれる時、父親の表情をしているんです」
「子供想いなのじゃろうな」
「そしてヘレナさんの事も想っているんです。冥土ギズィアさんは付き合ってもないって言ってましたけど、けどそれでもです」

 雪は天上を見上げる。LED電球がいつも通り光る。ゲーム終了の音楽が響く。

 雪は羨ましそうに、いや尊敬するように頬を緩ませた。自分では届かぬ高みを掴むがごとく、こぼす。

「凄いですよね。見た目の中身も何もかもが綺麗なんですよ。眩しいんです。直樹さんたちの決戦前の集合写真見せてもらったじゃないですか? もう、凄いなって。家族って感じがありましたし、良い雰囲気でした」
「……まぁそうじゃの」

 ティーガンも先週見せてもらった写真を思い返しながら、頷いた。

「羨ましいですし、嫉妬しますし、私だってって思いますし。諦めなきゃなと少し思って、苦しくて、けど傍にはずっといたくて」

 祈りにも近いその悲痛な呟きに、ティーガンは顔を歪めた。

 ティーガンは恋愛感情を持たない。種族的な問題で、それはない。けど、愛情ならある。

 雪がどうしようもなく苦しんでいることが苦しくて、そして少しばかりその想いに共感してしまう部分もあって。

 けれど、雪は一転。

 愚痴はおしまい、と言わんばかりに桜のような柔らかく清廉とした笑みを浮かべる。

「私は直樹さんが好きです。この気持ちに嘘はつきませんし、誠実に応えていきます。醜い私のまま、それでもどんな形でもいいのでこの想いを成就させます! ヘレナさんともキチンとあって真っ向からぶつかりたいと思っています!」
「……そうかの」

 眩しそうに目を細めたティーガンに、雪は強く笑いかける。

「だから、ティーガンさんにもぶつかります」
「……妾はそういうのでは――」
「そういうものです! だって直樹さんの血を吸っている時のティーガンさん、本当に凄い雰囲気なんですよ、自分でも気が付いていないようですけど」
吸血鬼ヴァンパイアは本能的に気分が高揚するものじゃ。あれは、好かないの――」
「違います。受け入れてないだけです。確かにティーガンさんは吸血鬼ヴァンパイアの自分が嫌いかもしれないですけど、それと同じくらい大切に想っているんです!」
「それはありえんの」

 ティーガンはきっぱりと首を横に振る。

 もう人の身にはなれない。ならない。それが自分で決めた信念だ。

 だからといって、吸血鬼ヴァンパイアである自分が好きなわけでもない。特に吸血行為は本当に嫌いだ。

 それでも直樹たちの助けになるのならば、と進んでやっているだけだ。

 そんなティーガンの思考を読み取りながら、雪は優しく頷いた。

「じゃあ、いつかそうなります」
「なら、妾は訪れないことに賭けるかの」

 ティーガンは雪に呆れた表情を向けた。雪は微笑み、それからポケットからスマホを取り出す。

「それで、今から直樹さんに電話します」
「はえ? 電話? どうしてそんな流れに……」

 ティーガンは突然の雪の言葉に目をまん丸にする。

「まぁ、いいじゃないですか。それにティーガンさん、直樹さんに何か伝えたいことあるんじゃないんですか?」
「……なんで知っておる」
「想いが分かるんです。それと勘です」
「プライバシーが欲しいのじゃが」

 ティーガンはそう言いながら、力なく微笑んだ。
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