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二章 吸血鬼
十四話 暴力は好まないんだよ
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「う~ん。たぶん勝てない?」
「確かに今の創造主様では、勝てないでしょう」
「あ、やっぱり?」
ウィオリナが何かに怯え憎むような表情を浮かべ、バーレンと杏が夜空を見上げて絶句する中、大輔と冥土はのんきに会話をする。
今いるのは数十階建てのビルの屋上。そして、遠くに見える空は蒼い。だが、真上にあるはずの太陽は見えない。
ビルの上部一帯、およそ半径二キロ近くが夜に染まっているのだ。
しかも太陽の代わりに鮮血に染まったかのように紅い満月が浮かんでいて、それは尋常ではなく大きい。というか、とても近い。あと一日もせずにぶつかる感じのだ。時〇歌を吹かなければならない。
(戦闘用幻想具を作らなかったのは間違いだったかなぁ。けど作るとなったら妥協したくなかったしなぁ。コストが……いや、簡易のは作っておくべきだった。うん、今日帰ったら作ろ)
大輔は心の中で呟く。戦闘用の幻想具の殆どは邪神戦で壊れ、手元にないのだ。
はぁ、面倒だなと呟きながらも、コキコキと首を鳴らす。それから“収納庫”を発動して、黄色と茶色の缶コーヒーを取り出す。市販版とは少し違い、ラベル部分にデカデカとH・ver1と描かれている。
数秒金茶色の光で包んだ後、ステイオンタブ、つまりプルタブに指を掛け、カシュッと音を立てて開ける。ゴクゴクゴクとあおる。プファーと一気飲みした。
「す、鈴木……」
「え、あ、あのダイスケさん……」
「え、マジっすか……」
呆然としていた杏たちは大輔を見て驚愕する。
なんというか、図太いというか、そもそもアレが見えていないのか!
そもそも呼吸をした瞬間死ぬと錯覚してしまうほどの威圧が、周囲一帯を押し潰してるのに、何故平然と呼吸ができているっ!?
そんな驚きの目を気にせず、大輔は空になった缶コーヒーを握りつぶすと、それを“収納庫”に仕舞う。
一歩前に出て、丸眼鏡をクイッ。柔和な善人スマイルを浮かべ、ご丁寧に挨拶をする。挨拶は大事。理性的で善良的な一般人ならどんな時でも挨拶をする。
「ああっと、こんにちは? いやこんばんはかな? まぁどっちにしろ初めまして、自称神様。僕は鈴木大輔と申します。どこにでもいる理性的で善良的な一般人、旅行客です。ところで、神さまごっこの最中のところ申し訳ないんですが、少しお話をいいでしょうか?」
「ッ」
紅い満月をバックに蝙蝠の翼を妖しく羽ばたかせる貴公子――デジールは頬をひくつかせる。
だが、そこにいたのはデジールだけではない。
「虫けらの分際でどのお方に口を利いているっ!」
「地獄よりも生ぬるい苦痛を味わって死ねっ!」
執事服を着た黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼が鮮血の瞳を唸らせ、殺気をまき散らす。たぶん、一般人がここにいたら心臓発作を起こして死んでいるだろう。
いや、それよりも先に。
「……あの、これがあなた方の挨拶なのでしょうか? なるほど、やっぱり海外に行くのは見識を広めるうえで大事ですね。このような挨拶があるとは」
針の筵とはまさにこの事。血で作られた数千もの針が大輔を覆っていた。二振りの巨大な血の斧が頭に振り下ろされていた。
「……なん、だと?」
「……お前、人間……か?」
だが、巨大な血の斧を振り下ろした黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼は驚愕の表情を晒す。いや、彼らだけじゃない。悠然と佇んでいたデジールも、突然のことに動くことができず声にならない悲鳴を上げていたウィオリナたちも唖然としている。
何故か?
だって、カキンッッと人体では考えられない金属音が響いたから。数千の血の針は一切体に刺さらず、振り下ろされた二振りの血の斧が軽妙に弾かれたから。
大輔が先ほど飲んだ缶コーヒーは、ただの缶コーヒーではない。
飲料型幻想具、硬くなるんですver1のおかげだ。これを飲むと、一時間だけ任意で体を鋼鉄化できるのだ。一部に集中させればするほど、硬度は増す。
また、ver2になれば二時間、もうちょっと効果時間が長いやつもある。最大で六時間だ。
別名、これで一夜頑張れますっ! だ。五人の嫁を持つ八神翔が、毎夜励んでいていたのだが、連戦過ぎてちょっと疲れたから、硬くなる薬とかないかいっ? といった感じの相談から生まれたしょうもないやつだ。
本当にしょうもない。けど、たぶん売ったらめちゃくちゃ売れるだろう。
兎にも角にも、しょうもななさすぎる幻想具だったため邪神戦等々で使うことなく、“収納庫”に残っていたのだ。正直、戦闘用の幻想具が残ってくれた方が良かった、と大輔は思ってる。
「では、郷に入っては郷に従え。こっちではローマだったかな? まぁどっちにしろ僕も改めて挨拶を」
「なッ」
「きさっ――」
金茶色の光を迸らせた瞬間、数千もの血の針は消え去り、黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼は吹き飛んだ。
そして。
「こんにちは、それともこんばんは。初めまして、僕は鈴木大輔。理性的で善良的な一般人で、旅行客。そして――」
いつの間にか白衣と黒シャツと黒ズボン、金茶のネクタイに右腕に進化する黒盾――つまり戦闘装備に早着替えした大輔は、一瞬で黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼に肉薄し、“収納庫”から震風宝を四つ取り出し。
「さよなら」
ぶっぱなす。
魔力で人二人分の範囲に絞ったため、激震なんて生ぬるい振動の牢獄に閉じ込められた二人は、文字通り消し飛んだ。肉片どころか、一滴の血すらこの世にない。
だが。
「なるほど。魂魄が残ってると再生するんだね」
少し離れたところで、二つの血の渦が巻きあがったかと思うと、ブクブクと肉が湧き出て十秒もすると黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼がそこにいた。
超速再生したのだ。衣服等々も元通り。たぶん、衣服自体が肉体の一部なのだろう。
そう考えながら、大輔は両腕を上げる。
「じゃあ、これは?」
いつの間にか手元に召喚していたイーラ・グロブスとインセクタの引金をそれぞれ二度、神速で引く。間延びした銃声が響き、それぞれの銃口からほぼ同時に二発の銃弾が放たれる。
「くそッ」
「下等生物がっ」
再生したてで、音速の三倍には反応できなかった黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼は、まず一発目の弾丸に穿たれた。
瞬間、紫電が走り極光が迸る。灼き尽くされ肉体が消滅した。
そこにコンマ一秒遅れて、二発目の弾丸がたどり着いた。何もない空中でドスンと停止し、グググとたわみ、そして何かを撃ち抜いた。
瞬間、衝撃波が舞い散りパリンと弾ける。魂魄が消滅した。
なのに。
「……ありゃ、マジで不死なんだけど」
おかしいな、ちゃんと魂魄も消滅させたんだけど、と首を大輔は首を傾げる。
何故なら、そこには黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼がいたから。再び生やすなんて生易しいものじゃない。時が巻き戻る、そういう意味での再生だ。
死ぬ前に時が巻き戻ったかのようだったのだ。
「ウィオリナさん、どういうこと? 吸血鬼って不死なの? 魂魄が消し飛んだ状態から再生、っというか、あれ時間に干渉したよね、どういうこと?」
「っ、あ――ダイスケさんっ!」
「あぶないっすッ!」
「すず――」
大輔の問いに我を取り戻したウィオリナは、けれど一瞬で声を荒らげる。杏は一瞬で魔法少女姿に変身して、飛び出す。
大剣を投擲するが、間に合わず。
「我は貴様を知らぬ」
「……あ……いにく僕もしら……ないよ」
大輔の左腕が冗談のように握りつぶされた。
一瞬なんて生易しいものではない。デジールは一寸秒の誤差なく大輔の左横に転移で現れ、大輔の左腕をこれ見よがしに握りつぶしたのだ。
左腕部分の白衣が千切れ千切れになり、血飛沫と肉片が舞い上がる。肉が裂け、骨すらも見える。痛々しい。
杏が投げた大剣は空中から射出された血の刀剣で粉々にされる。
「ふむ、思った以上に甘美だ。我の血酒に加えてもよいな」
デジールは自らの右手から滴り落ちる大輔の血をピチャピチャと飲む。丹念に指先まで舐める。
同時に、ドクンと体から威圧が放たれた。遅れて突風が放たれる。
その異様さにウィオリナたちが思わず後退ってしまった時。
「それは無理だね。っというか感謝してよ。最後の美酒を用意したんだから。何なら拍手喝采してもかまわないよ」
痛いなぁ、と口の中で呟きながら、大輔はハッと笑う。笑えるのだ。常人なら、いや普通に戦いに従事している者でも一瞬でショック死してしまう激痛と威圧の中、笑っているのだ。
デジールはそれを不快に思ったのか。蝙蝠の翼の端から大小さまざまな血の歯車を創造する。蝙蝠の翼に重なるように血の歯車の翼が作り出される。
「……ふんっ。まぁよい。死ね――進速時之血歯車」
極寒零度の瞳をもって世界に命じた。血の歯車が唸り、大輔を覆う。
「ハンッ。自らを神と自称する者らしい、痛々しいネーミングセンスだね。たぶん、皆影で笑ってるよ」
だが、大輔はデジールの命令によって引き起こされた法則に嗤った。金茶色の光を迸らせる。
カチンと、何かが停止した音が響いた。
「なッ」
「へぇ、やっぱり時に干渉できるんだね。今のは時間の加速。僕だけ千年くらい経過させようとしたのかな。けど、精度が甘い。使いこなせてないね」
デジールが驚愕する。
そこには骨すらも朽ち去った大輔――ではなく、左手で丸眼鏡をクイッとする大輔がいる。空は紅い月が浮かぶ夜なのに、キランと光り、ニィッと口角が上がっている。
千切れ千切れの白衣はもちろん、握りつぶされたはずの左腕が元に戻っている。まるで巻き戻ったかのようだった。
そして大輔の目の前には小さな懐中時計が浮いていた。
古びた金茶色に塗装され、趣がある。裏には精密な幾何学模様が描かれている。世界の遺産に匹敵するほどの芸術性を兼ね備えた懐中時計だった。
端には一から二十四までのローマ数字が文字盤があり、外縁の金属には六十に割った小刻みの線が刻まれている。また、その内部には左右下部に零から九までのアラビア数字が刻まれた三つの小さな文字盤がある。
大きな文字盤を指す針は短針が時間を、太い長針が分を、細い長針が秒を表す。左の文字盤は四つの針を持ち、西暦を、右の文字盤も四つ持ち月日を示す。下部の文字盤は三つの針は、ミリ秒を表す。
全てがコンマゼロ秒の狂いもなく『今』を正確に刻み続ける。
血の歯車の翼――時之血歯車を侍らせたデジールが驚愕の表情を晒す。
「なんだ、それは……」
「オムニス・プラエセンス、だよ。僕たちは過去を、ましてや未来を生きているわけではない。今を生きている。どんな今であっても、過去には戻らない。未来にもいかない」
それは幻想具。世界の根幹、時に干渉する懐中時計。今だけを刻み、それ以外を刻まない。
大輔や直樹は、過去に行ける。未来にも行ける。タイムマシンを作ることだってできる。というか、実際に作った。異世界転移の幻想具はそういう幻想具だ。
けど、二人は決してそれをしない。どんな過去であっても、どんな未来が待ち受けていようと、今を精一杯生きる。後悔に満ち溢れ、大事な人を亡くした『今』であっても。
その意思が現れたのがその幻想具。オムニス・プラエセンス。移動を今だけに制限する幻想具なのだ。
そして応用すれば、異常に流れる時を正常にすることができる。加速させられた大輔の時間を正常にしたように。
「っと。うっわ、これ僕じゃないからね。僕が劣化させたわけじゃないし。器物損壊罪とか、そういうのはあっちに請求してよ。あ、けど、人外に請求って可能なのかな?」
ただ、デジールの進速時之血歯車、つまり時間の高速進行の制御が甘かった。大輔だけでなく、その足元、コンクリートの地面の時間も高速で進行させたのだ。
そのため、一瞬で三千年進んだコンクリートは経年劣化どころか極小の塵となって崩れ落ちる。
阿呆な事を呟きながらオムニス・プラエセンスを回収した大輔は、足元に障壁を作り出し、ポッカリと開いた大穴から離脱する。
するりとオムニス・プラエセンスに金属の鎖を通し、首から下げた。
「うん、やっぱり倒せないね。あれ、大方存在を抹消しても、抹消した事象そのものが巻き戻される。うん、今の僕だと駄目だね」
「オムニス・プラエセンスは使えないのですか?」
「推測通り使えないよ。こっちの時間干渉は兎も角、向こうのは無理だね。あれ、時間っていう概念そのものに……いや、借りてる感じ? どっちにしろ無理」
「確かに。すると取り巻き二匹も無理ですかね」
「だろうね。巻き戻される」
イーラ・グロブスで肩をトントンしながら、大輔はウィオリナに振り返る。
「ところで、二人の封印って時を止めてたよね? あれで封印はできるの?」
「あ、い、いえ、できないです。クロノア様の力を奪ったデジールには。それに残りの二人自体も封印はできても、直ぐに戻されるです」
「なるほど……」
頷きながら、インセクタの引金に指を掛け、四発銃弾を地面に打ち込む。ベチャンという音と共に、半円の赤色の線ができる。ペイント弾だ。
ただのペイント弾なのだが、デジールたちは大輔を警戒してその場を動かない。いや、動けない。大輔を殺せる未来が視えないのだ。
(う~ん。どうしよっかな。転移してたし、逃げたところで意味ないよね。っというか、たぶんウィオリナさんたちは逃げないだろうし。〝念話〟で全員の保護は終わったってイムから受け取ったけど、どこに逃がすかも問題だし……)
そう考えていると、杏が目に入った。大輔は少し考えた後、杏に尋ねる。
「百目鬼さ――いや、百目鬼杏。君はどうする? ここで君はここで戦う理由はないと思うけど」
「ッ」
怒涛の流れに飲まれていた杏は、けど息を飲む。粉々に砕かれた大剣の残骸を消した後、手元に新品同様の大剣を召喚する。
瞑目し、深呼吸したあとゆっくり瞼を開く。新たな想いと願い、それと僅かな甘えを胸の内に抱きかかえ、蒼穹の瞳が大輔を射貫いた。
お前の責任だぞ、と言っているような気もしなくもない。
「母さんは生きていた」
「……そうだね。今も生きてるよ」
「なら、アタシは母さんを守る。それにまだ吸血鬼と母さんの関係を聞いていない。だから、アタシは戦う」
「別にここじゃなくて、イムのところに行ってもいいんだよ? ここから先は誰一人も死なないし、そっちにはお母さんがいる」
杏は確かにそうかもしれない、と頷く。けれど、それでも、と呟く。
「……雪もこの騒動に巻き込まれている。佐藤は面倒事に首を突っ込むとは思えんし、なら雪が首を突っ込んだのだろう。突っ込むだけの理由があった」
杏は苦笑し、更に体を紅蓮に輝かせる。弾ける。
そこにいたのは覚醒姿の杏。紅蓮の長髪とドレスは燃え盛り、蒼穹の腕輪が両腕に、そこから白のフィンガーレス・グローブが伸びる。白炎のガードの大剣。
「アタシはお前たちに誓った。混沌の妄執を祓う雪を支えると。なら、これもその一環だ。ここで戦おう」
「そう」
燃え盛る蒼穹の瞳を見つめて、大輔は感心する。
(取りまきの吸血鬼が混沌の妄執に近い強さを持ってるのも……うん、理解してるね。僕が屠れない事も勝てないことも、理解してる。けど、ここで戦う事が無為でもないと理解してる。≪直観≫……いや、信頼かな? 白桃さんの方が解決してくれると信頼してるんだ)
まぁそれに、と思う。
(どうせ首は突っ込まないけど、巻き込まれるとズルズル流されるんだよね。そうでなかったら、ミラちゃんもノアちゃんは直樹の子ではなかっただろうし)
苦笑した大輔はウィオリナとバーレンを見た。そこには、先ほどまで呆然としていたウィオリナたちはいない。
戦意と誇りを宿し、静かに闘志を燃やす戦士がいた。
「ウィオリナ――いや、統括長官様。関係のない少女が戦うっす」
「ええ、本当に情けないです。何をしているんです、わたしは」
ウィオリナは自分を責めながら、プシュッと親指から血を噴出させる。空中に血が踊り出て、やがては血のヴァイオリンと弓を作り出す。
バーレンは血のコインを弄ぶ。
「仲間を信じないで勝手に絶望して、しかも守る『人』を危機にさらした。朝焼けの灰の統括長官、失格です」
「それを言ったら就任したての長官様をサポートできなった副長官のあっしも失格っすね。……けど大丈夫っすか?」
「八年待ったのです。大丈夫かどうかではありません」
「ウィ流血糸闘術、<糸儡楽獣装>」とウィオリナは呟き、体の節々から血が噴き上がらせる。それがウィオリナの体に纏いつき、灰色のシスターワンピースは血のシスターワンピースに変わった。
しかも、血の犬耳と犬尻尾が生えていた。いや、狼か? うん、狼だ。
「悪殺滅法、<外法多蟲甲>」とバーレンが呟き、体の節々から血を噴き上がらせる。それが体に纏いつき、装甲戦車と思うようなゴッツイ血の甲殻を纏ったバーレンがそこにいた。そこらの車よりも大きい。
頭から虫の触角が生えていて、右目の部分が血で作られた複眼で覆われていた。
ウィオリナは大輔と杏、冥土の方を見て笑った。その笑顔は天真爛漫という言葉がとても似合っていて、思わず大輔たちは気を抜く。
ウィオリナが深々と頭を下げる。
「巻き込んでしまってごめんなさい。そしてお願いします。力を貸してください」
「あっしからもお願いするっすっ! 首でも何でも差し出しやすからどうかっ。けど、どうかウィオリナさんだけは……まだ統括長官になってひと月も経ってないんっす。全ては副官のあっしの責任――」
ウィオリナの血の狼尻尾がバーレンを叩く。
「バーレン」
「……うっす」
バーレンは渋々と頷いた。
「どうかお願いです。このビルだけじゃない、ここ一帯には戦えない者が多くいます。彼らを守るために力をお貸しくださいっ!」
真剣な声音が響き渡った。
その言葉はとても真摯で、ウィオリナもバーレンも吸血鬼から戦えない人たちを守るために、ここに立っているのだと自然と理解できる。
いや、ウィオリナだけは少しだけ違う想いも混じっているが、けれどそれでもその真摯さは本物だ。
「もち――」
杏が即答しようとしたが、大輔が手で制する。
([極越]の弱体化で大体四割。能力はギリギリ五割。手持ちの幻想具はネタ幻想具が殆ど。弾数もそこまであるわけじゃない。まぁイムたちからかき集めた二割弱の魔力を身体強化に回せば、うん、無力化できるね)
それから未だに大輔が放つ威圧で動けないデジールたちに視線をやる。柔和に微笑むその笑顔の下には、苛立ちというよりはストレスがあった。
(……ホント、冥土は帰ったら説教だ。面倒なことに巻き込んで。……だけどこっちもいい加減ムカついてるんだよね。こっちに強制送還されて、哀れな妄執に巻き込まれて、やっとイザベラと会えると安心したのにさ、これだもん。もうちょっと感傷に浸らせてよ。っつか、僕の睡眠時間を奪いやがって)
大輔は丸眼鏡をクイッとしてニィッと微笑んだ。
「さて、自称神様とその金魚の糞。最終勧告をするよ。大人しく猿山に戻って。これでも僕は理性的で善良的な一般人。暴力は好まないんだよ」
……あれ? 先ほど問答無用で黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼を消滅させていたような……
そんなツッコミはしらん。僕は過去を振り返らないっ!
「で、どうする。その紅いペイントがボーダーラインだよ。お前らの何かが一ミリでも越えれば……お前らを問答無用で殺す」
ゾクッッ! 畏怖が迸る。黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼が一歩だけ後退る。けど、デジールはだからこそ、我に返り哄笑した。
「クハッ。クハハッ。クハハハハハッ。……我は何をしてたのだろうな。そうだ。我は神だ。永遠を手にした神だ。こんな地に這うカエル一匹に怯えるなど――」
デジールは怒る。自分に、そして大輔たちに。
「問答無用で屠す? 井の中の愚物が天空を見上げることすら、吐血してしまう」
デジールは浮き上がる。鮮血の満月を背負い、バサリと夜の翼と血の歯車の翼で空を打った。まさに夜の王、いや神だ。
そして腕を横に振った。その仕草が香ばしくて、大輔がおぉ、と感嘆を漏らす。杏がジト目を大輔に向ける。
血で刀剣の雨が創造され、大輔たちに降り注ぐ。デジールの一部である血の刀剣が、ペイント弾で作られたラインを越えた。
大輔はザッと足を開き、右足を下げ、腰を落とした。
「うん、分かった。では、ウィオリナさん。お礼はたっぷりもらうね。あ、血力の研究は先約を入れておくよ。それ以外は後で考える」
大輔は進化する黒盾を唸らせ、カシュンカシュンとスライド変形させながら巨大な黒の拳を作り出す。
「私は血を下さい。私は血が通っているんです」
ウィオリナに血が通ってないと言われたのを根に持っているらしい。サイコな事をのたまう冥土。
「……アタシは母さんについてだけだ」
杏はボソッと頷いた。
「ハッ」
その直後、大輔は裂帛の叫びを一発。巨大な拳に変化させた進化する黒盾で血の刀剣の雨を全て消し飛ばす。
ウィオリナは、そんな大輔たちの言葉を、態度を、想いを吟味した。真摯に受け止め、自らの想いに混ぜ込んだ。
感謝する。
「ありがとうございます」
「感謝するっす」
そして紅い満月と夜空の下、戦いが始まった。
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公開可能情報
幻想具・硬くなるんです:飲料型の幻想具。とても甘いコーヒー。飲むと任意で身体を硬化できる。部位を絞れば絞るほど硬度は増す。バージョンによって時間の長さが違う。
別名、これで一夜頑張れますっ! 夜のお供には最適かも……しれない。硬すぎて嫌がられるかも……しれない。
仕組みとしては、原材料と出来上がったコーヒー。それと缶それぞれに力が付与されている。体内に直接打ち込む注射バージョンもある。
幻想具・オムニス・プラエセンス:『今』を刻み続ける金茶色の懐中時計。時を『今』だけに正す力を持ち、その強さは世界の法則に匹敵するレベル。応用すると、時の固定にも繋がる。
どんなに後悔に塗れようとも、どんなに今が苦しかろうとも『今』を生き続けるという大輔と直樹の覚悟。想いが現れた幻想具。
大きな文字盤が一つと小さな文字盤が左右下に三つある。外縁の金属には六十に割った小刻みの線が刻まれている。
大きな文字盤には一から二十四までのローマ数字が刻まれていて、時間・分・秒を表す。小さな文字盤は零から九までのアラビア数字が刻まれていて、左の文字盤は四つの針を持ち、西暦を、右の文字盤も四つ持ち月日を示す。下部の文字盤は三つの針を持ち、ミリ秒を表す。
「確かに今の創造主様では、勝てないでしょう」
「あ、やっぱり?」
ウィオリナが何かに怯え憎むような表情を浮かべ、バーレンと杏が夜空を見上げて絶句する中、大輔と冥土はのんきに会話をする。
今いるのは数十階建てのビルの屋上。そして、遠くに見える空は蒼い。だが、真上にあるはずの太陽は見えない。
ビルの上部一帯、およそ半径二キロ近くが夜に染まっているのだ。
しかも太陽の代わりに鮮血に染まったかのように紅い満月が浮かんでいて、それは尋常ではなく大きい。というか、とても近い。あと一日もせずにぶつかる感じのだ。時〇歌を吹かなければならない。
(戦闘用幻想具を作らなかったのは間違いだったかなぁ。けど作るとなったら妥協したくなかったしなぁ。コストが……いや、簡易のは作っておくべきだった。うん、今日帰ったら作ろ)
大輔は心の中で呟く。戦闘用の幻想具の殆どは邪神戦で壊れ、手元にないのだ。
はぁ、面倒だなと呟きながらも、コキコキと首を鳴らす。それから“収納庫”を発動して、黄色と茶色の缶コーヒーを取り出す。市販版とは少し違い、ラベル部分にデカデカとH・ver1と描かれている。
数秒金茶色の光で包んだ後、ステイオンタブ、つまりプルタブに指を掛け、カシュッと音を立てて開ける。ゴクゴクゴクとあおる。プファーと一気飲みした。
「す、鈴木……」
「え、あ、あのダイスケさん……」
「え、マジっすか……」
呆然としていた杏たちは大輔を見て驚愕する。
なんというか、図太いというか、そもそもアレが見えていないのか!
そもそも呼吸をした瞬間死ぬと錯覚してしまうほどの威圧が、周囲一帯を押し潰してるのに、何故平然と呼吸ができているっ!?
そんな驚きの目を気にせず、大輔は空になった缶コーヒーを握りつぶすと、それを“収納庫”に仕舞う。
一歩前に出て、丸眼鏡をクイッ。柔和な善人スマイルを浮かべ、ご丁寧に挨拶をする。挨拶は大事。理性的で善良的な一般人ならどんな時でも挨拶をする。
「ああっと、こんにちは? いやこんばんはかな? まぁどっちにしろ初めまして、自称神様。僕は鈴木大輔と申します。どこにでもいる理性的で善良的な一般人、旅行客です。ところで、神さまごっこの最中のところ申し訳ないんですが、少しお話をいいでしょうか?」
「ッ」
紅い満月をバックに蝙蝠の翼を妖しく羽ばたかせる貴公子――デジールは頬をひくつかせる。
だが、そこにいたのはデジールだけではない。
「虫けらの分際でどのお方に口を利いているっ!」
「地獄よりも生ぬるい苦痛を味わって死ねっ!」
執事服を着た黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼が鮮血の瞳を唸らせ、殺気をまき散らす。たぶん、一般人がここにいたら心臓発作を起こして死んでいるだろう。
いや、それよりも先に。
「……あの、これがあなた方の挨拶なのでしょうか? なるほど、やっぱり海外に行くのは見識を広めるうえで大事ですね。このような挨拶があるとは」
針の筵とはまさにこの事。血で作られた数千もの針が大輔を覆っていた。二振りの巨大な血の斧が頭に振り下ろされていた。
「……なん、だと?」
「……お前、人間……か?」
だが、巨大な血の斧を振り下ろした黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼は驚愕の表情を晒す。いや、彼らだけじゃない。悠然と佇んでいたデジールも、突然のことに動くことができず声にならない悲鳴を上げていたウィオリナたちも唖然としている。
何故か?
だって、カキンッッと人体では考えられない金属音が響いたから。数千の血の針は一切体に刺さらず、振り下ろされた二振りの血の斧が軽妙に弾かれたから。
大輔が先ほど飲んだ缶コーヒーは、ただの缶コーヒーではない。
飲料型幻想具、硬くなるんですver1のおかげだ。これを飲むと、一時間だけ任意で体を鋼鉄化できるのだ。一部に集中させればするほど、硬度は増す。
また、ver2になれば二時間、もうちょっと効果時間が長いやつもある。最大で六時間だ。
別名、これで一夜頑張れますっ! だ。五人の嫁を持つ八神翔が、毎夜励んでいていたのだが、連戦過ぎてちょっと疲れたから、硬くなる薬とかないかいっ? といった感じの相談から生まれたしょうもないやつだ。
本当にしょうもない。けど、たぶん売ったらめちゃくちゃ売れるだろう。
兎にも角にも、しょうもななさすぎる幻想具だったため邪神戦等々で使うことなく、“収納庫”に残っていたのだ。正直、戦闘用の幻想具が残ってくれた方が良かった、と大輔は思ってる。
「では、郷に入っては郷に従え。こっちではローマだったかな? まぁどっちにしろ僕も改めて挨拶を」
「なッ」
「きさっ――」
金茶色の光を迸らせた瞬間、数千もの血の針は消え去り、黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼は吹き飛んだ。
そして。
「こんにちは、それともこんばんは。初めまして、僕は鈴木大輔。理性的で善良的な一般人で、旅行客。そして――」
いつの間にか白衣と黒シャツと黒ズボン、金茶のネクタイに右腕に進化する黒盾――つまり戦闘装備に早着替えした大輔は、一瞬で黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼に肉薄し、“収納庫”から震風宝を四つ取り出し。
「さよなら」
ぶっぱなす。
魔力で人二人分の範囲に絞ったため、激震なんて生ぬるい振動の牢獄に閉じ込められた二人は、文字通り消し飛んだ。肉片どころか、一滴の血すらこの世にない。
だが。
「なるほど。魂魄が残ってると再生するんだね」
少し離れたところで、二つの血の渦が巻きあがったかと思うと、ブクブクと肉が湧き出て十秒もすると黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼がそこにいた。
超速再生したのだ。衣服等々も元通り。たぶん、衣服自体が肉体の一部なのだろう。
そう考えながら、大輔は両腕を上げる。
「じゃあ、これは?」
いつの間にか手元に召喚していたイーラ・グロブスとインセクタの引金をそれぞれ二度、神速で引く。間延びした銃声が響き、それぞれの銃口からほぼ同時に二発の銃弾が放たれる。
「くそッ」
「下等生物がっ」
再生したてで、音速の三倍には反応できなかった黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼は、まず一発目の弾丸に穿たれた。
瞬間、紫電が走り極光が迸る。灼き尽くされ肉体が消滅した。
そこにコンマ一秒遅れて、二発目の弾丸がたどり着いた。何もない空中でドスンと停止し、グググとたわみ、そして何かを撃ち抜いた。
瞬間、衝撃波が舞い散りパリンと弾ける。魂魄が消滅した。
なのに。
「……ありゃ、マジで不死なんだけど」
おかしいな、ちゃんと魂魄も消滅させたんだけど、と首を大輔は首を傾げる。
何故なら、そこには黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼がいたから。再び生やすなんて生易しいものじゃない。時が巻き戻る、そういう意味での再生だ。
死ぬ前に時が巻き戻ったかのようだったのだ。
「ウィオリナさん、どういうこと? 吸血鬼って不死なの? 魂魄が消し飛んだ状態から再生、っというか、あれ時間に干渉したよね、どういうこと?」
「っ、あ――ダイスケさんっ!」
「あぶないっすッ!」
「すず――」
大輔の問いに我を取り戻したウィオリナは、けれど一瞬で声を荒らげる。杏は一瞬で魔法少女姿に変身して、飛び出す。
大剣を投擲するが、間に合わず。
「我は貴様を知らぬ」
「……あ……いにく僕もしら……ないよ」
大輔の左腕が冗談のように握りつぶされた。
一瞬なんて生易しいものではない。デジールは一寸秒の誤差なく大輔の左横に転移で現れ、大輔の左腕をこれ見よがしに握りつぶしたのだ。
左腕部分の白衣が千切れ千切れになり、血飛沫と肉片が舞い上がる。肉が裂け、骨すらも見える。痛々しい。
杏が投げた大剣は空中から射出された血の刀剣で粉々にされる。
「ふむ、思った以上に甘美だ。我の血酒に加えてもよいな」
デジールは自らの右手から滴り落ちる大輔の血をピチャピチャと飲む。丹念に指先まで舐める。
同時に、ドクンと体から威圧が放たれた。遅れて突風が放たれる。
その異様さにウィオリナたちが思わず後退ってしまった時。
「それは無理だね。っというか感謝してよ。最後の美酒を用意したんだから。何なら拍手喝采してもかまわないよ」
痛いなぁ、と口の中で呟きながら、大輔はハッと笑う。笑えるのだ。常人なら、いや普通に戦いに従事している者でも一瞬でショック死してしまう激痛と威圧の中、笑っているのだ。
デジールはそれを不快に思ったのか。蝙蝠の翼の端から大小さまざまな血の歯車を創造する。蝙蝠の翼に重なるように血の歯車の翼が作り出される。
「……ふんっ。まぁよい。死ね――進速時之血歯車」
極寒零度の瞳をもって世界に命じた。血の歯車が唸り、大輔を覆う。
「ハンッ。自らを神と自称する者らしい、痛々しいネーミングセンスだね。たぶん、皆影で笑ってるよ」
だが、大輔はデジールの命令によって引き起こされた法則に嗤った。金茶色の光を迸らせる。
カチンと、何かが停止した音が響いた。
「なッ」
「へぇ、やっぱり時に干渉できるんだね。今のは時間の加速。僕だけ千年くらい経過させようとしたのかな。けど、精度が甘い。使いこなせてないね」
デジールが驚愕する。
そこには骨すらも朽ち去った大輔――ではなく、左手で丸眼鏡をクイッとする大輔がいる。空は紅い月が浮かぶ夜なのに、キランと光り、ニィッと口角が上がっている。
千切れ千切れの白衣はもちろん、握りつぶされたはずの左腕が元に戻っている。まるで巻き戻ったかのようだった。
そして大輔の目の前には小さな懐中時計が浮いていた。
古びた金茶色に塗装され、趣がある。裏には精密な幾何学模様が描かれている。世界の遺産に匹敵するほどの芸術性を兼ね備えた懐中時計だった。
端には一から二十四までのローマ数字が文字盤があり、外縁の金属には六十に割った小刻みの線が刻まれている。また、その内部には左右下部に零から九までのアラビア数字が刻まれた三つの小さな文字盤がある。
大きな文字盤を指す針は短針が時間を、太い長針が分を、細い長針が秒を表す。左の文字盤は四つの針を持ち、西暦を、右の文字盤も四つ持ち月日を示す。下部の文字盤は三つの針は、ミリ秒を表す。
全てがコンマゼロ秒の狂いもなく『今』を正確に刻み続ける。
血の歯車の翼――時之血歯車を侍らせたデジールが驚愕の表情を晒す。
「なんだ、それは……」
「オムニス・プラエセンス、だよ。僕たちは過去を、ましてや未来を生きているわけではない。今を生きている。どんな今であっても、過去には戻らない。未来にもいかない」
それは幻想具。世界の根幹、時に干渉する懐中時計。今だけを刻み、それ以外を刻まない。
大輔や直樹は、過去に行ける。未来にも行ける。タイムマシンを作ることだってできる。というか、実際に作った。異世界転移の幻想具はそういう幻想具だ。
けど、二人は決してそれをしない。どんな過去であっても、どんな未来が待ち受けていようと、今を精一杯生きる。後悔に満ち溢れ、大事な人を亡くした『今』であっても。
その意思が現れたのがその幻想具。オムニス・プラエセンス。移動を今だけに制限する幻想具なのだ。
そして応用すれば、異常に流れる時を正常にすることができる。加速させられた大輔の時間を正常にしたように。
「っと。うっわ、これ僕じゃないからね。僕が劣化させたわけじゃないし。器物損壊罪とか、そういうのはあっちに請求してよ。あ、けど、人外に請求って可能なのかな?」
ただ、デジールの進速時之血歯車、つまり時間の高速進行の制御が甘かった。大輔だけでなく、その足元、コンクリートの地面の時間も高速で進行させたのだ。
そのため、一瞬で三千年進んだコンクリートは経年劣化どころか極小の塵となって崩れ落ちる。
阿呆な事を呟きながらオムニス・プラエセンスを回収した大輔は、足元に障壁を作り出し、ポッカリと開いた大穴から離脱する。
するりとオムニス・プラエセンスに金属の鎖を通し、首から下げた。
「うん、やっぱり倒せないね。あれ、大方存在を抹消しても、抹消した事象そのものが巻き戻される。うん、今の僕だと駄目だね」
「オムニス・プラエセンスは使えないのですか?」
「推測通り使えないよ。こっちの時間干渉は兎も角、向こうのは無理だね。あれ、時間っていう概念そのものに……いや、借りてる感じ? どっちにしろ無理」
「確かに。すると取り巻き二匹も無理ですかね」
「だろうね。巻き戻される」
イーラ・グロブスで肩をトントンしながら、大輔はウィオリナに振り返る。
「ところで、二人の封印って時を止めてたよね? あれで封印はできるの?」
「あ、い、いえ、できないです。クロノア様の力を奪ったデジールには。それに残りの二人自体も封印はできても、直ぐに戻されるです」
「なるほど……」
頷きながら、インセクタの引金に指を掛け、四発銃弾を地面に打ち込む。ベチャンという音と共に、半円の赤色の線ができる。ペイント弾だ。
ただのペイント弾なのだが、デジールたちは大輔を警戒してその場を動かない。いや、動けない。大輔を殺せる未来が視えないのだ。
(う~ん。どうしよっかな。転移してたし、逃げたところで意味ないよね。っというか、たぶんウィオリナさんたちは逃げないだろうし。〝念話〟で全員の保護は終わったってイムから受け取ったけど、どこに逃がすかも問題だし……)
そう考えていると、杏が目に入った。大輔は少し考えた後、杏に尋ねる。
「百目鬼さ――いや、百目鬼杏。君はどうする? ここで君はここで戦う理由はないと思うけど」
「ッ」
怒涛の流れに飲まれていた杏は、けど息を飲む。粉々に砕かれた大剣の残骸を消した後、手元に新品同様の大剣を召喚する。
瞑目し、深呼吸したあとゆっくり瞼を開く。新たな想いと願い、それと僅かな甘えを胸の内に抱きかかえ、蒼穹の瞳が大輔を射貫いた。
お前の責任だぞ、と言っているような気もしなくもない。
「母さんは生きていた」
「……そうだね。今も生きてるよ」
「なら、アタシは母さんを守る。それにまだ吸血鬼と母さんの関係を聞いていない。だから、アタシは戦う」
「別にここじゃなくて、イムのところに行ってもいいんだよ? ここから先は誰一人も死なないし、そっちにはお母さんがいる」
杏は確かにそうかもしれない、と頷く。けれど、それでも、と呟く。
「……雪もこの騒動に巻き込まれている。佐藤は面倒事に首を突っ込むとは思えんし、なら雪が首を突っ込んだのだろう。突っ込むだけの理由があった」
杏は苦笑し、更に体を紅蓮に輝かせる。弾ける。
そこにいたのは覚醒姿の杏。紅蓮の長髪とドレスは燃え盛り、蒼穹の腕輪が両腕に、そこから白のフィンガーレス・グローブが伸びる。白炎のガードの大剣。
「アタシはお前たちに誓った。混沌の妄執を祓う雪を支えると。なら、これもその一環だ。ここで戦おう」
「そう」
燃え盛る蒼穹の瞳を見つめて、大輔は感心する。
(取りまきの吸血鬼が混沌の妄執に近い強さを持ってるのも……うん、理解してるね。僕が屠れない事も勝てないことも、理解してる。けど、ここで戦う事が無為でもないと理解してる。≪直観≫……いや、信頼かな? 白桃さんの方が解決してくれると信頼してるんだ)
まぁそれに、と思う。
(どうせ首は突っ込まないけど、巻き込まれるとズルズル流されるんだよね。そうでなかったら、ミラちゃんもノアちゃんは直樹の子ではなかっただろうし)
苦笑した大輔はウィオリナとバーレンを見た。そこには、先ほどまで呆然としていたウィオリナたちはいない。
戦意と誇りを宿し、静かに闘志を燃やす戦士がいた。
「ウィオリナ――いや、統括長官様。関係のない少女が戦うっす」
「ええ、本当に情けないです。何をしているんです、わたしは」
ウィオリナは自分を責めながら、プシュッと親指から血を噴出させる。空中に血が踊り出て、やがては血のヴァイオリンと弓を作り出す。
バーレンは血のコインを弄ぶ。
「仲間を信じないで勝手に絶望して、しかも守る『人』を危機にさらした。朝焼けの灰の統括長官、失格です」
「それを言ったら就任したての長官様をサポートできなった副長官のあっしも失格っすね。……けど大丈夫っすか?」
「八年待ったのです。大丈夫かどうかではありません」
「ウィ流血糸闘術、<糸儡楽獣装>」とウィオリナは呟き、体の節々から血が噴き上がらせる。それがウィオリナの体に纏いつき、灰色のシスターワンピースは血のシスターワンピースに変わった。
しかも、血の犬耳と犬尻尾が生えていた。いや、狼か? うん、狼だ。
「悪殺滅法、<外法多蟲甲>」とバーレンが呟き、体の節々から血を噴き上がらせる。それが体に纏いつき、装甲戦車と思うようなゴッツイ血の甲殻を纏ったバーレンがそこにいた。そこらの車よりも大きい。
頭から虫の触角が生えていて、右目の部分が血で作られた複眼で覆われていた。
ウィオリナは大輔と杏、冥土の方を見て笑った。その笑顔は天真爛漫という言葉がとても似合っていて、思わず大輔たちは気を抜く。
ウィオリナが深々と頭を下げる。
「巻き込んでしまってごめんなさい。そしてお願いします。力を貸してください」
「あっしからもお願いするっすっ! 首でも何でも差し出しやすからどうかっ。けど、どうかウィオリナさんだけは……まだ統括長官になってひと月も経ってないんっす。全ては副官のあっしの責任――」
ウィオリナの血の狼尻尾がバーレンを叩く。
「バーレン」
「……うっす」
バーレンは渋々と頷いた。
「どうかお願いです。このビルだけじゃない、ここ一帯には戦えない者が多くいます。彼らを守るために力をお貸しくださいっ!」
真剣な声音が響き渡った。
その言葉はとても真摯で、ウィオリナもバーレンも吸血鬼から戦えない人たちを守るために、ここに立っているのだと自然と理解できる。
いや、ウィオリナだけは少しだけ違う想いも混じっているが、けれどそれでもその真摯さは本物だ。
「もち――」
杏が即答しようとしたが、大輔が手で制する。
([極越]の弱体化で大体四割。能力はギリギリ五割。手持ちの幻想具はネタ幻想具が殆ど。弾数もそこまであるわけじゃない。まぁイムたちからかき集めた二割弱の魔力を身体強化に回せば、うん、無力化できるね)
それから未だに大輔が放つ威圧で動けないデジールたちに視線をやる。柔和に微笑むその笑顔の下には、苛立ちというよりはストレスがあった。
(……ホント、冥土は帰ったら説教だ。面倒なことに巻き込んで。……だけどこっちもいい加減ムカついてるんだよね。こっちに強制送還されて、哀れな妄執に巻き込まれて、やっとイザベラと会えると安心したのにさ、これだもん。もうちょっと感傷に浸らせてよ。っつか、僕の睡眠時間を奪いやがって)
大輔は丸眼鏡をクイッとしてニィッと微笑んだ。
「さて、自称神様とその金魚の糞。最終勧告をするよ。大人しく猿山に戻って。これでも僕は理性的で善良的な一般人。暴力は好まないんだよ」
……あれ? 先ほど問答無用で黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼を消滅させていたような……
そんなツッコミはしらん。僕は過去を振り返らないっ!
「で、どうする。その紅いペイントがボーダーラインだよ。お前らの何かが一ミリでも越えれば……お前らを問答無用で殺す」
ゾクッッ! 畏怖が迸る。黒髪の吸血鬼と灰髪の吸血鬼が一歩だけ後退る。けど、デジールはだからこそ、我に返り哄笑した。
「クハッ。クハハッ。クハハハハハッ。……我は何をしてたのだろうな。そうだ。我は神だ。永遠を手にした神だ。こんな地に這うカエル一匹に怯えるなど――」
デジールは怒る。自分に、そして大輔たちに。
「問答無用で屠す? 井の中の愚物が天空を見上げることすら、吐血してしまう」
デジールは浮き上がる。鮮血の満月を背負い、バサリと夜の翼と血の歯車の翼で空を打った。まさに夜の王、いや神だ。
そして腕を横に振った。その仕草が香ばしくて、大輔がおぉ、と感嘆を漏らす。杏がジト目を大輔に向ける。
血で刀剣の雨が創造され、大輔たちに降り注ぐ。デジールの一部である血の刀剣が、ペイント弾で作られたラインを越えた。
大輔はザッと足を開き、右足を下げ、腰を落とした。
「うん、分かった。では、ウィオリナさん。お礼はたっぷりもらうね。あ、血力の研究は先約を入れておくよ。それ以外は後で考える」
大輔は進化する黒盾を唸らせ、カシュンカシュンとスライド変形させながら巨大な黒の拳を作り出す。
「私は血を下さい。私は血が通っているんです」
ウィオリナに血が通ってないと言われたのを根に持っているらしい。サイコな事をのたまう冥土。
「……アタシは母さんについてだけだ」
杏はボソッと頷いた。
「ハッ」
その直後、大輔は裂帛の叫びを一発。巨大な拳に変化させた進化する黒盾で血の刀剣の雨を全て消し飛ばす。
ウィオリナは、そんな大輔たちの言葉を、態度を、想いを吟味した。真摯に受け止め、自らの想いに混ぜ込んだ。
感謝する。
「ありがとうございます」
「感謝するっす」
そして紅い満月と夜空の下、戦いが始まった。
======================================
公開可能情報
幻想具・硬くなるんです:飲料型の幻想具。とても甘いコーヒー。飲むと任意で身体を硬化できる。部位を絞れば絞るほど硬度は増す。バージョンによって時間の長さが違う。
別名、これで一夜頑張れますっ! 夜のお供には最適かも……しれない。硬すぎて嫌がられるかも……しれない。
仕組みとしては、原材料と出来上がったコーヒー。それと缶それぞれに力が付与されている。体内に直接打ち込む注射バージョンもある。
幻想具・オムニス・プラエセンス:『今』を刻み続ける金茶色の懐中時計。時を『今』だけに正す力を持ち、その強さは世界の法則に匹敵するレベル。応用すると、時の固定にも繋がる。
どんなに後悔に塗れようとも、どんなに今が苦しかろうとも『今』を生き続けるという大輔と直樹の覚悟。想いが現れた幻想具。
大きな文字盤が一つと小さな文字盤が左右下に三つある。外縁の金属には六十に割った小刻みの線が刻まれている。
大きな文字盤には一から二十四までのローマ数字が刻まれていて、時間・分・秒を表す。小さな文字盤は零から九までのアラビア数字が刻まれていて、左の文字盤は四つの針を持ち、西暦を、右の文字盤も四つ持ち月日を示す。下部の文字盤は三つの針を持ち、ミリ秒を表す。
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