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4日目

4日目

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 早朝、村にやってきた冒険者たちを待っていたのは村の入口にかごを置いて陣取って、彼らを値踏みするような目で見ている赤子だった。



 野盗共に狙われているから、警護をして欲しいという緊急の依頼に応じてやってきた彼らだったが、すでに村は野盗に襲われており、居心地の悪い到着になってしまった。

 野盗に放火された建物は半焼し、けが人は大勢。村人たちの冷たい目線の中、集会場の残骸で村長と面談となった。

 冒険者側としては警備の仕事として来ただけであって、さらわれた村人救出は依頼内容にない、と断ったが、それでは一切の支払いをしないという村人側の要求に、どうしたものかと思案するしかなかった。

 その間も、赤子が厳しい目で彼らを見ていた。さっきまで村の入口にいたのに、誰かがここまで運んできたのだろうか?

 村人から襲撃時の様子を聞き、野盗たちの数と戦力を想定する。

 「無理という戦力ではないか…」

 リーダーの歳若い男を決断させたのは、周囲の村人の熱心なお願い以上に、彼らを冷徹に見つめる赤子の視線であったかもしれない。



 「大丈夫か、こんなガキどもで」

 俺は思わず毒づいてしまった。

 冒険者と名乗る連中は、どう見ても高校生か大学生くらいの若造であった。

 鎧を装備した戦士。黒いローブの魔法使い、僧侶の女はさらに若く子供にしか見えなかった。

 冒険者というファンタジーな存在。先日の野盗といい、俺は生後4日目にしてこの世界のあり方というものを実感していた。

 「転生したんだな…」

 俺の現実とまったく違う現実がここにはある。

 「だが」

 俺の今は、俺の心は、前世と全く同じ感情である「怒り」が体中に渦巻いていた。

 引き離された瞬間のマリーの顔が頭から消えない。

 

 俺を受け取ったサバンサは野盗に受けた傷が悪化し寝込んでいる。俺を個別に認識し保護をする役割の大人がいなくなったため、俺は村の中を自由に移動できるようになった。

 俺の明敏な感覚と素早さがあれば、人目に全く触れることなく移動することは可能だ。



 俺は冒険者達と、周囲の地理に詳しい村人が話し合っている現場に潜んでいた。

 柱をするすると登り天井の梁に潜む。

 彼らが見ている周辺地図を上から覗く。

 昨日からの「素早さ1」の状態に慣れ始めている。今や猿よりもすばしっこく動ける。 

 適当な描線の地図をたちまち記憶した。

 野盗共が逃げた方向から想定される彼らの根城は、廃墟となった古城。誰も近づかない廃墟であるため、野盗共にとってはうってつけのアジトとなっているはずだ。

 俺は屋根から抜け出し、村人のために並べられた食料の中から冷たいミルクを何杯も飲み、今日一日分のエネルギーを補給した。

 冷たく冷めきったミルクには、苦味しか感じなかった。マリーの与えてくれた母乳とは比べることすら失礼な味だった。

 

 なにか武器が欲しかったが、赤子の手には全てが大きすぎる。使い勝手の良さそうな紐を腰にしばり、手ぬぐいをマント代わりにして出立の準備をする。

 準備を終え、村の外れまで一人で進む。

 ふと振り返ると、焼け焦げた屋根が痛々しい建物も見えるが、それ以外を見てみれば朝日に彩られた村は、ファンタジー世界の綺麗な村だった。そこに住む人々も悲しみの汚れを拭き取れば、きっとみな優しく良い人達なのだろうと想像できた。

 俺は振り返るのをやめ、一人、野盗共の根城に向かって歩みだした。

 小さな小さな足で。









 「くそ、なんだこの足は」

 短すぎる。

 赤子の足は短すぎる。

 すでに4時間は歩きどうしだが、一向に進まない。足が短いため、一歩のストロークが15センチもないのだ。

 「こんなんじゃ、何千歩あるいても進まないぞ!」

 息が上がり山道にへたり込んだ。

 いくら体力と素早さのステータスが1になろうとも、体型が赤子のままではなんともならない。樹上を猿のように飛び跳ねようかとも考えたが、持久力が持たない。瞬発的な素早さで長距離移動するのは無謀すぎる。

 道の後ろから、ピクニックに来た大学生たちみたいな話し声が近づいてきた。

 俺はとっさに道端の草むらに隠れた。



 「だから、村人を何人か駆り出せばよかったんだよ。そうすりゃ戦力にならなくても、オトリにはなるから」

 「お前にはプライドがないのか。雇われ冒険者が雇い主を盾にするなんて、話にならん」

 「キレイ事言ってる場合かよ。向こうの戦力の方が多いんだぜ。それに村人だって自分の奥さん助けるんだから、喜んで参加するよ」

 「それで死なれたらどうすんだよ」

 あの冒険者の若造共だ。

 なんてこった、先発したのにあっというまに追いつかれたぞ、この短足め!

 どうやらリーダーの男とシーフの男が、道中で言い争いをしているようだ。

 「いいから早く進め。さらわれたのは女の人ばっかなんだよ、わかってんの?」

 女戦士にケツを蹴られて、シーフは口を曲げながらも前に進む。彼女は仕事に忠実なようだ。

 彼女が言うように俺も急がねばならなかった。しかし、この足では…

 そこで俺は一計を案じることとした。



 「フギャァァァァ!」

 「え?なに。 赤ちゃん?」

 「なんでこんな所に赤ちゃんがいるの?」

 草むらの影から大声で泣いて、ちょうど通り過ぎようとしていた一行を引き止めた。

 いきなりの赤子登場に驚く一同。男性陣は「めんどくさいことになった」とあからさまに嫌な顔だ。

 女性陣はさすがに放っては置けないと俺を抱き上げた。

 「おい、まさか拾ってく気か?俺たちこれから戦闘するんだぞ」

 シーフの意見はごもっともだが、俺としてはぜひ拾っていただきたい。 

 そして野盗のアジトまで連れて行ってもらいたい。

 俺を抱き上げたはいいが、悩んでいる女魔法使いに対して、俺は自分が持っている最大の武器

 「魅力20赤ちゃんの天使スマイル」

 を炸裂させた。

 彼女の心臓からキューンという音が聞こえた。

 なになに、と覗き込んだ女戦士の心臓も高鳴った。

 俺は異性の心をここまで手玉に取る、自分の愛らしさに恐怖しつつも、美しい赤子という存在になれたことを感謝した。

 「そんなガキ捨てろ…」

 顔を出した盗賊の男の心すら撃ち抜いて、骨抜きにさせた。

 「美しさは兵器」

 そう実感せざるを得なかった。



 そうして俺は一向に同行することとなった。

 戦場の手前で置いておいて、帰りに回収するという段取りになった。



 赤子を連れた冒険者一行は廃墟の城を見渡せる高台にたどり着いた。昼少し前という時間だ。

 全体を眺めて作戦を練るつもりらしい。

 廃墟となった城は、城壁が中庭を四角く囲っているだけのシンプルな作りだった。

 ほとんどの屋根が落ちており、人が住まなくなってだいぶ経っているようだった。

 そんな中か幾筋もの煙が上がっている。炊き出しの煙…

 「いるいる。けっこういるじゃねーか!」

 なにかと反抗的なシーフの男が、城内の人数を数えてながら悲鳴をあげる。

 16人までは確認できた。

 「16…予想よりも多いな…」

 リーダーの戦士の若者が暗い顔になる。

 なにせこちらは6人の若者に一人の赤子だ。

 「でも、魔法使いとか、そういうのはいない感じ。全員兵士崩れって感じだよ」

 魔法使いの少女も偵察使い魔での索敵結果を伝えた。囚われた村人の具体的位置も判明した。

 俺は指をしゃぶりながら、その情報に聞き耳を立てていた。

 「よし、いくぞ。ここまで来て救出もせずに逃げる訳にはいかない」

 リーダーの決断に全員が従った。覚悟は良いが、さすがに無謀ではないかと、赤子は思っていた。

 彼らは高台の木のそばに俺を置いて、城に向かって降りていく。

 彼らがいなくなった途端に、俺は赤子の化けの皮を剥がして、木をするすると駆け上った。

 昨夜の戦い以来、自分の体の動きにだいぶ慣れた。前世の体が軽自動車だとすると、今の体はスポーツカーだ。馬力とスピードは桁違いだが、動かし方自体は変わらない。さらに反射神経も空間把握能力も上がっている。

 俺は猿や猫のように木を登りきり、廃墟の城を自分の目で観察した。下っていく冒険者たちの姿も見えた。

 城壁でダラダラ警備している敵兵との距離が近づく。どう考えても、敵が気づくほうが早い。囲まれて殺されてしまう可能性が高い。

 俺も決断し、木を飛び降り、坂を一気に駆け下りる。

 俺は四つん這いで、獣のように走る。赤ん坊の体で二足走行は不安定すぎる。みっともないが四足の方が早い。

 あっというまに城壁にたどり着いた。ここまで体が小さいと敵に見つかる心配はない。

 冒険者たちはまだ坂を降りている最中だ、とっとと始めないと。

 俺は崩れた城壁を登り、小さな穴に頭を突っ込む。猫がどんな穴でも通り抜けるように、俺もするっと城内に潜り込んだ。

 内部には敵兵が大勢、暇そうに過ごしていた。柱の陰から陰へと、俺の移動を見つけられる奴はいない。

 「なんで女どもに手を付けちゃいけないんだよ~」

 クズみたいな事をクズみたいな男が言った。俺は体を止め、その会話を聞いた。

 「うっせーな、親方が厳禁にしたんだからしょうがねーだろ。下手に手を出すと値が下がる。最初に壊すと後の調教の効果が落ちるんだとよ」

 「傷物は値が下がるんだとよ~」

 話の内容からして、マリーの身に関しての安心材料を得るが、全てを信用できるわけではない。俺は行動を急いだ。

 冒険者の若者たちがもうすぐにも城壁に到達するはずだった。

 俺は手近にあった松明の火を、崩れた木造の小屋の中に投げ入れた。

 すぐに移動して、炊き出しの火をそばの藁の山に投げ込む。

 同じ様な破壊工作を幾つかした結果、

 城内に煙が蔓延し始めた。

 男どもが異変に気づき騒ぎ始める。消火のために右往左往する騒ぎになった。



 「あれ?なんか城内おかしくない?」

 城壁の大きく崩れた部分から中を覗いていたシーフが言った。

 「なんかトラブルみたいだな…これはチャンスだ!一気に行くぞ!」

 冒険者たちが城内に飛び込み、消火用の桶しか持っていない無防備な男たちに攻撃をしかけ始めた。

 

 「よしよし、これでそうとう有利になっただろう」

 俺はその乱闘を建物の影から見ていた。赤子の小ささは後方撹乱に最適だった。

 だが、それだけではマリーは救えない。

 俺は、自分自身の手でマリーを救うために、城の奥に向かっていった。







 城内には煙が充満し視界は極端に制限されている。野盗たちが敵の姿も確認できない状態であるのに対して、冒険者たちはチームとしてまとまり、一人ひとり確実に倒していった。

 俺はそれを見ることもなく城内の奥に向かっていたが、突然の輝きに驚き足を止めた。

 火が生き物のように空をうごめき、野盗の一人を飲み込んだ。その生きた炎が発する音は、前世では聞いたことがない不思議な音だった。

 「あれが魔法か!」

 俺はこの世界に来て、4日目。ついに異世界の本性の一片を目撃した。冒険者の中の女魔法使いが使った神秘の技術だ。

 もっと見物していたかったが、そんな余裕はない。急ぎ城内の最深部、唯一残った建物内に侵入した。

 建物内に入ると、外の喧騒が遠くなった。暗い廊下をしばらく進み、地下への階段を見つける。地下には大きな檻があり、一人の番兵が立っていたが、外の騒ぎが気になって気もそぞろだった。

 そんな奴を気絶させるのは赤子でも容易い。

 天井の梁をコウモリのように逆さになって移動し、頭上から相手の脊椎に向かっての急降下ケツ爆撃で昏倒させた。

 俺はそばに落ちていたボロ布を頭から被ってポンチョのようにまとい、赤子の姿を隠した。

 この姿なら、小さな生き物に見える。人間の赤子とは、普通は思わない。

 檻の中に声をかけると、壁際に固まっていた女達が徐々に姿を表した。

 さらわれた村の女達だ。俺はその中にマリーの姿を探したが、

 「おい、マリーはどこだ?」

 慌てて声を出した。いないのだ。

 俺は大人の声で喋る、怪しい小さな布怪人であったが、女達は救出者だと理解してくれて答えた。

 「ついさっき、ここの頭領のところに連れて行かれました…」

 辛く苦しそうに一人の女が言った。マリーと同郷の村の女たちだ。全員が顔見知りなのだ。

 俺はすぐそばの番兵の懐から、檻の鍵を取り出してその女に投げた。

 「すぐに冒険者達がここに来る。それまでは動くな」

 それだけ言って走っていった。女達の感謝の声を聞いている時間はなかった。



 

 この城で、唯一まともに過去の姿が残っている王の間。そこに一組の男女がいた。

 野盗の頭領。大柄の肉体は野盗共を従わせる圧倒的な説得力を持っていた。ハゲた頭に伸ばし放題の黒いひげ。そとの騒ぎが気になってか、キョロキョロと周囲を見ている。

 もう一人の女は、マリーだった。虚ろな目つきで床に倒れている。目は開いているがぼんやりと天井を見ている。彼女のそばにはグラスが転がり、無理やり飲まされたクスリ入りのワインが床に広がっていた。

 外の喧騒の音がひときわ大きくなる。破裂音、間違いなく魔法の攻撃だ。

 頭領は立ち上がり、傍にあった斧を持ち上げた。それは大きく、人の上半身も、赤子の全身もたやすく両断できる大斧であった。

 早の隅には今まで奪ってきた物が貴重品が乱雑に山となって溜められていた。

 銀の食器類、装飾過多な鎧、宝石や金貨。その山が音を立てて崩れた。

 野盗の頭領が驚いてそちらを向くと、影の中から小さな布をまとったぬいぐるみのような生き物が出てきた。

 「なんだぁおめぇは?」

 なまりの強い言葉で問いただすが、小さな者は答えない。ただその布のケープの隙間から、小さな眼が光っているのが見えた。

 「てめぇ、何をした?」

 小さき者の言葉が、頭領のそばに倒れ込み動けなくなっている女の事を言っているのは明白であった。

 「ああ、これかぁ…俺は女が騒ぐのが嫌いなんだよ。だけど抵抗しないのも面白くないから、クスリ飲ますんだ。口も動かせなくなって体も動けない。抵抗できない。

 でもそうすっと眼に力はいるんだわ。メンタマが飛び出るくらいなって、ヤメテ~~って眼が言ってくる…それが…一番エエ」

 頭領は想像だけで舌なめずりをする。

 赤子は、すでに飛び込んできていた。

 下から振り上げた斧は間に合わず、頭領の頭に赤子の足がついた時には、すでに細い紐が二重三重に頭領の首の周りに漂っていた。

 赤子はそのまま頭領の頭を乗り越えて背中を落ちていくと、紐はギュッと引っ張られ、頭領の首を締めた。赤子はそのまま頭領の背後から股下を空中ブランコの要領でくぐり抜けた。 さらにきつく締まる首の紐。紐に引っ張られ頭領の体は背面に向けて折れ曲がる。

 「グゥッ!」

 頭領が吠えて体の動きを止める。股下から紐の勢いでブランコのように舞い上がってきた赤子の顔は驚いていた。

 赤子の体重でも剛速球のスピードで動いていた。その勢いはかなりのものであった。

 奇襲をしかけられ、とっさのことでほとんどの人間はそのまま背面に倒れ込み、あとは赤子のペースとなるはずであったのに、一気にアドバンテージを失った。

 頭領は空いた手で赤子を殴り飛ばした。

 バットで打たれたボールのように飛んでいき、部屋の隅の財宝の山に激突した。金銀財宝が四方に飛び散り、高級そうな音を立てて回った。

 その崩れた山の中からゴロンと赤子が転がって落ちた。

 「生まれ変わって、初めて殴られたぜ」

 強がりを言ったが、正直かなりキツイ。

 頑強に生まれ変わったといっても赤子のボディーだ脳も臓器も小さな体に詰まっている。全身が急所のようなものだ。

 立ち上がろうとしてしても、膝が崩れて立てない。

 「んだば、死なすか」

 頭領は大斧を手にゆっくりと近づいてくる。

 マリーは動かぬ首で小さな救出者の姿を見ようと努力したが、天井しか見えない。

 赤子の手には貧弱な紐しか無い。

 武器は、

 そばに銀色に輝くナイフがあった。頭領が持つ大斧に比べたらペーパナイフのように貧弱なものだった。

 しかし赤子はそれを手に立ち上がった。

 「ん~~~?」

 頭領はバカにしたような眼でその姿を見た。

 実際、馬鹿げている。赤子のような小さな体にその上半身ほどの長さのナイフはあきらかにサイズオーバーである。振りかざす以前に、

 「も、持てない…」

 赤子の手は小さい、その指も短い。

 ナイフの柄を「持つ」ことはできても「握る」事ができないのだ。

 ナイフは手から落ち、赤子も膝から崩れた。

 頭領は、驚異がなくなったと判断し近づく。もうその眼には赤子の死体は見えている。あとは実行するだけだ。

 ナイフの上にかがみ込み、動かない小さき者。

 両者の距離が6メートルに近づいた時、

 「ブンブンブンブン…」

 赤子の頭上で、先程のナイフが回転を始めた。

 かがみ込んだ状態で、ナイフと紐を結びつけていたのだ。

 紐の回転速度が上がると、ナイフの切先が円盤を作りだした。こうなるとたやすく接近することはできない。

 頭上で紐を回転させ続ける赤子。回転の作り出す勢いで赤子自身が飛ばされそうになるのを、見事な体幹で制御している。

 「いつまでブン回しとるつもりだァ?」

 「じゃあ、そろそろ」

 頭領の問いかけに反応するように、赤子は指先をわずかに緩めた。

 その途端、勢いづいていたナイフの回転運動は、高速の直線運動に変わり頭領の顔面に向かって飛んだ。

 「チッ!」

 とっさに避けた頭領の頬をかすめたナイフは飛んでいった。素早い攻撃だが一度避ければそれで終わりだ。ナイフを投げて無防備となった赤子に頭領が斧を振り下ろせばそれで終わりだった。だが赤子の姿はそこになかった。

 赤子は、頭領の顔の横を高速で通り過ぎていた。

 「なに!?」

 赤子が思いっきり加速させたナイフの運動エネルギーは赤子自身の体重を超えていた。

 赤子は自分が投げたナイフに結びつけていた紐に引っ張られ宙を飛んだのだ。

 赤子は頭領の背後にいる。

 飛びながら空中回転する赤子。

 まさに縦横無尽に回転し、新たな回転エネルギーをナイフに与え、方向を変える。

 空中を曲がったナイフが柱に刺さる。

 柱に刺さったナイフを中心に赤子は回転し、再び頭領に向かって飛んできた。

 柱から抜けたナイフが生き物のように向きを変え、また頭領を狙う。

 「くそ!」

 今度は後ろからナイフに狙われる。 

 避けたと思ったら、また赤子は複雑な回転をしてナイフを空中で方向転換させる。

 ナイフと赤子が交互にお互いを飛ばし合う。

 空中回転の精度と回数が上がり、頭領を追い詰める空中刃の包囲網ができつつあった。

 次々と頭領の体に傷が生まれる。

 しかし、やはり攻撃が軽い。

 いくら高速機動する刃とはいえ、ナイフの傷では筋肉に切り目を入れるのが精一杯だ。

 「無駄じゃ無駄じゃ!そんなチンケな刃で、倒されるワシかァ!」

 「じゃあ」「これなら」「どうだ」

 赤子の言葉は前後左右から分かれて聞こえた。それほど赤子の空中機動は早くて複雑だった。

 刃の回転速度が上がった。

 次々と頭領の体に傷をつけるが、

 今度の傷は位置が違った。

 関節、腱を狙った切り傷。

 筋肉にとっては小さな傷でも、腱や関節にとっては致命的な傷になる。

 傷がつくたびに頭領の体の動きが鈍くなる。巨大な筋肉も腱が切れては使い物にならなくなる。

 腕が止まり、肩が落ち、膝が崩れ、

 ついに立てなくなり、床に顔面から倒れ込んだ。

 ビュンビュンと鳴っていたナイフの風切り音が止んだ時、

 頭領は床をなめながら、仁王立ちする赤子を見上げることしかできなくなっていた。

 







 空中を飛び続けたナイフがその役目を終えた時、最後に突き刺さったのは、地に伏した頭領の顔の眼前であった。

 「な…なにものじゃ?」

 頭領の眼にはついさっきまであった覇気の光は消え、恐怖の眼で赤子を見上げていた。

 「お前は俺の家族を傷つけた」

 影になったその顔は赤子そのものだったが、その瞳も声も生まれたての人間の物ではなかった。長い長い時間をかけて作られた大人の物であった。

 赤子はちらりと背後にいるマリーの姿に視線を送ったが、彼女はまだ動けないようだ。視線を外したのはほんの一瞬だったため頭領が行動を起こす隙はなかった。

 「貴様、ナノウの国の人間か?」

 「ナノウって、あの侵略してるって国か…俺には関係ないな」

 「ナの国には貴様のような異様な連中がうようよしてるらしいからな」

 ナノウ国、部屋に貼ってあった地図の、半分を黒色で侵食してたあの国の名。

 「違うんかい。どうだ、今からでも遅くない。ワシと組まんか?お互い良い目に会えるぞ。今はナノウのおかげで世界はむちゃくちゃ。ランド国王も王都の守備に兵力を傾けて、こんな田舎は無防備でやりたい放題じゃぞ」

 俺は目の前のナイフを蹴った。その刃は頭領の鼻に少しめり込んで止まった。

 「ヒィッ!」





 俺は脳内にこだまする声を聞いていた。



 『あの世界には人々を苦しめる悪の王がおる。それを倒すのじゃ。わずか30日で』



 白いひげの男が言ったあの言葉…

 俺の…天命?

 振り返りマリーを見る。ようやく体の自由が戻ってきたようだ。部屋の扉が開き、冒険者たちがなだれ込んできた。怪我を負っているが全員無事なようだ。

 「おい!人質の最後の一人がいたぞ!」

 「ここに頭領がいるはず…アレ?」

 他の人質を救出し、マリーのことも知っているようだ。

 そして彼らの目に見えるのは、人質であるマリーと、最後のボスである頭領(はすでに倒されている)そして、小さな小さなマントの怪人(俺だ)。

 「今日は何日だ…」

 俺は自分に尋ねた。

 4日だ…。生まれてきて、もう4日だ。

 「残り何日だ」

 26日…

 マリーが俺の方を見ている。

 26日間、女の乳を吸って過ごすのか?

 最後の日まで!

 マリーの顔を見る。恐怖と安堵がないまぜになった顔だ。

 彼女は救えた。

 俺はあの暖かな日々を思い返す。前世では感じることのなかった暖かさを、彼女は与えてくれた。

 「残り26日で、何かをなすんじゃなかったのかよ!」

 前世での後悔…俺の前世に意味はなかった!

 前世の俺がこの場に残ることを許さなかった。

 「ここがお別れの場所なのか…」

 マントで顔を隠して、背後を見る。

 マリーを保護しようと駆け寄る若者たち。

 呆然と俺の顔を見ているマリー。

 マントの影に隠れた顔が、まさか自分の赤子だとは思うまい。わずか生後4日、歩くこともできない赤子が、まさか自分の救出に来るなんて、思うはずもない。

 わずかに彼女と目線があった。

 「…さようなら」

 そう小さく口に出して、俺は駆け出し、建物の亀裂に飛び込んで、外の世界に消えた。

 



 マリーは倒れた野盗の男と、その前に立っている小さな小さな人間の姿を見た。

 その小さな人はほんの少しこちらを見た後、すぐに飛び出して消え去った。

 その一瞬に見えた顔は、

 ありえない話だが、

 自分の小さな赤ちゃんの顔に見えた。

 そしてその表情は、寂しさと悲しさに満ち溢れたものだった。

 マリーは彼を抱きしめてあげたかったが。

 もうどこかに消えてしまい。

 彼女の手の届かない場所に行ってしまった。




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