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第十話

10‐01「憂鬱なそらいろ」

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 空是がチーム在音に入り、実在研に住むようになって10日余りが経った。

 その間、彼の先輩である淡井そらいろと会話したことはなかった。

 そらいろも空是と時を同じくしてこの実在研に居を移している。

 互いに、同じ高校を休学している身分であり、先輩後輩という間柄である。

 「もっと話していいはずなのに」

 空是は不満と不安を感じていた。

 戦闘前のブリーフィング時などでエントの隣で秘書みたいな立場にいる彼女をみかけたが、彼女から話しかけてくることはなかった。

 広い建物内の廊下で彼女を見かけて駆け寄るが、いつも廊下を曲がると彼女は消えていた。

 「もしかして、嫌われたのか?」

 身に覚えは…あった。そらいろは空是にチームに参加してほしくなかったのではないか?そいうことを考えずに、自分は勝手に参加を決めてしまった。

 ゲーミングブースに入って練習をする。クイックマヌーバ以外の開発中のチートウェポンのテスターも空是の仕事であったが、頭の中のそらいろの姿が集中力を低下させる。

 ミスする。遠くのブースから友禅寺の「真面目にやれ!」という声が飛んでくる。

 顔を上げるとブースの向こうにまぴゆきと話しているそらいろの姿が見えた。

 楽しげに話している。

 その笑顔は前まで空是に向けていた笑顔と違う種類に見えた。ゲームングチェアにへたり込むと、チェアがその重みを吸収し形を変える。

 「まぴゆきさんじゃ、かなわないよな…」

 このチーム内で一番モテそうな大人。ここにいるメンバーはみんな、そらいろを知っている。彼女がこのメンバーを全員スカウトしたのだ。

 「僕は、そのなかの一人でしかなかったんだ…」

 力なくマウスを握り、やる気なくテスターを再開した。



 

 暗い部屋の中、エントが作業をしている。

 彼の回りには無数のウィンドウが広がり、そのウィンドウの向こうにも無数の窓が広がっている。

 それは果てしなく奥へと続き、合わせ鏡の無限の世界のように見えるが、実際に全てがリアルタイムでエントが処理している画面であり、彼がこの一瞬でも数億の会計処理を行っている証拠である。彼は環太平洋地域のほとんどの通貨を取り仕切っている。一瞬の遅延も許されない作業だが、カレンシーAI、最高度のSPU(シンギュラリティ・パフォーマンス・ユニット)で構成された彼には容易なこと、呼吸よりも簡単なことなのだ。

 目下、彼の関心事はメタアースを作っているバックボーン、スカイネット通信衛星の追加300機の同時打ち上げについてだ。

 この打ち上げはエントが独自に計画し行っているもので、その打ち上げ費用は彼の「エント」を使用している全ての人間から少額づつ徴収されている。全ての人類がメタアースを使用しているのだ。その通信代として少額を取られることに文句を言う人間はいない。

 エントは通貨の市場流通を管理するだけではなく、そのための施設運営と施設建設を人間の決議や同意なしに行える。というよりも彼を管理できる人間は世界に一人もいない。全てのコストカットを成し遂げた結果、彼の回りから人間は全て消えたのだ。これも最大利益を追求しつくした結果である。

 「待たせたね」

 エントはくるりと振り返った。

 「いえ、別に」

 淡井そらいろが立っていた。

 そらいろはこの施設の制服、パンツルックのスーツ姿だ。

 「そらいろ、君の仕事には感謝している。現在のチームが完成したのは、ひとえに君のリクルート能力の高さゆえだ。私は人の心の細やかな機微というのが理解できない。だから君にはずいぶん助けられたと思っている」

 上司の過分な褒め言葉に、そらいろは反応を示さなかった。

 「しかし、最近の君には問題がある。それがなにかを自覚しているかを確かめたいので、君自身の口で言ってもらいたい」

 「……」

 エントの質問にそらいろは答えなかった。しばらくして嫌々という感じで

 「…空是君とは関係が悪化していると思います…」

 言いづらかったのか、うつむいて答えた。

 エントは肩をすくめた。誰にも理解されないがすくめたのだ。

 「そもそも君は、彼のリクルートを長々と先延ばしにした。私の催促にも一向に応じなかった。これはサボタージュととらえてもいいくらいだ。他の者はそうそうに実在研に送り込んだのに…」

 「一色君は未成年だったので、他のメンバーとは条件が違います。彼の自発的意思とは極めて環境に影響されやすく揺らぎやすいものです。兵士として参戦という事について真剣に考える時間を、成人よりも長期間確保したことに問題があったとは思いません」

 「友禅寺の時は、そうそうに契約させたじゃないか」

 「友禅寺君は、実家の事情もあり、彼の参戦意識は揺るぎないものがありました。彼の実家の受けた被害額は、個人の被害額として屈指のものでもあり、彼自身の参戦への熱望もありました。一色君の時とは条件が違います」

 「そらいろ、君が一色君を勧誘するまでにかけた期間は5ヶ月間だ。彼が入学してから、二学期までの期間だ。これは長すぎると思わないか?」

 「実際にはその間にも5人とコンタクトをとり、勧誘活動を並行して行っていました。そのしわ寄せで一色君のリクルート期間が長期化しました。私の活動に遅れが出たことは認めますが、それは仕方がないことだと思っています」

 そらいろの脳裏に夕焼けに彩られた部室の光景が蘇る。空是はゲームをし、彼女はそれを眺めたり眺めなかったり。退屈にほど近い時間を彼と過ごしていた。

 「…君は、最後まで彼を勧誘することに消極的だった。私の命令でようやく連れてきた、何の説明もせずにだ。彼はこの国の中では逸材と評していいAクラスの人材だ。クイックマヌーバも、今のところ彼しか使用できない」

 「クイックマヌーバは失敗作だと思います」

 そらいろは、全員が思っていたことをズバッと言った。

 「それは私も了解している、誰も使えない兵器など無意味だ。ただ一色君はそれを使いこなす。それだけで貴重な戦力だ」

 「彼は高校生です!子供です!」

 そらいろは必死に否定した。

 記憶の中の空是は、つねに彼女を頼った。困ったこと、楽しかったこと、彼の顔を見れば彼が何を思っているかすぐに分かった。

 「彼は成人には達していないが自己決定権を持った個人だ。君にとやかく言って干渉する権利はない」

 「私には、プレイヤーの心理面をサポートするという監督義務があります」

 「だったら、それをやりたまえ!君は個人的感情を抑え込み、一色君のメンテナンスをするんだ」

 「…感情を抑え込めって…あなたとは違うんですよ。あなたみたいなAIとは…」

 苦しそうなそらいろ。

 彼が不幸に落ちた時、実家が攻撃された時、それは勧誘のチャンスだった。そう思った時、自分が壊れそうなほどの心の痛みを感じた。彼の辛さが自分にも届き、悲しみが胸を侵しているのを感じた。彼を慰めてあげたかったが、彼女にはその手段がなかった。彼女には「一色空是をスカウトする」という絶対の使命があったのだ。



 「それも理解している。だが仕事は仕事だ。そしてそれが空是君のためだ」

 何も言わず退出しようとするそらいろ。

 扉が開き、廊下の照明が室内に差し込む。

 振り返ったそらいろの顔には、確かな怒りの表情があった。

 そらいろが出ていき扉がしまる。再び室内が暗闇に戻った。

 エントは「やれやれ」と肩を落とした。



 部屋から出て、廊下をツカツカと怒りに任せて歩いていたそらいろは、

 「そらいろ先輩…」

 一色空是と出会ってしまった。



 「そ、そらいろ先輩!ひさしぶりですね」

 空是は今の彼ができる最大出力で挨拶したつもりだったが、その声は想定よりも低いものになってしまった。

 胸元に持っていたファイルをギュッと握るそらいろ。彼女は彼が投げてくれたボールをちゃんと返さなければいけないと思っていた。

 「空是君…元気に……なにも問題ありませんか?」

 「ハイ、クラスメートとも連絡取り合ってるし……、あ!学校がついに再開するんですよ…もう先生たち成績表は諦めたって。今だったら成績みんなゼロだから、先輩、学校戻るなら今です…よ…」

 思わず、部活で会っている時のような話をしてしまった。彼らがいるのはあの暖かい部室ではなく、実在研の冷たい廊下なのである。空是の言葉がその廊下を寂しく滑っていった。

 「戻りたいの…空是君は?」

 「いえ、戻るつもりはないです…」

 「そう、じゃあ…がんばってね」

 それだけ言って、そらいろは空是の横を通り過ぎた。

 学校ではいつも感じていたあの香り、そらいろの匂いを求めた空是であったが、なにも感じ取ることはできず、ただ廊下の冷たい空気だけを感じた。



 カツカツと廊下を歩くそらいろ。

 真っすぐ歩いているはずが、徐々に左にずれていく。そして歩みは遅くなり、ついに頭が左の壁に当たって、歩みが止まる。

 「私の……バカ!」

 頭を壁に押し付けて後悔の言葉をはいた。

 空是がせっかく空気を作ってくれたのに。自分はそれに乗れずに、ないがしろにしてしまった。

 一緒にいるのに、あの時間に戻れない。

 空是に対する負い目が自分を引きずり下ろしているのが分かる。それをわかっていながら動けない。

 頭を壁に擦り付ける。

 「そらっち~。何してるの?ネコのまね?」

 向こうからやって来たタラ・リヴェーラ・今川が声をかけてきた。

 ジムで汗を流していたようで、パンプアップされた彼女の肉体が薄いスポーツウェアを押し上げている。

 「なんでも…ないです…」

 タラの肉体に比べたらだいぶ貧相なそらいろは、タラに抑え込まれるように壁際に立って答える。

 「ふ~~~ん?」

 その様子を眺めていたタラは

 「来て」

 そらいろを呼び、そのままレクリエーション室に向かった。



 「…なんなの?暇じゃないんだけど」

 レク室で勉強していたみらのは、来客に不満顔だ。いつもどおりのボサボサのナチュラルボブの髪に赤い大きな眼鏡姿だ。

 「そらっちがお悩みだから…女子会」

 「…女子会~?」

 テーブルに着かず、立ったままのそらいろを見るみらの。

 「すわんなって。悩みがあるなら聞くよ~」

 タラが陽気にそらいろを誘う。みらのは教科書をしまいだした。

 タラが椅子を引き、座るよう促した。

 そらいろは、座らざるをえなかった。

 「で、誰?」

 「…なんの話?見えないんだけど…」

 タラの言葉にみらのが首を傾げる。

 「男だよ。ん、もしかして女?どっちでもいいか。もしかしてエント?」

 「…タラ…なに一人で興奮してんの?先走り過ぎ…。難しい計算だよね?解けないんなら協力するよ」

 「数学専攻してるのにバカだな~。そらちゃんの悩みなんて、恋に決まってるだろ」

 「タラは体に資本を求めすぎ。心は計算を求めるもの…」

 「みらの~大学いってんなら、恋人じゃなくていいから友達見つけて、常識教えてもらいなさい」

 「タラに教わっても無駄だったからね…」

 話がどんどんずれていく。座らされたそらいろはいい迷惑だった。

 「あの…!」

 そらいろの一声で二人はようやく正面にいる彼女の方を向いた。

 「私は、みなさんの利益がもっとも大きくなるように思ってきたつもりです。こちらにスカウトしたのもそのためです」

 「だよね…ここは…面白いもん」

 「利益って、もうちょっと言い方変えたほうがいいよ」

 「だけど、それはみなさんを戦争に巻き込むことになるって分かってて…」

 「巻き込むっつってもギグソルジャーなんて、大なり小なりみんなやってるし。まあそういう悲しい時代じゃない、今って?」

 タラはいつもどおりサバサバしている。

 「何もしてなくても、やられるような時代だからね。世界市民戦争の時代とはよく言ったもので…」

 みらのも、ギグソルジャーは時代の要請だと思っている。

 「いや、皆さんはどうでもいいんです、大人ですから」

 「どうでもいいのかよ!」

 そらいろのあっさりとした言い切りに、二人はずっこけた。そして、ピーンと気づく。

 「大人じゃない!」

 タラとみらのはお互いを見て。

 「一色!」

 「空是!」

 タラとみらのは、姓と名を別々に言った。

 「二人とも同じじゃ賭けにナンないだろ」

 「…友禅寺はない…」

 「そうだけどさー」

 恋人当ての賭けの不成立を嘆いていた二人は、そらいろの方を見て目をキラキラさせた。

 「年下じゃん」「かわいいけどさ~…」

 「なんなんですか、二人とも!」

 「あの子、16歳?」「…16、高1…」

 「高1か~~、私は手を出せないな~」

 「いい加減にしてください!」

 テーブルを叩いてそらいろが怒鳴った。

 「OK、私らが悪かった。さ、悩みを言ってごらん」

 二人は居住まいを正した。そらいろはそんな彼女たちを不審な目で見てる。

 「女子会、それは神聖なる同性のみの告解の場、この場で告白されたことは秘中の秘とされ、決して外部に漏れることはありません。ささ、安心して胸の内を話すのです」

 タラが敬虔な顔をして戯言を言う。

 「その、恋とかそういう気持ち…ないですから。ただ、あの子をここに連れてきたのは間違いだったって、今でも思ってるんです」

 「どして、すごい才能あるじゃん。あのバカみたいなチートウェポン使いこなしているし」

 「ほんとあのチートウェポン、バカみたいだよね…。誰も使えないって…駄作兵器だよアレ…」

 「クイックマヌーバの件はもういいです。エントも反省してるみたいですから」

 「…つまりそらいろは、一色君をここに呼んだのは間違いだったと思っていると」

 そらいろの顔を見るみらの

 「間違いじゃなく、時期尚早だったと。せめて高校を卒業するとか、一年生を終える当たりまで学校にいるべきだったと」

 「休学してんでしょ?今だったら高校卒業の資格とか取れるし、抜きん出た才能を活かして先に進むってのも人生じゃないの?」

 「そうそう…私だって数学で飛び級できたけど、それ以外が駄目だったから、飛び級は断わったの…。だって怖いじゃん年上と一緒に学校行くって…」

 「みらの、私の言ってる話と違ってない?才能に準じたステップアップは当然って話してたんだけど?」

 「…ああ…ごめん。イエス!、ステップアップ!…」

 両親指を立てたみらのの、ぞんざいなリアクションを放ってタラは続ける。

 「私だって、そらいろに呼ばれた時は悩んだけど、今は来て良かったって思ってるよ」

 「…柔道辞めた時?」

 みらのはタラの過去を少し知っていた。

 「そう、ガタイが良いからってガキの頃からやらされてたんだけどさ。ず~~~っと向いてないと思ってた。人と顔を合わせると怖くて、いつも震えてた。だから大学入って、怪我して。辞めたんだ。人生無駄にしたーってね。それからずっとゲーム三昧。ゲームだったら怖くないから、いくらでも投げ飛ばせた」

 「その時に、私が来たんですね」

 そらいろは申し訳なさげに言った。

 「そう、ゲームはどんどん上手くなるんだけど、親には何も言えなかった。柔道辞めたけど、ゲームが超うまくなりましたって、どの面下げて言えるんだって」

 みらのは机に顎を起きながらタラの話を聞いている。

 「あの時のタラさんは、特別な情熱を持ってゲームをしていました。それが天性の才能と合わさって素晴らしい技術として開花していたのをエントが見つけたのです。慎重で臆病で勇猛。全てが揃った戦士だと判断してスカウトに行きました」

 「あんがと」

 タラは褒められたと思って礼を言った。

 「…わたしはスーパー芋虫だったからスカウトに来たの?」

 みらのが聞いてみた。

 「はい、みらのさんの執拗なまでのスナイパーぶりは狂気を感じるほどでしたので、お誘いしました」

 「美人に話しかけられたーと思ったら、延々とゲームの話してきたからびっくりしたよ。それも大学で何回も何回も…」

 「すみません、仕事でしたから…」

 「…じゃあ、一色君にも同じ様に迫ったんだ?」

 「え?」

 みらのの言葉にそらいろは固まった。

 「いや、学校で…ゲーム得意なんですね~。実は今、うちのチームはプレイヤーを募集していて…って勧誘、シたんでしょ?一色くんにも」

 「そ、それは…」

 赤くなったそらいろは下を向いて表情を隠した。

 「したんでしょ?」

 「してないです…一回も…」

 そらいろの意外な答えにタラとみらのは顔を見合わせる。

 「じゃあ、なにしてたの?」

 「あ…」

 何も答えられないそらいろ。彼女の中で思い出が駆け巡る。あの初めての出会った日から続いた、部活の時間を。

 「遊んでました、空是くんと一緒に…」

 「はぁ?」

 二人には、意味がわからなかった。

 

 
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