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第七話
07‐02「目の遣り場」
しおりを挟むツェツェーリアの執務室に出頭したレナータはコートを羽織ったままの姿だった。
先程の庭での呼び出しから数分も立っていない。そのままこの部屋まで歩いてきたが、その数分の間にもレナータは頭の中でいくつかのバッドシチュエーションを想定していた。
ツェツェーリアの部屋に入って無事に出てきたものは少ない。
そのうえレナータは彼女のお気に召す行動をしたことが一度もなかったし、ツェツェーリアの方もレナータを積極的に痛めつけてきた。
扉を開けて中に入るのにも、レナータには覚悟が必要なほどだった。
「レナータ、今日の戦闘はご苦労さまでした。本日の成績は素晴らしく。私としては、あなたに対して何らかの表彰をすべきと校長に掛け合うつもりです」
意外にも穏やかな声、しかも戦功を称える言葉。レナータは拍子抜けした。
室内の空調はよく調整され、外の寒さを一切感じさせなかった。
「しかし…」
デスクの向こうに座っているツェツェーリアは言葉のイントネーションを少し上げた。レナータには遠くから響く開戦のラッパのように聞こえた。
「素晴らしすぎる、勝ちすぎている…レナータ、あなたはこの戦果の勝因を国家に説明する義務があると、私は考えています」
「日頃の訓練の成果、教官の皆様のご指導の結果だと、私は考えています」
レナータは直立不動で答える。心の慌てている部分にフタをして隅に追いやる。いま必要なのは戦場にいる時の心持ちだ。レナータは今日はもう用済みとなったと思っていた、戦士の心を再びまといだした。
「私はこう思うの、レナァータ。あなたズルしたんじゃない?」
教官の目的が察せられた。まさかこんな奴に嗅ぎつけられるとは。ツェツェーリアがデスクから離れ歩み寄ってくる。
その動きは、レナータの小さなキズから出た血の臭いを嗅いで、草むらに隠れていた狼がゆっくりと姿を現してきたかのようだった。
「チータロージェン《チートウェポン》…この私の前で、それを使っている奴がいる。驚きだわ、レナータ・エルメエヴナ・トゥマーノヴァ?」
「そのような物は存じませ…」
レナータの口をツェツェーリアの鋭い平手打ちが襲った。
震える指をレナータに向けながら
「一度だけよ、戯言を許すのは」
首を戻し、口の中の血の味を味わいながらレナータは
「証拠は?」
「大したものねレナータ。ただの小娘の姿が偽りだと、私も忘れていたわ。あなたの本性はメタアース内にある、あの戦士の姿。戦場の風とまで言われる歴戦の猛者。この現実のこの肉は偽りでしかない…」
レナータの首に手が伸び、緩やかにその首を締める。レナータは視線を前方に固定したまま動かない。その手が下に滑り彼女の胸を掴む。女が女に恥辱を与える。ツェツェーリアがよく使う手だが、レナータの表情は変わらなかった。
「あなたの今日の戦績は、通常のブレを大きく逸脱している」
レナータは心の中で舌打ちした。
この女がここまで鋭い感覚を持っていたとは思いもしなかった。左遷させられた過去の英雄という彼女に張られたラベルで人物評を曇らせていた。自分よりも上の戦士という認識が欠けていた。
それゆえに読まれた。数字の変動からこちらの行動の変化、その理由を。
(自分の眼《モイ・グアザ》)
「チータロージェン《チートウェポン》」
レナータは心のなかで自分のアプリ名を
ツェツェーリアは口に出してその名を言った。
今日のレナータの異常な戦果は、たしかにチートが関係していた。実際の街の情景、文字情報が彼女をより価値の高い目標に導いたことは否定できない。しかし、それで得られるボーナスは+2~3割といったところだ。
この多大な戦果の本当の理由は、
「戦争という罪を自らに刻みつけるために、さらに罪を重ねる」
というレナータの屈折した感情の発露が巻き起こしたことだった。
「罪を認めるために、罪を重ねる」
誰に説明してもわからないこの行為を、レナータはオランダの地で繰り返していたのだ。
当然、レナータはツェツェーリアにこの事を説明したところで、まったく理解されないことを理解していた。
「お前が使用していたPCを調べたが、実に、綺麗サッパリ消えていた」
ツェツェーリアの様な不届き者に備えて、開発は慎重に行っている。いくつかのプロトタイプも全て消去し、開発環境すら消している。アプリはフェイスグラス内にある一つだけ。バックアップコピーすら存在しないという念のいりようだった。
「自分の眼《モイ・グアザ》」という名前にあるように、これはレナータが自分の眼として開発したもので、誰に渡すつもりもなかった。
(私は検閲された戦争で狂いたくなかった)
そのためだけに開発したのだ。チートのためではない。
しかし、レナータにも不覚であったと思う所があった。無記名戦争のジャミングを解除するということは戦場の情報をダイレクトに引き出せるということだ。それだけでも小さな戦争革命になる。おそらくロシア国内、いや世界中で行われているであろう「チート技術」開発の成功例を自分は作ってしまっていた。
だがそれでも彼女はこれを誰にも渡す気はなかった。自分自身の眼球に値段をつける者がいるだろうか? 値段を付けた瞬間に、自分の物でなくなるというのに。
「なに?黙秘でこの部屋を出られるとでも思っているの?」
ツェツェーリアが顔を近づける。見た目は美しいが、彼女の体内と繋がった口から出される息をレナータは嗅ぎたいとは思わない。
「疑いのみで、証拠がない。黙秘でも退出可能だと思います。私はギグソルジャーとしてここにいますが、正式に軍と契約した事は一度もありません。現在も軍属ではなく一般市民、寄宿学校に住む普通の学生という身分であります。ツェツェーリア教官殿を尊敬しておりますが、根拠なき憶測で本日の戦果はチートであるとご非難されるのは、私としても耐え難く辛いことであります」
軍隊と一度も契約したことがない、というのは半分本当である。この学校に来る前は国家のスパイ組織の末端に位置に、仕事もしていた。ただ組織が組織だけにまともな契約書などあるはずもなく。レナータの履歴書には空欄として記されている。
ツェツェーリアを尊敬しているというのは嘘である。
レナータは言い返した以上、臨戦態勢を取らねばならなくなった。強気な発言はツェツェーリアに対して敵対行動を取ってしまったに等しい。無事にこの部屋を出られる可能性が下がった。
レナータの反論にツェツェーリアの手が高々と上がった。
頬への衝撃に備えるレナータ。たとえ殴られたとしても、痛みを見せない覚悟だった。痛みはツェツェーリアを喜ばせるだけだ。
その手は頬に当たる瞬間にコースを変え、レナータの耳の後ろの、彼女の装着していたフェイスグラスを奪った。
「!」
アプリそのものを奪われた衝撃が表情に出てしまった。
そのレナータの顔を見て、正解を引いたと確信するツェツェーリア。手に持ったフェイスグラスを高々と掲げる。今までの揺さぶりは、全てこの「答えの表情」を出させるための陽動だった。
レナータは動けなかった。軍属ではないと自分で宣言したものの、ツェツェーリアに掴みかかって奪う様な真似ができる身分ではなかった。体重を両足にかけ、自分を動けないようにするので精一杯だった。
「レナータ、レナータ、レナータ、さあ、答えを見せて頂戴」
デスクに腰掛けたツェツェーリアが自分のPCとフェイスグラスを接続する。情報は彼女のフェイスグラスに映し出される。
「うわ、ガチガチに固めてるわね」
レナータのセキュリティーロックはロシアスパイ仕込みに独自の方法を加えている。
レナータのフェイスグラスの立体映像の回りには黒い未確定部位がいくつもまとわりついている。「判定不能」の黒い領域、不用意に接触した相手を破壊するセキュリティートラップだ。
「子供の仕事にしてはやるわね」
ツェツェーリアの言葉は、初めて真剣な褒め言葉だった。しばし真剣な表情でディスプレイを見つめる。ロック解除可能な代物か判断している。
「だめね、解けないほどのモノじゃないけど、時間がないの」
デスクから降り、再度近づく。
「レナータ、私はあと3日でこの学校から離れるの」
「それは残念です」
「大丈夫、このまま何もせずにお別れなんてしないから。せっかくここを去るのだから、なにか一つ、残したいの」
彼女はレナータの頬に手をそわし、親指で左の眼球を軽く圧迫した。
ツェツェーリアの顔が近づく、彼女はレナータの顔を見ていない、その左目だけを凝視している。寝かせた親指の爪がレナータの角膜に近づく、眼球の表面の水分が爪に触れる。
「話して、あなたの秘密のチートを…私には時間がないの」
「知ったことか」レナータは言ってやりたかったが、口には出さなかった。
「私が失敗したチートウェポンをあなたが成功させた。これを我慢しろとあなたは言うの? 私は開発失敗の責任を取らされ、こんなところに飛ばされたのに、そこの生徒が私に隠れてチートウェポンをシコシコ作ってたなんて、私に耐えられると思うの?」
「知ったことか」
口に出ていた。
その一言を聞いたツェツェーリアはニヤ~っと笑い、レナータから離れた。さすがのレナータも顔を覆い、眼球の無事を確かめた。机の上のレナータのフェイスグラスを投げて返した。受け取ったレナータに対して
「勝負しましょう。一戦のみの対戦よ。勝てばあなたのチートの事は不問にしてあげる。負けたらチートの事を洗いざらい喋ってもらう。そのうえでプログラムを私に渡すこと」
片目を手で覆っているレナータは、勝手な勝負を持ちかけてきた彼女に反感を抱きつつも、最悪な事態を避けるチャンスが訪れたと思った。相手は元エースだが勝負勘なら自分が上だという確信もあった。なんとかなるはずと期待が出てきた所に、ツェツェーリアが続けてきた。
「あぁ、勝ったらチートツールなんて重要なこと不問にするのに、負けた時の罰が軽すぎるわね。そうね、目を焼きましょう」
「え?」
片目を抑えたままでレナータは思わず声を出した。
「簡単よ、いつもの機械を調整すればすぐだから。こめかみに電極をつけて、いつもより電流を大きくするだけ。
それだけで、負けた瞬間に流れる電流で視神経が焼き切れ、眼球が内側から焼けただれるの。あなたのきれいな青い瞳は赤黒くなって白目は焼け焦げたパンみたいになる。当然見えなくなるし、動かなくもなる」
事も無げに。
実に当たり前の事として、ツェツェーリアは焼けた眼球の描写をした。料理のレシピをしゃべるかの如く。
「あんた、狂ってるのか?」
「片目でいいわ」
レナータは愕然とした。戦地でもないのにツェツェーリアの言葉も考え方もジャミングがされているように理解できない。
「断ると言ったら」
「もちろん、あなたは軍人じゃないから強制はできない。でもその時は…アクサナの目でいいわ。彼女の目を焼く」
「なにを言っている!」
「あなたには選択肢を3つもあげると言っている!
私にチートツールを差し出し慈悲にすがるか、
私と戦い、片目を焼いた上でツールを差し出すか、
私になにも差し出さず、アクサナの緑の目が焼かれる、
この3つだけよ」
「アクサナは関係ない!」
「私のかわいい生徒よ。その目を焦がして炭にする」
ツェツェーリアは狂った言葉を言い切った。
「3秒あげる、答えを決めなさい、
…1」
「貴様を倒す!」
3秒も必要なかった。
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