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10.不安の中、私達は逃亡する

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 馬車の中。

 私達は無言だった。

 秘書であるアンディ。
 護衛であるカール。

 私達は……恐怖と不安を共有していた。

 大丈夫なのかしら?
 そんな言葉を私達は飲み込む。



「お嬢様、大丈夫ですか?」

 馬車の席に深く座りながらもラナは力なくダラリとガタガタと乗り心地悪く走る馬車で身を預けていた。

 チラリと声をかけて来たアンディに視線を向ければ、不安そうな瞳が向けられた。

「お顔が赤く、瞳がうるんでいらしゃる」

 額に手を当て、アンディは眉間を寄せた。

「熱があるようですね。 馬車での移動もお辛いでしょう」

 そう言いながら、どうしましょうか? と、アンディはカールを見ながら、不安そうに瞳を交わしていた。

 直前の状況を考えれば、それは仕方のない事。

「宿屋に泊るには、リスクが多すぎます。 ラナ様は辛いでしょうが……このまま屋敷まで戻るのが良いでしょう。 耐えて頂けますか? ラナ様」

 私は黙って頷いた。

 熱を持つ身体に、ラナは早く浅い呼吸を繰り返す。 思考は、鈍いけれど……恐怖や不安は収まる訳では無かった。 泣いてどうなる訳でもないけれど涙がこぼれる。

 ふぅ……。

 落ち着くために、大きく息を吐き、そして息を吸えば、微妙な違和感を喉に覚えた。

 身体が鋭敏になる薬を飲ませられた事を思い出す。

 呼吸のし辛さ、触れる布地に肌が散りつく……先に行けと促されたからと、パーティ会場となった屋敷を後にする馬車の振動が身体を揺らせば、もともと身体に負担を与える馬車の振動が苦痛となってくる。

 呼吸が乱れる。

「お嬢様大丈夫でしょうか?」

 秘書のアンディが不安そうに顔を寄せ見つめてきていた。

「えぇ……」

「ですが、お顔の色が悪いです」

「だからと言って、アナタ達に何が出来ると言うの!!」

 声を荒げて後悔した。

 幾ら彼等が私を守るべき職務にあると言っても、私が庶民程度の地位しかない……財力を盾にしてでも守ってくれるべき権力を作らなかったのは私の責任。 油断した事で彼等の身にまで危険を及ぼす状況を招いたいのだから、私の方が主失格だろう。 どれほど嫌味を言われても、クスクスと笑いものにされても、一人になるべきではなかったのだ。

「ごめんなさい」

「いえ……ラナ様をお守り出来なかった私共の責任……」

 カールは言葉を詰まらせた。

 彼等の事情を考えれば……私の危険を自らの責任とし罰を受けると言うのは、2人にとっては人生の終わりと同じ。 だからと言って、彼等の罪を無かった事にするのもまた違う……。

 ガラガラと車輪の音が響く中、身体の違和感だけでも大変だと言うのに、彼等の処遇を考えると言うのは苦痛意外の何ものでもなかった。

 そんな中、物凄い速さで馬車が追って来た。

 走る緊張。
 覚えるのは恐怖。

 馬車が止められ……鍵付きの扉が外から開かれる。

 私を背に隠すアンディとカール。
 だが、顔を出したのはブラッドリーだった。

 馬車の中には微かな明かりを放つランプが1つ。

 私とそして私を庇う2人を前にブラッドリーは微かに笑ったように見えた。 何時も……私に向ける顔は無表情なのにと思えば、少し複雑な気分だった。

 ブラッドリーは、馬車の扉の前、乗り口の階段に膝をかけた状態で腰を落としで頭を下げる。

「私がケガをしていたばかりに、お嬢様を危険に晒し……あまつさえお迎えに遅れた事をお許し下さいませ。 今回の責任は全て私にございます」

「「先輩!!」」

「いいえ、私達が、お嬢様を守れなかったことが!!」
「私共が下級貴族出身であっても、状況を考え、お嬢様を安全な場へと誘導できたはず……」

 ブラッドリーが自分の責任だと言えば、アンディとカールが必死に自分達の責任を私にアピールし始めた。

 今回の件は、ブラッドリーに全く関係の無い事。 それでも2人を庇う様子を見れば……何時だって誰にでも優しい何時もの……私の知るブラッドリーを思い出し……そして、愛おしくて……腹立たしくて……胸が痛むような嫉妬を覚えてしまう。

 何時も通り。

 何時もと変わらぬ姿を見れば、ほんの少し前に見た……感情豊かな彼が……夢だったのだろうか? そんな風に思えてしまう。

「構わないわ……。 私にも責任があります。 迎えに来てくれただけで十分ですわ……ブラッドリー……ありがとう」

「いえ……お嬢様をお守りするのが、私の務めでございます。 お嬢様、中にお邪魔してよろしいでしょうか?」

「流石に、狭いわ」

「2人は私が乗ってきた馬車へ。 この2人は、今回の失態を踏まえ後日お嬢様のお役に立てるよう教育を施させて頂きます。 ソレでよろしいでしょうか?」

「えぇ、アナタがそう言うなら……それが良いのでしょうね。 頼みます」

 感情の起伏が少ない声色。
 ユックリとした口調。
 低く穏やかなトーン。

 そんなブラッドリーの声に引きずられるように……風に連れ去られそうに不安が消えそうになるけれど……不安を忘れ、何も無かった事にして良い訳がない。

「さぁ、アナタ方は向こうに」

「「は、はい」」

「待ちなさい!! ブラッドリー……先ほどの方々は……」

「問題ありません。 そのように処理をしてまいりました」

「ですが!!」

「お嬢様が、心配する事等欠片もありません。 気になるとおっしゃるなら、後日新聞でもお読みになると良いでしょう。 あのような醜悪な生き物であっても彼はこの国の第一王子、噂にならない訳などありませんから」

 そう語るブラッドリーの顔は、揺れ動く小さな明かりのせいか? 瞳と口元が……狂気を纏いながらも笑っているかのように見え、アレは現実だったのだと……恐怖が再び襲ってくる。

 だらりと身体に力が入らず、ブラッドリーが来ていたローブに包まれているだけの私の前に、ブラッドリーは膝をつき腰を下ろし、じっと私を見つめる。

「お嬢様は、私を信じる事は出来ませんか?」

「そう言う訳では!!」

 前のめりになれば、私の身体は力なく倒れ……ブラッドリーが私を抱きとめた。 触れる手が……キツク身体に食い込むような気がして……少しだけ息苦しさを覚えていた。

「ただ……アナタが心配なの……」

 支えられ、抱き着きながら気持ちを訴えれば、彼の耳元で熱く囁くかのようで……私は、自分がとてもはしたない生き物のようで……逃げようと、ブラッドリーの身体を押し退け椅子に座ろうとした。

 だけれど、ソレは許されなかった。

 許されないまま抱きしめられ……ブラッドリーは2人に言う。

「2人は向こうの馬車を使いなさい。 お嬢様は、長距離の移動が身体に負担と感じられるでしょう。 ですから、このまま私が利用している隠れ家で数日、身体と心を休んで頂く事にいたします。 こちらの手紙を旦那様にお渡し下さい」

 淡々と告げるブラッドリーの言葉はその役目を逸脱していると誰もが思うだろう。 だけれど……あんな景色を目にしてしまった私達が、彼の言葉を間違いだと告げる事などできるはずもなかった。
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