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第三章
峡谷のアルフォス
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共和国からの進軍を阻止するために作られた砦は、昨日の士気の高さが嘘のように静まり返っていた。
剛毅果断の皇帝の進軍により熱気に満ちていたが、いまや陽が沈むと同じように暗い帳を下ろそうとしている。
ほとんどの兵士は俯き、救護の兵舎で死にゆく者たちに涙していた。
峡谷での戦闘開始から四十一日目の夕刻。
我が帝国軍は共和国軍を一度峡谷出口まで攻め込んだものの、敵の罠にかかり皇帝軍の大半を失った。
このとき、皇帝陛下も巻き込まれ、未だ生死不明となっている。
「この先、どうすればいいんでしょうか……」
父のいない幕舎で思わずつぶやいた。
峡谷からの侵入者を撃退するため、この場で将軍たちの士気を盛り上げた父はもういない。
一人と思っていたが、垂れ幕の影から戦場に不似合いな文官の恰好をした老人が、苦悶の表情で出てきた。
父を昔からずっと支えていた古い執行官だ。
「……アルフォス様とお話ししたく、このような無礼をしたことをお許しください」
僕は込み上げていた不安を喉元で押しとどめて、執行官にきつい視線を送った。
「さすがに無礼だろう。ここは軍の責任者しか入ることが許されていないのだぞ。投獄されたいのか」
「……牢獄に入れられるぐらいなんともありません。私の言葉にアルフォス様が耳を傾けていただけるのであれば……」
文官や執行官たちは帝都で守られているはずなのに、わざわざ危険を冒してここまで来たということは、それなりの覚悟があったに違いない。
「……分かった。お前の覚悟を聞いてから、牢獄に入れることとする」
その執行官は頭を垂れて近づく。
「僭越ながら……皇帝陛下を失った帝国は、大きな岐路に立たされています! アルフォス様、いますぐ共和国との和平交渉を始めるべきです!」
「な……父は死んだと申すのか!?」
「間違いありません。信のおける共和国の間者からの情報です。明日、この砦に共和国から使者が遣わされます」
「そ、そんな……」
誰も父がこんなあっさり亡くなってしまうとは、思っていなかった。
いや、だからこそ共和国の罠に易々とかかってしまったのだろうか?
最強と謳われた帝王の力を僕たちは過信していたのだ。
ベギラス中のモンスターを倒し、混沌とした大陸に平和を形作ったベギラス帝王。その力も衰えていたということなのか……?
「アルフォス様、ご決断を……」
その時、幕舎の入り口から冷たい空気が流れ込んだ。
不意に懐かしい香りが漂うと、いつの間にか幕舎の中に細いシルエットの女性がローブを被って立っていた。
「なっ……何者……!」
ピシッと短い音がすると、声を荒げた執行官はどこかへ消えていた。
代わりに、執行官の後ろにある国旗が血で真っ赤に染まった。
体を動かそうとするが、手が思うように動かない。恐怖からではなく、身体から力が抜ける感覚に襲われた。
「……アルフォス、何も知らない者の言うことに耳を貸す必要はありません……」
「母上……!?」
たしかに声も雰囲気も母なのだが、これは……どういうことか、異形なるモンスターに見える。
研がれた爪は短剣のように長く、一本一本が紫の毒々しい色に変色している。
「まさか、モンスターに取り込まれたのですか……!?」
母は不敵に笑うと、ゆっくりと頭に掛かる頭巾を落とす。
頭から一角獣のような金色の角が一本生えていた。
「私は元の姿に戻っただけですよ。長い……長いあいだ、ずっと……屈辱的な姿でした。そんな長い間、人の姿で我慢できたことが不思議なぐらいです」
今まさに目の前にいるのは、モンスターの頂点にいる魔人だ。過去の文献で目にした通りの姿が、母となって現れた。
「母をいったいどこに……。なぜ魔人が……魔人は、ベギラス全土で、父が絶滅させたはずだが……」
頭を巨人につかまれているような、鈍い頭痛がする。
母に父に、帝国……。
自分の知らないところで、様々な思惑が自分の頭に入り込んで暴れているようだった。
「混乱しているのね……魔力が乱れているのが分かるわ……可哀そうに」
頭痛は激痛になり、僕はその場に膝をついた。
血が頭に昇り、はれていくのが分かる。じりじりと頭のなかが、熱い何かで焼かれていく。
「うううっ……!」
「大丈夫よ、私が導いてあげます。私に従っていれば、すべて上手くいくわ」
母は駆け寄って僕の肩に手を置き、優しくささやいた。
辺りが真っ暗になり、体中が熱くなった。
頭の中にあった、執行官のことや、帝国の民、そしてフェア兄さん、マトビア姉さんのことも……父のことさえも──すべてが黒く焦がされていく。
最後に残ったのは、母の優しい声だけだ。
「アルフォス、いまの帝国は弱すぎます。元の『私たちの帝国』に戻しましょう」
「『私たちの帝国』?」
急に視界が開けた。
「そう」
母上が立ち上がると、外から風の音が聞こえ始めた。
風は激しくなり幕舎の隙間から流れ込む。
際限なく強くなり続ける暴風は、とうとう支柱を根元から折った。幕舎は飛ばされ、外の兵隊たちの困惑した声さえも渦に巻き上げられる。
吹き荒れる塵に目を瞑り、再び開けたとき、丸ごと飛ばされた幕舎の代わりに巨大な金色のドラゴンが屹立していた。
そして、ドラゴンに守られるように、母の凛々しい姿がある。
「しもべと一緒に、再び『私たちの帝国』を再建しましょう」
剛毅果断の皇帝の進軍により熱気に満ちていたが、いまや陽が沈むと同じように暗い帳を下ろそうとしている。
ほとんどの兵士は俯き、救護の兵舎で死にゆく者たちに涙していた。
峡谷での戦闘開始から四十一日目の夕刻。
我が帝国軍は共和国軍を一度峡谷出口まで攻め込んだものの、敵の罠にかかり皇帝軍の大半を失った。
このとき、皇帝陛下も巻き込まれ、未だ生死不明となっている。
「この先、どうすればいいんでしょうか……」
父のいない幕舎で思わずつぶやいた。
峡谷からの侵入者を撃退するため、この場で将軍たちの士気を盛り上げた父はもういない。
一人と思っていたが、垂れ幕の影から戦場に不似合いな文官の恰好をした老人が、苦悶の表情で出てきた。
父を昔からずっと支えていた古い執行官だ。
「……アルフォス様とお話ししたく、このような無礼をしたことをお許しください」
僕は込み上げていた不安を喉元で押しとどめて、執行官にきつい視線を送った。
「さすがに無礼だろう。ここは軍の責任者しか入ることが許されていないのだぞ。投獄されたいのか」
「……牢獄に入れられるぐらいなんともありません。私の言葉にアルフォス様が耳を傾けていただけるのであれば……」
文官や執行官たちは帝都で守られているはずなのに、わざわざ危険を冒してここまで来たということは、それなりの覚悟があったに違いない。
「……分かった。お前の覚悟を聞いてから、牢獄に入れることとする」
その執行官は頭を垂れて近づく。
「僭越ながら……皇帝陛下を失った帝国は、大きな岐路に立たされています! アルフォス様、いますぐ共和国との和平交渉を始めるべきです!」
「な……父は死んだと申すのか!?」
「間違いありません。信のおける共和国の間者からの情報です。明日、この砦に共和国から使者が遣わされます」
「そ、そんな……」
誰も父がこんなあっさり亡くなってしまうとは、思っていなかった。
いや、だからこそ共和国の罠に易々とかかってしまったのだろうか?
最強と謳われた帝王の力を僕たちは過信していたのだ。
ベギラス中のモンスターを倒し、混沌とした大陸に平和を形作ったベギラス帝王。その力も衰えていたということなのか……?
「アルフォス様、ご決断を……」
その時、幕舎の入り口から冷たい空気が流れ込んだ。
不意に懐かしい香りが漂うと、いつの間にか幕舎の中に細いシルエットの女性がローブを被って立っていた。
「なっ……何者……!」
ピシッと短い音がすると、声を荒げた執行官はどこかへ消えていた。
代わりに、執行官の後ろにある国旗が血で真っ赤に染まった。
体を動かそうとするが、手が思うように動かない。恐怖からではなく、身体から力が抜ける感覚に襲われた。
「……アルフォス、何も知らない者の言うことに耳を貸す必要はありません……」
「母上……!?」
たしかに声も雰囲気も母なのだが、これは……どういうことか、異形なるモンスターに見える。
研がれた爪は短剣のように長く、一本一本が紫の毒々しい色に変色している。
「まさか、モンスターに取り込まれたのですか……!?」
母は不敵に笑うと、ゆっくりと頭に掛かる頭巾を落とす。
頭から一角獣のような金色の角が一本生えていた。
「私は元の姿に戻っただけですよ。長い……長いあいだ、ずっと……屈辱的な姿でした。そんな長い間、人の姿で我慢できたことが不思議なぐらいです」
今まさに目の前にいるのは、モンスターの頂点にいる魔人だ。過去の文献で目にした通りの姿が、母となって現れた。
「母をいったいどこに……。なぜ魔人が……魔人は、ベギラス全土で、父が絶滅させたはずだが……」
頭を巨人につかまれているような、鈍い頭痛がする。
母に父に、帝国……。
自分の知らないところで、様々な思惑が自分の頭に入り込んで暴れているようだった。
「混乱しているのね……魔力が乱れているのが分かるわ……可哀そうに」
頭痛は激痛になり、僕はその場に膝をついた。
血が頭に昇り、はれていくのが分かる。じりじりと頭のなかが、熱い何かで焼かれていく。
「うううっ……!」
「大丈夫よ、私が導いてあげます。私に従っていれば、すべて上手くいくわ」
母は駆け寄って僕の肩に手を置き、優しくささやいた。
辺りが真っ暗になり、体中が熱くなった。
頭の中にあった、執行官のことや、帝国の民、そしてフェア兄さん、マトビア姉さんのことも……父のことさえも──すべてが黒く焦がされていく。
最後に残ったのは、母の優しい声だけだ。
「アルフォス、いまの帝国は弱すぎます。元の『私たちの帝国』に戻しましょう」
「『私たちの帝国』?」
急に視界が開けた。
「そう」
母上が立ち上がると、外から風の音が聞こえ始めた。
風は激しくなり幕舎の隙間から流れ込む。
際限なく強くなり続ける暴風は、とうとう支柱を根元から折った。幕舎は飛ばされ、外の兵隊たちの困惑した声さえも渦に巻き上げられる。
吹き荒れる塵に目を瞑り、再び開けたとき、丸ごと飛ばされた幕舎の代わりに巨大な金色のドラゴンが屹立していた。
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