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第一章

ニジラスの物価

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 カーテンから朝日が差し込み、天蓋付きのベッドから起き上がる。
 自然と窓に向かい、木枠の取っ手を握って引いた。

 清涼な海風が、朝日の香りを部屋中に満たす。

 本来なら、最高に気持ちいい朝なのだろう。

 ……本来なら。

 俺はなんとも悲しい気持ちになる。

 海の色は涙色で、太陽は雲に隠れ始めてぼんやりしていく。

「もうお金がないなんて言えない……」

 この高級宿の最低クラスを密かに三部屋用意してもらうよう頼んだ。
 ところが、スイートルームを除いて全て同価格の宿賃ということを後で知り、財布はすっからかんになってしまった。財布は盗人に盗まれないよう、俺が管理しているので知っているのは俺だけ。

 今なら、財布の管理をはじめ任されていたスピカの気持ちが、痛いほどわかる。

「は……ははは……」

 服を買うことも朝食に支払う金銭さえない。
 ベギラス帝国の元皇子とあろう者が……。人生最大の汚点だ。

 しかも帝国の皇女マトビアさえも、知らぬとはいえ文無しの旅をしている……。
 国を捨てたとはいえ、なんという凋落ぶり。
 兄としてあまりに不甲斐ない……。

 このことは秘密にしておこう。わざわざ口にしなくともいいのだ。

 それで兄としての威厳は保たれる……!

 ロビーでマトビアとスピカに合流すると、さっさと宿帳を書いてチェックアウトを済ませる。

「あら、お兄様、朝のご挨拶もなしに、どうされたの?」
「ああ……これは失敬。もう、フォーロンの屋敷が近いと思うと気がせいてな」
「長い旅の終わりですからね、お気持ち察します」

 マトビアは終わったことを引きずらないタイプだ。
 そして俺は昨日からずっと引きずっている。

 宿を出てニジラスの急こう配な坂道を上り始めた。マトビアとスピカはキャッキャいいながら、なんとなく俺のあとついてきている。

 よし……。この調子でフォーロンの屋敷まで行こう。
 朝食に払える金銭が無いなど、口が裂けても言えない。元皇子とはいえ、そんな屈辱的な言葉は。
 まして、現皇女であるマトビアが金銭が無くて朝食がとれなかったなど……。

「フェア様ー! ちょっと待ってください! 朝食はとらないのですか?!」

 しかし毎朝の朝食を欠かさない腹ペコのスピカが悲鳴を上げた。

「もうフォーロン家の屋敷は近い」

 というのは気休めで、じつはあと十マイルはある。そして朝食を食べるお金はない。

「屋敷につけば、ゆっくり食べれるだろう」

 そう言って、スピカを励ましながら坂道を上りきる。
 野原に出て丘を越えようとするころ、今度はマトビアが悲鳴を上げた。

「もう、無理ですぅ……。これ以上、歩けない……」
「しょうがない。『浮揚レビテーション』」

 スピカと二人でマトビアの手を引いて、原っぱの真ん中の道を歩いた。
 
「まだなのですか? もうニジラスの街からだいぶん歩いたと思うのですが」
「そうかな……。あと少しだと思う。子どものときだったからなぁ、もうすぐだと思うんだがなぁ」

 ごまかしながら進んでいたが、もう一つの丘の前で自然と足が止まった。
 舗装されているとはいえ、マトビアを引っ張りながら坂道を上がるのはきつい。

「フェア様、坂道を平坦にする魔法はないのですか」
「そんなものあるわけないだろ」
「はぁ……そうですよね」
「ここは私が頑張って歩きます」
「そんな、姫様……」

 スピカと俺が一息つくころ、後ろから荷車に乗った老人がやってきた。
 荷車を引くロバの後ろで、老人は御者台に座りのんびりしている。

「フォーロン家の屋敷に用事かね?」

 白い眉に目が隠れて、鼻髭まで白い老人だ。なんとも親しみがわく顔だ。麦わら帽子を被っていて、チェック柄の茶色い服のうえにオーバーオールを着ている。
 ゆっくりした口調で地元に詳しそうなので、ここの農民なのだろう。

「ええ、この丘の上でしょうか?」
「いやいや、もっと先の方だよ。あとふた山越えた先かな」
「……」

 ジッと、二人の視線が俺に刺さる。

「もしよかったら、一人だけ荷台に乗るかね? 三人は無理だが」
「えっいいんですか?」

 マトビアを後ろに乗せてもらい、フォーロンの屋敷を目指した。

「でもさすがに、タダで乗るわけには……」

 ギクッ!
 マトビアのその言葉に、心臓が飛び跳ねる。

「いやぁ、気にせんでいいわい」
「そんなわけには……ねぇ、お兄様?」
「……もしかして、お金がないとか……?」

 金銭感覚に敏感なスピカがズバリ的中させる。
 俺は下手くそな口笛を吹いて、聞かなかったことにする。
 もう、そうするしか……。時間が過ぎるのをただ待つしかないのだ……。

 恐ろしく長い、静かな時間が流れた……。

 横目でマトビアを見ると、顔を真っ赤にして人形のように座っている。スピカは薄目になり、まるで何も言わなかったかのように無表情で歩いていた。……いったいどんな感情なんだ……。

「さて、着きましたぞ。フォーロン家の屋敷じゃ」

 顔を上げると丘の上に建物が見える。
 積み上げられた石の壁と頑丈な鉄柵。そして、丘のふもとには小さな町が見えた。

 近づけば、コの字型の宮殿仕様の屋敷が現れた。なかなか田舎にしては豪華な建物で、テラスの手すりや屋根の庇部分に彫刻の趣向が凝らされている。

 ──ただ、異様なのは中庭のオブジェだ。

 中央には高い木製の塔があり、装飾の数々をすべて台無しにしていた。本来なら、敷地内で一番目立つ場所であり、噴水や石像など、屋敷の象徴たる何かがここにあるはずだった。

 ロバが門の前に差し掛かると、門番が頭を下げた。

「領主様、お帰りなさい」

 門番が笑顔で門を開ける。

「「「えっ!!」」」

 俺たちは三人合わせて声を上げた。

 この老人が領主!?
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