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第1章 怪力令嬢

7.風邪でか弱くなりました!

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 ある夜のこと、シャルロッテは柔らかなベッドの中でこの素晴らしき訓練生活を思い返していた。

 「か弱く」なる訓練は実にハードだった。

 内容は主に美しい庭園や湖畔に行ったり、シチュエーションを変えてみたり、感動で心躍らせても怪力発動しないよう朝から晩まで耐えるというものだ。
 そしてそれらは毎日実施され、必ずスワードと二人三脚で行うことが鉄則だった。

 しかし訓練とはいえ、相手は「王国の麗星」で、且つ王宮住まいが出来るという好条件。「普通の令嬢」にはむしろ褒美かもしれない環境だったが、「怪力令嬢」のシャルロッテには違った。
 
 ──っ地獄!!

 シャルロッテはハードな訓練メニューを思い出して身震いした。
 スワードと共にいることでド緊張や興奮や感動……まあその他諸々、感情を毎日大きく揺さぶられ、その度に怪力発動をして体に大きな負担がかかるのを感じていたのだ。

 その無理が祟ったのだろう。

 明け方から雪の中に裸で放り出されたかのような寒気を感じ、かと思えば体内から業火が上がるが如く発熱して、果てには砲弾を撃ち続けられるような頭痛を感じた。
 なんとシャルロッテは「生まれてはじめて」風邪を引いてしまったのである。
 そういうわけで、今日の訓練は急遽休みとなった……はずだった。

「スッスワード殿下! 令嬢の寝室に入られるのは流石にいかがなものかと存じますぞ!?」
「問題ない。シルト侯爵からは既に了承を得ている」
「ああっそれなら良い……わけないでしょう! 寝室に2人きりなんてあらぬ噂が立ったら……」
「いいからどけ。粥が冷める」

 分厚い扉の向こうから執事とスワードの一悶着が聞こえてきた。初日に挨拶をしたその執事は綺麗な白髪をしていたが、こんな風に苦労するせいかもしれない、とシャルロッテは漠然と思った。
 そしてその声が止むのをボーッと聞いていると、おそらく粘り勝ちしたであろうスワードが入室してきた。

「具合はどうだ?」

 スワードはベッド横の椅子に腰掛けて、サイドテーブルに食事のトレーを乗せるとシャルロッテに声をかけた。
 先程まで執事と話していた時の棘のある声はどこへやら、スワードは優しく甘い声をしている。

「お陰様でだいぶ楽になりましたぁ……」
「そうは見えないが?」

 シャルロッテがなんとか体を起そうと肘をついて答えると、スワードは彼女の背に手を添えて優しく起こしてくれた。
 そうして起きると体が冷えて、自分がナイトドレス1枚だったことを思い出す。スワードはごく自然に上着を脱いでシャルロッテに羽織らせた。

「あっこんな格好でご無礼を……」
「いやいい。私が無理矢理押しかけたんだ」

(わっ! 殿下の……とてもいい香りだわ)

 シャルロッテは体に力が入って顔が熱くなったが、なぜかいつもの怪力発動する時の感覚がしない。
 確かめよう、そう思ってシャルロッテはサイドテーブルに何気なく手を伸ばした。

 ──何事も起こらない。

 シャルロッテとスワードは固まり、部屋に時計の秒針の音だけが鳴り響いた。
 シャルロッテは目の前の奇跡に言葉を失ったが、その後にジワジワ喜びが込み上げ、感涙にむせた。

「殿下っ……! わたっ……わたし『か弱く』なれました! 殿下のおかげです!」

 シャルロッテの脳内には早速バラ色の恋模様が描かれていた。
 気が早いと焦る自分を宥めながらも、一方では興奮で目がチカチカする自分もいて昂まる感情が忙しない。それでも怪力発動はしなかった。
 そんなシャルロッテを見るスワードはなぜか暗い面持ちで、綺麗な顔に似つかわしくない深い皺を眉間に寄せている。
 そして何か思いついたかのように顔を上げると、強い口調で言った。

「いや、待て。これは風邪の症状だ」
「へ?」

 スワードは難しい顔で軍の上官のようにシャルロッテに語った。

「いいか?シャルロッテ。風邪を治すには免疫力を高めることが重要なんだ。そのために体温を上げる必要があるが、まずは筋肉を痙攣させて──」

 スワードはあれやこれやと風邪の症状や治療法の例を出すものだから、シャルロッテは口を挟む隙が全くなかった。
 なによりスワードの気迫が凄すぎた。

「要するに、今の君が怪力発動しないのは人生初の風邪を治すために筋力が総動員していて、怪力発動する余裕がないということだ」
「では、わたしは『か弱く』なれたわけでは……」
「ない。断じて、ない」

 スワードはしかめ面でキッパリ言い放った。腕を組んで背もたれにギッともたれ掛かるスワードには圧があり、シャルロッテはそれだけで説得力を感じたのだった。
 そうして分かりやすく肩を落としたシャルロッテを見たスワードは機嫌を直したようで、微笑む彼は粥を掬って彼女の口に運んだ。

「あのぅ……自分で食べられますよ?」
「これ以上筋肉に負荷をかけたら風邪が治るのに時間がかかるだろう? いいから食べろ」
「はっはい!」

 シャルロッテはスワードに差し出された粥をパクリと口に入れた。

「はふっ!」
「ん? どうした?」
「あっいえ。少し熱かったので……猫舌なんです」

 シャルロッテはハフハフしながら答えてコップの水を飲んだ。
 スワードはその様子を見てクスリと小さく笑うと、また粥を掬ってシャルロッテに食べさせる。

「今度はよく冷ましてから食べろ」
「はい! ふーっふーっふーっふーっふーっ」
「ははっ! 吹き飛ばしでもするつもりか?」
「違いますよ! 猫舌なりの防衛術です!」

 スワードは楽しくてしょうがないと言わんばかりにケラケラ笑っていた。
 シャルロッテは恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じ、今の自分が「怪力」でないことに胸を撫で下ろした。
 いつもの自分ならきっと何かしらを壊していたに違いないから。
 それからひとしきり笑い終えると、スワードはポツリと言った。

「そうやって顔を赤くしながら物を壊す君が恋しいよ」

 それは見たこともない切ない表情で、潤んだ深く青い瞳がシャルロッテを覗き込んだ。
 シャルロッテは彼の表情に申し訳なさを感じつつ、その反面でなぜか喜んでしまう自分がいた。
 たった1日なのに「恋しい」だなんて。
 その言葉に深い意味がないことは重々承知だが、それでも初めて男に気にかけてもらえたことが嬉しかった。
 そうしてまた顔に血が集まって火照るのを自覚すると、それを見たスワードがベッドを軋ませてシャルロッテの側によった。
 スワードの手がサラサラとシャルロッテの頬を撫でる。

「で、殿下……?」
「早く怪力に戻ってくれ」
「え?」
「そうじゃないと私は──」

 シャルロッテの鼓動が早くなる。
 夜の寝室で男と2人きり、しかも相手は王太子。「王国の麗星」と名高い、国1番の男と言っても過言ではないスワードの顔がぐんぐんシャルロッテの顔に近づいた。
 その距離はもう目と鼻の先で、彼の彫刻のような美貌にシャルロッテはギュッと目をつぶった。

(ダメ! 美しすぎる──!)

「こうしてやる」
「ふぇっ!?」

 スワードはシャルロッテの頬をつまんでまるでゴムのように横にびよんと伸ばし、そのまま覆い被さるようにしてベッドに寝かせた。
 シャルロッテがドギマギしているとしかめ面で言い放つ。

「いいかシャルロッテ・シルト、少しでも風邪をこじらせてみろ。これでは済まさないからな」
「はひっ!?」
「ああ、何をするかって?そうだな……丸焼きにして食べるのはどうだ?ん?」

 スワードはシャルロッテを押し倒したまま、その柔らかい頬を伸縮させて弄んだ。
 それから熱で惚けたシャルロッテの頭を優しく撫でた。
 シャルロッテはそれがとても心地良くて瞼がどんどん重くなっていった。

 会話が自然と途絶えた2人の部屋に、青く冷たい月明かりが差す。
 月光に透けたスワードの銀髪と深く青い瞳が聖霊のように美しかった。

「おやすみシャルロッテ」

 スワードは優しく囁いてシャルロッテの額にキスを落とし、部屋を後にした。


◇◇◇


 そして翌日のこと。

 ──グワシャーンッ!!

 緑が朝露に濡れる清々しい朝の王宮に破壊音が響いた。
 衛兵達が血相を変えて集まると、割れた花瓶の横で笑顔の王太子と顔を赤くする令嬢が揉めていた。

「よし、風邪が治って何よりだ。ちゃんと『怪力令嬢』だな」
「治したいのは怪力体質なんですーっ!!」

 シャルロッテ・シルトの怪力受難はまだまだ続くのであった。
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