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第1話「付喪神」其の八
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「山神…」
「そうだ」
あまりにも突飛な出来事に何が起きているのか、頭がまったく追いつかない。理解できない状況に恐怖すら感じ、発する声はかすれ、足が震えているのがわかる。
突然目の前に現れたその獣人の身長はおそらく190cmを超えているだろう。バイク屋の千早と同じくらいでとても大柄だ。灰色の美しい獣毛を持ち、頭部には角が生えている。そして白く豊かなあごひげをたくわえている。まるで鬼のようだ。
その獣人は上半身は何も身につけず逞しい胸筋ときれいに割れた腹筋を露わにし、下半身はモトクロス用のパンツとブーツを履き、琥珀のような美しい茶色の瞳で僕を見つめていた。この人は一体どこから来たのか…?
「えっと…」
未だに状況が掴めず戸惑っていると、彼は二、三歩歩き、僕の目の前に立った。やはり僕より頭一つ分は背が高い。だが威圧感は感じない。それは喜びに満ちたような、とても温かい眼差しをしていたからだと思う。
「やっと会えたな」
彼はそう言うと、僕の頭に右手を置き、そのまま僕の頭を撫でながら優しく微笑んだ。
「えっと…」
「わしだ。わからんか?わしの声に聞き覚えはないか?」
ある。どこかで聞いた声だ。低く、腹に響くような迫力はあるが、だがどこか懐かしい、心が落ち着く優しい声。しかしながら僕には獣人の知り合いなどいない。彼に会うのも初めてだ。
「………」
僕が眉根にシワを寄せて考えているのを見たのか、彼は小さくため息をついて、こう言った。
「上だ。上げろ」
「…!!」
この声…確か納車の日に…。
「思い出したか?」
期待と不安が入り混じった表情でその獣人は訊いてくる。
「えっ…あれって…でも僕の聞き間違い…そんなはずは…」
「あるさ。わしがお前さんの心に話しかけた」
「…」
「わしを見つけ、わしを選んだ時点でわしとお前さんは結ばれていたんだ。だが確信が持てなかった。だからあの時、運転に慣れてないお前さんに話しかけた。上だ、上げろ、とな」
「お前さんはすぐにシフトアップしただろう。わしの声が聞こえたと分かったときは、心底うれしかったぞ」
「あの…何を言って…?」
「まだわからんか?」
「わしは、お前さんのバイクに憑いている、付喪神だ」
「つくも…がみ…」
一瞬なにか、とても大事な記憶を思い出しそうになる。だが思い出せない。記憶の糸を辿る前に別のことに意識を持っていかれたからだ。
スタタタタタ…
遠くで音がする。空冷単気筒の聞きなれた音。とても大人しい音。
スタタタタタ…
それが白い靄の中、近づいてくる。
やがてぼんやりとヘッドライトの明かりが見え、姿を現した。僕のバイクだ。驚くことに誰も乗っていない。誰も乗っていないバイクがひとりでに動き、ゆっくりと近づいてくる。
やがて僕のバイクは二人の前に来ると、まるで誰かが操作しているかのように、クラッチレバーが引かれ、かちゃん、とギアがニュートラルに入り、かこん、とサイドスタンドが出て、エンジンを停止した。
「これがわしの本体だ。見覚えあるな?」
もちろんだ。僕のバイクだ。ぼくの──。
「そうだ。わしは、おまえさんの付喪神だ。これで信じたか?」
「でも、どうして…」
「山神だ」
「山神」
「おまえさん、さっき爺さんと話をしてたな?あれはこの山に住む、山神だ。わしらは今、山神が作った結界の中にいる。この白い靄だ。あのじいさんが、わしら付喪神が実体化する『きっかけ』をくれたのさ」
「わしらが実体化するには何かしらの『きっかけ』がいる。わしの場合はあのじいさんの神通力だな。おまえさん、あのじいさんに水と飴やってよかったな。あれがなければわしはまだ体を持てずにいたままだ。ありがとうな」
そう言って、その獣人…いや、付喪神は僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「あの…あなたが僕のバイクの付喪神だっていうのは信じます。えっと、あなたは…」
「おっと。話は後にするぞ。もうすぐ結界が解ける。一旦戻るぞ。わしに跨がれ」
言われるままバイクに跨ると、付喪神は姿を消し、また勝手にバイクが始動して動き出し、僕らは参道を戻って駐車場へ戻ったのだった。
「そうだ」
あまりにも突飛な出来事に何が起きているのか、頭がまったく追いつかない。理解できない状況に恐怖すら感じ、発する声はかすれ、足が震えているのがわかる。
突然目の前に現れたその獣人の身長はおそらく190cmを超えているだろう。バイク屋の千早と同じくらいでとても大柄だ。灰色の美しい獣毛を持ち、頭部には角が生えている。そして白く豊かなあごひげをたくわえている。まるで鬼のようだ。
その獣人は上半身は何も身につけず逞しい胸筋ときれいに割れた腹筋を露わにし、下半身はモトクロス用のパンツとブーツを履き、琥珀のような美しい茶色の瞳で僕を見つめていた。この人は一体どこから来たのか…?
「えっと…」
未だに状況が掴めず戸惑っていると、彼は二、三歩歩き、僕の目の前に立った。やはり僕より頭一つ分は背が高い。だが威圧感は感じない。それは喜びに満ちたような、とても温かい眼差しをしていたからだと思う。
「やっと会えたな」
彼はそう言うと、僕の頭に右手を置き、そのまま僕の頭を撫でながら優しく微笑んだ。
「えっと…」
「わしだ。わからんか?わしの声に聞き覚えはないか?」
ある。どこかで聞いた声だ。低く、腹に響くような迫力はあるが、だがどこか懐かしい、心が落ち着く優しい声。しかしながら僕には獣人の知り合いなどいない。彼に会うのも初めてだ。
「………」
僕が眉根にシワを寄せて考えているのを見たのか、彼は小さくため息をついて、こう言った。
「上だ。上げろ」
「…!!」
この声…確か納車の日に…。
「思い出したか?」
期待と不安が入り混じった表情でその獣人は訊いてくる。
「えっ…あれって…でも僕の聞き間違い…そんなはずは…」
「あるさ。わしがお前さんの心に話しかけた」
「…」
「わしを見つけ、わしを選んだ時点でわしとお前さんは結ばれていたんだ。だが確信が持てなかった。だからあの時、運転に慣れてないお前さんに話しかけた。上だ、上げろ、とな」
「お前さんはすぐにシフトアップしただろう。わしの声が聞こえたと分かったときは、心底うれしかったぞ」
「あの…何を言って…?」
「まだわからんか?」
「わしは、お前さんのバイクに憑いている、付喪神だ」
「つくも…がみ…」
一瞬なにか、とても大事な記憶を思い出しそうになる。だが思い出せない。記憶の糸を辿る前に別のことに意識を持っていかれたからだ。
スタタタタタ…
遠くで音がする。空冷単気筒の聞きなれた音。とても大人しい音。
スタタタタタ…
それが白い靄の中、近づいてくる。
やがてぼんやりとヘッドライトの明かりが見え、姿を現した。僕のバイクだ。驚くことに誰も乗っていない。誰も乗っていないバイクがひとりでに動き、ゆっくりと近づいてくる。
やがて僕のバイクは二人の前に来ると、まるで誰かが操作しているかのように、クラッチレバーが引かれ、かちゃん、とギアがニュートラルに入り、かこん、とサイドスタンドが出て、エンジンを停止した。
「これがわしの本体だ。見覚えあるな?」
もちろんだ。僕のバイクだ。ぼくの──。
「そうだ。わしは、おまえさんの付喪神だ。これで信じたか?」
「でも、どうして…」
「山神だ」
「山神」
「おまえさん、さっき爺さんと話をしてたな?あれはこの山に住む、山神だ。わしらは今、山神が作った結界の中にいる。この白い靄だ。あのじいさんが、わしら付喪神が実体化する『きっかけ』をくれたのさ」
「わしらが実体化するには何かしらの『きっかけ』がいる。わしの場合はあのじいさんの神通力だな。おまえさん、あのじいさんに水と飴やってよかったな。あれがなければわしはまだ体を持てずにいたままだ。ありがとうな」
そう言って、その獣人…いや、付喪神は僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「あの…あなたが僕のバイクの付喪神だっていうのは信じます。えっと、あなたは…」
「おっと。話は後にするぞ。もうすぐ結界が解ける。一旦戻るぞ。わしに跨がれ」
言われるままバイクに跨ると、付喪神は姿を消し、また勝手にバイクが始動して動き出し、僕らは参道を戻って駐車場へ戻ったのだった。
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