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第一章

13.【脈動⑧】

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 クレイドルへと続く廊下に、血のように赤い髪を揺らした一人の女性が立っている。

「あ、アドニシア……」

 イーリスは思わずその名を口にした。

 なぜ、ここに来てしまったのか。子供たちはどうしたのか。ここに来て何をしようというのか。
 
 彼女はこんな場所に居ていい存在ではない。こんなことに巻き込まれていい人ではない。自分のことなど放って今すぐ逃げるべきなのだ。

 だが、彼女はそうしないだろう。イーリスは主人の性格からそれを確信する。

「アドニシア……? リストにはない個体名だ。……オートマトン、ではないのか?」

 イーリスの呟きを聞いていたのだろう。フロイドが首を捻る。
 
「私は人間です。あなたたちとも初対面です! どうもこんにちは! うちのイーリスがどうもお世話になってますね!」

 そう言いながらアドニシアはずんずんとこちらに近づいてきた。数人が銃を構えたが、フロイドが制する。

「貴様がクレイドルの管理者か?」

「そうです! なので連れていくなら私にしてください。けど、仕事はぜーんぶみんながやってくれてるから、私は何にも知らないし何にも持ってません! 私はただの――【ママ】です!」

 アドニシアは大声でそんなことを言いながら止まらず、ついには男たちの中心に立ってしまった。

 ま、ママだって……? と男たちが呆気にとられる。

 イーリスの掴む男もその手を放し、腹を抱えて笑い出した。
 
「ま、ママだとよ! はっはっは! なんだ? お前んとこにはガキでもいたりするのか!? それともそういう変態野郎か!? で、そのママがなんで出てきたんだよ! はっはっは!」

「……」
 
「おいィ?」

 だが、アドニシアは笑う男には見向きもしない。ずっとフロイドを睨み上げ、言葉を待っている。

 話す相手を間違えない。挑発には乗らない。銃を向けられてもひるまない。アドニシアは芯の通った強さを持っている。しかし、時にそれは危険に晒される恐れがあるものだ。
 
 特に、道理の通じない者の前では。
 
「……へっ」

 イーリスのそばで殺気が膨らんだ。正確には、仕草や声色などで不審者を検知するものだ。イーリスの襟首を掴んでいた男が、ライフルを振り上げた。

「やめろデイヴス!」

 フロイドが怒鳴る。だが遅い。

 アドニシアの無防備なその横顔に、ライフルの銃床が振るわれた。

 赤い髪が炎のように揺らめいて、アドニシアはその場に倒れ込む。

 イーリスは片腕がないことも忘れて、その体に縋りついた。
 
「あ、あなたァ……! ねぇ、あなた……っ!」
 
 もし彼女が生身だったら、今頃は首が飛んでいた。コンバットスーツのパワーはそれほどのものだ。たとえオートマトンのボディだったとしても、頭のフレームが歪めばCPUが破損する可能性は十分にある。

 なんとか彼女を起こそうとイーリスはアドニシアを揺さぶるが、反応がない。

 片腕をもがれても出てこなかった涙がいつの間にかに溢れて、アドニシアの白い服にシミを作った。

「あぐっ……!?」

 だが、そんなことはお構いなしに、イーリスの髪が引っ張られる。

「あなただぁ……? けっ、こいつもオートマトンじゃねぇか。人形同士が恋人ごっこか? 気持ち悪ぃなぁ……」

「は、離せぇぇぇっ……!」

 ヘルメットのバイザーを上げて、アドニシアを殴った男が顔を近づけてきた。イーリスは一生懸命にその腕を引きはがそうとするが、ビクともしない。

 すると、こちらの顔をまじまじと見ていた男が何かに気づいた。

「ん? お前……よく見りゃ前に世話になったやつじゃねぇか!」

 その言葉に、イーリスは凍り付く。
 
 思い出したくもない――今のクレイドルのみんなとの生活で忘れていた、忌々しい記憶が蘇った。

 あれはプロジェクトが遂行困難だとわかり、人間たちのコミュニティが崩壊する直前だった。その時、クレイドルにいた人間の大半は与えられる仕事も与えられず、ただ無気力な日々を過ごしていた。日ごとに人間同士のトラブルが増え、怪我をする者も少なくなかった。

 そんな中、主導者たちはクレイドル内での治安を維持するため、ガス抜きをすることにしたのだ。

 それは――オートマトンたちによる欲求の処理だ。
 
 人間が人間を襲うよりも、従順なオートマトンに相手をさせる方がマシだと考えたのだろう。実際に、それを許可してから無為な争いは激減した。だからこそ、イーリスのように情緒を持つモデルでも逆らう個体はいなかった。

 それをできるのは自分たちしかいなかったのだから。

 そう自分を言い聞かせて、遠ざけていたはずなのに。心の奥底に封じ込めていたのに。

 イーリスは歯を食いしばって男を見た。

「そうそう! その顔だぜ! お前ら上位モデルはそういう顔すっからんだよなぁ! はよくできてたよなぁおい!」

 男はイーリスの頬を軽く叩きながら、実に愉快そうだ。

 自分たちが紡ぎたかったものは、こんな存在ではない。自分たちが守ろうとしているものは、こんな存在にしてはならない。

 髪を掴まれてさえいなければ、今すぐこの男の喉元にでも噛みついてやりたい。たとえ歯が折れようが、顎が外れようが構わない。爪がはがれようが、指が折れようが、何を犠牲にしてもこの男を殺してやりたい。

 基本行動プロテクトなど知ったことか。自己防衛でなくとも、マスターを守るためでなくとも、イーリスは自分のためだけにこの男の死を願う。人のために作られたオートマトンとしての存在理由に反抗し、矛盾した思考回路がその先で自壊しようともだ。

 イーリスは自分の中で、獣のような感情が沸き起こるのを実感していた。

「下衆が……! お前らのような人間は……遺伝子は、この先の未来に必要ない……!」

「なんだそりゃあ? そりゃあつまり……またお前で処理してほしいってことか? はっはっはっはっは!」
 
 だが、現実のイーリスは無力だ。高笑いする男に、唾をかけてやることもできない。その悔しさに、無意識にアドニシアの手を強く握っていた。

 その時――。
 
「はっはっは――……あぁ?」

「あうっ……」

 不意に男が手を離した。イーリスは片腕ではバランスを取れず、アドニシアの上に倒れ込んだ。

「おい。なんでもいいが抑えておけ。他で抵抗しているやつらへの人質にもでき……――なにをしてる?」
 
「い、いや、違う。……俺の手が!? 俺の手がなんか変だ!」

 見れば、男は腰のホルスターから拳銃を抜いて、スライドを引いている。すでに装填されていた銃弾が床に転がって、甲高い音が響いた。

 イーリスは一瞬、自分を撃つために拳銃を取り出したのかと思ったが、違う。

 男は自らの震える両手を、必死の形相で抑えようとしているように見えた。

「やめ……! やめろ! 誰か止めてくれ!」

 ついには男は泣き叫んで助けを求める。だが、その場にいた誰もが男の不審な行動に眉をひそめるだけだ。

 やがて、拳銃の先は男の被ったヘルメットの首の隙間にねじ込まれる。
 
「おい、デイヴス、なにして――」
 
 そこにきて男の異常さに気づいたフロイドが手を伸ばしたが――。
 
「やめろおおおおおおおお!」
 
 ――パン、と音がして、バイザーから覗く男の顔が砕け散った。

 両の目が別々の方向に向いて、内圧に耐えかねた眼球は今にも零れ落ちそうだ。
 
 男の体は力を失いながらも痙攣を始め、足を引きずるように歩き出す。まるでゾンビか操り人形のような動きに、イーリスは言葉を失った。

 そして、首に差し込まれたままの拳銃が二発目の弾を吐き出す。その反動で拳銃が手から離れ、やっと体は床へと転がって活動を停止した。

「くっ……――」

 我を取り戻したフロイドが銃口をイーリスに向ける。

「――くそっ!? なんだ!? なにをした!?」

「あ、わ、私は……私は何もしてない! 知らない!」

 目の前の惨状に取り乱すフロイドに、イーリスは叫び返した。

 訳が分からない。いきなり男が拳銃で自殺した理由など、イーリスがわかるわけがない。だが、彼らはそうは思っていないようで、フロイドの後ろから怒鳴り声が上がる。

「いいからそいつの頭を吹き飛ばせ! バイザーに異常が出てる! ハッキングだ!」
 
「私じゃない私じゃない私じゃない私じゃない! そんなことできるわけ――!」

 この男たちが何を言っているのかまったくわからない。軍用コンバットスーツをハッキングするなど、バックドアでもなければ不可能だ。

 今にも殺されそうな雰囲気に、イーイスは半狂乱になって叫ぶ。だが、殺気立つ集団のその後ろで奇妙な動きをしている男が目に入り、イーリスは言葉を止めた。

「ぅぅぅ……ぁぁぁぁぁぁ……!?」

 なぜ、あの男は苦しんでいる? なぜ、あの男は踊っている? なぜ、あの男の腕は――逆の方向を向いている?

 イーリスは自分の視界も男たちのいうようにハッキングされているのではないかと思ったが、あれは現実だ。

 男たちの注意はすべてこちらに向いていて、その異常さに誰も気づいてはいない。そのこともイーリスには不可思議に見えた。
 
「フロイド! もういい! 俺が撃つぞ!」

「ひっ……!」

 呆然としていたイーリスは新たな銃口が突き付けられ、思わず悲鳴を上げる。

 そして、乾いた発砲音がした。

 しかし、撃たれたのはイーリスではなかった。

「き、貴様……!? なにをぉぉ……!?」

「はっ!? いや、俺!? なに!? おれ!?」
 
 前に出てきた男は、フロイドの腹に向けてライフルを発射していた。そして、なぜか撃った当人が驚愕の声を上げるが発砲は止まらない。

 コンバットスーツ内の人体が破壊され、イーリスの顔に大量の血が飛び散った。

「おい……おい!? お前、それどうなってんだ!?」

 集団から上がる奇行を問う声。だが、それはフロイドを撃った男に向けてのものではなかった。集団の後ろで関節をおかしな方向に曲げた存在に対して、ようやく気づいたらしい。
 
 その男は異常ではなく、もはや異形だ。最低限の人の形をしているだけの化け物のように見えた。

「あああああああああああああ~!」

「そいつを抑えろ! なにかヤブウェッ――!」

 一人の男の声が鈍い音と共に遮られる。
 
 コンバットスーツのパワーは容易に人体を破壊する。それは同じスーツを着た人間にも通用するらしい。

 完全に狂人と化した男が腕を振るうと、近くにいた仲間の頭がボールのようにヘルメットごと吹き飛んでいったのだ。

「あぁぁあぁぁぁ!?」

「こいつを撃て! 殺せェ!」

「シールドが機能しない!? どうなって、なんだよこれ!?」

 そこからは、地獄だった。

 ある者は、狂った男を射殺しようとして、自分と仲間の足を撃ち抜いた。

 ある者は、足を撃たれたにも関わらず、血が噴き出したままの足を振り上げ、倒れた仲間の胴体を踏み砕いた。

 またある者は、一人離れた場所で、自分の首を自分で捻り折って事切れた。
 
 
 理性で行動するものは容赦なく撃ち殺され、獣性で抗うものは意味なく叩き殺された。

 もはや敵も味方もない。こんなものは戦いなどではない。
 
 
 狂気という概念だけが、血と内臓で遊び散らかしている。
 
 
 イーリスがそこで出来たことは、アドニシアを引きずって逃げることだけだった。










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