41 / 53
第41話 クラリッサ・コール司教
しおりを挟む
クラリッサ・コール司教の執務室である所長室は診療棟とは別棟にある執務棟にあった。
診療棟は木造二階建ての建屋であるが、執務棟は石造りの四階建てで所長室はその最上階である四階のほぼ中央に位置している。
所長室の扉をノックするとなかからコール司教の声が聞こえた。
「どうぞ」
図南と紗良の『失礼いたします』との声が重なる。
所長室は二十畳ほどの広さがあり、扉の正面にはコール司教の執務机、その向こうにある大きな窓からは診療所の敷地とカッセル市の街並みが広がっていた。
「二人とも楽にして頂戴」
コール司教は仕種で図南と紗良に長椅子を勧めると、テーブルを挟んだ正面に腰を下す。
「随分と緊張しているようね? ここには私たちだけですから、もっと気楽にしてくれていいのよ」
「初仕事ですから、緊張もします」
「早く慣れるように頑張ります」
二人の緊張が増したのを感じ取ったコール司教が『失敗したかしら?』、と聞き取れない声で独り言をつぶやいた。
「若い司教が赴任して来てくれて嬉しいわ。きっと活気が出るでしょうね」
「ご期待に沿えるよう努力いたします」
と図南。
「お気遣いありがとうございます。コール司教」
続く紗良の言葉にコール司教が反応する。
「二人ともコール司教だなんて堅苦しい呼び方はやめて頂戴。クラリッサと呼んでくれていいのよ。私もトナン君、サラちゃん、と呼んでもいいかしら?」
他の司教たちよりも年齢が近いとは言っても、倍ほども年齢の離れた大人を名前で呼ぶのは抵抗があった。
だが、年齢を理由に名前で呼べないなどとは口が裂けても言えない。
「私たちはまだ若輩の身です。コール司教をお名前で呼ぶのは抵抗があります」
「私たちのことはお好きなように呼んでくださって構いません。ですが、実績豊富なコール司教をお名前で呼ぶのは……」
「そう、残念ね」
コール司教が落胆の溜息を吐いた。
そして、恐縮する紗良にこう言う。
「いままでは女性の司教は私だけだったの。同性の司教が出来てはしゃいじゃったのね、ごめんなさい。呼び方はともかく、サラちゃんにはお姉さんだと思って気楽に接して欲しいわ」
「ありがとうございます、クラリッサ司教」
「クラリッサお姉さん……」
クラリッサ司教の笑顔に釣られた図南がつぶやくと、紗良が即座に反応した。
「図南に言ったのではありません。クラリッサ司教は同姓である私に対して気遣ってくれたのです」
司教は男性ばかりで女性はクラリッサ司教だけである。司祭になれば男女比の差もほとんどなくなるが、それでも男性の意見が通りやすい環境にある。
年若い女性である紗良を気遣っての申し出なのだと、紗良が図南をたしなめた。
図南をたしなめる紗良の言葉を感心して聞いてたクラリッサ司教が、図南をからかうように言う。
「別にクラリッサお姉ちゃん、って呼んでくれてもいいのよ」
「いえ、その……、クラリッサ司教でお願いします」
恥じ入って頭を下げる図南と、そんな彼に呆れる紗良を見て、クラリッサ司教が再びコロコロと笑った。
ひとしきり笑ったところで、クラリッサ司教が話を再開する。
「それじゃ、緊張も解れたようだし、仕事の説明をする前に簡単な筆記試験をしてもらいましょうか」
『筆記試験?』、と二人がおうむ返しに聞き返した。
神殿長のお墨付きとはいっても、責任者としてはどの程度の力なのか確認せずに実践の場に出すわけにはいかないか、と二人も内心で納得する。
「神聖魔法の実地試験ですね?」
図南がそう言うと、
「違うわよ」
コール司教がいきなり笑い出した。そして困惑する図南に向けて『慌て者なのね』、と優しく微笑む。
クラリッサ司教の笑顔に見惚《みと》れる図南に紗良がささやく。
「情けない」
そんな二人を微笑ましそうに見ながらコール司教が言う。
「二人とも同郷なんですって? いままで外国の、それも人があまり近寄らないような田舎に住んでいた、と神殿長からうかがいましたよ」
突然、話が逸れたことに疑問は持ったが、あらかじめフューラー神殿長と口裏を合わせていた内容の通りだったので、図南も紗良も素直に肯定した。
「はい。突然呼ばれて、そこからは、何がなんだか分からないまま、いまに至ります」
と図南。
(嘘は言ってないよな)
呼んだのはリヒテンベルク帝国の第一王女、ビルギット・リヒテンベルクなのだが、そこまでは図南と紗良も知らないことである。
「神聖魔法の術者としての腕前以前の問題があるの」
クラリッサ司教は『二人ともこの国の歴史や地理、習慣、常識、作法はまるでなってないからそのつもりで接して欲しい』、と言われているのだと語った。
(あのじいいさん、本当のこととはいえ、もう少しオブラートに包むとかできないのかよ)
図南が内心で悪態をつく間に紗良が聞く。
「その歴史とか地理、習慣、常識、作法の試験ですか?」
「いいえ、それは試験をしても無駄でしょう」
その通りである。
「では?」
「それじゃ?」
図南と紗良が口を揃えて聞く。
「読み書きと計算能力がどれくらいあるのかを知っておきたいの」
報告書の作成業務は毎日発生するし、武かとなる神官や見習い神官などへの指示書も日常的に発生する。
そこに書く内容は基本的な文字の読み書きだけでなく、四則演算が出来ることが要求されるのだと説明された。
クラリッサ司教の言葉に図南と紗良が深くうなずく。
理由は分からないが、この国だけでなく周辺数か国の文字の読み書きが出来ることはカッセル市への道中で確認済みだった。
計算についても、下級神官クラスでも筆算での四則演算ができる程度で、日本の中学校で学習する方程式を解けるものは少ないのも理解している。
三角関数の知識を披露したときの神殿長の驚いた顔が図南と紗良の脳裏に蘇っていた。
「問題ありません」
「試験を受けさせてください」
図南と紗良が自信満々に告げた。
診療棟は木造二階建ての建屋であるが、執務棟は石造りの四階建てで所長室はその最上階である四階のほぼ中央に位置している。
所長室の扉をノックするとなかからコール司教の声が聞こえた。
「どうぞ」
図南と紗良の『失礼いたします』との声が重なる。
所長室は二十畳ほどの広さがあり、扉の正面にはコール司教の執務机、その向こうにある大きな窓からは診療所の敷地とカッセル市の街並みが広がっていた。
「二人とも楽にして頂戴」
コール司教は仕種で図南と紗良に長椅子を勧めると、テーブルを挟んだ正面に腰を下す。
「随分と緊張しているようね? ここには私たちだけですから、もっと気楽にしてくれていいのよ」
「初仕事ですから、緊張もします」
「早く慣れるように頑張ります」
二人の緊張が増したのを感じ取ったコール司教が『失敗したかしら?』、と聞き取れない声で独り言をつぶやいた。
「若い司教が赴任して来てくれて嬉しいわ。きっと活気が出るでしょうね」
「ご期待に沿えるよう努力いたします」
と図南。
「お気遣いありがとうございます。コール司教」
続く紗良の言葉にコール司教が反応する。
「二人ともコール司教だなんて堅苦しい呼び方はやめて頂戴。クラリッサと呼んでくれていいのよ。私もトナン君、サラちゃん、と呼んでもいいかしら?」
他の司教たちよりも年齢が近いとは言っても、倍ほども年齢の離れた大人を名前で呼ぶのは抵抗があった。
だが、年齢を理由に名前で呼べないなどとは口が裂けても言えない。
「私たちはまだ若輩の身です。コール司教をお名前で呼ぶのは抵抗があります」
「私たちのことはお好きなように呼んでくださって構いません。ですが、実績豊富なコール司教をお名前で呼ぶのは……」
「そう、残念ね」
コール司教が落胆の溜息を吐いた。
そして、恐縮する紗良にこう言う。
「いままでは女性の司教は私だけだったの。同性の司教が出来てはしゃいじゃったのね、ごめんなさい。呼び方はともかく、サラちゃんにはお姉さんだと思って気楽に接して欲しいわ」
「ありがとうございます、クラリッサ司教」
「クラリッサお姉さん……」
クラリッサ司教の笑顔に釣られた図南がつぶやくと、紗良が即座に反応した。
「図南に言ったのではありません。クラリッサ司教は同姓である私に対して気遣ってくれたのです」
司教は男性ばかりで女性はクラリッサ司教だけである。司祭になれば男女比の差もほとんどなくなるが、それでも男性の意見が通りやすい環境にある。
年若い女性である紗良を気遣っての申し出なのだと、紗良が図南をたしなめた。
図南をたしなめる紗良の言葉を感心して聞いてたクラリッサ司教が、図南をからかうように言う。
「別にクラリッサお姉ちゃん、って呼んでくれてもいいのよ」
「いえ、その……、クラリッサ司教でお願いします」
恥じ入って頭を下げる図南と、そんな彼に呆れる紗良を見て、クラリッサ司教が再びコロコロと笑った。
ひとしきり笑ったところで、クラリッサ司教が話を再開する。
「それじゃ、緊張も解れたようだし、仕事の説明をする前に簡単な筆記試験をしてもらいましょうか」
『筆記試験?』、と二人がおうむ返しに聞き返した。
神殿長のお墨付きとはいっても、責任者としてはどの程度の力なのか確認せずに実践の場に出すわけにはいかないか、と二人も内心で納得する。
「神聖魔法の実地試験ですね?」
図南がそう言うと、
「違うわよ」
コール司教がいきなり笑い出した。そして困惑する図南に向けて『慌て者なのね』、と優しく微笑む。
クラリッサ司教の笑顔に見惚《みと》れる図南に紗良がささやく。
「情けない」
そんな二人を微笑ましそうに見ながらコール司教が言う。
「二人とも同郷なんですって? いままで外国の、それも人があまり近寄らないような田舎に住んでいた、と神殿長からうかがいましたよ」
突然、話が逸れたことに疑問は持ったが、あらかじめフューラー神殿長と口裏を合わせていた内容の通りだったので、図南も紗良も素直に肯定した。
「はい。突然呼ばれて、そこからは、何がなんだか分からないまま、いまに至ります」
と図南。
(嘘は言ってないよな)
呼んだのはリヒテンベルク帝国の第一王女、ビルギット・リヒテンベルクなのだが、そこまでは図南と紗良も知らないことである。
「神聖魔法の術者としての腕前以前の問題があるの」
クラリッサ司教は『二人ともこの国の歴史や地理、習慣、常識、作法はまるでなってないからそのつもりで接して欲しい』、と言われているのだと語った。
(あのじいいさん、本当のこととはいえ、もう少しオブラートに包むとかできないのかよ)
図南が内心で悪態をつく間に紗良が聞く。
「その歴史とか地理、習慣、常識、作法の試験ですか?」
「いいえ、それは試験をしても無駄でしょう」
その通りである。
「では?」
「それじゃ?」
図南と紗良が口を揃えて聞く。
「読み書きと計算能力がどれくらいあるのかを知っておきたいの」
報告書の作成業務は毎日発生するし、武かとなる神官や見習い神官などへの指示書も日常的に発生する。
そこに書く内容は基本的な文字の読み書きだけでなく、四則演算が出来ることが要求されるのだと説明された。
クラリッサ司教の言葉に図南と紗良が深くうなずく。
理由は分からないが、この国だけでなく周辺数か国の文字の読み書きが出来ることはカッセル市への道中で確認済みだった。
計算についても、下級神官クラスでも筆算での四則演算ができる程度で、日本の中学校で学習する方程式を解けるものは少ないのも理解している。
三角関数の知識を披露したときの神殿長の驚いた顔が図南と紗良の脳裏に蘇っていた。
「問題ありません」
「試験を受けさせてください」
図南と紗良が自信満々に告げた。
1
お気に入りに追加
3,020
あなたにおすすめの小説
異世界巻き込まれ転移譚~無能の烙印押されましたが、勇者の力持ってます~
影茸
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれ異世界に転移することになった僕、羽島翔。
けれども相手の不手際で異世界に転移することになったにも関わらず、僕は巻き込まれた無能と罵られ勇者に嘲笑され、城から追い出されることになる。
けれども僕の人生は、巻き込まれたはずなのに勇者の力を使えることに気づいたその瞬間大きく変わり始める。
勇者召喚に巻き込まれた俺はのんびりと生活したいがいろいろと巻き込まれていった
九曜
ファンタジー
俺は勇者召喚に巻き込まれた
勇者ではなかった俺は王国からお金だけを貰って他の国に行った
だが、俺には特別なスキルを授かったがそのお陰かいろいろな事件に巻き込まれといった
この物語は主人公がほのぼのと生活するがいろいろと巻き込まれていく物語
異世界召喚?やっと社畜から抜け出せる!
アルテミス
ファンタジー
第13回ファンタジー大賞に応募しました。応援してもらえると嬉しいです。
->最終選考まで残ったようですが、奨励賞止まりだったようです。応援ありがとうございました!
ーーーー
ヤンキーが勇者として召喚された。
社畜歴十五年のベテラン社畜の俺は、世界に巻き込まれてしまう。
巻き込まれたので女神様の加護はないし、チートもらった訳でもない。幸い召喚の担当をした公爵様が俺の生活の面倒を見てくれるらしいけどね。
そんな俺が異世界で女神様と崇められている”下級神”より上位の"創造神"から加護を与えられる話。
ほのぼのライフを目指してます。
設定も決めずに書き始めたのでブレブレです。気楽〜に読んでください。
6/20-22HOT1位、ファンタジー1位頂きました。有難うございます。
世界最強の勇者は伯爵家の三男に転生し、落ちこぼれと疎まれるが、無自覚に無双する
平山和人
ファンタジー
世界最強の勇者と称えられる勇者アベルは、新たな人生を歩むべく今の人生を捨て、伯爵家の三男に転生する。
しかしアベルは忌み子と疎まれており、優秀な双子の兄たちと比べられ、学校や屋敷の人たちからは落ちこぼれと蔑まれる散々な日々を送っていた。
だが、彼らは知らなかったアベルが最強の勇者であり、自分たちとは遥かにレベルが違うから真の実力がわからないことに。
そんなことも知らずにアベルは自覚なく最強の力を振るい、世界中を驚かせるのであった。
大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる
遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」
「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」
S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。
村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。
しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。
とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。
【完結】おじいちゃんは元勇者
三園 七詩
ファンタジー
元勇者のおじいさんに拾われた子供の話…
親に捨てられ、周りからも見放され生きる事をあきらめた子供の前に国から追放された元勇者のおじいさんが現れる。
エイトを息子のように可愛がり…いつしか子供は強くなり過ぎてしまっていた…
クラス転移したからクラスの奴に復讐します
wrath
ファンタジー
俺こと灞熾蘑 煌羈はクラスでいじめられていた。
ある日、突然クラスが光輝き俺のいる3年1組は異世界へと召喚されることになった。
だが、俺はそこへ転移する前に神様にお呼ばれし……。
クラスの奴らよりも強くなった俺はクラスの奴らに復讐します。
まだまだ未熟者なので誤字脱字が多いと思いますが長〜い目で見守ってください。
閑話の時系列がおかしいんじゃない?やこの漢字間違ってるよね?など、ところどころにおかしい点がありましたら気軽にコメントで教えてください。
追伸、
雫ストーリーを別で作りました。雫が亡くなる瞬間の心情や死んだ後の天国でのお話を書いてます。
気になった方は是非読んでみてください。
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる