猫、時々姫君

篠原 皐月

文字の大きさ
上 下
57 / 66
第5章 長すぎる一日

11.困った養い親

しおりを挟む
「こうしちゃいられない! 王宮に急がないと!!」
「そうだったわ。行きましょう!」
 脱力して地面に横たわっていたディオンが、視界の隅に淡く光る小さな存在を認めた瞬間、勢い良く跳ね起きてシェリルを促した。対するシェリルも気を取り直し、もう姿を消す必要は無い為その術式を解除し、ディオンと並んで街道を走り始める。

「本当にこの蝶の形をした物、王宮まで案内してくれるみたいね」
「その様だな。だけど、この辺はどう見ても王都の端の方だし、中心部まではどれ位かかるんだか」
 自分達の少し前を飛んで行く蝶もどきを追って、石が敷かれた道を走り出した二人だが、当初の畑や草原しかなかった周囲に段々と家が増えてきても、どこもひっそりと窓や戸を閉ざし、人の往来も無かった。そして暫く走って息が切れたディオンが、小さな広場らしき所で立ち止まり、膝に両手を当てて息を整える。

「はぁ……、参ったな。人通りがこんなに無いとは。馬車も通らないなんて」
 如何にも困惑した呟きを口にしたディオンに、シェリルが不思議そうに尋ねる。
「暗くなってから外に出るのって初めてだけど、いつもはもう少し往来があるの?」
「この辺りはまだ庶民の生活圏だけど、魔術灯も点いているし、普通ならもう少し夜遅くまで出入りはある筈なんだが」
 そこでディオンは、ある事に気が付いた。

「そうか……、今日はお昼に陛下の即位二十周年記念式典が有ったんだよね?」
「ええ、そうだけど」
「日中、王都中の人間が王族のバルコニーからの挨拶や、パレードを中心部に見物に出かけて、仕事を休んだか早めに上がって帰宅したのかも。当然それに出向く人相手に屋台とかも、早い時間から出ていた筈だし。貴族達は舞踏会の為に王宮に集合している筈だから、他のパーティーとか観劇に出歩く奴もいないか」
 そう言って痛恨の表情をしたディオンに、シェリルがなおも不思議そうに尋ねる。
「それで、人通りが極端に少ないの?」
「ひょっとしたらね。……じゃあ、どこかの家に頼んで、馬を借りるか。もの凄く不審者扱いされそうだけど」
 ブツブツとそんな事を呟きながら、ディオンは早速周囲の家々に当たりを付け始めたが、ここでシェリルが広場を横切ろうとしている荷馬車を指差した。

「ディオン! あれを借りられないかしら?」
「そうだな。頼んでみよう」
 表情を明るくしたディオンは急いで件の荷馬車に駆け寄り、半ば強引に手綱を掴んでそれを止めた。
「すみません!」
「何だ? 若いの。ここら辺では見かけん顔だな」
 いきなり馬を止められて不審な顔をしたものの、無精髭を生やした洗いざらしの服を着た農夫らしい男は、ディオンに問いかけてきた。しかしそれには直接答えず、単刀直入に話を切り出す。

「いきなりで申し訳ありませんが、この荷馬車を私に貸して貰えませんか?」
「はぁ? 何言ってんだ? あんた」
「詳しい事情は言えませんが、大至急、王宮まで行かなくてはいけないんです」
 そう言ってディオンは真摯に頭を下げたが、相手は一顧だにしなかった。

「駄目だ駄目だ。これは明日も朝早くから、仕事に使うんだよ。馬鹿な事言ってないで、とっとと失せな」
「すみません。色々あって朝までにお返しするのは難しいかもしれませんが、明日中には人に頼んででもお返ししますし、仕事で使えなかった分の補償は、ハリード男爵家が責任を持ってお支払いしますので」
「男爵様だぁ? お貴族様が、こんな農夫相手の約束なんか守るかよ。こんなボロ馬車取り上げないで、立派な馬車でも乗ってな。ほら、行った行った! 女房が夕飯こしらえて、俺の帰りを待ってんだよ! さっさと納屋にこいつを入れないと、どやされちまう。さぁ、その手を離してくれ」
 片手で追い払う真似をしながら、男が手綱を引っ張ってディオンの手を離そうとした為、ディオンは説得を諦めた。

「……シェリル」
「仕方無いわよね」
 一応、足元に控えている同行者に同意を求めると、シェリルは溜め息を吐きながら小声で頷く。それを見たディオンは、迷わず実力行使に出た。

「すみません! お借りします!!」
「うわっ!? 何すんだ、この野郎! ……いててててっ!!」
 ディオンが力ずくで男を席から引きずり降ろすと、シェリルはなおも抵抗しようとする男の腰と肩に飛び付き、十分手加減しながら爪で顔を引っ掻いた。それでも男がたまらず座り込んで手で顔を覆っている隙に、ディオンが荷馬車に飛び乗って手綱を取り、素早く方向転換をさせてシェリルに声をかける。

「シェリル、乗って! 行くよ!」
「……あ! こら、待て!! この泥棒ーっ!!」
 シェリルが素早く荷台に飛び付き、その低い壁を乗り越えるのと同時に、ディオンは馬を走らせて逃走を始めた。慌てて男がその後を追うが、忽ち引き離される。その様子を、おそらく収穫物を入れていたと思われる、壁際に転がっていた籠によじ登り、前脚で壁を掴んで馬車の後方を眺めたシェリルは、さすがに気が咎めた。

(うっ、さすがにあのおじさんに申し訳ないわ。そうだ!!)
 そしてある事を思い付いたシェリルは、すぐさま実行に移す。

(出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ……)
 首輪の一番右のガラス玉に触れながら強く念じると、何故かシェリルの眼前に金貨が次々に現れ、それが全て道に落ちてチャリチャリチャリーンと金属製の響きを奏でた。
 さすがにその非日常的な光景にど肝を抜かれた男が足を止めて荷馬車を凝視すると、そこから何故か居る筈のない、女性の声が響いてくる。

「すみませーん! その金貨は迷惑料の先払いです! それに、馬車はちゃんと後からお返ししますのでー!!」
 何が何やら分からないまま、男は呆然と立ち竦んで荷馬車を見送り、彼の姿が見えなくなってから、シェリルは移動して運転台の方に移動した。すると何となく険しい表情のディオンに出迎えられる。

「シェリル……、さっき金貨がどうこうって叫んで無かった? 何の事?」
 その問いかけに、シェリルは素直に答えた。

「さすがに大事な商売道具を盗られたら、ショックを受けると思ったの。勿論これは後から返すけど、馬と荷馬車を一式買える位のお金が手元にあれば、怒りや不安が少しは和らぐかなって思って。咄嗟に金貨を出して、路上に落として来たんだけど」
 しかしディオンはその説明に納得するどころか、益々険しい顔付きになって問い質した。

「シェリル……、金貨を落として来たって、どうやって? そんな物、持って無かったよね?」
「えっと、首輪の一番右の、紫色のガラス玉には金貨を出す術式が封じてあって、これを渡された時父に『お金に困ったら、これで金貨を出しなさい』って言われたの。でも父が死んだ後も、姉がしっかり生活費は稼いでくれてたから、これを使う機会は無くて今の今まですっかり忘れ」
「シェリル……、それ、どうやって金貨を出してるんだ?」
 話の途中でいきなり質問されたシェリルは、怪訝な顔になって考え込む。

「え? どうやってって……。そう言えば、どうやって出してるのかしら? この術式、使った事無いし、聞いた事も無かったわ」
 そのシェリルの反応を見て、ディオンは疲れた様に溜め息を吐いてから、彼女に真顔で言い聞かせた。

「勝手に金貨を合成してるなら、明らかな通貨偽造になる。国で鋳造している通貨の、信用を揺るがしかねない重大犯罪なんだ。世間に露見したら、文句なしに即時家名抹消、官位剥奪、領地没収、下手すれば死刑の大重罪なんだけど、そこの所分かってる?」
「えぇぇっ!! 何それ? 全然聞いてないけど!?」
 途端にブンブンと千切れそうな勢いで首を振ったシェリルに、ディオンは頭痛を堪える様な表情で説明を続ける。

「だろうね……。百歩譲って、その金貨が勝手に合成された物じゃなくて、きちんと正規の手続きで鋳造された物なら、そこまでの罪にはならないけど」
「そ、そうなの? それは良かっ」
「そうなると、どこかから金貨を移動させた事になるよね? 本来の所有者の承諾無しに勝手に移動させたら、明らかに窃盗行為になると思うんだけど……」
「…………」
 冷静にディオンに指摘され、シェリルは無言でピシッと固まった。それを見たディオンは一瞬前方の蝶もどきに視線を移して進行方向を確認し、同時に気持ちを落ち着かせてから、シェリルを横目で見つつ淡々と問いを発する。

「まあ、力ずくで馬車を奪った俺が、言える筋合いの台詞じゃないけどさ。……君のお父さんって、本当にどういう人?」
 そう言われた瞬間、シェリルは涙目になってペコペコと頭を下げながら、ディオンに向かって謝罪し始めた。

「ごめんなさい! 勝手に横恋慕した挙げ句、職場放棄しちゃった変な魔術師でごめんなさい! それから、わけがわからない術式ばっかり構築しててごめんなさい! それと、思考パターンが世間一般の人のそれと、相当かけ離れていたみたいで、本当に本当にごめんなさーい!!」
 その姿に憐憫の情を覚えた事に加え、謝って貰う筋合いも無かったディオンは、穏やかな口調になって相手を宥めつつ忠告した。

「……うん、シェリル。もう良いから。さっきのは見なかった事にするよ。それと、さっきの金貨を出す術式。これからは間違っても、人前で披露するんじゃないよ? 絶対トラブルになるから」
「気を付けるわ」
 そうしてガックリとうなだれたシェリルと、意識を切り替えて険しい視線を前方に向けているディオンを乗せて、漸く市街地エリアに入り込んだ荷馬車は、蝶もどきの先導で王宮に向かってひた走って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

猪娘の躍動人生~一年目は猪突猛進

篠原 皐月
大衆娯楽
 七年越しの念願が叶って、柏木産業企画推進部第二課に配属になった藤宮(とうのみや)美幸(よしゆき)。そこは一癖も二癖もある人間が揃っている中、周囲に負けじとスキルと度胸と運の良さを駆使して、重役の椅子を目指して日々邁進中。  当然恋愛などは煩わしさしか感じておらず、周囲の男には見向きもしていなかった彼女だが、段々気になる人ができて……。社内外の陰謀、謀略、妨害にもめげず、柏木産業内で次々と騒動を引き起こす、台風娘が色々な面で成長していく、サクセスストーリー&ドタバタオフィスラブコメディ(?)を目指します。  【夢見る頃を過ぎても】【半世紀の契約】のスピンオフ作品です。

精霊王様のお気に召すまま

篠原 皐月
ファンタジー
 平民出身の巫女、シェーラ。本来階級制度が著しい神殿内で、実家が貧しい彼女は加護も少ない下級巫女であることも相まって最下層の存在ではあったが、実は大きな秘密があった。神殿が祀る精霊王に気に入られてしまった彼女は、加護が大きいと思われる上級巫女よりも多大な加護を与えられており、度重なる嫌がらせも難なく対応、排除できていたのだった。  このまま通常の任期を終えれば嫁ぎ先に苦労せず、安穏な一生を送れるとささやかに願っていた彼女だったが、ふとしたことで王子の一人にその加護が露見してしまい、王位継承に絡んだ権謀術数に巻き込まれることに。自身が望む平凡平穏な人生から徐々に遠ざかって行く事態に、シェーラは一人頭を抱えるのだった。

アビシニアンと狡猾狐

篠原 皐月
恋愛
 後悔という名の棘が胸に刺さったのを、幸恵が初めて自覚したのは六歳の頃。それから二十年以上が経過してから、彼女はその時のツケを纏めて払う羽目に陥った。狙いを付けてきた掴み所の無い男に、このまま絡め取られるなんて真っ平ご免だと、幸恵は精一杯抵抗するが……。 【子兎とシープドッグ】続編作品。意地っ張りで素直じゃない彼女と、ひねくれていても余裕綽々の彼氏とのやり取りを書いていきます。

子兎とシープドッグ

篠原 皐月
恋愛
新人OLの君島綾乃は、入社以来仕事もプライベートもトラブル続きで自信喪失気味。そんな彼女がちょっとした親切心から起こした行動で、予想外の出会いが待っていた。 なかなか自分に自信が持てない綾乃と、彼女に振り回される周囲の人間模様です。

運び屋『兎』の配送履歴

花里 悠太
ファンタジー
安心、確実、お値段ちょっとお高め。運び屋『兎』に任せてみませんか? 兎を連れた少女が色々なものを配達するほのぼの物語です。 他にも出てくる相棒の召喚獣たちと共に配達してまわります。 兎をもふりたい。 カバで爆走したい。 梟とおしゃべりしたい。 亀と日向ぼっこしたい。 そんな方は是非ご一読を。 転生もチートもロマンスもないお仕事ファンタジーです。 ーーーーーーーーーーー とある街の商業ギルド。 その一室にユウヒという名の少女が住んでいる。 彼女は召喚士であり、運び屋だ。 彼女がこなす運びは、普通の運び屋とはちょっと違う。 時には、魔物の中に取り残された人を運びにいき。 時には、誰にも見つからないようにこっそりと手紙を届けにいく。 様々な能力を持つ召喚獣を相棒として、通常の運び屋では受けられないような特殊な配送を仕事として請け負っているのだ。 彼女がいつも身につけている前かけ鞄には、プスプスと鼻息をたてる兎が一匹。 運び屋の仕事を受けるときも、仕事で何かを運んでいる時も。 いつでも兎と一緒に仕事をする様から、彼女はこう呼ばれていた。 運び屋『兎』 彼女に仕事を頼みたい時は、商業ギルドの受付で 「『兎』に荷物を届けてほしい」 と声をかければ兎と一緒に彼女が仕事を受けてくれる。 召喚した相棒と共に、運べるものなら、手紙でも、荷物でも、何でも。 仕事は確実にこなすが少し手荒め、お値段はかなりお高め。 ある時はカバで街道から山の中へと爆走。 ある時は梟と夜に紛れて貴族の屋敷に潜入。 ある時は亀にまたがり深海へと潜航。 仕事の依頼を通して色々なものを配送するユウヒ。 様々な出会いや、出来事に遭遇して成長していく異世界ファンタジー。 カバに轢かれたくなければ道を開けてください。

〈完結〉続々・50女がママチャリで北海道を回ってきた・道南やめてオロロン逆襲のちにスポークが折れてじたばたした話。

江戸川ばた散歩
エッセイ・ノンフィクション
北海道を7月にママチャリで回ること三年目。 今回はそれまでのマルキンのママチャリでなく、ブリヂストン様のアルベルトロイヤルで荷物をしっかりしたバッグに入れて積んでみました。 するとどんなことが起こったか! 旅行中に書いたそのまんまの手記です。

拝啓神様。転生場所間違えたでしょ。転生したら木にめり込んで…てか半身が木になってるんですけど!?あでも意外とスペック高くて何とかなりそうです

熊ごろう
ファンタジー
俺はどうやら事故で死んで、神様の計らいで異世界へと転生したらしい。 そこまではわりと良くある?お話だと思う。 ただ俺が皆と違ったのは……森の中、木にめり込んだ状態で転生していたことだろうか。 しかも必死こいて引っこ抜いて見ればめり込んでいた部分が木の体となっていた。次、神様に出会うことがあったならば髪の毛むしってやろうと思う。 ずっとその場に居るわけにもいかず、森の中をあてもなく彷徨う俺であったが、やがて空腹と渇き、それにたまった疲労で意識を失ってしまい……と、そこでこの木の体が思わぬ力を発揮する。なんと地面から水分や養分を取れる上に生命力すら吸い取る事が出来たのだ。 生命力を吸った体は凄まじい力を発揮した。木を殴れば幹をえぐり取り、走れば凄まじい速度な上に疲れもほとんどない。 これはチートきたのでは!?と浮かれそうになる俺であったが……そこはぐっと押さえ気を引き締める。何せ比較対象が無いからね。 比較対象もそうだけど、とりあえず生活していくためには人里に出なければならないだろう。そう考えた俺はひとまず森を抜け出そうと再び歩を進めるが……。 P.S 最近、右半身にリンゴがなるようになりました。 やったね(´・ω・`) 火、木曜と土日更新でいきたいと思います。

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

処理中です...