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5月

相談事

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 その日の夜、美幸はまず城崎にメール都合を尋ねてみたが、すぐに電話がかかってきた為、挨拶もそこそこに日中持ち上がった件についてまくしたてた。その話を相槌を打ちながら一通り聞いた後、城崎が困惑気味に呟く。

「……それは珍しいな。社内コンペならぬ課内コンペか。あの人は、一体何を考えてるんだ?」
「全くです。営業三課を直に叩き潰すチャンスを貰えた事には、感謝していますが」
 多少苛立たし気に美幸が口にすると、城崎も若干口調を険しくしながら釘を刺してくる。

「コンペでは確かに勝ち負けが生じるが、対象のブランドの魅力を最大限に引き出すマーケティングと、販売網をどう確立して提案できるかが一番の焦点になる。ライバルを打ち負かすのは二の次なんだから、意識し過ぎて本質を外さない様にしろよ?」
「分かりました」
 ここで冷静に指摘されて、美幸の頭は幾分冷えた。そんな彼女に、城崎が少々残念そうに言ってくる。

「しかし美幸は、コンペの参加経験は無いだろう? 俺が居る間に、何らかの形で参加したりできれば良かったな。そうしたら段取りとかコツとかも教えられたんだが」
「いえいえ、大丈夫ですよ。自力で頑張ります。それにそういう事があったら、昼に渋谷さんが絡んできたような内容を、堂々と公言すると思いますし」
 力強く美幸が断言した内容を聞いて、城崎が溜め息を吐いた気配が伝わってきた。

「……彼女は相変わらずのようだな。悪辣とか質の悪い人間ではないと思うんだが」
「あれを質が悪くないなんて評価するなんて、城崎さんは許容範囲が広過ぎます」
「そりゃあ美幸より長く生きてるし、結構悪辣で質の悪い人間と、これまで数ダース単位で付き合いがあったからな。かなり慣れた」
「えぇ? うちの会社って、そんなに性格が悪い人がいるんですか?」
「いや……、半分はプライベートで。と言うか、もっと正確に言うと学生時代に……」
「ああ、そう言えばそんな話を、聞いた事がありましたね……」
 沈痛な声で告げてきた内容を聞いて、美幸は思わず遠い目をしてしまった。しかし暗い話で終わらせるわけにはいかないと、何とか他の話題を出してみる。

「ええと……。私の話ばかり、しかも最後は愚痴っぽくなってしまってすみません。城崎さんの方で、何か話したい事とかは無いんですか?」
「俺が話したい事?」
 その申し出に、城崎は少し戸惑った様子をみせたものの、すぐに言葉を返した。

「いや、取り立てて話す様な事はないと思うが。むしろ本社内の動向とかを、聞かせて貰った方が嬉しいな。焦っているつもりは無いが、どうしても本社内の様子が気になるし。戻った時に戸惑う様な事は、できるだけ少なくしたいんだ」
「それはそうですね。じゃあ課内の話の他に、本社内で何か変わった事があったら、その都度お知らせします」
「ああ、宜しく頼む」
「それから、何か困ってる事で、こちらでどうにかできる事ってありませんか?」
「うん? そうだな……」
 そこで何やら思い当たった事があったのか、城崎は少しの間考え込んでから答えた。

「そういえば、服かな」
「服、ですか?」
 意外な単語を聞いて美幸は困惑したが、彼はその事情を説明してきた。

「実はこっちで住む所は東北支社で準備してくれて、家賃以外にも、引っ越し費用や敷金礼金は全額経費で落ちてるんだ」
「全部会社持ちですか? 凄い太っ腹ですね」
「ああ。それで今まで借りていたマンションはそのままにして、当面必要の無い物はそのままにしているから」
 それを聞いた美幸は、すぐに合点がいった。

「そうか。夏服が今までの所で、保管したままなんですね」
「そうなんだ。つい、当座必要な物だけを送ったから。やはりこっちは東京より涼しいから、6月に入ってすぐ夏物が必要になるとは思えないんだが」
 そこまで聞いた美幸は、即座に申し出た。

「それなら私が城崎さんのマンションに出向いて、必要な物を纏めてそっちに送りますから」
「構わないのか?」
「勿論ですよ! 衣替えの為だけに戻って来るのも大変ですし、まだまだ仕事が忙しいでしょうから、休日はしっかり仙台で休んでいて下さい。気候も違うんだし、無理しちゃ駄目ですからね」
 明るい口調で美幸が言い聞かせると、城崎が安堵したような声で礼を述べてきた。

「ありがとう、助かる。じゃあ近いうちに合鍵を作って、そっちに郵送するから。あと夏服が欲しい頃合いになったら、何が欲しくて、それがどこに収納されてるかとか、詳細を書いて送るから」
「分かりました。それじゃあ必要のない物は、逆にこちらに送り付けて貰えば、クリーニングに出してしまっておきますから。遠慮しないで下さいね?」
「ああ、宜しく頼むよ」
 それから幾つかの話題を出して通話を終わらせた美幸が、喉の渇きを覚えてお茶でも飲むかと台所に行くと、そこにいた絶讃出戻り中の姉が、声をかけてきた。

「あ、美幸、これからお茶を淹れるけど、あんたも飲む?」
「うん、欲しい。お願い」
「分かったわ。あんたの分も持って行くから、居間で待ってて」
 その申し出に素直に頷き、美幸が居間に向かうと、美子一人だけだった為首を捻った。

「あれ? 美子姉さんだけ? 美樹ちゃん達は?」
 子供達の姿が見えない理由を聞いてみると、美子が事も無げに答える。
「美野が全員纏めて、お風呂に入れてくれてるわ。本当にあの子はマメね」
 姪と甥が総勢四人で、大騒ぎして遊んでいるであろう風呂場を想像して、美幸は正直うんざりした。

「美野姉さんが面倒見が良いのはともかく、美実姉さんったらすっかり居着いちゃって……。もう1ヶ月過ぎたんだけど、帰る気配は無いの?」
「小早川さんの事が、微妙に気になっているみたいではあるけどね。自分から折れるつもりは無いみたいよ?」
「もう! 本当に面倒臭くて傍迷惑よね!?」
 美子はクスクス笑ったが、美幸はとても笑って済ます心境では無かった。しかしそこで「お待たせ」と、三人分のお茶を持って美実がやって来た為、口を噤んだ。

「そう言えば美幸。あんたの彼氏、飛ばされたんだって? さっき美野に、チラッと聞いたんだけど」
 しかしそんな事をサラッと言われた為、美幸は盛大に美実に噛み付いた。
「人聞き悪いわね! 城崎さんは飛ばされたんじゃなくて、請われて派遣されたのよ!」
「まあ、細かい所はどうでも良いけど。要するに遠距離恋愛なのよね? 何でそんな面白いネタを隠してるのよ?」
 途端に興味津々の表情で迫ってきた姉に、美幸の顔が微妙に引き攣る。

「ネタって……、隠してもいないし。城崎さんの異動以外にも色々あってバタバタしてて、一々家で話題に出して無かっただけで」
「参考までに、ちょっと取材を」
「却下!」
 完全に面白がっていると分かる顔付きだった為、美幸は即座に拒否したが、ここで美子がやんわりと宥めてきた。

「美幸、そう怒らないで。世間話の一つとして、ここ暫く会社で起こった事で私達にまだ話していない内容を言ってみなさい」
「美子姉さん……」
 一瞬、恨めしげな視線を向けたものの、長姉に逆らえる筈もなく美幸は観念し、城崎が昇進異動するに至った事情とその前後で生じた出来事を、できるだけ簡単に説明した。

「なるほど、そういう事情だったのね。だけど親の介護で、離職の危機かぁ……。そんな事、全然考えた事も無かったなぁ」
 一通り聞き終えてから、しみじみと感想を述べた美実に、美子は苦笑してみせた。

「あなたは自由業だから、保証が無い分、縛りも無いものね」
「それ以前に、家の事は美子姉さんに任せておけば安心だしね。ありがたや~」
「拝んでも何も出ないわよ?」
 わざとらしく両手を合わせて自分を拝みだした妹を見て、美子が苦笑を深めた。そして美幸に向き直って、同情する様に話を続ける。

「でも城崎さんは、本当に大変そうね」
「うん、そうなの。だから今度、荷物をそのままにしてあるマンションの合鍵を貰ったら、衣替えの時期に合わせて、夏服を整えて送ってあげる約束をしたんだけど」
「…………」
 何気なく美幸がそう口にした途端、姉二人は微妙な顔付きになって、互いの顔を見合わせた。その反応を不思議に思いながら、美幸が声をかける。

「二人とも、急に黙ってどうしたの?」
 すると美子が溜め息を吐いてから、美実に言い聞かせた。
「今回は、ちょっと大目にみましょうか。美実、分かってるわね?」
「勿論、聞かなかった事にするわ。美幸、あんたもお父さんやお義兄さんの前で、今の話をするんじゃないわよ?」
「え? どうして?」
「『美幸を家政婦代わりに使う気か!』って、怒るからに決まってるからじゃない」
 そう断言した美実に、美幸が怪訝な顔になりながら反論する。

「美実姉さんったら……。二人ともそんなに心が狭くないわよ」
「結構狭いわね」
「それに執念深いし」
「…………」
 真顔で姉二人が断言した為、美幸は何も言えずに黙り込んだ。それを見た美子は、苦笑しながら美幸を宥める。

「だから、お父さん達には黙っていてあげるから、城崎さんのお世話をしてあげなさい」
「うん、分かった。ありがとう、美子姉さん。あ、それから美実姉さんに頼みたい事があったの」
「何?」
 そこで気持ちを切り替えると同時に、美幸が話題を変えた。

「さっきチラッと話をしたでしょ? 私の後輩が身元を暴露しちゃって、肩身の狭い思いをさせちゃった新入社員の話。そのとばっちりで迷惑をかけたその子の先輩達に、合コンをセッティングする約束をしちゃったの。だから男性陣を小早川さんに紹介して貰う様に、美実姉さんから頼んで欲しいのよ」
 そう美幸が口にした途端、美実は嫌そうな顔になった。

「えぇ? 何で淳に頼まなきゃいけないのよ?」
「だって小早川さんの紹介なら身元は確かだし、弁護士とか司法書士とか税理士とかって、固い職業の人はいつの時代も人気なんだもの。お願い、この通り!」
 そうして両手を合わせて頭を下げた妹を見て、美実は嫌々ながら引き受ける事にした。

「……しょうがないわね。あんたがそこまで言うなら、頼んであげる。確かに淳は、結構顔が広いしね」
「うん、ありがとう。私から後で改めてお礼はするけど、小早川さんにお礼を言っておいてね?」
「分かった分かった。その代わり、一つ貸しよ? 今度じっくりその彼氏とのあれこれを、リサーチさせて貰うから」
「……了解」
「じゃあ、部屋に行くわね」
 それほど機嫌は悪くない様子で立ち上がった美実は、そのまま居間を出て行った。そして一体何を根掘り葉掘り聞かれる事になるやらと、美幸がうんざりしていると、美子が笑いを堪える表情で言ってくる。

「早速、小早川さんに電話してくれる気じゃない? 良い口実ができて良かったわ」
 それに美幸が、少々呆れ気味に応じる。
「全く、素直じゃ無いんだから。そうなると来週には帰るかしら?」
「そうかもね。漸く静かになるわ」
 そこで顔を見合わせた二人は、どちらからともなく笑い出し、藤宮家の夜は平穏無事に更けていった。
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