零れた欠片が埋まる時

篠原 皐月

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第35話 清香、人生最長の一日(4)

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「お待たせしました。今開けますので」
「遅い! ……って、その声。まさか聡君?」
 マイクを通して、下のエントランスから戸惑いの声を伝えて来た真澄に、聡が促した。

「話は後です。取り敢えず、上がって下さい」
「分かったわ」
 そして浩一を引き連れて、上がってきた真澄を玄関で出迎えた聡は、予想に違わずそこで問い質される事となった。

「一体、どういう事? あなたがここに居るなんて。第一、清香ちゃんは? ちゃんと帰宅しているわよね?」
「はい、彼女から柏木邸でのあらましは聞きました」
「それで君はどうしてここに?」
 不審げな浩一の問い掛けに、聡が思わず顔を引き攣らせる。
「実は……、兄と色々突っ込んだ話をしている所に、清香さんが帰宅しまして、俺達の関係がバレて、少し前に洗いざらい吐かされました。その結果、清香さんは自室に閉じ籠もって、返事もしてくれません」
 半ば自棄になって聡が簡潔に語った内容に、真澄と浩一が深々と溜息を吐き出す。

「……何て間の悪い」
「二人揃って、大馬鹿野郎ね」
 そんな事を言い合いながらリビングに足を踏み入れた真澄は、ソファーで彫像と化している清人を指差しながら、聡に小声で尋ねた。

「それで? あのすっかり燃え尽きているのは何なの?」
「それが……、清香さんに『最低』とか『大嫌い』とか罵倒されたのが、相当ショックだったみたいで……」
 清人からも真澄からも視線を外しつつ、聡が状況を説明すると、柏木姉弟が清人に憐れむ視線を向けた。

「絶対、清香ちゃんから言われた事はないでしょうしね」
「ある程度予想はしていたが、これほどとは……。ちょっと清香ちゃんの様子を見て来るよ」
 そう言って浩一は清香の部屋に向かい、真澄は一人で暗い空気を漂わせている清人に歩み寄った。

「お邪魔するわ」
 その声に清人はゆっくりと顔を上げ、向かい側のソファーに座った真澄に、僅かに殺気の籠った視線を向けた。
「真澄さん? 清香を泣かせましたね?」
 しかしその程度の恫喝は予想の範囲内だった為、真澄は平然と問い返した。

「それについては全面的に謝るけど、今それについて四の五の言っている場合じゃ無いんじゃない? 下手したら清香ちゃん、人間不信になりそうよ?」
「……どうすれば良いと言うんですか」
 すぐに殺気を消して再び項垂れた清人に、真澄は舌打ちしたい気持ちを懸命に堪える。そこで慎重に聡が清人の横に腰を下ろすと、清香の様子を見に行っていた浩一が、リビングに入ってきた。

「駄目だね、内側から鍵がかかってるし、呼び掛けても応えない」
「取り敢えず、引っ張り出すしか無いわね」
 溜息混じりに浩一が真澄の隣に腰を下ろすと、真澄がきっぱりと言い切った。それに清人が、怪訝な視線を向ける。

「どうやってですか?」
「私に任せてくれない? 古事記や日本書紀の時代から、扉の向こうに隠れた大御神を誘い出すのは、女神の役目と決まっているでしょう?」
「……はあ?」
 清人と聡は怪訝な顔を向けただけだったが、浩一はきょとんとしながら、隣に座る姉に疑問を呈した。

「姉さん? それは天照大神が、天の岩戸に隠れた話の事を言ってるのか? 姉さんが清香ちゃんの部屋のドアの前で裸踊りとかしても、別に楽しくも何ともないと思うけど」
 浩一がそう言った瞬間、真澄が勢い良く立ち上がり、両手で浩一のネクタイを掴んだと思うと、首の結び目をギリギリと力任せに締め上げた。

「浩一、あんたこの状況下で、良くそんなくだらない冗談をいえる程度に、図太い神経していたのね。お姉さん全っ然、知らなかったわ」
「悪い、姉さん! 失言でした! 取り消しますから、その手をっ!」
 必死に弁明を繰り出し、窒息の危機から脱してゼイゼイと息を整えている浩一を、清人と聡は生温かい目で見やった。そんな三人を見下ろしてから、真澄が憤然として歩き出す。

「全く……、どいつもこいつも、使えない男どもね!」
 盛大に吐き捨てつつリビングのドアを開けて廊下を進み、清香の部屋のドアの前に立った真澄は、まずは普通に呼びかけてみた。
「清香ちゃん? 真澄だけど、ちょっと話があるから開けて貰えないかしら?」
 しかし室内は静まり返っており、相変わらず無反応な為、真澄は先程よりはやや大きめの声で、再度呼びかけた。

「さ~や~か~ちゃ~ん。五つ数えるうちに、ここを開けてくれないなら、清香ちゃんがクローゼットの奥に隠してある箱の中身の事を、清人君に洗いざらい教えちゃうわね? それでも良いかしら?」
 リビングのドアの所まで出て来て、真澄の様子を窺っていた男達は、(何の事だ?)と首を捻ったが、そんな事はお構いなしに、真澄が大声でカウントを始めた。

「じゃあ数えるわよ~。ひとぉ~っつ、ふたぁ~っつ、みいぃ~っつ、よおぉ~」
「真澄さんっ! 何で、どうして“あれ”の事知ってるのっ!?」
「開けてくれてありがとう。お邪魔するわね」
 ガチャガチャッと、慌ててロックを外す音が聞こえたと思ったら、狼狽しまくった清香がドアを開けて顔を出した。その体を押し戻しつつ、真澄が自分の体を室内に滑り込ませ、素早くドアを閉めて再び施錠する。

「清香!」
「清香さん!」
「お黙り! リビングから一歩も出ないで、大人しく待っていなさい!」
 慌ててドアに駆け寄ったものの再び閉め出され、清人と聡は必死の形相で声を張り上げたが、室内から真澄の怒声が投げつけられ、顔色を無くしてリビングへと戻った。その気配をドア越しに窺っていた真澄の背後から、清香の声がかけられる。

「あのっ! 真澄さんっ! どうして“あれ”の事っ!!」
 そこで驚きのあまり、口をパクパクさせている清香に向き直った真澄は、思わず失笑しながら宥めた。

「ああ、さっきのあれ? ちょっとカマをかけてみただけなんだけど。年頃の女の子には家族に見られたくなくて、机の引き出しとか本棚の奥とかに隠してある物が、一つや二つあるのはお約束じゃない? 私の勘働きも、なかなかのものよね」
「……引っかけられたんですか」
 それを聞いてがっくりと項垂れた清香に、苦笑しながら真澄が促す。

「せっかくだから、その隠している物、見せて貰えない?」
「だだだ駄目です、たとえ真澄さんでも、絶対に駄目ぇぇっ!!」
 再び狼狽しまくって拒否する清香に、真澄は真顔になって口を開いた。 

「それは残念だけど、しょうがないわね。その代わりに、ちょっとお話ししましょうか。清香ちゃんが帰宅してからあった事を聞いたけど……、大変だったわね」
 それを聞いた清香は、情けない顔をしながら、ベッドにポスンと座りつつ項垂れた。

「大変って……、そんな一言で片付けないで下さい。もう頭の中ぐしゃぐしゃで、何も考えられないです。どうしてくれるんですか? 明日から金曜まで、今週は期末試験期間なんですよ?」
「……それは困ったわね」
 その切実な訴えに、真澄も思わず眉を顰めつつ清香の横に腰を下ろす。

「駄目だわ、まともに書ける自信なんて、全然無い。このままだと単位を落としちゃう……」
 そんな事を呻いている清香を眺めてから、真澄は唐突に質問を繰り出した。

「清香ちゃん、今日の就寝予定時刻は?」
「えっと、試験期間中は早寝早起きを鉄則にしているので、十時には」
 戸惑いつつも律義に答えた清香に、真澄はにっこり笑って言い出した。

「まだ四時過ぎだし、九時には寝る支度を始めないといけないとしても、まだ五時間近くあるわ。ダラダラ寝ていればあっと言う間に過ぎる時間だけど、それを有効に使えば、かなりの事ができるわよ?」
「え、えぇ?」
「少しでもすっきりして、試験に集中したいでしょう?」
「それはそうだけど……」
 一体何を言い出すのかと、困惑した清香だったが、真澄の意見には同意を示した。そこを真澄が畳み掛ける。

「それなら、清香ちゃんが一連の話を聞いた上で、これから何をするべきなのかを考えて、その優先順位を決めるの。そして残り時間で、できるだけそれを片づけるのよ」
「する事の優先順位、ですか……」
 促された清香は床を眺めつつ、真剣な顔で悩み始めた。そしてその横で真澄が黙ったまま反応を待つこと十五分程で、清香が結論を出す。

「……真澄さん。やっぱり私は、お兄ちゃんが最優先です」
 きっぱりと言い切った清香の判断に、真澄は思わず微笑んでしまった。
「そうでしょうね。次は?」
「老人優先です」
「道義的にも、それが妥当ね」
 あまりにも清香らし過ぎる答えに、真澄は噴き出すのを必死に堪えた。そして真顔の清香を促して、ベッドから立ち上がる。

「それじゃあ、今日これからの方針が纏まった所で、早速出掛けるわよ? 足は私が提供するわ」
「お願いします」
 余計な事は言わなくても、清香が何をするつもりなのか十分理解できていた真澄は、そのまま清香を引き連れて部屋を出た。そして清香には玄関でコートを着る様に言いつけ、自身はリビングに向かう。
 そしてドアが開いた気配を察知してソファーから立ち上がっていた男三人に、真澄は怒鳴った。

「ちょっと清香ちゃんと出かけるけど、後を追いかけてくるんじゃないわよ!?」
「は? 一体どこに」
「ちょっと待って下さい!」
「姉さん?」
 流石に狼狽と困惑の顔を向けて来た面々を、真澄が一喝した。

「清人君、浩一! 私が良いと言うまで、絶対に聡君の手を離すんじゃないわよ? そいつをこの家から一歩でも出したら、承知しませんからね!!」
「え? 真澄さん、何なんですかそれはっ! ……ちょっと! 何するんですか、兄さん! 浩一さんまで!」
 真澄が指示した途端、二人に拘束されたらしい聡の叫びを背中に受けながら、真澄は玄関へと急ぎ、既に身支度を終えていた清香に小さく頷いた。

「下に、家の車を待たせてあるの。先方の住所は分かっている?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ急ぎましょう」
 そう言葉を交わしてから、真澄は掛けていたコート引っ掴み、清香と共に玄関から飛び出して行った。
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