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第3章 リスベラントへようこそ
(3)プロトコル違反
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「久し振りね、ルーカス。こちらに来ているのに、挨拶も無いままリスベラントに出向こうとするなんて、礼儀に反するのではなくて?」
口調は穏やかながらも、要は「こっちに来たなら、あなたの方から挨拶に来るのが筋でしょう。何を無視しているの」と言っている様な物よねと、藍里は頭の中で解釈した。それに微塵も動じた様子を見せず、ルーカスも優雅に微笑みながら言葉を返す。
「こちらに滞在するのは短時間の上、お忙しい姉上を煩わせるのは誠に申し訳無く、今回はご挨拶抜きで、リスベラントに出向くつもりでした。御前試合の時と同日開催の夜会で否応なく顔を合わせる事になりますので、ご紹介はその時で宜しいかと愚考しまして」
それを聞いたアメーリアは無言で顔をしかめ、藍里は「あんたがそんなに暇だとは知らなかった。ガタガタ言わずに試合の時に出向いてくれば良いだろ」という事かしらと、再び脳内変換した。
するとここで、アメーリアが藍里に鋭い視線を向けたと思った次の瞬間、明らかに作り笑いと分かる笑顔を向けながら、ルーカスを促す。
「ルーカス。予想外に、こんな可愛いお嬢さんの顔を見る事ができたのですもの。紹介位、して貰えるわよね?」
如何にも取って付けた様な物言いに藍里はうんざりしたが、そこまで言われて無視する訳にはいかなかったルーカスは、若干嫌そうに藍里を紹介した。
「姉上。こちらがグレン辺境伯ご令嬢の、アイリ・ヒルシュです。アイリ。こちらは俺の上の姉で、アメーリア・ツー・ディアルドだ」
「『ツー』? そんな呼称の聖騎士位ってあったかしら?」
藍里がそんな素朴な疑問を口にした途端、ルーカス達だけではなく、アメーリアや彼女が引き連れて来た者達まで、顔を強張らせて固まった。その為、セレナが慌てて身体を寄せて藍里に囁く。
「アイリ様。アメーリア様は、聖騎士位を保持してはおりません。攻撃性のある魔術は行使できませんので。『ツー』と言うのは、昔のドイツで使用されていた貴族の称号の一つで、代々のディアルド家の人間が、アルデインでの名前に使用している物です」
「ああ、そうだったのね。皆の名前に『ディル』が入っているから、てっきり名前と家名の間に入っている呼称は、聖騎士位の事だと勘違いしていたわ。だから『ツー』って、聞き覚えが無いなと思っちゃった」
説明を受けた藍里は、納得して頷いた。しかし小声で話していても、静まり返った室内ではその内容ははっきりと聞き取れ、アメーリアは益々顔付きを険しくする。
「あなた! アメーリア様に失礼でしょう! お詫びしなさい!」
そんな中、アメーリアに付き従ってきた女性の一人が、憤怒の形相で藍里を叱り付け、その高飛車な物言いにさすがに彼女が腹を立てたが、藍里が何か言う前にすかさずセレナが前に出て、アメーリア達に向かって深々と頭を下げた。
「誠に申し訳ありません。公爵閣下からアイリ嬢に、リスベラントに関する基礎知識を教授する様に指示は受けておりましたが、きちんとご説明できていなかった様です。私の指導不足故ですので、何卒ご容赦下さい」
しかし真摯に謝罪したセレナを、件の女性達がせせら笑う。
「呆れたわ。第二公妾の分際で、アメーリア様に恥をかかせるなんて!」
「しかも閣下に任せられた仕事さえ、まともにできないとみえるわね! さっさと実家にお帰りになったら!?」
さすがにルーカス達も顔色を変え、何かを言いかけようとしたが、それより前に、この間薄笑いを浮かべて一言も発しなかったアメーリアに向かって、藍里がどこかのんびりとした口調で言い出した。
「本当に申し訳ありません。私は礼儀も知識も身に付いていない、どうしようもない田舎者なので。でも元々のリスベラント人では無いので、ここは一つ多目に見て貰えませんか? 小者の少々の粗相を鷹揚に笑って流すのも、高貴な方の度量の広さを示す事になるかと思いますけど」
「何ですって!?」
「何て厚かましい!」
「止めなさい、カーラ、マギー」
「ですが!!」
図々しい藍里の主張にセレナは勿論、ルーカス達は呆気に取られ、アメーリアの取り巻きの女性達は怒りで顔を赤くしながら怒鳴りつけた。しかしアメーリアは無表情で彼女達を窘め、堂々たる態度で言い聞かせる。
「確かにリスベラントの外で育った方に、それ相当の常識や知識をいきなり求めるのは酷と言うものね。今回の事は多目に見ましょう。今後、気をつけて頂ければ宜しいわ」
「ありがとうございます! それでは改めて宜しく! アメーリアさん!」
そう言いながら満面の笑みで藍里が右手を差し出した瞬間、ルーカス達は顔色を無くし、アメーリアは怒りの形相になって手を振りかざした。
「どこまで分を弁えない田舎者なの!! いい加減にしなさい!」
「……おっと」
「きゃあっ!」
そう叫びながら、アメーリアは足を踏み出しつつ勢い良く藍里の手を打ち払おうとしたが、当然彼女がそれをまともに受ける筈もなく、素早く右手を身体ごと引いて難を逃れる。対するアメーリアは手を払った勢いそのままに、バランスを崩して見事に床に倒れ込んだ。
「うわ……」
「ぷはっ!」
「アメーリア様!」
「なんて事!!」
あまりにも予想外の事態に、ルーカス達は唖然としたり、込み上げる笑いを必死に堪えたりしたが、アメーリア側の怒りは頂点に達した。
「あ、あなたね! どうして避けたりするのよ!?」
「私、喜んで殴られる様な、性癖は持ち合わせていないので」
「何て無礼な!」
「私、避けただけで、誰も殴ったり蹴ったりしてはいませんよ? どなたかが何もない所で急に倒れられた様ですけど、普段からの運動不足が原因ではないですか?」
「田舎者の分際で、どこまで愚弄するつもり!?」
茫然自失状態のアメーリアを挟んで、激昂する女性達としれっとした藍里の不毛な論争が繰り広げられたが、ここで再び顔を見せた執事が、恭しく新たな来訪者について告げてきた。
「失礼致します。ヒルシュ補佐官がいらっしゃいました」
その台詞に、ルーカス達はギョッとした顔付きになり、アメーリア側は忌々しげな顔付きになったが、室内の人間の意向など全く関係無く、書類を手にした界琉が入室してきた。
口調は穏やかながらも、要は「こっちに来たなら、あなたの方から挨拶に来るのが筋でしょう。何を無視しているの」と言っている様な物よねと、藍里は頭の中で解釈した。それに微塵も動じた様子を見せず、ルーカスも優雅に微笑みながら言葉を返す。
「こちらに滞在するのは短時間の上、お忙しい姉上を煩わせるのは誠に申し訳無く、今回はご挨拶抜きで、リスベラントに出向くつもりでした。御前試合の時と同日開催の夜会で否応なく顔を合わせる事になりますので、ご紹介はその時で宜しいかと愚考しまして」
それを聞いたアメーリアは無言で顔をしかめ、藍里は「あんたがそんなに暇だとは知らなかった。ガタガタ言わずに試合の時に出向いてくれば良いだろ」という事かしらと、再び脳内変換した。
するとここで、アメーリアが藍里に鋭い視線を向けたと思った次の瞬間、明らかに作り笑いと分かる笑顔を向けながら、ルーカスを促す。
「ルーカス。予想外に、こんな可愛いお嬢さんの顔を見る事ができたのですもの。紹介位、して貰えるわよね?」
如何にも取って付けた様な物言いに藍里はうんざりしたが、そこまで言われて無視する訳にはいかなかったルーカスは、若干嫌そうに藍里を紹介した。
「姉上。こちらがグレン辺境伯ご令嬢の、アイリ・ヒルシュです。アイリ。こちらは俺の上の姉で、アメーリア・ツー・ディアルドだ」
「『ツー』? そんな呼称の聖騎士位ってあったかしら?」
藍里がそんな素朴な疑問を口にした途端、ルーカス達だけではなく、アメーリアや彼女が引き連れて来た者達まで、顔を強張らせて固まった。その為、セレナが慌てて身体を寄せて藍里に囁く。
「アイリ様。アメーリア様は、聖騎士位を保持してはおりません。攻撃性のある魔術は行使できませんので。『ツー』と言うのは、昔のドイツで使用されていた貴族の称号の一つで、代々のディアルド家の人間が、アルデインでの名前に使用している物です」
「ああ、そうだったのね。皆の名前に『ディル』が入っているから、てっきり名前と家名の間に入っている呼称は、聖騎士位の事だと勘違いしていたわ。だから『ツー』って、聞き覚えが無いなと思っちゃった」
説明を受けた藍里は、納得して頷いた。しかし小声で話していても、静まり返った室内ではその内容ははっきりと聞き取れ、アメーリアは益々顔付きを険しくする。
「あなた! アメーリア様に失礼でしょう! お詫びしなさい!」
そんな中、アメーリアに付き従ってきた女性の一人が、憤怒の形相で藍里を叱り付け、その高飛車な物言いにさすがに彼女が腹を立てたが、藍里が何か言う前にすかさずセレナが前に出て、アメーリア達に向かって深々と頭を下げた。
「誠に申し訳ありません。公爵閣下からアイリ嬢に、リスベラントに関する基礎知識を教授する様に指示は受けておりましたが、きちんとご説明できていなかった様です。私の指導不足故ですので、何卒ご容赦下さい」
しかし真摯に謝罪したセレナを、件の女性達がせせら笑う。
「呆れたわ。第二公妾の分際で、アメーリア様に恥をかかせるなんて!」
「しかも閣下に任せられた仕事さえ、まともにできないとみえるわね! さっさと実家にお帰りになったら!?」
さすがにルーカス達も顔色を変え、何かを言いかけようとしたが、それより前に、この間薄笑いを浮かべて一言も発しなかったアメーリアに向かって、藍里がどこかのんびりとした口調で言い出した。
「本当に申し訳ありません。私は礼儀も知識も身に付いていない、どうしようもない田舎者なので。でも元々のリスベラント人では無いので、ここは一つ多目に見て貰えませんか? 小者の少々の粗相を鷹揚に笑って流すのも、高貴な方の度量の広さを示す事になるかと思いますけど」
「何ですって!?」
「何て厚かましい!」
「止めなさい、カーラ、マギー」
「ですが!!」
図々しい藍里の主張にセレナは勿論、ルーカス達は呆気に取られ、アメーリアの取り巻きの女性達は怒りで顔を赤くしながら怒鳴りつけた。しかしアメーリアは無表情で彼女達を窘め、堂々たる態度で言い聞かせる。
「確かにリスベラントの外で育った方に、それ相当の常識や知識をいきなり求めるのは酷と言うものね。今回の事は多目に見ましょう。今後、気をつけて頂ければ宜しいわ」
「ありがとうございます! それでは改めて宜しく! アメーリアさん!」
そう言いながら満面の笑みで藍里が右手を差し出した瞬間、ルーカス達は顔色を無くし、アメーリアは怒りの形相になって手を振りかざした。
「どこまで分を弁えない田舎者なの!! いい加減にしなさい!」
「……おっと」
「きゃあっ!」
そう叫びながら、アメーリアは足を踏み出しつつ勢い良く藍里の手を打ち払おうとしたが、当然彼女がそれをまともに受ける筈もなく、素早く右手を身体ごと引いて難を逃れる。対するアメーリアは手を払った勢いそのままに、バランスを崩して見事に床に倒れ込んだ。
「うわ……」
「ぷはっ!」
「アメーリア様!」
「なんて事!!」
あまりにも予想外の事態に、ルーカス達は唖然としたり、込み上げる笑いを必死に堪えたりしたが、アメーリア側の怒りは頂点に達した。
「あ、あなたね! どうして避けたりするのよ!?」
「私、喜んで殴られる様な、性癖は持ち合わせていないので」
「何て無礼な!」
「私、避けただけで、誰も殴ったり蹴ったりしてはいませんよ? どなたかが何もない所で急に倒れられた様ですけど、普段からの運動不足が原因ではないですか?」
「田舎者の分際で、どこまで愚弄するつもり!?」
茫然自失状態のアメーリアを挟んで、激昂する女性達としれっとした藍里の不毛な論争が繰り広げられたが、ここで再び顔を見せた執事が、恭しく新たな来訪者について告げてきた。
「失礼致します。ヒルシュ補佐官がいらっしゃいました」
その台詞に、ルーカス達はギョッとした顔付きになり、アメーリア側は忌々しげな顔付きになったが、室内の人間の意向など全く関係無く、書類を手にした界琉が入室してきた。
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