世界が色付くまで

篠原 皐月

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第32話 進行する陰謀 

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「……じゃあそろそろ、お開きにしましょうか」
 軽く一時間は経過し、頃合いを見て声をかけた恭子に、案の定彼女達は不満を口にした。

「えぇ~、もう?」
「もう少し、やりたかったな~」
「ボスからの軍資金を使いきっちゃったのよ。また頼む事になりそうだから、その時は宜しくね?」
 白い封筒を逆さまに振って中が空になっているのを示して見せると、これ以上は搾り取れないと分かった四人組は、あっさりと納得して脱ぎ捨てていた服を手早く身に着けた。

「りょーかい!」
「また声かけてね?」
「いつでも予定空けるから!」
「こんな美味しい話、滅多に無いもんね~」
「それじゃあ、気を付けてね」
 ほくほく顔でその場を後にした彼女達を見送り、恭子は最後の仕上げとばかりに根岸の元に歩み寄った。気を利かせた、と言うよりは、同性としてかなり不憫に思ったらしい明良が、浴室でお湯に浸して絞ったタオルを作り、温かいそれを無言で恭子に手渡す。それを同様に受け取った恭子は、根岸の全身に書かれていた落書きを、大して苦労せずに拭き取った。そして相手に、優しく声をかける。

「専務、お疲れ様でした。じゃあそろそろ服を着ましょうか」
 そして元通りワイシャツとスラックス姿になった根岸の両肩に手を添えながら、恭子は囁いた。

「それでは私が三つ数えて肩を叩いたら、あなたは目を閉じてぐっすりと眠ります。起こされるまで起きません。……それでは数えます。……一、……二、……三」
 その通り目を閉じて寝てしまった根岸を、恭子は器材の片付けを済ませた明良に目配せして手伝って貰い、ベッドに横たえて毛布を掛けた。それからベッドから少し距離を取り、明良に小声で礼を述べる。

「明良さん、お疲れ様でした」
 笑顔で頭を下げてきた恭子に、明良は荷物を詰め終わったスーツケースを閉じながら、心底嫌そうな表情で愚痴を零した。

「……できればこういう仕事は、これっきりにして欲しいですね。俺は普段風景専門で、人物を被写体にする場合は美人限定なんです」
「すみません、いつもお願いしている人がどうしても捕まらなくて。先生に相談したら『明良を行かせるから』と言われまして」
「いつもって、こんな事を何度もやってるんですか……。まあ、良いですけどね。最終的に仕事を受けたのは、俺の判断ですし」
 本格的に頭痛を覚えてきた明良だったが、(やっぱり清人さん絡みの仕事は全力で断ろう)と固く心に誓いつつ、この間気になっていた事を尋ねてみる事にした。

「ところで恭子さん。今話をしても?」
「大丈夫ですよ? 熟睡していますから」
 二人でチラリと根岸の様子を確認してから、一応明良は声を潜めて話し出した。

「どうして女の子達に渡した名刺が『柳井メディカル 秘書室 鳥井正実』なんて名前になってるんです? しかも今回それで通せと言うから、うっかり恭子さんの名前を出さない様に、随分神経をすり減らしましたよ」
 その疑問に、恭子はあっさりと答えた。

「今回のこれで味を占めた彼女達や一緒につるんでる男の子達が、小笠原物産に乗り込んで『ここの専務さんがこんな事してるのをばらされたくなかったらお金を頂戴』なんて、強請ってきたら台無しでしょう? だから念の為、実在の別人の名前を借りたの。保険はかけておかないと」
「ちょっと待って下さい。それじゃあ、その名前を借りた人に迷惑がかかるかもしれないじゃないですか!?」
 流石に顔色を変えた明良だったが、恭子は平然としたものだった。

「本物の鳥井さんは男性で、現在担当専務に同行して今週一杯アメリカ出張中なの。騒ぎになっても誰かが勝手に名前を名乗っただけだって、真っ向否定できるわ。一応明良さんにも偽名を名乗る様に言っておきましたけど、大丈夫ですか?」
「ええ。今まで全く面識が無い子を捕まえましたし、足はつきません」
「それなら良かったわ」
 微笑んで話を終わらせた恭子に溜め息を吐いてから、明良は気を取り直して質問を続けた。

「それから、その……、清香ちゃん経由で聞いたんですが、春から浩一さんと同居していると言うのは本当ですか?」
「ええ、そうですよ? 清香ちゃんが嘘を言う筈ありません」
「それが分かってるので、一応、確認を入れてみただけです」
「はい?」
 意味が分からないと言った風情で首を傾げた恭子に、明良は疲れた表情で言葉を継いだ。

「いえ、気にしないで下さい。それで……、浩一さんには今夜の事は何と説明を……」
 言いにくそうに言葉を濁した明良だったが、恭子は淡々と事実を告げた。

「『ちょっかい出してきている、ウザいエロ親父の自主退職を促すネタにする、恥ずかしい写真をラブホで撮って来るので、夕飯は外で食べて来て下さい』と断ってありますが。それが何か?」
 如何にも不思議そうに問い返された明良は、額を片手で押さえながら呻く。

「そんな風に、真っ正直に言ってるんですか。因みに浩一さんは、それに対して何か言ってました?」
「それが、『それなら帰りが遅くなりそうだから、タクシーを使って帰って来るように』と言われて、タクシーチケットを半ば強引に押し付けられたんですけど……。使って良いと思います?」
「良いんじゃないですか? 全部分かっている上で、くれたんですから……」
 唐突に真顔で相談を持ちかけられ、明良は思わず遠い目をしながら律儀に答えた。そしてブツブツと独り言を漏らす。

「浩一さん……。昔からある意味、清人さん以上に分かり難い人だったけど……」
 そんな明良に、恭子は不審な目を向けた。

「どうかしましたか?」
「いえ、何でも無いです。じゃあ俺はこれで撤収しますので」
「ご苦労様でした」
 言いたい言葉を幾つか飲み込み、長居は無用とばかりにバッグとスーツケースを手にした明良は、そそくさと帰って行った。それを見送ってオートロックのドアにご丁寧にチェーンもかけてから、恭子はベッドへと戻る。そして縁に腰掛けてから、強めに根岸の肩を揺すりながら呼び掛けた。

「専務、専務。起きて下さい」
 するとゆっくりと瞼を開けた根岸が、焦点の定まらない目つきで恭子を眺める。対する恭子は上から覗き込む様にしながら、根気強く声をかけた。

「しっかりして下さい。大丈夫ですか? ぐっすり眠り込まれていて、なかなか目を覚まされないので、もう少ししても駄目だったら救急車を呼ぼうかと思いました」
「そんな大袈裟な……、よっ、と」
 そこで漸く意識がはっきりしたらしい根岸は、苦笑しつつ上半身を起こした。次いで現在時刻を確認しようと、外してある自分の腕時計や掛け時計の類を探して視線を動かす。

「どれ位寝ていた?」
「かれこれ三時間近くになります」
「そんなにか?」
 本気で驚いた根岸に、恭子は真顔で頷いた。

「はい。お仕事でお疲れの所にお酒が効き過ぎたみたいですから、無理に起こさなかったんです。今は意識ははっきりしているみたいですし、そろそろ帰りましょうか」
「帰るのか? まだ時間は大丈夫だが」
 何もしないで帰る事に対して、未練たらたらの様子を隠そうともしない根岸だったが、恭子は真剣に言い聞かせる。

「もし万が一、コトの最中に具合が悪くなったらどうするんですか? 隠そうとしてもどこからか話が漏れて、社内での専務の立場が悪くなりますよ? それに最初から奥様に、不審がられる様な行動は避けたいんです」
「まあ……、それは確かに、君は気にするかもしれんが」
「それに……」
 根岸が不承不承頷いた所で、恭子は根岸の腕を取って両腕で抱え込む様にしながら、ベッドに座ったまま根岸にすり寄って軽くもたれかかった。その体勢で低く囁く。

「私……、専務とは、社長よりも長いお付き合いが出来そうな気がするんです。ですから今日のところは焦らないで、日を改めて仕切り直ししませんか?」
 そう提案した後、同意を求める様に微笑みつつ恭子が根岸に視線を合わせると、社長である昭に対する優越感を植え付けられた根岸は満足そうに頷いた。

「そうだな。コトの真っ最中に何かあったら、私の立場が無いな。気遣ってくれてありがとう」
「あら、一般的な社会人の気配りとしては当然ですわ」
「一般的な社会人、ね……」
 両者ともそこで含みの有り過ぎる笑顔を交わし合い、今夜はこれでお開きにする事を確認したのだった。

 そしてホテルを出て幹線道路まで二人は、流していたタクシーを拾い、恭子が「反対方向ですし、お疲れの様ですから、どうぞお先に」と譲り、根岸が使う事で話が纏まった。

「それでは専務、気をつけてお帰り下さい」
「ああ、今夜はすまなかったな」
 軽く頭を下げた恭子に鷹揚に頷いて見せてから、彼女の顔を半ば強引に上に向けさせ、無言でその唇に自分のそれを重ねた。内心うんざりしたものの、そんな事は微塵も態度には示さず、恭子が大人しくされるがままになっていると、調子に乗った根岸が自身の唇で恭子のそれを押し開き、その間に舌を割り込ませてくる。それでも恭子は余裕でそれを受け、滑らかな動きでそれに合わせた。
 少しして一応気が済んだのか、タクシーを待たせている事に思い至ったのか、根岸はゆっくりと恭子から離れた。その為、恭子は改めて別れの挨拶を口にする。

「それではおやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 そうして満足げにタクシーに乗り込み、後部座席から上機嫌で見上げてきた根岸に恭子が変わらない笑みを向けていると、ゆっくりとタクシーが走り出し、それが見えなくなるまで恭子は軽く手を振りながら見送った。しかし角を曲がって完全に見えなくなった途端、忌々しげな顔付きになる。そして口の中の唾を乱暴に路上に吐き出し、つい先程までの穏やかな微笑からは、想像も出来ない悪態を吐いた。

「はっ! あれで可愛がったつもりかよ……。人の断り無しに、気持ち悪い舌突っ込んでくんじゃねぇぞ、ど下手野郎が。どうせあっちの方も、大した事ないくせに」
 そして不愉快な感触を消そうとする様に唇をこすった恭子は、口紅が手の甲や指に移って薄くなってから漸く気が済んだらしく、手の動きを止めた。そしていつもの《川島恭子》の笑顔になって、満足そうに呟く。

「でも……、これで取り敢えず一人片付いたわね。なかなか良いペースだわ」
 そして根岸の事をあっさりと意識外に追いやってタクシーを捕まえた恭子は、他の排除対象者への裏工作の算段を考えながら、帰途についた。
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