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第28話 君島家の事情
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「さあ、どうぞ。お座り下さい。長旅お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
「失礼します」
「あ、和臣さんと綾乃ちゃんは、お二人の横に座ってね?」
「はい」
「いま、お茶を淹れて貰ってますから」
床の間を背にした長方形の座卓の長辺に篤志と泉、その向かい側に幸恵と祐司、更に短辺に和臣と綾乃が座るという配置を泉から指し示され、幸恵は何の疑問も感じずに座布団に腰を下ろした。
(お義姉さんは、ほんわか癒し系の優しそうな人だけど、長男はなにを考えているか良く分からない、不気味な笑顔よね。まあ、政治家なんて、そんなものだろうけど)
「……いっ!」
何気なくそんな事を考えながら正座した幸恵だったが、予想外の痛みが両脛に生じ、思わず小さな呻き声を上げる。
「幸恵?」
「どうかされましたか?」
斜め前で胡坐になった和臣と、正面の篤志から怪訝な声で問いかけられたが、篤志の口元が僅かに面白がっている様に歪んで見えた事で、負けず嫌いな幸恵の闘争心に火が点いた。そして笑顔を取り繕って平然と言い返す。
「いえ……、なんでもありません」
「そうですか。普段正座し慣れていない方を座敷に通すのは、足を痺れさせるのがオチだから、どうかと思ったのですが」
「……お気遣いなく」
(この野郎……、変な物が入っているって訴えても、使用人の不手際で申し訳ないとか何とか、しらばっくれるつもりだったわよね、絶対。そして交換用の座布団にも、ろくでもない仕掛けをしている筈。これ位で負けたりしないわよっ!!)
こめかみに青筋を浮かべながら正座して微笑んでいる幸恵を、和臣が若干険しい顔で観察していたが、その反対側では彼の兄夫婦が軽く言い合いをしていた。
「まあ、篤志さん失礼よ? それに、まだ大して座ってもいないじゃない」
「いや、都会暮らしだと部屋が狭そうだしな。普通に座る事も少ないんじゃないかと」
「それこそ、親切の押し売りと言うものだわ」
「確かに、気の回し過ぎだったな。すまん、和臣」
「俺は別に……」
(見た目は一見ふかふかの座布団なのに、これの中に何を入れてるの!? ビー玉? パチンコ玉? それにしても上に乗っても転がって移動しないなんて、何つまらない手をかけて固定させてるのよ!? やっぱり大人しくしてないで、文句言ってやろうかしら?)
向かい側のやり取りを聞き流しながら、幸恵がふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じていると、ここで唐突に斜め前から和臣が声をかけてきた。
「幸恵、ちょっとこっちに」
「え? 何?」
笑顔で軽く手招きされた為、幸恵は何事かと座卓に両手を付いて軽く腰を浮かせた。するとすかさず和臣がその手を力一杯引っ張り、必然的に幸恵の身体が彼の方に倒れ込む事になる。
「きゃあっ!! ちょっと!! 何するのよっ!?」
そこで幸恵が抵抗できないでいるうちに、素早く身体の向きを変えさせ、自分の膝の中にすっぽり収まるようにした。そして半ば抱きかかえている様にして、清々しく笑いかける。
「やっぱり幸恵の定位置はここだろう」
「あっ、あのねえぇぇっ!」
幸恵が周囲の目を気にして真っ赤になっているのとは対照的に、篤志の表情は苦虫を噛み潰した様な表情になった。しかしその横で、泉が楽しげな声を上げる。
「まあ、和臣君ったら、幸恵さんの事がよっぽど好きなのね?」
その問いかけに、和臣は平然と笑い返した。
「勿論です。義姉さんは、兄貴にこういう事はして貰ってないんですか?」
「や、やだ! まさか! 恥ずかしいわ!」
「そうだな……。義姉さんが恥ずかしがる前に、兄貴が恥ずかしがるか」
今度は泉が真っ赤になって、ぶんぶんと勢い良く手を振って否定すると、和臣はどこかせせら笑う様な口調で続けた。すると篤志から、恫喝する様な声が漏れる。
「減らず口を叩くな。和臣」
「あれ? それなら兄貴は、しようと思えばそうすると? もしくは二人きりならしてるとか? このむっつりスケベ」
「……黙れと言っている」
(えっと、ひょっとして、座布団の異常を察したわけ?)
横抱き状態で和臣の腕の中に収まりながら、幸恵は半ば呆然としてそんなやり取りを聞いていた。そんな中、使用人がお盆を抱えて入室して来た為、会話が一時中断する。その隙に、和臣が幸恵に小声で囁いてきた。
「悪い、大丈夫か? 座布団の中に何か有ったな?」
「ゴロゴロしたのが幾つも」
それを聞いた和臣が、小さく舌打ちする。
「……全く。後から高木さんにも謝る」
「そうね……」
この間、座布団に座ってから一言も発していなかった祐司は、未だに姿勢を崩さず引き攣った笑顔で座り続けており、それを確認した幸恵は思わず彼に憐憫の視線を送った。そんな中、各人にお茶が配られる。
「お茶をお持ちしました」
「片倉さん、ご苦労様」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「いただきます」
そして不自然に抱っこされたまま、慎重に茶卓から茶碗を取り上げて一口中身を口に含んだ幸恵は、あまりの衝撃に固まった。
(うっ……、な、何、この味!? この苦さと甘さと渋さと酸っぱさが混然一体となった、どうにも形容しがたい天地がひっくり返っても飲食物とは認めたくない代物は!? 見た目はどう見ても普通のお茶なのに、逆に凄いわ)
しかしそんな幸恵に、泉は和やかに声をかけてくる。
「滅多にいらっしゃらないお客様だから、片倉さんに一番良い茶葉を使って下さいとお願いしたの。お口に合いますか?」
「泉……、都会の独り暮らしだと、普段まともに茶を淹れて飲んだりしないのじゃないか? 珈琲とか紅茶の方が良かったかもしれんぞ?」
夫に突然そんな事を言われ、泉は明らかに狼狽し、謝罪の言葉を口にした。
「え? そんなものかしら? ……あの、ごめんなさい。気が利かなくて。お好みでないなら別の物を」
「いえ、普段良くお茶を飲んでますから」
「実家で暮らしていた時から、珈琲や紅茶より、お茶派でしたから」
「そうですか? それなら良かったです。遠慮なくお代わりして下さいね?」
慌てて幸恵と祐司が断りを入れると、にこやかに微笑んでいる泉の隣で、篤志がニヤリとほくそ笑んだ。それを見た幸恵は、力一杯湯飲みを握り締めて何とか怒りを堪える。
(こんの狸野郎……。完全に理解できたわ。この人の良さそうな奥さんに言ったら反対されるからって、この人には内緒で使用人を使って嫌がらせってわけね!? どこまで性根が腐ってるのよ! 洗いざらいばらして、夫婦争議のネタを提供してやろうかしら!? それともいっその事、『こんな不味いのを飲んだら、てめえみたいな根性曲がりになるに決まってんだろ!』って言いながら、顔面にぶちまけてやろうかしら?)
幸恵がそんな危険な内容を考えていると、いきなり和臣が部屋の隅の方を指差し、大声で叫んだ。
「あ!! あんな所に座敷童が居る!?」
「え?」
「座敷童?」
「どこに?」
反射的に篤志が身体を捻って言われた方向に顔を向け、祐司も怪訝な顔をしながらも、素直にそちらに視線を向ける。しかし綾乃と泉は、途端にテンションを上げた。
「きゃあ! どこどこっ!? 座敷童が居る家って、裕福になるんだよね!?」
「そうそう! 見た人には幸福が舞い込むって言われているわよね!」
(この義姉妹、同じ系統の人間だわ……。話が合いそう。え? 和臣?)
うんざりとしながら浮かれている義理の姉妹を眺めた幸恵だったが、室内の殆どの者がそちらに視線を向けた隙に、和臣が素早く自分の湯飲み茶碗と幸恵のそれを、有無を言わさず交換した。そしてすぐに向き直った綾乃が、和臣に問いかける。
「ねえねえ、ちい兄ちゃん。どこに見えたの? 全然分からないんだけど?」
「う~ん、一瞬座敷童かと思ったんだけど、光線の加減と壁の色の濃淡の見間違いだったみたいだ」
「うもぅ、ちい兄ちゃんったら!! いつもつまらない事で騒ぎを起こすんだから!」
しらばっくれた和臣に、綾乃は本気で腹を立てたが、ここで泉がクスクスと笑い出した。
「でも和臣君は、騒ぎを起こしたその中心で、一人だけ平然としているのが常だったわ。昔から、本当に変わってないわね」
そう言われた和臣は「参ったな」と苦笑いし、篤志が益々顔を顰めたところで、幸恵は控え目に尋ねてみた。
「えっと、お義姉さんは、和臣とは昔からの知り合いなんですか?」
その問いに、泉が笑って答える。
「和臣君と知り合いと言うか、主人とは小中学校の同級生でね。私達が小さかった頃は学童クラブとかの制度があまり充実していなかったから、一時期放課後にこの家で預かって貰っていた時期があったの。私母子家庭で、母が働いていたから。その時に小さかった和臣君と、一緒に遊んだりもしていたし」
「そうなんですか……」
「泉。余計な事をペラペラ喋るな」
「……ごめんなさい」
急に鋭い叱責の声が入り、泉が小さくなりながら謝った。それを見て(彼女に悪い事をしたわ)と思いつつ、幸恵は意外な思いに駆られる。
(へえ? 代議士の家だから、てっきり政略結婚だと思ってたんだけど、小学校時代の同級生とはね。案外、この兄貴の初恋の相手だったりして。想像すると笑えるわ)
それからは滞在中の予定を確認し、市内観光や病院に見舞いに行く時の送迎の段取りなどを話し合いながらひとしきり世間話をしたが、幸恵は頭の中で勝手に目の前の二人に付いての妄想を膨らませて怒りをやり過ごし、和臣も得体の知れない物を無言で飲みながら、自分の兄の容赦の無さに心底頭を痛めていた。
そうして「夕食までは客間でのんびりなさっていて下さい」と泉から話があり、一行は篤志夫妻の前を辞して客間へと案内された。
「それでは、こちらのお部屋は高木様がお使い下さい。お隣が荒川様のお部屋になります。お荷物は運んでおきましたので。和臣さんと綾乃さんのお荷物は、それぞれのお部屋に運んであります」
「ありがとうございます」
「どうぞごゆっくり」
どこか強張った笑顔で案内役の初老の女性が立ち去ると、案内された祐司用の部屋で、綾乃が大きく伸びをしながら、朗らかに述べた。
「はぁ、つっかれた~。でも着いて早々、お兄ちゃんが祐司さんと幸恵さんに嫌味をぶつけたり、嫌がらせなんかしなくて助かったわ。機嫌良かったのかな? 後からお義姉さんにお礼を言っておかないと」
「…………」
そんな能天気な感想を述べた綾乃の横で、祐司が緊張の糸が切れた様に口元を押さえて畳の上に崩れ落ち、無言のまま蹲った。
「高木さん、大丈夫か!? しっかりしろ。足の状態は!?」
「大丈夫よ! 毒を飲まされた訳じゃ無いんだから。気を確かに!」
「え? ええ? 皆、どうしたの?」
一気に緊迫感を増した室内で、綾乃が一人でおろおろしながら仔細を尋ねてきたが、その反応に他の三人から揃って溜め息が漏れる。
「まだ大丈夫。予想より先制攻撃が早くて、ジャブが効いたけど」
「……やっぱり、気が付いて無かったんだな」
「そうじゃないかとは思ってたけどね」
「あの、え? だから何?」
取り敢えず幸恵が持参したミネラルウォーターと消化剤を祐司に飲んで貰い、これからの対応策について四人で話し合う事になった。そこで話している間に、幸恵が立ち上がって断りを入れる。
「ちょっとお手洗いに行ってくるわ。来る途中に有ったわよね?」
それを聞いた和臣が、若干心配そうな顔つきになった。
「大丈夫か? ここの離れの造りは、ちょっと分かりにくくなってるから、付いて行くか?」
「ここに案内されて来る途中で、説明を受けて来たから大丈夫よ。小さい子供じゃないんだから」
そう断って、幸恵は一人で客間を出て廊下を歩き始めた。確かに初めての屋敷であり、渡り廊下を何回か曲がってきたが、迷う程ではないと高を括っていた幸恵だったが、その十分後にはその判断を激しく後悔する羽目になった。
「嘘でしょう……。ちゃんと来れたのに、どうして帰りで迷うのよ。恥ずかしいけど、誰か使用人の人に客間の位置を教えて貰わないと」
周囲を見回しつつ、(これがあの陰険兄貴に知られたら、格好の笑いのネタになるんでしょうね)と些かやさぐれた心境で歩いていると、前方から聞き覚えのある声が伝わってきた。
「今のは、泉さんの声?」
(ラッキー! 泉さんなら笑いものにしたりしないで、戻り方を教えてくれるわ)
ちょっと嬉しくなりながら歩いて行った幸恵だったが、曲がり角の向こうには険悪な空気が満ちていた。
「……全く! こんな初歩的な事も、満足に処理できないとは。奥様は地縁血縁も皆無でこの家にお入りになった当初から、大奥様も文句の付け所も無い位に、完璧に家宰をこなしていらっしゃったのに」
「誠に至らない事で、申し訳ございません」
「奥様の一大事であるからこそ、皆がお力になりたいと思うのは当然。それを束ねるのが奥様不在のこの家を預かる、嫁のあなたの仕事だと思うのですがね? そうではないのかな!?」
「津川さんの仰る通りです」
(何なの? あの横柄オヤジ?)
どうやら六十代と思われる禿げ上がった男に、泉がひたすら頭を下げている場面に出くわしてしまい、幸恵はそれを廊下の陰から見ながら(見ない方が良かったかも)と少し後悔した。しかしこの場を立ち去る決心を付けかねていると、泉が強い口調で言い出す。
「大体、奥様も奥様だ。こんな物知らずな嫁を甘やかすから、いつまで経ってもまともに仕事ができないんだ。せめて先生の地盤を篤志さんが引き継ぐまでに、何とか使い物になるように」
「津川さん! 訂正してください!」
「何をだ」
(お、言われっぱなしじゃないのね? そんな陰険オヤジ、ガツンと言ってやりなさいよ!)
期待しながら次の泉の言葉を待った幸恵だったが、泉の主張は幸恵の予想の範囲外だった。
「お義母さんは折に触れ、きちんと私に色々な事を教えて下さってます。ですが、私がそれを完璧にこなせないだけですので、決してお義母さんが手抜きをしたり、甘やかしているわけではありません!」
(え? 勢い込んで反論する所って、そこなの?)
思わず脱力した幸恵だったが、相手も一瞬ポカンとしてから、今まで以上に強い口調で怒鳴り始めた。
「それなら尚更だろうが!! あんたが嫁に来たせいで、君島家は潰れるぞ! ろくに家の事は出来ないわ外回りも一人で任せられないわ、第一、この家に嫁に来て七年になるって言うのに、娘一人産んだだけで、跡取りを産めもしない女が、何を生意気な事をほざいて」
「それこそ息子だろうが娘だろうが、どう逆立ちしても産めない男性に言われたくはないですね」
「何だと? ……奥様!?」
流石に腹を立てた幸恵が廊下の陰から足を踏み出し、落ち着き払った動作で二人の元に歩み寄ると、清川と呼ばれていた男はそちらに顔を向けて目を丸くし、泉は慌てて幸恵に向かって頭を下げた。
「幸恵さん!? すみません、お見苦しい所をお見せして」
「こちらこそお話し中の所すみません、泉さん。このお屋敷が立派なので、迷ってしまったみたいで。客間への戻り方を教えて頂きたいんですけど」
わざとらしくにっこり微笑んだ幸恵からの申し出に、泉は即座に頷き、二人に互いを簡単に紹介した。
「分かりました、すぐにお連れしますね。……清川さん、こちらはお義母さんの姪に当たります、荒川幸恵さんです。今日、お義母さんのお見舞いにわざわざ東京からいらして下さったんです。幸恵さん、こちらはお義父さんの後援会の幹事をされている、清川哲郎さんです」
それを聞いた清川は、満面の笑みで幸恵の手を取り、愛想良く挨拶してきた。
「おお、お噂はかねがねお伺いしておりました。いや~、実に若い頃の奥様に良く似ていらっしゃる。ようこそ、広島へ」
「ありがとうございます」
「今日お着きになったのなら、お疲れでしょう。早く客間に案内して差し上げなさい」
まるで自分がこの家の主の様に泉に命じている清川に、幸恵は密かに腹を立てたが、泉は大人しく頭を下げた。
「はい、それでは失礼致します」
「ごゆっくり」
「……どうも」
最後まで愛想良く見送ってくれた清川の姿が見えなくなってから、幸恵は我慢できなくなって泉に尋ねた。
「全く、なんなのよ、あの男!」
「本当に、お騒がせしてすみません、幸恵さん」
「いえ、家の中で迷った挙句、勝手に首を突っ込んだ私が悪いので。でもあの人、どうしてあんなに怒っていたんですか?」
再び頭を下げた泉に、幸恵は話題を変えようと感じた疑問をぶつけてみたが、返ってきた答えに本気で首を捻った。
「それが……、お義母さんのお見舞いの順番を調整している時に、連絡ミスであの方を弾いてしまいまして……」
「はい? 何ですかそれは?」
怪訝な顔になった幸恵に、泉は溜め息を吐いてから詳細について語った。
「今までお義母さんは、綾乃ちゃんの出産の時以外は体調を崩された事が無くて、寝込んだ事すら無かったんです。そんな方が入院されたので、後援会の方を初めとして、各方面からお見舞いに伺いたいと連絡が殺到しまして。でも幾ら個室といえども、一度に大挙して押し掛けたら病院にも周りの病室の方々にも迷惑だとお義母さんが仰って、なるべくお見舞いは丁重にお断りしていたのですが……」
そこで泉は口ごもったが、もう話の筋が読めてしまった幸恵が、後を引き取った。
「どうしても断れない筋の人にはお願いして、時間を調整して貰っていたけど、それが何かの手違いで漏れてしまったという事ですか」
「はい、お恥ずかしながら」
そう言って項垂れた泉と並んで歩きながら、幸恵は心底呆れた。
(何なの? たかが見舞いの順番を外された位で、あの暴言三昧。あんなのに後援して貰わなきゃ選挙に勝てない代議士なんて、どうかと思うわ!?)
八つ当たり気味にそんな事を考えているうちに、廊下の向こうから和臣が近付いて来るのが目に入り、二人は足を止めた。
「ああ、和臣君が迎えに来てくれたわね。じゃあ、ここで良いでしょうか?」
「はい、どうもありがとうございました。お手数おかけしました」
そして幸恵に人の良さそうな笑みを見せてから、泉は会釈して廊下を戻って行った。そして入れ替わりに和臣が幸恵の元にやって来る。
「随分遅いから心配した。やっぱり迷子になってたな?」
苦笑しながら幸恵の手を取って歩き出そうとした和臣だったが、幸恵は立ち止ったまま、無言で彼を見上げた。その視線に気が付いて、和臣が不思議そうに彼女を見下ろす。
「何? どうかした?」
「あんたの性格が歪んだ理由が、何となく分かったわ。そして妹があんな風に天真爛漫に育ったのが、奇跡的だって事もね」
「は?」
「政治家の家って、色々面倒そうねって話よ。行きましょう」
「……ああ」
当惑した顔になった和臣だったが、幸恵はそれ以上余計な事は言わず、逆に和臣の手を引いて客間へと戻って行った。そして和臣は泉が消えた廊下の向こうを、一瞬訝しげに眺めてから、大人しく幸恵と一緒に歩いて行った。
「ありがとうございます」
「失礼します」
「あ、和臣さんと綾乃ちゃんは、お二人の横に座ってね?」
「はい」
「いま、お茶を淹れて貰ってますから」
床の間を背にした長方形の座卓の長辺に篤志と泉、その向かい側に幸恵と祐司、更に短辺に和臣と綾乃が座るという配置を泉から指し示され、幸恵は何の疑問も感じずに座布団に腰を下ろした。
(お義姉さんは、ほんわか癒し系の優しそうな人だけど、長男はなにを考えているか良く分からない、不気味な笑顔よね。まあ、政治家なんて、そんなものだろうけど)
「……いっ!」
何気なくそんな事を考えながら正座した幸恵だったが、予想外の痛みが両脛に生じ、思わず小さな呻き声を上げる。
「幸恵?」
「どうかされましたか?」
斜め前で胡坐になった和臣と、正面の篤志から怪訝な声で問いかけられたが、篤志の口元が僅かに面白がっている様に歪んで見えた事で、負けず嫌いな幸恵の闘争心に火が点いた。そして笑顔を取り繕って平然と言い返す。
「いえ……、なんでもありません」
「そうですか。普段正座し慣れていない方を座敷に通すのは、足を痺れさせるのがオチだから、どうかと思ったのですが」
「……お気遣いなく」
(この野郎……、変な物が入っているって訴えても、使用人の不手際で申し訳ないとか何とか、しらばっくれるつもりだったわよね、絶対。そして交換用の座布団にも、ろくでもない仕掛けをしている筈。これ位で負けたりしないわよっ!!)
こめかみに青筋を浮かべながら正座して微笑んでいる幸恵を、和臣が若干険しい顔で観察していたが、その反対側では彼の兄夫婦が軽く言い合いをしていた。
「まあ、篤志さん失礼よ? それに、まだ大して座ってもいないじゃない」
「いや、都会暮らしだと部屋が狭そうだしな。普通に座る事も少ないんじゃないかと」
「それこそ、親切の押し売りと言うものだわ」
「確かに、気の回し過ぎだったな。すまん、和臣」
「俺は別に……」
(見た目は一見ふかふかの座布団なのに、これの中に何を入れてるの!? ビー玉? パチンコ玉? それにしても上に乗っても転がって移動しないなんて、何つまらない手をかけて固定させてるのよ!? やっぱり大人しくしてないで、文句言ってやろうかしら?)
向かい側のやり取りを聞き流しながら、幸恵がふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じていると、ここで唐突に斜め前から和臣が声をかけてきた。
「幸恵、ちょっとこっちに」
「え? 何?」
笑顔で軽く手招きされた為、幸恵は何事かと座卓に両手を付いて軽く腰を浮かせた。するとすかさず和臣がその手を力一杯引っ張り、必然的に幸恵の身体が彼の方に倒れ込む事になる。
「きゃあっ!! ちょっと!! 何するのよっ!?」
そこで幸恵が抵抗できないでいるうちに、素早く身体の向きを変えさせ、自分の膝の中にすっぽり収まるようにした。そして半ば抱きかかえている様にして、清々しく笑いかける。
「やっぱり幸恵の定位置はここだろう」
「あっ、あのねえぇぇっ!」
幸恵が周囲の目を気にして真っ赤になっているのとは対照的に、篤志の表情は苦虫を噛み潰した様な表情になった。しかしその横で、泉が楽しげな声を上げる。
「まあ、和臣君ったら、幸恵さんの事がよっぽど好きなのね?」
その問いかけに、和臣は平然と笑い返した。
「勿論です。義姉さんは、兄貴にこういう事はして貰ってないんですか?」
「や、やだ! まさか! 恥ずかしいわ!」
「そうだな……。義姉さんが恥ずかしがる前に、兄貴が恥ずかしがるか」
今度は泉が真っ赤になって、ぶんぶんと勢い良く手を振って否定すると、和臣はどこかせせら笑う様な口調で続けた。すると篤志から、恫喝する様な声が漏れる。
「減らず口を叩くな。和臣」
「あれ? それなら兄貴は、しようと思えばそうすると? もしくは二人きりならしてるとか? このむっつりスケベ」
「……黙れと言っている」
(えっと、ひょっとして、座布団の異常を察したわけ?)
横抱き状態で和臣の腕の中に収まりながら、幸恵は半ば呆然としてそんなやり取りを聞いていた。そんな中、使用人がお盆を抱えて入室して来た為、会話が一時中断する。その隙に、和臣が幸恵に小声で囁いてきた。
「悪い、大丈夫か? 座布団の中に何か有ったな?」
「ゴロゴロしたのが幾つも」
それを聞いた和臣が、小さく舌打ちする。
「……全く。後から高木さんにも謝る」
「そうね……」
この間、座布団に座ってから一言も発していなかった祐司は、未だに姿勢を崩さず引き攣った笑顔で座り続けており、それを確認した幸恵は思わず彼に憐憫の視線を送った。そんな中、各人にお茶が配られる。
「お茶をお持ちしました」
「片倉さん、ご苦労様」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「いただきます」
そして不自然に抱っこされたまま、慎重に茶卓から茶碗を取り上げて一口中身を口に含んだ幸恵は、あまりの衝撃に固まった。
(うっ……、な、何、この味!? この苦さと甘さと渋さと酸っぱさが混然一体となった、どうにも形容しがたい天地がひっくり返っても飲食物とは認めたくない代物は!? 見た目はどう見ても普通のお茶なのに、逆に凄いわ)
しかしそんな幸恵に、泉は和やかに声をかけてくる。
「滅多にいらっしゃらないお客様だから、片倉さんに一番良い茶葉を使って下さいとお願いしたの。お口に合いますか?」
「泉……、都会の独り暮らしだと、普段まともに茶を淹れて飲んだりしないのじゃないか? 珈琲とか紅茶の方が良かったかもしれんぞ?」
夫に突然そんな事を言われ、泉は明らかに狼狽し、謝罪の言葉を口にした。
「え? そんなものかしら? ……あの、ごめんなさい。気が利かなくて。お好みでないなら別の物を」
「いえ、普段良くお茶を飲んでますから」
「実家で暮らしていた時から、珈琲や紅茶より、お茶派でしたから」
「そうですか? それなら良かったです。遠慮なくお代わりして下さいね?」
慌てて幸恵と祐司が断りを入れると、にこやかに微笑んでいる泉の隣で、篤志がニヤリとほくそ笑んだ。それを見た幸恵は、力一杯湯飲みを握り締めて何とか怒りを堪える。
(こんの狸野郎……。完全に理解できたわ。この人の良さそうな奥さんに言ったら反対されるからって、この人には内緒で使用人を使って嫌がらせってわけね!? どこまで性根が腐ってるのよ! 洗いざらいばらして、夫婦争議のネタを提供してやろうかしら!? それともいっその事、『こんな不味いのを飲んだら、てめえみたいな根性曲がりになるに決まってんだろ!』って言いながら、顔面にぶちまけてやろうかしら?)
幸恵がそんな危険な内容を考えていると、いきなり和臣が部屋の隅の方を指差し、大声で叫んだ。
「あ!! あんな所に座敷童が居る!?」
「え?」
「座敷童?」
「どこに?」
反射的に篤志が身体を捻って言われた方向に顔を向け、祐司も怪訝な顔をしながらも、素直にそちらに視線を向ける。しかし綾乃と泉は、途端にテンションを上げた。
「きゃあ! どこどこっ!? 座敷童が居る家って、裕福になるんだよね!?」
「そうそう! 見た人には幸福が舞い込むって言われているわよね!」
(この義姉妹、同じ系統の人間だわ……。話が合いそう。え? 和臣?)
うんざりとしながら浮かれている義理の姉妹を眺めた幸恵だったが、室内の殆どの者がそちらに視線を向けた隙に、和臣が素早く自分の湯飲み茶碗と幸恵のそれを、有無を言わさず交換した。そしてすぐに向き直った綾乃が、和臣に問いかける。
「ねえねえ、ちい兄ちゃん。どこに見えたの? 全然分からないんだけど?」
「う~ん、一瞬座敷童かと思ったんだけど、光線の加減と壁の色の濃淡の見間違いだったみたいだ」
「うもぅ、ちい兄ちゃんったら!! いつもつまらない事で騒ぎを起こすんだから!」
しらばっくれた和臣に、綾乃は本気で腹を立てたが、ここで泉がクスクスと笑い出した。
「でも和臣君は、騒ぎを起こしたその中心で、一人だけ平然としているのが常だったわ。昔から、本当に変わってないわね」
そう言われた和臣は「参ったな」と苦笑いし、篤志が益々顔を顰めたところで、幸恵は控え目に尋ねてみた。
「えっと、お義姉さんは、和臣とは昔からの知り合いなんですか?」
その問いに、泉が笑って答える。
「和臣君と知り合いと言うか、主人とは小中学校の同級生でね。私達が小さかった頃は学童クラブとかの制度があまり充実していなかったから、一時期放課後にこの家で預かって貰っていた時期があったの。私母子家庭で、母が働いていたから。その時に小さかった和臣君と、一緒に遊んだりもしていたし」
「そうなんですか……」
「泉。余計な事をペラペラ喋るな」
「……ごめんなさい」
急に鋭い叱責の声が入り、泉が小さくなりながら謝った。それを見て(彼女に悪い事をしたわ)と思いつつ、幸恵は意外な思いに駆られる。
(へえ? 代議士の家だから、てっきり政略結婚だと思ってたんだけど、小学校時代の同級生とはね。案外、この兄貴の初恋の相手だったりして。想像すると笑えるわ)
それからは滞在中の予定を確認し、市内観光や病院に見舞いに行く時の送迎の段取りなどを話し合いながらひとしきり世間話をしたが、幸恵は頭の中で勝手に目の前の二人に付いての妄想を膨らませて怒りをやり過ごし、和臣も得体の知れない物を無言で飲みながら、自分の兄の容赦の無さに心底頭を痛めていた。
そうして「夕食までは客間でのんびりなさっていて下さい」と泉から話があり、一行は篤志夫妻の前を辞して客間へと案内された。
「それでは、こちらのお部屋は高木様がお使い下さい。お隣が荒川様のお部屋になります。お荷物は運んでおきましたので。和臣さんと綾乃さんのお荷物は、それぞれのお部屋に運んであります」
「ありがとうございます」
「どうぞごゆっくり」
どこか強張った笑顔で案内役の初老の女性が立ち去ると、案内された祐司用の部屋で、綾乃が大きく伸びをしながら、朗らかに述べた。
「はぁ、つっかれた~。でも着いて早々、お兄ちゃんが祐司さんと幸恵さんに嫌味をぶつけたり、嫌がらせなんかしなくて助かったわ。機嫌良かったのかな? 後からお義姉さんにお礼を言っておかないと」
「…………」
そんな能天気な感想を述べた綾乃の横で、祐司が緊張の糸が切れた様に口元を押さえて畳の上に崩れ落ち、無言のまま蹲った。
「高木さん、大丈夫か!? しっかりしろ。足の状態は!?」
「大丈夫よ! 毒を飲まされた訳じゃ無いんだから。気を確かに!」
「え? ええ? 皆、どうしたの?」
一気に緊迫感を増した室内で、綾乃が一人でおろおろしながら仔細を尋ねてきたが、その反応に他の三人から揃って溜め息が漏れる。
「まだ大丈夫。予想より先制攻撃が早くて、ジャブが効いたけど」
「……やっぱり、気が付いて無かったんだな」
「そうじゃないかとは思ってたけどね」
「あの、え? だから何?」
取り敢えず幸恵が持参したミネラルウォーターと消化剤を祐司に飲んで貰い、これからの対応策について四人で話し合う事になった。そこで話している間に、幸恵が立ち上がって断りを入れる。
「ちょっとお手洗いに行ってくるわ。来る途中に有ったわよね?」
それを聞いた和臣が、若干心配そうな顔つきになった。
「大丈夫か? ここの離れの造りは、ちょっと分かりにくくなってるから、付いて行くか?」
「ここに案内されて来る途中で、説明を受けて来たから大丈夫よ。小さい子供じゃないんだから」
そう断って、幸恵は一人で客間を出て廊下を歩き始めた。確かに初めての屋敷であり、渡り廊下を何回か曲がってきたが、迷う程ではないと高を括っていた幸恵だったが、その十分後にはその判断を激しく後悔する羽目になった。
「嘘でしょう……。ちゃんと来れたのに、どうして帰りで迷うのよ。恥ずかしいけど、誰か使用人の人に客間の位置を教えて貰わないと」
周囲を見回しつつ、(これがあの陰険兄貴に知られたら、格好の笑いのネタになるんでしょうね)と些かやさぐれた心境で歩いていると、前方から聞き覚えのある声が伝わってきた。
「今のは、泉さんの声?」
(ラッキー! 泉さんなら笑いものにしたりしないで、戻り方を教えてくれるわ)
ちょっと嬉しくなりながら歩いて行った幸恵だったが、曲がり角の向こうには険悪な空気が満ちていた。
「……全く! こんな初歩的な事も、満足に処理できないとは。奥様は地縁血縁も皆無でこの家にお入りになった当初から、大奥様も文句の付け所も無い位に、完璧に家宰をこなしていらっしゃったのに」
「誠に至らない事で、申し訳ございません」
「奥様の一大事であるからこそ、皆がお力になりたいと思うのは当然。それを束ねるのが奥様不在のこの家を預かる、嫁のあなたの仕事だと思うのですがね? そうではないのかな!?」
「津川さんの仰る通りです」
(何なの? あの横柄オヤジ?)
どうやら六十代と思われる禿げ上がった男に、泉がひたすら頭を下げている場面に出くわしてしまい、幸恵はそれを廊下の陰から見ながら(見ない方が良かったかも)と少し後悔した。しかしこの場を立ち去る決心を付けかねていると、泉が強い口調で言い出す。
「大体、奥様も奥様だ。こんな物知らずな嫁を甘やかすから、いつまで経ってもまともに仕事ができないんだ。せめて先生の地盤を篤志さんが引き継ぐまでに、何とか使い物になるように」
「津川さん! 訂正してください!」
「何をだ」
(お、言われっぱなしじゃないのね? そんな陰険オヤジ、ガツンと言ってやりなさいよ!)
期待しながら次の泉の言葉を待った幸恵だったが、泉の主張は幸恵の予想の範囲外だった。
「お義母さんは折に触れ、きちんと私に色々な事を教えて下さってます。ですが、私がそれを完璧にこなせないだけですので、決してお義母さんが手抜きをしたり、甘やかしているわけではありません!」
(え? 勢い込んで反論する所って、そこなの?)
思わず脱力した幸恵だったが、相手も一瞬ポカンとしてから、今まで以上に強い口調で怒鳴り始めた。
「それなら尚更だろうが!! あんたが嫁に来たせいで、君島家は潰れるぞ! ろくに家の事は出来ないわ外回りも一人で任せられないわ、第一、この家に嫁に来て七年になるって言うのに、娘一人産んだだけで、跡取りを産めもしない女が、何を生意気な事をほざいて」
「それこそ息子だろうが娘だろうが、どう逆立ちしても産めない男性に言われたくはないですね」
「何だと? ……奥様!?」
流石に腹を立てた幸恵が廊下の陰から足を踏み出し、落ち着き払った動作で二人の元に歩み寄ると、清川と呼ばれていた男はそちらに顔を向けて目を丸くし、泉は慌てて幸恵に向かって頭を下げた。
「幸恵さん!? すみません、お見苦しい所をお見せして」
「こちらこそお話し中の所すみません、泉さん。このお屋敷が立派なので、迷ってしまったみたいで。客間への戻り方を教えて頂きたいんですけど」
わざとらしくにっこり微笑んだ幸恵からの申し出に、泉は即座に頷き、二人に互いを簡単に紹介した。
「分かりました、すぐにお連れしますね。……清川さん、こちらはお義母さんの姪に当たります、荒川幸恵さんです。今日、お義母さんのお見舞いにわざわざ東京からいらして下さったんです。幸恵さん、こちらはお義父さんの後援会の幹事をされている、清川哲郎さんです」
それを聞いた清川は、満面の笑みで幸恵の手を取り、愛想良く挨拶してきた。
「おお、お噂はかねがねお伺いしておりました。いや~、実に若い頃の奥様に良く似ていらっしゃる。ようこそ、広島へ」
「ありがとうございます」
「今日お着きになったのなら、お疲れでしょう。早く客間に案内して差し上げなさい」
まるで自分がこの家の主の様に泉に命じている清川に、幸恵は密かに腹を立てたが、泉は大人しく頭を下げた。
「はい、それでは失礼致します」
「ごゆっくり」
「……どうも」
最後まで愛想良く見送ってくれた清川の姿が見えなくなってから、幸恵は我慢できなくなって泉に尋ねた。
「全く、なんなのよ、あの男!」
「本当に、お騒がせしてすみません、幸恵さん」
「いえ、家の中で迷った挙句、勝手に首を突っ込んだ私が悪いので。でもあの人、どうしてあんなに怒っていたんですか?」
再び頭を下げた泉に、幸恵は話題を変えようと感じた疑問をぶつけてみたが、返ってきた答えに本気で首を捻った。
「それが……、お義母さんのお見舞いの順番を調整している時に、連絡ミスであの方を弾いてしまいまして……」
「はい? 何ですかそれは?」
怪訝な顔になった幸恵に、泉は溜め息を吐いてから詳細について語った。
「今までお義母さんは、綾乃ちゃんの出産の時以外は体調を崩された事が無くて、寝込んだ事すら無かったんです。そんな方が入院されたので、後援会の方を初めとして、各方面からお見舞いに伺いたいと連絡が殺到しまして。でも幾ら個室といえども、一度に大挙して押し掛けたら病院にも周りの病室の方々にも迷惑だとお義母さんが仰って、なるべくお見舞いは丁重にお断りしていたのですが……」
そこで泉は口ごもったが、もう話の筋が読めてしまった幸恵が、後を引き取った。
「どうしても断れない筋の人にはお願いして、時間を調整して貰っていたけど、それが何かの手違いで漏れてしまったという事ですか」
「はい、お恥ずかしながら」
そう言って項垂れた泉と並んで歩きながら、幸恵は心底呆れた。
(何なの? たかが見舞いの順番を外された位で、あの暴言三昧。あんなのに後援して貰わなきゃ選挙に勝てない代議士なんて、どうかと思うわ!?)
八つ当たり気味にそんな事を考えているうちに、廊下の向こうから和臣が近付いて来るのが目に入り、二人は足を止めた。
「ああ、和臣君が迎えに来てくれたわね。じゃあ、ここで良いでしょうか?」
「はい、どうもありがとうございました。お手数おかけしました」
そして幸恵に人の良さそうな笑みを見せてから、泉は会釈して廊下を戻って行った。そして入れ替わりに和臣が幸恵の元にやって来る。
「随分遅いから心配した。やっぱり迷子になってたな?」
苦笑しながら幸恵の手を取って歩き出そうとした和臣だったが、幸恵は立ち止ったまま、無言で彼を見上げた。その視線に気が付いて、和臣が不思議そうに彼女を見下ろす。
「何? どうかした?」
「あんたの性格が歪んだ理由が、何となく分かったわ。そして妹があんな風に天真爛漫に育ったのが、奇跡的だって事もね」
「は?」
「政治家の家って、色々面倒そうねって話よ。行きましょう」
「……ああ」
当惑した顔になった和臣だったが、幸恵はそれ以上余計な事は言わず、逆に和臣の手を引いて客間へと戻って行った。そして和臣は泉が消えた廊下の向こうを、一瞬訝しげに眺めてから、大人しく幸恵と一緒に歩いて行った。
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