がんばれ推し活

篠原 皐月

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小さくて大きな推し活

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 日曜の午後。勤務している本屋でレジに入っていた由梨は、その時、目の前の平置きスペースの向こう側で何やら言い合っている親子に気がついた。

(うん? あの親子、何を揉めているのかしら?)
 会計をしながらであり、少し離れた所にいる親子の会話は正確には聞き取れなかったものの、保護者らしき女性が何やらきつい口調で言っているのが感じ取れた由梨は、その二人が気になった。すると就学前に見える子供が、レジの前にある新刊や話題になっている作品を平積みしているスペースに、些か乱暴な動作で手にしていた絵本を置き、店の奥に走り去る。対する母親らしき女性は、そこに置き去りになった本が気になったらしいものの、慌てて子供の後を追った。

(え? ちょっと!? 持ってきた本を買わないの!? それなら自分で戻しなさいよ! 躾がなってないわね!!)
 レジの前まで来て、やっぱり他の本が良いとだだを捏ねた挙句、持ってきた本を放置したと思った由梨は腹を立てた。その時、会計の列が途切れ、由梨はもう片方のレジに入っている同僚に声をかけ、カウンターから出て平置きスペースから絵本を回収する。

(後で他の作業のついでに、本棚に戻しに行こう)
 うんざりしながら由梨はカウンター内の保管スペースに問題の絵本を置き、会計業務に戻った。すると先程の親子らしき二人が戻ってくる。
 今度はまっすぐレジの列に並ぶだろうと思いきや、再び平置きスペースで足を止めた二人は、再び揉め始めた。

(ちょっと、今度は何?)
 何故か子供の方は満面の笑みであり、女性の方は怒りを通り越して呆れ顔の様子である。その対照的な様子に由梨が当惑していると、子供は手にしていた絵本を平置きスペースに置き、再び店の奥に向かって駆け出した。

(何やってるのよ、あの親子! 本当にいい怪訝にして欲しいんだけど!?)
 完全に腹を立てた由梨は、そこでレジの列が途切れたのを幸い、再びカウンターを回り込んで平置きスペースに向かって絵本を回収しようとした。しかしここで、彼女は意外な事に気がつく。

(あれ? さっきと同じ本? これが気に入らなくて、置いて行ったわけじゃないの? どういうことなのかしら?)
 無言で首を傾げた由梨に、背後から声がかけらる。

「佐野、それはそのままにしておけ」
 他の場所で備品や書籍の発注作業をしていた筈の上司が、いつの間にか側に来ていたのに気づいた由梨は、困惑顔で振り返った。

「え? でも主任?」
「いいから。ほら、レジに入れ。客を待たせているぞ」
「はい、分かりました」
(本当に、なんなのよ)
 意味不明な指示ではあったが、取り敢えず由梨はその本を平積みの本の上に放置し、カウンター内に戻った。その直後、例の親子が再び平置きスペースまで戻って来る。

(あ、さっきの子供が戻って来た)
 そのまま機嫌よさげに平置きスペースの横で待っている子供とは対照的に、母親らしき女性の方はどこかうんざりした表情でレジにやって来た。そして由梨に一冊の絵本を差し出す。

「これをお願いします」
「かしこまりました。千八百円になります」
(やっぱりさっきと同じ本? 気がつかなかったけど、あの置いてある本に傷でもあったから取り替えたのかな? 後であれを戻す前に、確認しておかないと)
 受け取った絵本を確認し、レジを操作しながら由梨は考えを巡らせた。すると目の前の女性が、斜め後方に軽く視線を向けながら、如何にも申し訳なさそうに告げてくる。

「あの……。あそこの平置きの上に同じ本がありますが、あれは息子が置いた物です。申し訳ありませんが、後で戻しておいて貰えませんか?」
「分かりました。あの本に、何か傷でもついていましたか?」
 一部始終を見ていた由梨は、さり気なくその理由について尋ねた。すると母親が、ますます恐縮気味に述べる。

「いえ、そうではなくて……。あの平置きスペースを見た息子が『どうして本棚に入ってないの?』と聞くので『こうしておくと、皆に買って貰えるの』と説明したら、『ここにこの本を置く!』と頑強に主張するもので。聞き分けがない子で、本当に申し訳ありません」
(ああ、なるほど。だからさっき最初の本をカウンター内に引っ込めたら、早速売れたと思ったんだ。それで手にしていた本を置いて、また新しい本を取りに本棚に戻ったのね。たくさんこの絵本が売れて欲しいんだ)
 目の前でひたすら恐縮している母親に悪いと思ったものの、真相が判明して合点がいった由梨は思わず笑い出したくなった。そして手早く絵本を袋に入れながら、笑顔でその申し出に応じる。

「大丈夫です。お客様が出られたら、こちらで棚に戻しておきます」
「よろしくお願いします。お手数おかけして、本当に申し訳ありません」
「お子さん、この本を随分気に入ってくれているんですね。このシリーズの他の本も購入されていますか?」
「コンプリートしています」
「お買い上げ、誠にありがとうございます。お待たせしました、どうぞ」
 この本屋で全巻買ったとは限らないものの、子供の求めに応じて全巻買い与えた母親に、由梨は自然に感謝の言葉を伝えながら絵本が入った袋を手渡した。彼女は小さく会釈して紙袋を受け取り、平置きの所で待っていた息子に手渡す。その子は満面の笑みでその袋を受け取り、最後に平積みの上に置いてある絵本をチラッと見てから、満足そうに袋を抱えながら母親と共に店を出て行った。

(あまり褒められた事ではないけど、その心意気や良し。これからも推しごと頑張って、いっぱいお友達に薦めてね)
 遠ざかっていく小さな背中を見ながら、心の中で由梨が彼にエールを送る。そんな彼女に、主任が短く声をかけてきた。

「そういう事だ。これとあれは棚に戻しておくぞ」
「そういう事だったんですね。お願いします」
 カウンター内に保管しておいた絵本と、平置きスペースに置いてある絵本を手にした主任は、何事もなかったように絵本スペースへと向かう。由梨はそれから少しだけほっこりした気分で、残りの勤務時間を過ごした。


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