教科書通りの恋を教えて

山鳩由真

文字の大きさ
上 下
96 / 108

後日談ーもう一度あの時をー 双子の義弟20

しおりを挟む


 郁が部屋付きのバスルームで入浴している間にドアがノックされた。
 室見が出るとグラスと陶製のピッチャーを持ったカナが立っていて、「少し話をしてもいいかしら」と言うので部屋に招き入れた。

「郁は入浴中ですよ」

「ええ。あなたと話がしたかったから、ちょうどいいわ」

 小柄で背筋のピンと伸びたカナは、どことなく郁に似た雰囲気があった。細かい幾何学模様のファブリックが張られたソファに向かい合って座ると、カナは室見を上から下までじっと見つめた。遠慮なく検分する視線に室見は苦笑する。

「俺は郁の相手に相応しい人間に見えますか?」

 室見が訊くと、カナはふうと息を吐いてソファに凭れた。

「申し分ないわ。見た目はね。でも、中身はわからない。あなたがあなたなりに郁を愛しすぎているのは伝わってくるけれど」

 カナは忌憚なく答える。“愛しすぎている”ことは、室見自身自覚があったが、カナが良い意味で言ったのか悪い意味で言ったのか判別がつかない。ただ、カナの表情は柔らかく、嫌悪を向けられてはいないようだと室見は感じていた。
 ピッチャーからグラスに水を注ぎながら、カナは切り出した。

「あの子は……郁は子どもの頃からとても物分かりの良い子で、困らせられることがなかったわ。同級生のお友達の親が子供がヤンチャで困ると泣いていたけれど、そんなことが全くなくてピンと来なかったの。私の神経が細いせいで、逆にあの子にはいつも気を使わせてしまっていた。申し訳なかったわ……元夫が死んでからは特に……」

「昔から、郁は郁だったんですね」

 懐かしそうに目を細めながら語るカナの思い出の中の郁に、室見は思いを馳せた。中学で初めて出会ったとき、既に郁は大人だった。真面目すぎる性格は、教師で大人だからかと当時は思ったが、郁本人の性質が大きいのかもしれない。

「確かあの子が十歳のとき、友達がふざけて投げた花瓶があたって額を怪我したことがあったの。そのとき私も夫も仕事で日本にいなくて、私の姉が病院に付き添ってくれた。でも、私たちが帰国してもあの子、すぐにその事を教えてくれなかったのよ。髪でこう、うまく隠してね」

 カナが前髪を額の左側に寄せて見せる。

「額を四針縫って、念のためにMRIも撮って、結構な大怪我だったのに。姉も口止めされたんですって。唇を噛み締めて痛いのをじっと我慢して、『親には言わないで』って。あの子があんまり必死に口止めするから、じゃあ自分で言いなさいって姉は言ったんですって。私たちの仕事が忙しいから、こんなことで煩わせちゃいけないと思ったみたいなの。ショックだったわ……親なのに、頼ってもらえなかった。仕事を理由に不在がちにしているせいかと、真剣に悩んだわ」

 室見は、郁が母親に、室見と既に八年前に番になっていることを告げていないと教えてくれたのを思い出した。母親であるカナにしてみれば、何でも打ち明けてもらい、息子の力になりたかっただろう。しかし郁は、八年前のことを話さなかった。もしも打ち明けていたら、この母親ならば郁を心配して、おそらくアメリカから日本に文字どおり飛んできた。郁は、アメリカで新しい家族と暮らす母親を、煩わせたくないと思ったに違いない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

花いちもんめ

月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。 ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。 大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。 涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。 「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。

知らないだけで。

どんころ
BL
名家育ちのαとΩが政略結婚した話。 最初は切ない展開が続きますが、ハッピーエンドです。 10話程で完結の短編です。

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

彼は罰ゲームでおれと付き合った

和泉奏
BL
「全部嘘だったなんて、知りたくなかった」

獣人王と番の寵妃

沖田弥子
BL
オメガの天は舞手として、獣人王の後宮に参内する。だがそれは妃になるためではなく、幼い頃に翡翠の欠片を授けてくれた獣人を捜すためだった。宴で粗相をした天を、エドと名乗るアルファの獣人が庇ってくれた。彼に不埒な真似をされて戸惑うが、後日川辺でふたりは再会を果たす。以来、王以外の獣人と会うことは罪と知りながらも逢瀬を重ねる。エドに灯籠流しの夜に会おうと告げられ、それを最後にしようと決めるが、逢引きが告発されてしまう。天は懲罰として刑務庭送りになり――

処理中です...