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師匠の教え

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 その男には何もなかった。
 家族はおろか、自らの出自も分からず、名前すらもない。
 果たして名付けをされていたのかも明らかでなかった。
 親に捨てられたのか、旅の途中にでも親を失ったのかも定かではなく、ただ、幼い頃に魔物がひしめく深い森の中を彷徨い、魔物の餌食になる寸前に幸運?にも師匠に拾われ、育てられた。

 しかし、彼はそんな境遇を不幸だと思いもしなかった。
 何故なら名前も家族も何もない彼には師匠がいた、師匠に仕えるモノ達がいた。
 何時魔物が襲い掛かってくるか分からない深淵の森の奥に居を構え、世捨て人の様な生活を送っていた師匠は気難しく、彼に愛情などは注いでくれなかったが、彼に衣食住を与え、生きる術を教え、自らの知識を与えた。

 師匠の周りにいるモノ達が彼に武技を教え、読み書きを教え、魔術を教えてくれた。

 師匠以外の人にふれ合うのは数ヶ月に一度、必要な物を買うために住処から数日を要して行く町での僅かな機会だけだったが、彼は師匠に感謝し、その教えを必死の思いで会得した。

 育てたところで何の得にもならない子供を拾ったのは師匠の気まぐれか、その真意は判らなかったが、確かに彼は10年以上の時を師匠等と共に過ごし、時には共に旅をして成長した。
 成長したといっても、師匠の足下にも及ばぬ未熟者ではあったが、少なくとも自らを守り、自らの力で生きていける程度には成長した。

 そして、一般的に成人とみなされる17歳になった時。
 尤も彼の確かな年齢など判る筈はないが、師匠の周りに居たモノが

「魂の年輪が17輪に達した」

と教えてくれた時に師匠からの巣立ちを言い渡された。

 巣立ちの時、師匠からは

「貴様には戦士としても魔術師としても生きていけるだけの術を与え、その適性も貴様には備わっている。自らの道を選択できるだけのものは与えた。後は自分で進むべき道を選べ」

と伝えられた。

 そして、最後に

「我はこの地での成すべきことを終えたのでこの地を去る、貴様とも今生の別れになろう。貴様と過ごした僅かな時は我が失いかけていた感情というものを思い出させてくれた。感謝するぞ、貴様との時間は悠久の時を生きる我の中でも心地好き時間であった。最後に、貴様がもしも我と同じ道を志すのならば、それは永い孤独の道を歩むことになろう。それを望まぬならば他の道を選択するのだ。大切なのは己が進むべき道は自ら選択することだ。さらばだ、我が愛弟子よ」

との言葉を残して師匠は姿を消した。

 残された彼の前には師匠と過ごした家は跡形もなく、まるで全てが幻だったかのように深淵の森だけが広がっていた。
 師匠が姿を消して、彼は愕然とした。
 師匠が忽然と姿を消したからではない。
 巣立ちの時は前々から告げられていたし、家もろとも消え失せるのも師匠ならばそのくらいは容易いだろう。

 ならば何に驚愕したのか、それは、師匠が姿を消した途端にその姿を、声を、何も思い出せないのだ。
 確かに師匠としての存在の記憶や伝承された知識や経験は残されている。

 しかし、師匠の姿や顔だけでない、性別、果たして師匠が人間だったのかすら思い出せないのだ。

 知識や経験の他に師匠が残してくれたのは、魔物を素材として作った漆黒のローブ、魔力を効率的に制御、行使する腕輪と旅をするのに便利な数点の魔導具のみ。

 他には自分で魔物を討伐し、その素材を売った金をコツコツ貯めて買った安物の胸当てに革鎧と鎖帷子、護身用の剣の他に使い勝手が良くて気に入っていた鎖鎌、そして、当面は生活に困らないであろう少しまとまった現金だけだった。

 残された彼には一つだけ、たった一つだけ不満があった。
 師匠は様々なものを与えてくれたが、ただ一つ、名前だけは彼に与えてくれなかった。
 師匠は彼のことを「貴様」と呼んでいたし、周りにいて言葉を解するモノ達は「お弟子様」と呼んでいた。
 師匠に名付けを望んだこともあったが

「貴様の生涯に渡って刻まれる、そのような重いものは与えられない」

と応じてはくれなかった。
 そのことを思い出し、更には巣立ちの筈が先に姿を消した師匠を思い、彼はクスリと笑いながらもその足を踏み出してその地を後にした。
 自らの道を選択して歩くために。

 数週間後、彼は風の都市にたどり着いた。
 深淵の森の少しでも安全なルートを選び、回り道をしながら、自分では敵わない強力な魔物を避けながら、それでも自力で森を抜け、いくつかの村や町を通過して、風の都市にたどり着いた。
 何故彼がこの都市を目指したのか?
 冒険者ギルドはある程度の規模の都市にしか無いからである。
 風の都市でなければならない然したる理由など無いが、強いて言えば、深淵の森に一番近い都市だったから。
 そして彼は冒険者として生きるべく冒険者ギルドに足を踏み入れた。

 騒然としたギルド内には多種多様な種族や職種の冒険者達がいた。
 人間やエルフ、ドワーフにホビットがいた。
 騎士(王に仕える騎士ではない)や戦士、レンジャーもいれば魔術師や僧侶が依頼を探したり、情報収集に勤しんでいた。
 そんな中に踏み入った見慣れない新参者を値踏みする他の冒険者の視線を後目に受付に立った彼は新規登録の手続きを申し込んだ。

 記載用紙の名前の欄には「ゼロ」と記入した。
 名前の無い彼は自らの名をゼロ(何もない)と定めた。

 そして職種の欄には迷うことなく「死霊術師」と記入する。

 戦士でも魔術師でもなく、忌み嫌われる存在である死霊術師と。

 それが彼の選択だった。

 この物語は英雄になることなど微塵にも望まず、ネクロマンサーという忌み嫌われる道を自ら選択して歩むことを決意したある男の人生録である。
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